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リアクション
chapter.5 滝行(1)
その少し前、庵々では。
「はーい、滝行希望の人はこっちに来てねー!」
苦愛の案内で、希望者が列を作り歩く。一同は庵々から少し離れた河原を上流へと進む。
ほどなくすると、ほとりに滝が見えてきた。
「おお……」
参加者たちが、揃って声を上げる。目の前の滝が、想像以上の勢いで流れていたからだ。
シルヴィオが逃げ出したのも納得の水勢である。
「パッと見は結構すごい滝かなーって思うかもだけど、大丈夫! ここを流れる水はね、アロマの香りがするからおしゃれになれるんだよ!」
何が大丈夫なのかまったく分からないが、苦愛は笑顔で参加者たちにそう告げた。
これはしっかり自衛しなければ、風邪を引くだけじゃ済まないぞ、そう察した一同は滝行の正しいやり方を苦愛からしっかり聞くことにした。
神代 明日香(かみしろ・あすか)も、その中のひとりである。
「注意事項とかは、ありますか〜?」
「えっ、注意事項? うーん、なんだろ……水の勢いに押されても、女の子らしさを忘れないことかな?」
たいした答えになっていない。明日香は質問を変えることにした。
「衣装は、白装束……行衣ですよね?」
「ううん、違うよ?」
「えっ?」
思わぬ返答に、明日香は聞き返した。滝行のイメージは、白装束というのが彼女の頭にあったからである。
「だって女の子は常に可愛くいなきゃ! それぞれの服で、個性をアピールしちゃお!」
「そ、そうですね〜」
たぶんこの人からまともな指導はもらえないな。そう判断した明日香は、適当に返事し、自分の知っている範囲で準備を進めた。
「せっかく持ってきたんですから、着ないと損ですよね〜」
言って、彼女が取り出したのは行衣だった。それを抱え、明日香は木陰に移動する。少ししてそこから出てきた彼女は、立派にその服を着こなしていた。
しかし、白いといろいろなものが透けてしまうのではないか?
そんな心配と男子たちの淡い期待が明日香に寄せられる。が、心配ご無用。明日香はしっかりと透け防止用の肌着も身につけていた。
まさに完璧な用意である。そして世の男子たちは失望した。そんな失意のオーラを無視し、明日香は滝行への一番乗りを果たした。
「わっ、冷たいですねー」
滝へ近づくべく水の中に足を入れた明日香は、そのひんやりとした感触に小さな声を上げた。しかしこんなものはまだ可愛いものである。目の前にそびえている滝は、冷たいだけではなく、ただならぬ水圧をまとっているのだ。
しかし明日香は、それを意にも介さず滝の下へと入っていく。
「……っ!」
ざざっ、と水に押され、明日香の口から声にならない声が漏れる。
「これは、マッサージ効果もありそうですね〜」
もちろんそんな生やさしいものではないのだが、明日香は喋ることで平常心を保とうとした。まあ、マッサージ効果といっても彼女の胸に無駄な脂肪なほとんどないので、肩はそんなに凝っていないだろうけれど。
「平常心、平常心です」
どこかからの声が聞こえたのか、明日香がそのフレーズを繰り返す。そうしていくうちに彼女は、修行に没頭していき、水圧や水しぶき、耳に響く轟音などに対してそこまでの苦痛を感じなくなっていた。
「これは、悟りが開けそうです……」
滝の勢いに逆らわず、自然の一部となり、自己を見つめ直す。そして意識を切り分けあらゆる感情を自分のものとし、見えないはずのものを見えるように……。
明日香は、かなり本格的なところまで意識を進ませていた。これが真っ当な修行で、真っ当な者たちと一緒の修行なら明日香は限りなく優等生だっただろう。
しかし残念ながら、そのどちらも真っ当とは言い難いものであった。
「おい歌菜、本当にやるのか……?」
「ヴェルリア、着いてきたのはいいが、大丈夫か? 怖いなら無理しなくていいんだぞ」
それぞれのパートナーに声をかけられながら、滝へ入ろうとしているのは、遠野 歌菜(とおの・かな)とヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)だ。
