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マガイ物の在るフォーラムの風景

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第7章 さすらいのキュビスムお化け

 立ち入り禁止の廊下に入る直前の所で、カーリアは一度トイレを理由に光一郎から離れた。 

 本当は用を足したかったからではなく、みょうちきりんな(自分で調達しておきながら、結局何の姿なのやらさっぱりわからない)被り物の中が予想外に蒸れて息苦しかったので、一度頭を出して深呼吸したかった(けれど、廊下ではどこに見張りがいるか分からないので。まさか婦人用トイレにまでカメラはあるまい。あったら別件で大問題だ)のと、この先何があるか分からないのにいつまでも光一郎を連れて歩いていいのか(正確には連れて歩いているというより勝手に光一郎がついて歩いているだけなのだが)という迷いが胸にあり、少し冷静に考えてみたかったからだった。
 洗面所で籠った息を吐き出すと、鏡にやや蒸れでやや上気した自分の顔が映る。
 被り物のせいで髪が乱れ、束ねているいつものリボンも傾いている。それを少し触って直した。
 リボンは大剣が姿を変えたもの。カーリア自身と同じほどもある大剣は、彼女が魔鎧になる前から魂に食い込んでいた、強固な蛇狂女の呪いが結晶化したものであり、
 ――現在の彼女の、唯一の『相棒』と呼べるものである。
 この剣一つを携え、製作者のヒエロや仲間の魔鎧たちからはぐれてひとりになってから、カーリアは大陸を渡り歩いてずっと一人で生きてきた。
 しかし消えない寂しさに駆られ、魂の片割れであり、ヒエロによって作られ愛された千年瑠璃をこの剣で貫いたが、無為なことだった。割れた魂はもう一つには戻らない。


