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【九 おじさん(おじいさん?)を囲む会】

 カフェ・ディオニウスもそろそろ、夕刻を迎えようとしている。
 店内では、源次郎がカウンター席からテーブル席へと移動していた。というのも、彼と話をしたいという者が次から次へと現れる為、ストゥールに座ったままでは何とも具合が悪かったのだ。
 テーブル席に移った直後、源次郎が最初にしたのはコーラのおかわりを注文するのではなく、テーブルの下にぐいっと太い腕を突っ込んで、何かを引っ張り出すという作業であった。
 そうして源次郎がテーブル下からつまみ上げてきたのは、まるで携帯ストラップのような外観のピエロ姿である。正体は、ボビン・セイ(ぼびん・せい)であった。
 が、源次郎は最初こそ変な顔つきでボビンを眺めていたが、数秒後には興味を失ったらしく、やや引きつった顔つきでテーブルに近づいてきた和子に、何食わぬ様子で手渡すのみであった。
 ボビンはボビンで、内心で物凄い冷や汗をかいていた。
 もしかすると、そのまま握りつぶされてしまうのではという恐怖感も抱いたりしていたのだが、結局何もされないまま、和子の手の中に戻ってきた。
(きっと……最初から気づかれてたんだろうな……)
 ボビンは和子のエプロン上のポケットに仕舞い込まれながら、冷静に考えてみた。
 源次郎が件のテーブル下に、いきなり手を突っ込んできたのである。他のテーブルには一切目もくれずに。
 ということは矢張り、気づいていたと考えるのが妥当であろう。
(諜報機関仕込みの潜伏術……まだまだ、磨く余地があるかなぁ)
 などと反省してみるものの、しかしどうやって鍛えれば良いのかという疑問も、なくはなかった。
 さて、対する源次郎はというと、テーブルの左側に陣取った中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)魔王 ベリアル(まおう・べりある)に、顔を向けている。
 ちなみに綾瀬はいつものように、漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を身に纏ったままであった。
「おっちゃん! コーラ大好きみたいだけど、どこのコーラが一番好きなんだい!? やっぱりコカか、ペプシかい!?」
 他の者からすれば全くどうでも良さそうな話題を振るベリアルだが、源次郎は随分と真面目な顔つきでしばらく考え込んでしまっていた。
「どっちも甲乙つけがたいな。けど自分、もうちょっと勉強せなあかんで。コーラ作ってるメーカーは、他にもようけあるんやさかい」
 意外な薀蓄に、ベリアルは呆けた表情を見せた。
 更に氷を入れるのはありかなしか、種類なら何が良いのかなどと矢継ぎ早に質問するが、逆に源次郎のコーラに関する深い造詣を突きつけられ、勉強不足があからさまに露呈する始末である。
 そんな様子を、綾瀬は幾分苦笑しながら眺めていた。
「それにしても……本当に奇遇ですわね。このような場所で源次郎様とお会い出来るなんて……これも、運命なのでしょうか?」
 微笑を浮かべる綾瀬は更に、周囲の者が仰天しそうな発言を淡々と続けた。
「以前、『見るならタダ』『好きにしろ』と仰りましたので、今後は源次郎様のお傍でご一緒させて頂くことに致しましたわ。どうぞ宜しく、お願い致します」
「いやまぁ、好きにしたらええんやけど、風呂とトイレぐらいは別にしたってや」
 綾瀬は、出来れば自分の意志で源次郎のことを深く知りたいと願っているらしく、その為、生胞司電は遠慮したい旨を告げた。
 すると源次郎も最初からその意図はなかったらしく、不思議そうな面持ちで綾瀬の顔を見つめた。
「別に、んなことする必要もあらへんやろ。わしが生胞司電を仕掛ける相手っちゅうのは、無理矢理従わせなあかん相手だけやし」
 源次郎の回答を受けて、綾瀬は改めて、深々と頭を下げた。
 これで、自他共に認める源次郎の随行者となることが出来た訳である。
 周囲のコントラクター達の大半は、綾瀬のこの大胆な行動に驚きを禁じ得なかった。
「そういえば源次郎さん……いえ、そっちのふたりも誰かを探しているみたいだったけど、その人物ってどんなひとなの?」
 不意に綾瀬の肩口付近から、別の女性の声が響いた。綾瀬が魔鎧として纏ってるドレスが、発言してきたのである。
 デーモンガスとジェニーはあからさまに表情を険しくしたが、しかし源次郎は相変わらず、飄々とした様子でう〜んと首を捻った。