パートナーを無理矢理引っ張ってきたか、パートナーに無理矢理引っ付いてきたかの違いはあれど、このふたりの女性に共通するのはひとつ、滝行をやりたい! ということだった。
既にふたりとも白装束に着替えており、やる気は満々だ。
「思ったより勢いはあるけど、これくらいふつーだよ、ふつー! それに、この季節ならむしろ気持ち良いんじゃないかな?」
「どう見てもふつーじゃなさそうなんだが……それに、これが気持ち良いのはごく一部の人間だけだと思うぞ」
歌菜のパートナー、月崎 羽純(つきざき・はすみ)は割と早い段階で滝の勢いと歌菜のハイテンションに引いていた。
さらに。
「ま、間近で見るとすごいですが……大丈夫ですっ」
「……そうか、俺も修行に専念するから、何かあってもすぐ助けられるとは限らないぞ?」
「大丈夫ですっ……ただ」
「ただ?」
「その、作法とかがよく分からないので、最初にお手本みたいなものが見たいなって。そしたら大丈夫ですから!」
「……分かった」
本来、気分転換のつもりでやってきたヴェルリアの契約者、柊 真司(ひいらぎ・しんじ)はヴェルリアが繰り返す「大丈夫」に思いっきり不安を感じていた。
とはいえ、いつまでもヴェルリアに構ってばかりもいられない。今日は修行に来たのだ。
真司は滝に向かって一礼をすると、軽く水を浴びて身を清め、滝つぼへと身を投じた。
「これは……意外と衝撃がくるな」
どどっと押し寄せてくる水に体を打たれながら、真司は呟いた。しかしまったく耐えられないというわけでもない。
おそらく、慣れてくればうまく集中出来るようになるだろう。
そう思い、真司はより意識を研ぎ澄ませるため、目を閉じた。
「つっ、冷たっ!? 冷たいですっ!!」
「……集中、集中」
「きゃあっ、なんですかこの水圧は!? か、体が持ちませんっ!」
「……」
「無理! これ以上は無理ですっ! 耐えられません!!」
「さっきから少しうるさいぞ、ヴェルリ……」
さすがに我慢ならなかったのか、真司はヴェルリアの方を向いて注意しようとした。が、その言葉は途中で止まった。
「す、すいません無理でした〜!!」
「っ!?」
少し離れたところで滝に打たれていたはずのヴェルリアは、助けを求めんと真司に抱きついてきたのだ。これにはさすがの真司も意識を乱されたのか、目を見開いた。
だが、ここで取り乱しては修行の意味がない。どうにか真司は、雑念を振り払おうと再び目をつむる。
「集中集中、集中集中……!」
あえて口に出して無視しようとするが、背中に当たる柔らかい感触がそれを邪魔する。
「うぅ、暖めてくださいっ!」
より一層密着度を増し、ぎゅっと抱きつくヴェルリア。どうやら彼女は、持ってきていた上着をどこかになくしてしまったらしい。はおるものを失った彼女は、温度を求めていた。
が、そんなことは周りからしたら知ったこっちゃないよという話である。
少なくとも、端から見たら、完全にバカップルのイチャつきだ。とても許しがたいことこの上ない。
そして、歌菜と羽純はというと。
「つつつつつ、冷たーーーいっ!!」
ふたり仲良く滝に潜ったはいいものの、その勢いと冷たさに歌菜はすっかり気が動転していた。
「ナニコレ、ナニコレ、前も見えないし、音は水の音しか聞こえないしっ!」
五感が奪われていくのを肌で感じた歌菜は、逃げ出したい気持ちに駆られた。
「ううーっ、でも……」
可愛くなるためには、耐えなくちゃ。歌菜は、苦愛の言葉を信じていたのだ。修行で可愛くなっちゃおう! という不可解なフレーズを。
だが、歌菜の限界は確実に近づいていた。歌菜に腕を捕まれたいた羽純は、彼女の震えからそれを察知した。
「ったく、これくらいがふつーだなんてやせ我慢しやがって」
無論、羽純にも水の圧力はかかっているが、今はそれと戦っているところではない。羽純は、素早く真空波を放つと、自分たちを包んでいる滝の一部を切り裂いた。一瞬、ほんの僅かな瞬間だが、滝に切れ目が生まれる。
そのタイミングで、羽純は歌菜を抱きかかえ、滝から脱出した。
「えっ、あれ!?」
