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2023春のSSシナリオ

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3


「私の料理って、『美味しい』って言われたことはない気がする」
 東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)が呟くと、ソファに座っていた奈月 真尋(なつき・まひろ)が目を瞬かせた。
「料理?」
 うん、と頷き、今までのことを思い返す。
 『美味しい……?』と、疑問符交じりに、それこそわけがわからないといった顔で言われたことなら何度もあった。うまずい、という微妙な評価をもらったこともある。
「不味くねぇならいいんでねえすか?」
 真尋はそう言うが、それでは駄目なのだ。
「美味しいって、言ってもらいたいの」
 料理を口にした瞬間、幸せになるような。
 ついつい頬が緩み、笑顔になってしまうような。
 美味しいと言わざるを得ないような、そんな素敵な料理を作れたら。
「ほったらウチと練習でもします?」
「真尋ちゃんと?」
「はぃな。上達してえなら練習あるのみ、これ基本ですね」
「うん! お願いします!」
 エプロンを用意して、キッチンに立つ。こうしている時はできる気がするのに、いやむしろ、完成してもなおよくできていると思うのに、秋日子の料理を口にした者すべて、みんながみんな首を傾げるのだ。
(そんなの、もう嫌だもんね)
 よしっ、と拳を握ってやる気を込める。
「ほんで、何作りはるんです?」
「チーズケーキを……って思ったんだけど、どうやって作るんだっけ?」
「チーズケーキねえ。任せてくださいよ、ウチにかかれば朝飯前です」
 自信満々に胸を叩く真尋に、ほっと安堵したのも束の間。
「ええと、ケーキやし、砂糖に粉、卵は必要やんね。それから、チーズケーキには酸味があったはずだから。酢ぅさ入れちまうでね」
 チーズケーキの酸味は、それとはまた別な気がするのだけれど。
 ぽかんとする秋日子に、真尋はにこりと笑いかける。
「酢は身体にもええですから、ドバッと入れちまいましょうね」
 そして、有言実行。つんとした酢の匂いが、キッチンに漂う。
「ま、真尋ちゃん?」
「はい?」
「何かこれ、おかしくない?」
「どこがです? どっからどう見てもチーズケーキでさ」
 慌てて声を掛けるが、こうも真っ直ぐ返されると、そうなのかも? と思ってしまう。
(いや、違う。絶対違う)
 しかし、もう止められなかった。酢入りのケーキは、知識と手順のめちゃくちゃさに反比例してやたらスムーズな手際によって調理され、オーブンに入れられた。
「後は完成を待つだけですよ! 我ながら上手に作れたち思っちょるんですが、どげんですかね?」
「どうだろうね〜……」
「はぁ、なかなかわくわくするもんですねぇ。はよう焼けねっかなぁ」
「うーん……」
 しかし、真尋の期待とは裏腹に焼き上がったそれはチーズケーキではなかった。
「なんで?」
 と首を傾げているが、当然である。
(色んな意味でどうしよう……)
 酢っぱいケーキを食べながら途方に暮れていると、
「うわ。何、この酢の匂い」
 遊馬 シズ(あすま・しず)がやってきた。
「――遊馬くん!」
「は? ちょっ、何。何?」
 思わず掴みかかった秋日子に、シズが一歩退いた。これまでの経緯を話すと、シズは苦笑いじみた笑みを浮かべる。
「遊馬くん、料理作れる? 得意?」
「音楽のこと以外はそうでも。だけどまあ、チーズケーキくらいなら……」
「本当? 教えて!」
「いいけどさ。秋日子サンは俺に教わらなくても『美味しい』って褒めてくれる人いるだろ?」
「うん……」
 シズの言うとおり、いるにはいる。だけど。
「みんなに美味しいって言ってもらいたいんだ」
「ふうん」
 了解了解。ひらりと手を振り、シズもキッチンに立った。エプロンを着用すると、ぴっと指を立てて言う。
「お菓子作りで重要なのはひとつだけ。
 分量をきちんと計る。これさえ守れば秋日子サンはマシなの作れるよ」
「うん」
「材料と分量はこの紙に書いといたから。やってみて」
「わかった。ええと、薄力粉45グラム……ってこれくらい?」
「言ってるそばから目分量でって! 45グラムってそんな多くないから!」
「あ、そうなの? じゃあこれくらい――」
「キッチンスケール使って! 頼むから!」


 かくして。
 秋日子は、シズや真尋と共に夜遅くまで癖である目分量との戦いを繰り広げ。
「……あれ? これって……」
「……ああ。美味しいよ、秋日子サン!」
「や、やったー!」
 ついに、『美味しい』と思えるケーキを作るまでに至ったのであった。
(これで、やっと)
「美味しいって言ってくれる人が、変な目で見られずに済むよ〜……良かったぁ……」
「ああ……そのために」
「……うん。えへへ、頑張って良かった!」
 きっと、この『美味しい』ケーキをあの人に出しても、あの人はいつもと同じように『美味しい』と笑ってくれるのだろう。
 裏でたくさん頑張ったことは、秘密でいい。
 ……秘密でいいけど、問題は。
「この大量のチーズケーキ、どうしようね……」
 ずらり、テーブルに並んだ習作の数々を食べきることこそ一番の頑張りどころだった。