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――再び3階


 リノリウムの床とドアがこすれるようなかすかな音がして、彼らの目前、ドアが静かに閉まった。階下へ向かうエースや美羽たちの足音が遠ざかり、やがて消える。
「本当によかったのかな? 彼らと一緒に行かなくて」
 ためらうセルマイーオンは断言した。
「セルマ・アリス。この際だ、はっきり言っておこう。今、俺たちに他人を気にかける余裕はない。この病院は変だ。下で爆発が起きたというのに警報ひとつ鳴らず、避難を促す者も現れない」
 その指摘に、あっと口元に手をあてる。
「そういえば、そうですね」
「しかも人間を片手で持ち上げるような襲撃者が徘徊している。そんな場で、俺たちが手にしているのは武器と呼べるかも分からない、この点滴チューブだけだ。先ほどたしかめた限りでは、使用できるスキルも限定されているようだ」
 エースたちの話に加わらず、彼らは事故後の復調をたしかめる意味もこめて各々が使えるスキルの確認をしていた。結果として、隠れ身といった探索系スキルは使用できるが、ホワイトアウトといった攻撃系スキルはほとんど発動しないことが分かった。イーオンの火術、の朱の飛沫は一応発動はするが、いつもより火力が弱い。
「こんな状況で他人を助ける余裕は俺にはない。手が届く範囲であるなら助けもしよう。しかし、それ以上を望んだところで、結果は共倒れだ」
 非情に聞こえるのは承知の上だった。だが事実だ。すべての人を救える力が自分にはあると思ったことは1度もない。
 セルマとは出会って間もないが、理知的な顔立ち、目に浮かぶ聡明な光といい、それと悟れない人物ではないはずだ。イーオンはそこで言葉を切り、自分の言葉の意味が確実にセルマへ伝わるのを待つ。ふと、彼は自分を見つめる視線に気付いた。
「……なんだ?」
「いや、なーんも」
 陣は両肩をすくめて見せる。
「あんたの言ったことは全くの正論だ。助けようとハンパに手ぇ出して、反対に相手を窮地に巻き込むってこともよくあるからな。何の異論もねーよ」彼の前をよぎってドアへ近付いた。「だからちゃっちゃと俺らもここを出て、手がかりを探しに行こうぜ」



 廊下は彼らが逃げ込んだときと違い、光にあふれていた。常夜灯しかついていなかった病室に慣れた目にはまぶしくて、つい手でひさしをつくってさえぎる。
「えーと。まずはナースステーション、だったっけか?」
「ああ。どうもここの電灯は心もとない。ナースステーションであれば看護師が用いるライトか何かがあるだろう」
「そうか。
 なあ提案なんだが。そこのナースステーションでライト探すぐらいだったら、みんなでゾロゾロ行く必要もねーだろ? 俺とユピリアはちょっと別行動とってもいいか?」
「高柳さん!?」
「下の階へ行くとかじゃなくて、ちょいと別の部屋を見てくるってだけだ。5分もかからねぇよ。いいだろ? イーオン」
 イーオンは数瞬考え込むような素振りをして、うなずいた。
「――あまり離れるな」
「わーってる。俺も自分を過信しちゃいない。例の殺人鬼が出たら、大声で叫んで知らせるよ」
「……何か違うわ」
 ナースステーションへ向かうイーオンたちの背を見ながら、ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)がぽつっとつぶやいた。
「あ?」
 聞きつけた陣が眉を寄せる。見ると、ずい分深刻そうな表情でユピリアは考え込んでいた。
「そういやおまえ、ずっと黙ってたな」
 普段のユピリアを思えばこれはめずらしいことだった。てっきりまた彼女いわく乙女的妄想の大爆発で、わけ分からない1人世界を脳内で展開させているとばかり思っていたのだが――……
「運良く馬車事故を逃れた2人、お互いが無事だったのを手をとりあって喜んだあと、突然失われることもある命のはかなさをあらためて認識した男はずっとそばにいた女の大切さに気付くのよ。
『限りある生を、おまえとともに生きたいんだ』
『陣…っ!』」
 ――あ。やっぱり妄想大暴走だった。
「なのに何なの? この展開っ! 目を覚ましたとたん不気味な病院で殺人鬼にわけもなくねらわれるなんて、三流ホラーじゃないの! しかも80年代にはやったとかいう、あの無差別猟奇殺人系! これじゃあいいとこ
『陣、私を置いて逃げて!』
『ばかやろう! んな事できるか! 必ず2人で生きてここを出るんだ!』
じゃないの! ……あ、でもちょっとその展開もオイシイかも…」
「アホか。そりゃ死亡フラグだ」
 陣のゲンコツがユピリアの頭めがけて振り下ろされ、ポクっと軽い音が鳴った。
「いったーーい!」
「いいからいつまでもばかやってないで、さっさと何か武器になる物探して来い」
 陣は、毎度のことながらこいつの頭のなかはどうなってるんだと思いつつ、西の通路を指差す。
「って、陣は? 一緒じゃないの?」
「俺はあっちをざっと見てくる。おまえはこっちだ」
「もうっ! か弱い乙女をたった1人で行かせるなんて、効率優先にも程があるんじゃない? でも、そんなとこも大好きっ。きゃはっ」
 くすぐったそうに笑いながら、ユピリアは隠れ身を用いて西の通路の探索に向かった。
「まったく…。あいつの妄想癖には慣れたつもりだったんだがな。この状況でまでとは、根っから楽天家なのか、それとも何も考えてないだけか」
 あきれつつ、陣はエレベーター前を横切り奥の廊下へと進む。暗闇で襲撃し、電灯がついたとたん逃げたというのであれば、廊下が明るい今は襲ってこないだろう。おそらく。だが先からついたり消えたりしているということは、またいつ消えるかしれないということだ。そうなれば光術が使えない自分たちは圧倒的に不利だ。そうなる前に、1分でも早く終わらせなくては。陣は壁に設置された病院の平面図を見て『談話室』に目をつけるとそちらへ向かった。