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【地階 其の一】

 ――そこは、霊安室。


 幾つかの遺体安置用寝台が並ぶ薄暗い一室の中で、数名のコントラクター達がほぼ同時に、目を覚ました場所である。
 天井に据え付けられた蛍光灯のうち、何本かはその機能を果たしておらず、室内は幾分薄暗い。
 だが闇というには程遠く、小さな文字も普通に読める程度の薄ぼんやりとした明るさである。
 遺体安置用の寝台だけあって、ふかふかのマットレスなどが敷かれている筈もなく、コントラクター達は冷たく堅い寝台から起き上がり、揃って顔をしかめていた。
 尤も、最初に目覚めた時は自分達の置かれている状況がまるで把握出来ておらず、ここがどこなのか、何故自分達がこの薄暗く、殺風景な室の中で目覚めたのかについても、理解が全く及んでいなかった。
 そんな中、ややあって五十嵐 理沙(いがらし・りさ)が、あっそうだ、と両手を軽く打ち合わせながら、患者用の寝間着に包まれた長身を寝台から床上へと移した。
「思い出した……私達、確か馬車に乗ってたんだ」
 茫漠とする意識の中で、理沙は目覚める以前の記憶を僅かに取り戻した。
 その記憶によれば、とある病院関係者達と同行する形で、大型の馬車に同乗していた筈だった。
 馬車の外は、天地がひっくり返る程の凄まじい豪雨だった。道は悪く、車輪を伝わってくる衝撃はといえば、車内の座席で体が宙に何度も浮いてしまう程の悪路であったことを覚えている。
 だが、それ以降の記憶が無い。
 何故馬車に乗っていた筈の自分達が、こんなところで眠っていたのか。
 傍らの寝台で身を起こしているセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)も同様に、全く理解出来ていない様子だった。
「何かがあった……それは間違いないのでしょうけど、それにしても、同じ運び込むのなら、もう少し寝心地の良いベッドに寝かせて欲しかったものですね」
 セレスティアの不平も尤もであったが、今はとにかく、状況を把握することの方が先決であった。
「ここ……霊安室みたい、だね」
 誰よりも早く、唯一の扉の存在に気づいていたルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、その扉を軽く押し開け、扉の外側の壁に打ち付けられていたプレートの文字を読み、そして室内に振り返っていた。
 ルカルカも理沙やセレスティアと同じく、患者用の寝間着に着替えさせられている。
 しかしその身のこなしは既に歴戦の国軍軍人としての機能を取り戻しており、警戒しながら室外に観察の眼を走らせる動きには、一切の無駄も隙もなかった。
「霊安室か……道理でこんなものが、枕元にある訳だ」
 九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)が、各寝台の枕元に設置されている小台のうち、自身が寝かされていた寝台脇のそれから棒状の何かを拾い上げ、その場の全員に指し示す。
 それは、位牌であった。
 ジェライザ・ローズが手にしている硬質の物体を見て、冬月 学人(ふゆつき・がくと)が僅かに眉をしかめた。
「位牌? パラミタには、霊安室にそんなものを置くような文化は無かった筈だけど……」
「そうだね……ここ、何階か分かる?」
 ジェライザ・ローズが呼びかけると、ルカルカは再び室外に視線を走らせた。
 霊安前室となっているその室の壁の一角に、この階の簡単な見取り図らしきものが掲げられている。ルカルカは薄暗い中で目を凝らし、幾つかの文字を視界の中で拾い上げた。
「地下室、だね。地下一階」
「ふぅん……ってことは、少しばかり古い病院って訳だ」
 顎先に軽く指を当てて考え込むジェライザ・ローズの横顔を、寝台から冷たい床に降り立ったザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が、感心した様子で覗き込んだ。
「へぇ……凄いですね。どうしてそこまでのことが、すぐに分かったんですか?」
