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絶望の禁書迷宮  救助編

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絶望の禁書迷宮  救助編

リアクション

第1章 出発

地下書庫の入口ではエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)が、負傷した杠 鷹勢(ゆずりは・たかせ)の搬送計画について、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)から相談を受けていた。
「じゃあ、封印の魔石は使用しない方がよさそうね」
「残念だけど……パラミタ大陸の排除反応を封じる効果は見込み薄ですぅ。何より、負傷とパートナーロストに、精神の抜け落ち……。精神体はともかく、今の肉体に魔法的負荷をかけるのは危険かもしれないですぅ」
「分かった。じゃあ、飛空艇を使って空京に搬送するわ」
「困難な道のりになると思うけど頑張ってほしいですぅ」
「任せて! ……?」
 書庫の外からやけに騒がしい声が聞こえてくる。エリザベートとルカルカは、訝しげな顔を見合わせ、外に出てみた。

 二人の目にまず飛び込んできたのは、最初にここに来た時にはなかった、入り口を覆うような巨大なバリケードだった。そこにテーブルが出され、椅子に座ってせっせと何かカードのようなものを作っているのは 親魏倭王 卑弥呼(しんぎわおう・ひみこ)。テーブルの横に、つんとした表情で立っているのは弁天屋 菊(べんてんや・きく)であった。彼女に対して、何か大声で訴えている人間が二人いるが、聞く耳持たずといった顔つきだ。
「早く搬送しないと怪我人死んじゃうヨ! 我儘で人の流れ止めるのよくないネ!」
ディンス・マーケット(でぃんす・まーけっと)が困り果てた様子で訴えても、
「外からの怪しい奴らが来ても、俺様がしばき倒してやるんだから、バリケードなんか必要ねーよ!」
メルキアデス・ベルティ(めるきあです・べるてぃ)が喚いても、つんとあさっての方向を向いていた菊だったが、
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
 止まらない二人の口に堪忍袋の緒が切れた、とでもいう風に吠えた。
「廃墟とはいえ、ここがパラ実の本拠地だってことには変わりないだろ? 余所者が挨拶の一つもなしにずけずけと出たり入ったりするのは仁義にもとる行為じゃねえのかって言ってるだけだろが。それとも何か? 他校生はあいさつの仕方も知らねえのか?」
 それがパラ実生としての彼女の主張であった。バリケードは武装した敵が突っ込んでくるのを想定して築いたわけではない。菊の「敵」とは、「仁義を通さずに人様の縄張りに踏み込んでくる下衆野郎」なのであって、バリケードはそういう敵に対して徹底的にやりあってやるという彼女の心意気の表明に他ならない。
「だからっテ、人命のかかった、一刻を争うって時ナノニ……」
 融通の利かない、とでも言いたげにディンスが力なく呟くが、菊はそんな彼女をぎろりと睨んだだけだった。仁義とは何時如何なる時であっても軽んじられてはならないもの、だからこその仁義であるのだ。
「『仁義』だったら知ってるですぅ!」
 突然、エリザベートが自信満々で言い放つと、菊の前に歩み出た。
「御敷居内、御免下されましい!」
「……」
「手前、ショウゴクと発しますれば、……ええと、なんでしたかぁ?」
「……何やってんだ、お前?」
 明らかにどこかで見聞きしてかじっただけらしいエリザベートの、棒読みの「仁義を切る」口上に、菊は心底呆れ返った様子で呟いた。
 と、
「はいはい、ごめんなさいよっと」
 バリケードに阻まれて外でつかえている契約者たちをかき分けるように、小柄な影が出てきた。英霊の高崎 トメ(たかさき・とめ)だった。
「こちらさんのおっしゃること、ごもっともですわ。人命のかかった緊急時とはいえ、他人様の敷地ん中で活動させてもらうのに、義理を欠かしたらあかん。きっちりご挨拶させてもらいまひょ」
 菊の目線にたじろぐ様子もなく、にこにことその目を見返したトメは、少しだけ笑みを消した生真面目そうな顔をして、
「パラ実のお方、少し御庭先をお騒がせします事、お許しを願いとぉございます。パラ実さんの縄張りを荒らすつもりは毛頭おまへん。
ただ、人の命がかかっております。一寸急ぎの用事ですんで、助けてくれはったら有難おす」
 しばらくの間、両者、沈黙のまま見合う。やがて、菊が口を開いた。
「……それで、ここを通る為の仁義を通したつもりかい?」
「もちろん、手続きはしっかりさせてもらいますえ。あれが必要なんどすやろ?」
 トメが指差したのは、机の上。卑弥呼がその上に、事務的に並べているのは、即席なのだろうか紙だけでできた『貸出票』『入館証』などのカード、それに帳面。
「書庫ゆうことは、図書館に入るのと同じですもんなぁ」
 菊は内心舌打ちをした。こちらの求める仁義が、図書館に入る時に当たり前に行う入館手続きと同様のものである、ということはこちらから教えるつもりはなかったのだが、卑弥呼の手際が変によかったのがヒントになってしまった。しかし、きちんと筋を通そうとしてくれた者がいたことに、いくらか溜飲は下がった。
 そこで、取り敢えずこのバリケードは入出時のチェックを受け持つ受付……というか菊のストイックさによってほとんど『関所』と化した。まぁ、鷹勢を運び出すルカルカとディンス以外は、外から入ったら書庫に直行してしばらくは出ないので、一人が何度もいつまでも手続きに時間を取られる、ということはなかったが。
 だが、自分こそが外部からやってくる敵をブッ飛ばしてやろうと意気込んでいるメルキアデスとしては、何となく自分の役割が減ったような気がして少し複雑ではあった。
(けどまぁ……最悪の場合を想定してここにいるけど、最悪の場合なんてないに越したこたねーし)
 取り敢えず、見張りを力いっぱい頑張ってやろうと、気持ちを入れ替え、気合を入れ直したメルキアデスであった。

