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リアクション
【ステージ】
しん、と静まり返った客席に、ギターとバイオリンのしっとりとした音楽が響き渡る。
スポットライトに当てられ現れたのは長いトレーンのフラメンコのドレスに身を包んだリアトリスの姿だった。
鮪、とくれば和風なものを予想していたから、これは客にとっては少しばかり予想外だ。
男性ボーカルの声が流れる中、ステージの中央に立っていたリアトリスはゆっくりと腕を上げ、下ろし、筋肉の躍動だけで観客の心を掴んで行く。
鮪の解体ショーを見て、鮪を食う。
そんな目的でこの席についたはずなのに、今や観客はフラメンコショーの虜だ。
一分余りの時間が永遠とも思えた瞬間だった。
手拍子の音に刻まれて、突如として曲調はアップテンポの明るいものへと変化する。
「さあさ、皆さんお立会い。
これより執り行いますは巨大パラミタオオマグロの解体でござい。
この10メートル、6・6トンの大物を、我々が捌いて見せましょう!」
涼介の掛け声に、大地が鮪を隠していたシートを思い切り剥ぎ取った。
余りの巨大さに、ランディは席から立ち上がってしまった。
「すげぇ!
あんなでかいの喰えるのか!?」
「もうランディ、私たちショーだけ見に来たのよ」
理沙はランディを座らせながら小声で言う。
「え、ああ、そういえばそうだっけ」
そんなやり取りの間にリアトリスの激しい足捌きが始まっていた。悲哀の出番だ。
ふとその時、悲哀は調理場からひょっこり出てきていた顔を客席の後ろに見つけていた。
(……あ、耀介さん……)
彼に、良いところを見せたい。
密かに気合を入れると、悲哀はテントの天井一杯まで高く飛び上がった。
ひゅん、と音が聞こえた気がした。
気づくと鮪は宙に張り巡らされた糸に絡まり、文字通り蜘蛛の糸に絡め取られたような状態になっている。
「まずは胸鰭(むなびれ)と頭を切り落とします!」
涼介の声を合図に悲哀は指に力を込める。
事前になめしてきた糸は魚の鮮度を保ったまま、一瞬でバラバラと切り裂いた。
「更に背と腹へ切り込みを入れていきます」
客席へ降りて行った悲哀がステージへ向かって何かを投げ込んだ。
「刃物ですわ!」
客席からチェルシーや女性客の悲鳴が上がるが、リアトリスはぴたりと静止し、美しいポーズのままそれを受け取った。
スイートピーを模した大剣はリアトリスの愛刀だ。
音楽のリズムに合わせて、リアトリスは涼介の言った通りに鮪を切っていく。
「背、尻、腹のヒレを切りおろします」
リアトリスに入れ替わりステージの中央に立ったのは大地だ。非常に細長い刀を手にしている。
観客が何が起こるのかと目を見開いていた。
「……え?」
だが何も起こらない。チェルシーは眉を顰めて理沙の顔を見る。
だがしかし、その時それはすでに起こっていたのだ。
大地が剣を鞘に収めたパチンという音の衝撃で、台の上に乗っていた鮪の塊が、五枚にバラバラと倒れて行く。
「ど、どういう事なんですの!? 鮪が勝手に――」
驚くチェルシーに、理沙は冷静に言う。
「いいえチェルシー。私達は鮪が机に置かれた、とだけ思っていた。
けれどその直後に、彼は既に斬っていた、のよ」
「なんですってー!!?
早くて見えなかったと言うんですの!?」
「ええ、あの技術はもう見事としか言えないわ……」
ここからは涼介の番だった。
こまめに濡れ布巾で自在刀を拭いては血合を取り、刺身や丼用の「サク」にしていく。
「まずテンパと呼ばれる赤身の部分を落とし、皮ぎしと身を切り離します。
これで所謂赤身、中トロ、大トロが取れます」
説明をしながらテキパキと切り、皿へ乗せて行く。
その量は大量だったが、
「さて、この皮ぎしに残った身をスプーンですきとったものがネギトロに使う身になる訳ですが……」
「応。そこは俺に任せてくれな」
カガチが受け取って、そのまま横で調理を始める。
「……これだけのでかさだとシャベルくらい要るかもなぁ」
苦笑交じりにスタートし、余すところ無く丁寧にこそげていくと、厨房の特権――
一口入れて、「うん、うまい! 良いものは何もしなくても美味いもんだよねぇ」と頷いて、
ホールを回ってる友人の壮太の羨望の眼差しを受け流した。
「よーし、こっちは手初めにネギトロ三昧始まるよー!」
カガチの意気のいい声で、ホール担当者が動き出した。
「はい、注文取りますよ。好きなマグロ料理言ってくださいね。どんなのでも大体作るみたいだから」
「どんなのでも……ですか。
料理人によるちょっとした対決になるわけですね。誰が一番美味しいマグロ料理を作りだすのか。
審査員はお客さん。
でもその辺りはグルメな人にお任せしましょう!