「まず、霊安室なんてものは病院にしか設置されないよ。余程、特殊な施設でもない限りね。それに私達が着せられている患者用寝間着から考えると、ここは矢張り病院だ。最近の病院では、その利便性から霊安室を一階に設置するところが多いんだけど、それが地下室にあるってことは、それなりに古い病院だといえる訳だね」
 ジェライザ・ローズの冷静に分析に、ザカコは成る程、と小さく唸った。
「流石、現役のお医者さんだね……九条先生の意見を、今後の行動方針に反映させないと」
 理沙の言葉には、誰も異論は無い。
 では、これからどうするのか。
 少なくとも、彼らは生きている。こんな霊安室などにいつまでも居なければならない道理は無い。
「まずは私達が生きていることを病院関係者の方にお知らせして、それから、どのような経緯でここに運び込まれたのかをお聞きしないといけませんね」
 セレスティアの提案にも異論は出なかったが、しかしその中でひとり、どうにも納得のいかない表情を浮かべる者が居る。
 蒼空学園料理研究部三沢 美晴(みさわ みはる)だった。
 彼女もまた、他のコントラクター達と同じく、直前の記憶の中では馬車に揺られていたひとりであり、そして何故かこの霊安室に運び込まれていた。
「美晴さん……何か、気になることでも?」
 理沙が問いかけると、美晴は不機嫌そうに腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らした。
「何っつーかね、はっきりいって、殺気のようなものをちょっと前から感じてならないんだよね。おかしいと思わないか? ここは病院だよ? 患者を救う為の施設だっつーのに、何で殺気なんか感じてしまうんだ?」
 美晴の指摘を受けて、全員がその面に戦慄の色を浮かべた。
 実のところ、美晴以外の者達も先程から、妙な気配というか、攻撃的な意思を含んだ感情のうねりのようなものを僅かに感じていたのであるが、この霊安室内のあまりに異様な雰囲気に掻き消され、意識の隅に追いやってしまっていたのである。
 だが、こうして改めていわれてみると、確かにおかしいという感覚が芽生え始めてきた。
「ちょっと待ってください……今は全員が丸腰ですよね。そうなるとコントラクターとしての技能のみが、唯一の武器ということになります。体調面で問題は無さそうですが、どの技能が使えるのかチェックしておいた方が良くないですか?」
 ザカコの提案を受けて、それぞれが、自身が今使える技能は何なのかのチェックに入った。

 数分後、一同の面には愕然、とまではいかないものの、しかし戦慄に近しい驚きの色が張り付いていた。
 一部の能力が、全く効果を現さなかったのである。
 また、別の一部の能力は発現自体が極めて弱く、意図した通りの効果が得られないことも分かった。
「ダークビジョンや両手利きは大丈夫……でも、火術や光術はかなり弱いですね。アクティブな能力はほとんど使い物にならない一方、パッシブな能力は十分役に立つ、ということでしょうか」
「ちょっと……いや、かなりおかしいね。外の殺気といい、能力の発現が封じられてるといい……普通じゃないよ、この状況は」
 ザカコに頷き返しながら、ルカルカは位牌をひとつ、手に取った。
 その重みや硬さなどを確認し、コンクリート造りの壁を軽く打ってみる。
 どうやら、近接戦闘に於ける打撃武器としては、それなりに使えるようであった。
「皆、油断はしないでね」
 警告を放ってから、まずルカルカが、次いでザカコが霊安前室に出て、その後に他のコントラクター達も極力音を消して続いた。
 霊安前室にも同様に、扉がひとつ設置されている。
 恐らくここから、廊下なりホールなりに出るのであろう。
「この向こうは、廊下だね。少し行ったところにロビーか」
 霊安前室の壁にかかっている見取り図を、今度は間近から眺めたルカルカがひとりごちた。
 と、その横で同じく見取り図を眺めていたセレスティアが、怪訝そうな表情で小首を傾げた。
「霊安室の近くに集中治療室、ですか? それに救急処置室が地下にあるって……普通、救急車から患者を搬送するのに、こんな距離のあるところまで運んでくるのはおかしくないでしょうか?」