「せやなぁ。もうじき紹介出来ると思うんやけど、まだちょっと早いかなぁ」
 どうやら別の何かをも待っている雰囲気であったが、それが何なのかは、源次郎は敢えて口にしない。
 寧ろ、シェリエに向かって妙な台詞を口にする始末であった。
「悪いこたぁいわんから、普通のお客さんはそろそろ帰らせた方がええで。えらいことになるで」

 源次郎の発言に、周囲のコントラクター達のうちの一部が一斉に色めきたった。
「おい、矢張りお前さん、何かしでかすつもりじゃねぇだろうな?」
 柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)が別のテーブル席から立ち上がり、得物に軽く手を添えながら近づいてきた。
 だがその前に、八神 誠一(やがみ・せいいち)がずいっと身を割り込ませ、恭也の前に立ちはだかった。
「悪いけど、今は手を出さないで貰えるかねぇ? 源さんとはまだまだ色々、話がしたいんでさぁ」
「おめぇも……この野郎に与するつもりって訳か?」
 誠一と恭也の間で、険悪な空気が漂い始めた。ところが源次郎は椅子に腰かけたまま、誠一の肩をぽんぽんと叩く。
「いや、別にええで、誠やん。わしにちょっかい出したい奴は、わしが始末するから」
 源次郎がそう発言した直後――いきなり、恭也の姿が誠一の前から掻き消えてしまった。
 驚愕する一同。しかし綾瀬だけはまるで何かを楽しむように、微笑するばかりである。
「今のは恐らく……時空圧縮のうちの、空間圧縮の方ですわね?」
「ご名答。五千メートルぐらい向こうに圧縮して、ご退場願ったわ」
 そういうことも出来るのか、と誠一は内心で舌を巻いた。
 すると綾瀬が、これは推測ですが、と前置きした上で源次郎に確認を取る。
「空間圧縮には上限はなく、その気になればどんな相手でも数百億光年先の宇宙空間に放り出すことも出来る……ということではございませんか?」
「ええ読みやな。その通りや。けど、距離が長過ぎるとこっちも疲れるから、そうそう気安う使えるって訳でもないんやけどね」
 但し、圧縮出来る空間面積には上限があるらしく、300平方メートル以内でなければならない、ということらしい。
「せやからイコンぐらいならすっ飛ばせるけど、大型飛空船とかになると、もう無理やな」
 曰く、相手に対して直接仕掛ける魔術や攻撃系の技は、相手に耐性があるかどうかで、その利き具合が変化するのであるが、源次郎の空間圧縮は直接攻撃対象に仕掛けるのではなく、周辺の空間に仕掛ける能力なのだという。
 如何に優れた耐性を持つ者であろうとも、自分の周囲の空間そのものに耐性を持たせることが出来なければ、無条件ですっ飛ばされてしまう、というのである。
「時空系の技は、敵やなくて周辺の時間や空間に作用する。せやから他の系統とは違って、極端に強力といわれるのは、その為やな」
 淡々と語る源次郎だが、実は時間圧縮よりも空間圧縮の方が遥かに恐ろしい攻撃であるということを、まざまざと見せつけた格好になる。
 数百光年単位での瞬間移動能力を用意しておかねば、源次郎の前では完全な無力と化す――時間圧縮の対抗策は何となく見出していた綾瀬も、この空間圧縮に対してはまたもう一度、知恵を絞らねばならなかった。
「凄いなぁ、やっぱり……でもそれなら尚更、分からないなぁ」
 誠一はゆっくりと席に戻り、改めて源次郎と向かい合った。
「研究は完成してるのに、なんでお金が要るんだろう、って、ずっと疑問に思ってたんですよねぇ。一体全体、どうしてなんです?」
「いや、全然完成なんかしてへんがな。まだまだ、これからやで」
 ヘッドマッシャーの大半は、完成体ではない。こんな状況で研究が完成したとはとてもいえない、というのが源次郎の答えであった。
「じゃあ何故、源さんは完成体になれたんです? 一か八かの賭けに出るなんて、研究者としては危険過ぎませんかねぇ?」
「別に賭けでも何でもないよ。屍躁菌の初期培養に使うたんは、わしの大腸菌や。自分のDNAで作ったレイビーズを自分に投入すんねんから、DNAが合わんで失敗するなんてこた、まずないやろ」
 つまり、源次郎がヘッドマッシャー完成体となることが出来たのは、必然中の必然だったという訳だ。
 彼の場合は実験でも何でもなく、最初から設計通りの結果が出ると判断した上での、ヘッドマッシャー化だったという話になる。
「ヘッドマッシャーはまだまだ未完成や。せやから研究資金が要る。それだけのこっちゃ」
「はぁ、成る程」
 そこまでいい切られると、誠一としてもそれ以上は疑問を挟む余地が無かった。