私はオーソドックスな感じでお願いします」
姫星の注文に、ホール担当の壮太が考える。
「オーソドックスっていうと、そのまんまのせて丼が一番いいか?」
「はい、お願いします!」
「だってよ、頼むわー」
姫星の席はステージの目の前だ。この距離だとそのまま聞こえるだろうと、壮太は横着をしてカガチに注文する。
「ネギを散らしてわさび醤油で? いいねぇ」
涼介がカット済みのマグロを飯と既に準備されていたネギを散らすと、あっという間にマグロ丼が完成する。
「ほい、お待たせしました」
「うわぁ……」
感嘆のため息を漏らして、姫星はすぐに口の中へ料理を運んだ。
「美味しい、美味しいです!!
やっぱりうちで食べるのと全っ然違いますよ! 美味しいです!」
別のテーブルでは葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)とコルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)がカガチに直接注文していた。
「折角だから何か面白いものが食べたいわね」
「変わったもんが食いたい? じゃあオリーブオイルとビネガーでカルパッチョ丼は如何?」
「カルパッチョ、というと酢っぱいものでありますか。
中々の冒険でありますが、良いのですか?」
「いやいや、お客さんが食いたいなら止めないよ」
甚五郎らのテーブルの上には、オリバーが既に注文していた鮪以外の料理がのっている。
皿は次から次へと空になっていき、ホール担当者は常にこのテーブルと厨房を行き来しているような状態だ。
今も真と入れ替わりで入ってきた山葉 加夜(やまは・かや)がテーブルについている。
「ご注文はお決まりですか?」
「丼物、刺身、炙り、なんでもいいな。兎に角たらふく食うつもりだぜ
一通り一皿ずつ持ってきて貰おうか」
加夜が注文をメモしていると、ルルゥがオリバーの腕を揺すっている。
「オリバー、オリバー、一口ちょーだい!」
オリバーは食べるのに忙しいようで、口と手を絶え間なく動かしたままルルゥへ鉄火巻きを渡した。
「う〜、緑のツーンてするのが付いてる。あんまり美味しくないんだよ」
「あらあら、お茶を少し飲むと大丈夫になりますよ」
「ありがとう!」
ルルゥにお茶を手渡しながら、加夜は甚五郎に向き直った。
「宜しければさび抜きで新しいものをご用意致しましょうか?」
「頼む」
そこへすかさず飯を掻っ込んだオリバーが
「ああ、それからこっちの皿のを10枚追加で頼む!」
「そなた、いったいどれだけ頼むつもりだ」
他の客のこうした姿を見て、理沙もチェルシーも知らず知らずの間にお腹を押さえていたようだ。
「なんだよー、理沙もチェルシーも結局鮪食いたくなってるじゃん」
笑いながらランディは二人の行動を見逃さなかった。
「ショーも面白いけどやっぱり解体した鮪は喰う為のモノだろ?
飯喰ってこうぜ、飯ー」
元より食欲魔人のランディなのだ。
解体ショー イコール 食事つもりで着ていた。
期待の眼差しに、理沙は笑いながら答える。
「うん、お腹減ってきたわ。
やっぱり鮪食べて帰りましょう」
*
【バックルーム】
同じ頃、バックルームには数人の従業員が集まっていた。
所謂昼食を回すためのランチバイトと休憩に入るバイトだ。
(ホールのバイトで金を稼ぐって何でなんでこんなことに!)
緒方 太壱(おがた・たいち)は心の中で一人愚痴る。
ちょっとしたアルバイトの予定が、ぞろぞろと後を付いてきた「楽しい仲間達」にすっかり予定は狂ってしまった。
はじめに渡されるはずの適当なエプロンをジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)に横から奪い取られ、
「さぁさ、ワタシが用意したホール衣装に着替えやがり下さいませ!」
と、ゴム長靴、前掛け、Tシャツにねじり鉢巻の魚屋テンプレート衣装に着替えさせられ何だか全く解せない。
いや、解せないのは太壱だけではないのだ。
「……何で野郎スタッフはこんな魚河岸のおっちゃんみたいな格好なんだよ」
新谷 衛(しんたに・まもる)はそう口に出してしまったが為、
「文句を言うなら女性の衣装を着やがれ、です、バカマモ」
と罵られ、ハリセンでアタックを食らいそうになってしまっている。
「……全く何でこう、イベント毎の衣装に関してジーナはここまで張り切るんだかなぁ
ほとんど無償だろうに
……いや、色々着替えさせるのがジーなの趣味なんだろうか」
机に置かれたジーナお手製の衣装をぴらりとめくりながら林田 樹(はやしだ・いつき)はため息をついた。
パニエをはいたふわふわぴらぴらてんこ盛りな和風メイド服は、正直樹としては恥ずかしすぎるコスチュームだ。
しかしそうも言っていられない事情もあるのだ。
「……天学の同人娘、蒼学の人魚、とりあえず着てくれ。
ジーナがへそを曲げると変な報復をするのは、長年の付き合いでよく知ってるんで」
「ほ、報復!?」
「ここならば鮪の切り身を口の中に詰め込まれそうだな。
またはオリーブオイルを一気に飲まされて……」
遠い目をする樹に、ジゼルと寿子はハラハラ冷や汗をかいている。
「……蒼学の人魚、パートナー選びは慎重にな」
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