 セレスティアの疑問に、ジェライザ・ローズが頷く。
「確かに変だな、この構造は。救急搬入口からスロープを伝って運び込まれるようだけど、明らかに距離が遠すぎる……救急患者を殺すつもりで設計されたとしか思えない」
 ジェライザ・ローズの分析に、理沙がぎょっとした表情を浮かべた。
 美晴が指摘した殺気、そして患者の命を落としかねない不自然な構造……病院としては明らかに、異常な状況ばかりが揃っていた。
 しかし、かといってこの場に居座り続ける訳にもいかない。
 内線電話すら用意されていない霊安室などにいつまでも居続けていては、何の解決にもならないのである。
「とにかく、一度廊下に出てみるよ。地上一階の受付にまで行けば、どういう状況になっているのか分かるだろうしね」
 ルカルカは位牌を逆手に持ち、台座部分を鈍器として用いる態勢を作りながら、廊下へと続く扉をそっと押し開けた。
 扉の隙間から覗き見た廊下には、動くものの姿は無い。しかし依然として、例の殺気は消えていない。
 何かが居る――ルカルカとザカコは何者かからの攻撃を受けることを前提に防御態勢を取りながら、ゆっくりと廊下へ足を踏み出した。
 霊安前室の外の廊下は幅が狭く、三人が横に並ぶと、もうそれだけで窮屈になる。
 そんな状況の中で、ルカルカとザカコはお互いの背中を警戒し合いながら、周囲の気配を探る。次いで、残りの五人が廊下へと滑り出てきた。
 天井には、若干広い間隔で蛍光灯が並んでいる。この蛍光灯が、廊下全体に亘ってちかちかと点滅するような具合となっており、電力供給に難があることを物語っている。
 そして。
「ザ、ザカコさん! 今の、見た!?」
 ものの一秒にも満たない、ほんの一瞬の闇が廊下全体を覆った。
 廊下のみならず、その先に続くロビーの照明までもが同じ供給電力を使用しているらしく、電灯の瞬断が地階全体に及んだ際、ほとんど漆黒に近い闇に覆われた。
 その瞬間的な闇の中で、ダークビジョンを駆使しているルカルカとザカコは、何かが前方から迫ってきているのを見た。
 ところが、その一瞬の闇が晴れ、供給電力が再開して廊下とロビー全体が薄暗い光の中にその姿を現した時には、その何かの姿は消えてなくなっていたのである。
「み……見えました。ルカさんも、見たんですね?」
 ザカコは己が眼を瞬かせて、まだ信じられないといった様子ながら、ルカルカに頷き返した。
 闇の中で目が慣れていない上に、美晴のいう殺気の正体が分からないことから、幻覚でも見たのかと自身を疑ったザカコだが、しかしルカルカから問いかけてきたということは、自分以外にも目撃した者が居る――即ち、その何かは決して幻覚でも何でもなく、確かにそこに居た、ということになる。
 ザカコは自分の感覚が狂っていないことには安堵を覚える一方で、何かが闇の中に居るという新たな脅威に対して、僅かに身が震える思いだった。
「ねぇどうしたの? 何か居たの?」
 理沙が、恐る恐る問いかけてきた。
 ルカルカとザカコは緊張に強張った面で、小さく頷く。
「……随分と痩せ細った……皮膚がミイラみたいに干からびたような感じの奴が、こっちに向かってきてた……でも、そいつの首から上は、何ていうかな……長方体の白い石膏か何かで固められて、どんな顔なのか全然分からなかったよ」
 患者用寝間着を身に着けているという点では、この場に居るコントラクター達と条件は同じである。
 だが、その謎の存在の動きは妙に機械的である上に、驚く程、素早かった。
 少なくともルカルカとザカコは、悪意のような、酷く禍々しいものを感じた。
「恐らくですけど……美晴さんが感じてた殺気の正体は、きっと……」
 セレスティアがそこまでいいかけた時、再び地階全体が濃い闇に覆われた。
 ルカルカとザカコはその闇の中で、今度こそ見間違える筈も無い歪な姿を視界に捉えた。
 患者用寝間着に身を包み、その隙間から覗く干からびた皮膚と、頭部を固める純白の長方体。奇妙な程に機械的で不規則な動きを見せる謎の怪人は、いつの間にかルカルカとザカコの目の前にまで迫ろうとしている。
 何かが、拙い。
 咄嗟に判断を下したルカルカとザカコは、手にした位牌を打撃武器として闇の中で振るった。