 書庫を出たルカルカとディンスは、搬送のために用意した飛空艇の待っている場所まで、即席の簡易担架で鷹勢を運んだ。
 乾いた茶色い大地、はるかに見える山、空、雲。シャンバラ大荒野の果てしない風景を、ディンスは見る。
「これが……この自然全部が、契約者じゃなくなると、敵になるんデスネ……」
 改めて考えると、その思いに圧倒されそうになる。契約者ではない地球人は、この大陸に受け入れられない。万が一大陸上ですべてのパートナー、もしくは鷹勢のようにただ一人しかパートナーがいない場合、そのただ一人を失えば……
 全世界の敵意が総身に張り付く、その気持ちを一瞬疑似体験したような気がして、ディンスは息を飲む。
「だから、かつての彼と同じ契約者である私達が協力し合って、絶対に彼を助けないとね」
 鼓舞するように、ルカルカが力強く言う。ディンスは彼女を見、一瞬置いて頷いた。


 書庫内部には、契約者たちが集まっていた。
 結界で奥まで進めない地下書庫内は、入り口の階段下、書棚が並ぶ部屋の手前で全員が足止めを食らった形になり、正直窮屈である。
 結界の手前で何やら空間が歪んでいるのが、侵入者『石の学派』と鷹勢の精神を飲み込んだ異次元の空間の入口だ。中に入って捜査することを決めた契約者たちは、もう全員旅立った後である。
「話をしよう、と懇切丁寧に誘っているのに、魔道書の奴らうんともすんとも言ってこないですぅ」
 エリザベートが聞いたのは、テレポートで到着した瞬間に、結界の向こうで誰かが言った言葉、
(「無茶するんじゃねーぞ、『ネミ』」)
 だけ。それが、この謎の空間を作っている魔道書の名前(の一部)であると知れただけだ。
 臍を曲げたようなエリザベートのふくれっ面を横目で見て苦笑し、ジュンコ・シラー(じゅんこ・しらー)は、自分が呼びかけてみるからと言った。
「魔道書の皆さん、聞いてくださいな。私たちがこうして大勢でやってきたことを、きっと不快に思っていらっしゃるのでしょう。その気持ちは察します。この場所は皆さんにとっては落ち着いていられる場所、家にも等しい処のはずですもの」
 落ち着いた淀みのない声が、沈黙の結界空間に響く。応えはない。それでも、ジュンコは臆することなく呼びかけ続けた。
「侵入した魔導師達は、この空間を内側から崩壊させようとしています。彼らは自分たちが先に進むために、あなた方が傷つき、あなた方にとっての家であるこの場所が踏みにじられることを何とも思っていないでしょう。私は、そんな惨事に見舞われる皆さんを見たくないのです。侵入者たちに壊される前に、どうか一度、この空間を解き放ってください。侵入者を倒すために戦っている契約者の方達と安住の地を守るために、協力をしていただけないでしょうか」
 横に立つパートナーのマリア・フローレンス(まりあ・ふろーれんす)も言葉を添える。
「侵入者たちの行為が許せないのは、私たちも同じ。今は無理に、人間を信頼してとは言いません。けれどこの場所があなた方にとっての『安住の地』で、それがどんなに大切なものかは分かるつもりです。安住の地を守るために、私たちに少しだけの間、力を貸してほしいんです。どうか考えてください」
 二人は、この場所が人間を嫌う魔道書達が休まる「安住の地」であることを理解し、それがいかに大切であるかもまたよく理解していた。
 しかし。
「けど、どんな本にも知識ゆうもんが詰まってるはずや。それが、分かってないごく一部の人間の烙印で、こないな暗所に入れられていて……それが正当な扱いとは思えへん」
 そう言ったのは、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)だった。
「そう、すべての本に知識はあるものよ。読む者がそれを分かるか分からないかというだけのこと」
 パートナーの讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)も同意するように隣から言った。
「本を愛する人間にとっては、非道な扱いをされてもいい書物なんてないと思てる。僕ら、できることなら君たちにいい環境を提供したいんや」
 不幸な過去には同情するが、知識の詰まった本というものが誰にも読まれずに忘れ去られるのが一番悲惨なこと。新しく建設されるニルヴァーナの図書館で、きっとここの本たちは必要とされる。そこでもう一度、人間たちに力を貸してくれないか――泰輔はそう訴えかけた。
「僕は、君達をこの世界に生み出した先人達の努力労力尽力と熱意に、敬意を払うよ。読み手の来ないこんな場所に追いやられて、悲しくはないかい?」
 フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)もまた、切々と訴える。
 彼らの言葉を聞き、ジュンコは考え込む。――人の扱いに傷ついてここに籠ることを選んだ魔道書達にとって、ここを守ることがよいことだと、自分たちは信じている。しかしそれとは違う彼らの言葉もまた、「本」である彼らの幸せを、別の角度から真剣に考えた上での言葉である。
「魔道書さん達にとって、「ここ」よりももっと相応しい居場所があると、思います……もっと輝ける場所、必要とされる場所が」
 喋るのが苦手なゆえに黙っていたレイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)も、不器用な口調で言葉を添える。それもまた彼女が「居場所」の意義を真剣に考えた上での、真摯な助言である。
 今は幻想の異次元を解いてもらうのが先決だが――彼らにとっての最善は何なのだろうか。

 魔道書達は、沈黙を守っている。