「ねぇ若崎さん。もし、破壊活動と同じ報酬が出るなら、逆に医療系の研究なんかをしてみるのも、ありなのかしら?」
 同じテーブルの、源次郎の対面席に陣取っている天貴 彩羽(あまむち・あやは)が、ようやく自分の番が廻ってきたと解釈し、ひとつ目の疑問を投げかけた。
「何が訊きたいかっていうと、つまり、あんな危ないビジネスで稼ぐ目的は一体何かなぁと思って」
「いや、別に危なくないで。実際、地球でわしに勝てる奴なんて、そうそうおらんねんから」
 そりゃ確かにそうだ、と彩羽は思わず苦笑した。
 核爆弾ですら、源次郎を殺せるかどうか極めて怪しい。爆発する前に空間圧縮で数百キロ先の地点に飛んで逃げてしまえば、それで良いのだから。
「じゃあ最初の質問に戻るけど、医療系の仕事で報酬が良かったら、そっちに乗り換える気はある?」
「生憎やな。実はもう別の名義で、ある細胞医療の研究に関与しとりまんねん。せやけど、まぁ医療系の研究で今の仕事より儲かるもんなんて、まず無いわな」
 どうやら昔の友人に頼まれて研究に関与しているということらしいが、恐らく源次郎のことだから、相当深い部分にまでタッチしているのだろう。
 と、いうことは――。
「ちょっと待って……じゃあもし、あなたを倒しちゃったら、その研究がストップしちゃうってこと?」
「まぁそういうことになるかも知れんけど、彩ちゃんがそこまで考える必要もあらへんやろ」
 自分が居なくても、研究する奴は他に幾らでも居る、という理論らしい。
 すると、彩羽は源次郎がどの研究に関与しているのか、という部分に興味が移ってしまった。すぐ近くのテーブルで耳をそばだてていたジェライザ・ローズも、興味津々に上体を傾けてきている。
「あかんあかん。それがばれたら、あのプロジェクトに迷惑かかる。それだけは絶対教えられんわ」
 流石にそれ以上は聞き出せない――彩羽も諦めざるを得なかったが、ここで別の疑問が生じた。
 医療関係の研究にも首を突っ込むような人物が、何故スーパーモールやソレムの街に対して仕掛けたようなテロ行為に、平気で手を染めるのか。
 この点に、大きな矛盾を感じた。
「せやからいうてるやろ、わしゃただのテロリストやって」
「でも源次郎様……ソレムでの民間人被害者は、ヘッドマッシャーが殺害したウィンザー・アームズ社の光学兵器技術者エリステア・ブラッドレイただひとりという調査結果がございますわ。勿論大勢の負傷者は出ていますけれど、民間人で死亡したのがたった一名というのは、あの状況では奇跡といえるのではないでしょうか」
 綾瀬の横やりに、源次郎はうっと詰まった。
 彩羽もその事実を初めて知り、意外そうな表情を浮かべた。
「綾瀬っちー……自分ほんま、よう調べとんなぁ」
「ちょっと気になりましたもので……もっといえば、ソレムでレイビーズS3に感染して発症したものは全て15歳以上の男女のみ。もともとレイビーズS3は、14歳以下の子供には無害となるよう設計されているのではございませんか?」
 源次郎は物凄く嫌そうな顔をして、明後日の方角に視線を向けた。
 と、そこでふと、誠一の胸中で別の考えが自然に湧き起ってきた。
(源さんがパニッシュ・コープス脱退を決めたのは、時期的にスーパーモール事件の直後……もしかして、勝手にS2をばら撒かれた上に、子供にまで被害者を出したパニッシュ・コープスに嫌気がさしたんじゃないのかなぁ?)
 勿論、これはあくまでも誠一の勝手な推測であったが、源次郎の横顔を眺めていると、その考えが正しいようにも思えてくるのだから、不思議な話であった。
 すると源次郎はまるで話題を逸らすかのように、シェリエを掴まえてもう一度、一般人客を帰らせるようにとしつこく要請した。
「出来んていうんやったら、空間圧縮で無理矢理にでも帰ってもらうで」
 源次郎の強引な手法を認める訳にはいかないと、舞香と美羽が立ち上がって源次郎の前に立ちはだかろうとしたのだが、源次郎は珍しく真剣な面持ちで逆にふたりを説得するように言葉を続けた。
「いやほんまに危ないんやって。絶対帰らせた方がええから。悪いこといわんから、わしのいうこと聞いときって」
 その必死な訴えに、何かを感じ取ったのか――舞香は尚も渋ったが、美羽はひとまず、源次郎の言葉に従うことをシェリエに勧めた。
「何が起きるか分からないけど、家に帰ってもらう分には何の危害もないだろうから、ここは彼のいうことを聞いて、帰ってもらおうよ。多分その後なら、事情も話して貰えるかも知れないし」
 そんな訳で、カフェ・ディオニウスからは非コントラクターの一般人が一斉に帰宅する運びとなった。