あまりに短い時間の出来事に、何が起きたかよく分かっていない様子の歌菜。彼女はただキョロキョロして「なんで?」「どーして?」と繰り返すばかりだ。そこに、羽純の言葉が降ってくる。
「修行は終了だ」
「しゅ……ど、どうして?」
「どうしてって」
羽純は一瞬言葉を選ぶ素振りを見せると、腕の中の歌菜に告げた。
「無理して風邪でも引かれたら困る……いいな?」
同時に、羽純の前髪からぽたりと水が滴って歌菜の頬に落ちた。水を孕んだ彼の髪にさりげない色気を感じてしまい、歌菜は顔を赤らめる。
心なしか、彼の体からアロマの香りが匂っている気もする。
苦愛さんがそう言えばそんなこと言ってたっけ。アレ、本当だったんだ。
そんなことを頭のどこかで思いながら、歌菜は羽純の言葉にこくりと頷いた。それを見て、羽純が笑いながら彼女の頭をなでる。
「よし、いい子だ。温かいものでも食べて帰るか」
なんと、まさかのバカップル二連発である。お前ら修行しにきたんじゃねえのかよと誰もが思ったと同時に、その場にいた男性陣は絶望を味わっていた。
あわよくば水に濡れて透けた女の子が見られると思っていたのに、さっきから目の前に広がるのはラブラブ風景ばかりなのだから、無理もない。
唯一イチャついていない明日香も、肌着着用のせいでちっとも透けやしない。男性陣のストレスは、確実に溜まり始めていた。
そんな中現れたのが、レオニダス・スパルタ(れおにだす・すぱるた)である。レオニダスは白装束を身にまとい、颯爽と滝へと近づいていった。
「さあ、テラー! 一緒に女子力をアップするのよ!」
一際大きな声を上げると、レオニダスの後ろから何やら妙な、恐竜にような着ぐるみがついてきた。レオニダスの契約者、テラー・ダイノサウラス(てらー・だいのさうらす)だ。
「げるぐぅ?」
基本的に獣っぽい言葉遣いオンリーなテラーは、どうやら今回自分が何をするのかもよく分かっていないようだった。とりあえずレオニダスについていくことにしたテラーは、「ぐぁがう!」と元気良く雄叫びのようなものを上げた。
周囲の男性陣にとってテラーは割とどうでも良かったが、レオニダスにはかなりの熱視線を向けている。パッと見美少女なレオニダスがびしょびしょになるとあれば、今度こそ期待せざるを得ないのだ。
しかも、見た感じどうもレオニダスは下着をつけていなさそうだ。ということは、濡れたら透け、透けたら見える。
そうか、さっきまでのイチャイチャラブコメはこのための布石だったのか。
男性陣は勝手に納得し、レオニダスの動向を見守る。が、しかし。彼らは誤解していた。
レオニダスは、男の娘だったのだ。
なぜ男の娘が女子力アップの修行に? そう思う者もいるだろう。しかしそれは偏見である。男の娘だって、女子力を気にするのだ。そういうことらしいのだ。
そういうことらしいのだが、いざ滝に打たれ、衣服が透け始めると、「あれ、なんかおかしいぞ」という空気が流れ出した。
どうも、俺らが見たいものと違うぞ、と。
「これは……なかなかの滝ね、テラー!」
「がぉがぅ!!」
そんなことは露知らず、ふたりは滝に打たれ修行に励んでいた。
と、あまりの水圧で、テラーの着ぐるみが徐々に破け始めてきた。
「危ない!」
レオニダス的に中がテラーの中が見えてしまうのはかなりのNGだったのか、慌てて滝からテラーを追い出し、そのまま水から上がらせた。
「ふう……危うく見えちゃうとこだったわね」
どうにかテラーの中身を露出させずに済んだレオニダスは、ほっと一息ついた。同時に、周りの男性ギャラリーも溜め息を吐いた。
彼らからしたら、別に着ぐるみの中とかなんだっていいよ、危うく見えちゃってほしいのは別のものだよ、という話なのだ。
つくづく、男とは最低である。
散々イチャイチャを見せつけられ、女かと期待したら男の娘で、あまつさえ妙な着ぐるみのチラリズムを見せられる。
もはや男性陣の我慢は、限界に達していた。
圧倒的な邪気の中、唯一真面目に修行を続けていた明日香は思った。
――あれ、これもしかして、逆に私が場違いな感じでしょうか、と。
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