「御機嫌よう。少しばかり殺風景なところでのご挨拶になってしまったのが残念ですけど」
 急に声がして、物思いから我に返ったカーリアが振り返ると、中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)がいつも通り漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を纏ってそこに立っていた。
「愉快なお召し物ですわね。……あぁ、慌ててお顔を隠さなくてもよろしいのですよ。窮屈でお苦しいのでしょう?
 私がお分かりにならないのも無理はありませんわね、刀姫カーリア様。お城の宴では、すれ違っただけでご挨拶もできませんでしたもの」
 そう言って、たじろいだ様子のカーリアを見つめ、綾瀬は品の良い微笑みを見せる。
 ――彼女がこのワークショップに来たのは、単なる暇つぶしであり、今までそういう催しを知らなかったので純粋に「知らないものを知る」好奇心で足を向けただけだった。
「まさか、ゆる族の方々がこの様な場所で就職先を探していたとは、思いもよりませんでしたわ……私の知っている世界は、大海のホンの一滴にしか過ぎないという訳ですわね。
 ……本当にこの世界は面白いですわ」
 傍観を楽しんだが、その一方で、いつか出会った人物の気配も感じ逃しはしなかった。
「どうやら隠しているようですが、懐かしい気配を感じますわね。……折角ですので、ご挨拶に伺うと致しましょうか」
 彼女自身言った通り、タシガンの古城では対面したというほどの出会いではなかった。事件の起こった夜の宴の中で、すれ違ったという程度の邂逅だ。それでも、普段視覚に頼っていない彼女には、気配を察知し記憶することで人物を認識するのは難しいことではなかった。【ディメンションサイト】と【超感覚】を使い、その気配の主――カーリアを探知してここまで来たのだった。
 目隠しをしたままでその目隠しなどまるでないかのように振る舞う綾瀬の雰囲気に気圧されたのか、カーリアは黙りこくって値踏みするように彼女を見ている。
 綾瀬は気にする様子もなく、平静だが明朗な口調で続ける。
「カーリア様がこの場にいらっしゃるという事は……例の『炎華氷玲シリーズ』と関係がある存在が、この場に居る可能性があるということでしょうか?」
「!! それは……っ」
「あぁ、誤解なさらないで下さいな? 私は炎華氷玲シリーズを如何こうしたい訳ではありませんので……純粋にどの様な物なのか観たいだけですので……」
 そう言って綾瀬は微笑んだ。
「以前、千年瑠璃様にご挨拶した縁もありますし」
「……。あたしはまだ、手掛かりを追っているだけ」
「そうでしたか。それではあまり長くお引止めしては悪いですわね。
 ……あぁ、ドレスが何か、カーリア様に申しあげたいそうですわ」
 言われてカーリアは、綾瀬の黒いドレスを見た。
「1つ、質問させてもらって良いかしら?」
 聞きはしなかったがそれが魔鎧であることは分かっていたのか、カーリアは意外そうな表情で凝視はしていたが、特に驚く風もなく「えぇ」と小さく頷いた。
「人間達は親子や兄弟……更には双子なんて特にそうみたいだけど、そういった関係の者達は『何となく』お互いの存在を意識できるみたいだけど、あなた達『炎華氷玲シリーズ』も、近くに居たらお互いの存在を意識し合えるのかしら?」
 その問いに、何でそんなことが気になるの、という言葉が口元まで出かかったが、ふとそれを飲み込む。何か、頭をよぎるものがあった。
 ついさっきのことだ。
「……感じることもあるだろうけど、案外気のせいだったりすることもあるかもね。あたしはそういう点では、不出来な魔鎧のようだわ」
「そうなの」
「そもそも、シリーズの5体が揃っていた時間は短かったしね。千年瑠璃だけは別。魂を2つに割った1つ同士だから」
 少しの間ドレスは黙っていたが、やがて口を開いた。
「製作者……生みの親が同じって事は、皆、姉妹って事になるんでしょう? 何か、羨ましいわね」
 僻んだり、何かを皮肉ったりするような調子ではなく、純粋な気持ちからの声だった。
「姉妹……まぁ兄弟もいるけど、そういうことになるのかな」
 考えたこともなかった、という口調でカーリアは呟いた。
「殿方もいらっしゃるのですか?」
 魔鎧にとっての本体は鎧の形なので、人型の性別などはさして重要ではないという者もいるが……綾瀬の簡単な問いに、カーリアも簡単に答える。
「炎華氷玲で言えば、『サイレント・アモルファス』と『グラフィティ:B.B』は男。『ペコラ・ネーラ』は女よ。
 それより古いヒエロの魔鎧にはあたしは会ったことないから、男女比はよく分からないけど。
 ……けど」
 カーリアは今度は、綾瀬のドレスに視線を向けた。
「あなたは、あなたの意志で共にいると選んだ人と一緒にいるんでしょ?
 あたしにはよく分かってないけど、契約ってそういうものなんでしょ?
 ……だったら、あなたの今持っているものも、もしかしたらあたしにとっては、羨むべきものなのかもしれないわね」
「……そうなのかしら。そういうもの、なのかしらね」
 ドレスの話がその返事で終わったものと見て、綾瀬は、「…それでは御機嫌よう、カーリア様」と頭を下げた。



「しかし、何とも非道なことをやってのける集団だったのだなぁ、コクビャクとやらは」
 警備を請け負ってフォーラムに来ていた夜刀神 甚五郎(やとがみ・じんごろう)は、一緒に見回っているパートナーたちに向かって言いながら、長い廊下を歩いていた。警備員控室で、彼もまた本部長の話を聞いていた。コクビャクの契約詐欺の向こう側での行いを聞いて、警備員たちは一層気を引き締めて取り締まろうという気になっているのである。
「手を抜かず、しっかり不審者を探さなければならんな」
「うーむ、もちろん手抜かりなくやるつもりじゃが……、ゆる族に紛れ込んだ着ぐるみを探すといってものぅ……」
 難しそうだ、と草薙 羽純(くさなぎ・はすみ)が渋い表情で首を捻る。何せただならぬ数のゆる族である。無闇に探しているだけでは見つかりそうにない。頭を使わなくてはならないだろうと感じている。
「私は今回、外回りした方がよさそうですね」
 ブリジット・コイル(ぶりじっと・こいる)が甚五郎に言った。
「建物外部の不審車両などを調べましょう。完全シャドウの車など、特にワゴンでしょうか……その辺りから、犯人に繋げる事も出来るかもしれません」
「そうだな。それに、建物内から犯人が逃げ出した場合、脱出も阻止せねばならんしな」
「そうですね」
 そうしてブリジットが、ひとりフォーラムの駐車場へ向かうべく離脱したところで、羽純が急に立ち止まり、「おい」と声をひそめて甚五郎らの注意を促した。
「あの先は関係者以外立ち入り禁止であろう? あ奴、何者じゃ?」
 立ち入り禁止エリアのすぐそばで、不自然に手持無沙汰な風に佇んでいる、見た目上はゆる族かと思われなくもない、ヒーロースーツの人影が一つ。
 それがトイレからカーリアが戻ってくるのを待っている南臣 光一郎であることなど、カーリアの侵入を知らない甚五郎らは知るべくもない。
「こんなところで確かに、変だな……本当にただのゆる族か?」
 甚五郎の呟きに、ホリイ・パワーズ(ほりい・ぱわーず)が「はいっ」と手を上げる。
「え〜と、そうですね〜、怪しい人かどうか〜……着ぐるみなら覗き穴になってる部分在りますよね……? それで分かるかも〜」
「この距離と角度から、か?」
「……ん〜〜難しいみたいですねぇ」
「迂闊に近寄ってもし不審者だったら、廊下の奥に逃げてしまうやもしれぬな」
「! 分かりましたっ。ワタシに任せてください〜〜」
 そう言うと、ホリイはとてとてとて、と軽い歩みでひっそり近付いていくと、
「わーい、ヒーローさんがいるー!! ヒーローさんカッコいいですー!!」
 気付いた光一郎が何かするより早く、「ヒーロースーツに騙された無邪気な子供」の振りをして駆け寄り、
「あっ!」
 つまづいたふりをして軽く体当たりした。
「!! この感触は、人間っぽい……!! さては偽ゆる族ですね〜〜!!」
 ホリイの声で、甚五郎と羽純が駆けつけてきた。
「貴様、何者だ!?」
 光一郎はいざという場合に備えて【ザクロの着物】を着用していたものの、トイレから少し離れてカーリアを待っていたので、彼女が気付けないとまずいかと一時外していたのがまずかった。彼女が綾瀬らと喋っていた事も知らず、「遅いな〜」と少しそわそわしていたため、無意識に注意もわずかに怠っていたかもしれない。
「あ、いや、あの、俺様はその」
 しどろもどろになっているところに、再びキュビスムお化けになったカーリアがやって来た――ことに、光一郎だけが気付いた。
 甚五郎たちに気付き、光一郎の状況を見て、ハッと固まったように足を止めた。幸い、甚五郎たちからは背になっていたのとまだ距離があったため気付かれていない。
 逡巡して完全に立ち止まっているカーリアに向かって、追い詰められながらもヒーローは指をちょいちょいと撥ねるように振った。
 ――ここを離れろというサインだった。
 カーリアまで見つかると余計に事態がこじれる。自分一人なら何とか……そう考えたのかもしれない。そう受け取ったカーリアは、踵を返して駆けだした。
「ん? 今向こうに誰かいなかったか?」
「ワタシが見てきます〜!」
 ホリイがカーリアの行った方へと駆け出し、甚五郎と羽純は光一郎の尋問に立ち戻った。
 ヒーロースーツを自ら脱いで身の潔白を光一郎が証明するまでにはしばらく時間がかかった。コクビャクの話が警備員に行き渡った後で、警戒が一層強まっていた時だったために、タイミングも悪かったと言えよう。



 小講堂沿いの廊下をたたたと駆けていったカーリアは、一旦足を止め、フード状の頭部を脱いで振り返った。追っ手は来ているらしい。
「カーリア!」
 急に呼ばれてカーリアは飛び上がるほど驚いたが、
「こっち、こっち!」
 呼んでいる方を見ると、以前会ったことのある人影があった。
 小講堂の扉の影にいる十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)であった。
 何故か、慌てて走っているゆる族扮装のカーリアを見ただけで、窮地だと察して手を差し伸べてくれるらしい。一瞬躊躇したカーリアだったが、ここは選択の余地がない。彼の方に走っていくと、パートナーでこれまた以前に会っているヨルディア・スカーレット(よるでぃあ・すかーれっと)が、開いた扉と壁の間にカーリアを入れてくれた。中ではゆる族達の様々な分科会が開かれている。それを扉に凭れかかって立ちながら如何にも眺めているかのようなポーズを、宵一は花妖精のリイム・クローバー(りいむ・くろーばー)を腕に抱いて取りながら、遅れて走ってきたホリイの目からカーリアを隠した。
 見失ったホリイは、その辺をきょろきょろした後、首を傾げながら甚五郎の元に戻っていった。