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 教導団にバレンタインはない。と、言われることもあるが、それは間違いだ。
 実際のところは、今年も水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は、この時期の出費に頭を悩ませる。
 地球でも日本にしかないイベントだが、ここシャンバラでも、随分浸透したものだ。
(……まあ、だからと言って、あの男にくれてやる物はチョコも何もないけれど)
 今年のゆかりは、バレンタインの他にも、頭を悩ませる案件を抱えている。

「そういえば、そろそろバレンタインだよなー。大尉、俺すごく期待してるんですけど」
 オフィスで向かいに座る経堂 倫太郎(きょうどう・りんたろう)の言葉をスルーして、ゆかりは書類から目を離さなかった。
「つれないなあ。いいじゃないか義理チョコくらい。本命ならもっと嬉しいけどね?」
 倫太郎は、大袈裟に肩を竦める。
 無視はやりすぎかしら、と思いかけたが、ゆかりは構うことなく、少なくとも表面上は、淡々と書類仕事に没頭した。
(……そうよ、別にこの人を喜ばせる必要もないし)
 大体、どうして歩く黒歴史であるこの男と一緒に仕事をしなければいけないのか。いや、そういう配属なのだから仕方がないのだが。
 彼が無能なら、評価をつけて別の所に飛ばせるものの、外見のチャラさに反して仕事はきっちりこなすので、職権濫用して不当な評価をつけるわけにもいかない。
(……そういえば、もうすぐ一年になるのか……)
 この男と初めて会ってから。……つまり黒歴史の発生から。
 そう考えたら、一層気持ちが沈んで、溜息を吐きかけたところで、ゆかりのパートナー、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が、いかにも不機嫌な様子で倫太郎に応戦した。
「そんなにチョコが欲しければ、自分で買ったらいいじゃない。
 そのイベントには、自分チョコっていう寂しいジャンルも存在するんでしょ。あんたにピッタリ」
「えっ、何その自慰チョコ。
 義理チョコあげる相手すらいないお子様と違って、チョコの数に不自由してるわけじゃないけどオレは」
 笑いながら返すと、こと倫太郎に対する沸点の低いマリエッタは、ますます苛々を募らせる。
「だったら、そのだらしない下半身を使って、その辺のどうでもいい女からチョコでも何でも貰って来なさいよ!」
 そんなマリエッタの反応に、少し遊んでやろうかと、倫太郎は更にからかい、仕事そっちのけで言い争い始めた二人が、下ネタの応酬を始めるに至って、ついにゆかりはブチ切れた。

 バンッ、と強くデスクを叩く音に、二人はびっくりしてゆかりを見る。
「いい加減にしなさい、二人とも! 仕事をする気がないならさっさと帰れ!」
 怒鳴るゆかりの目尻に、ほろ、と涙が浮かぶ。倫太郎とマリエッタはぎょっとした。
 気持ちが弾けてしまったゆかりは、そのままデスクに突っ伏し、泣き出してしまう。
 あまりのことに、二人は呆然となった。
(ど、どうしよう)
 さすがに気まずい気持ちになり、マリエッタは、声をかけることも出来ずにおろおろとしつつ、ちらりと倫太郎を見る。
「水原大尉、申し訳ありませんでした」
 先程までの軽薄な表情は消え、真摯な表情になって、倫太郎は陳謝した。
「…………」
「以後、このようなことがないように致します」
 ぽかんと倫太郎を見たマリエッタにも、目で促す。
「カーリー……ごめん」
 ゆかりはぐすぐすと呻いて、答えない。
 すぐには顔を上げることもできないだろうと、倫太郎はマリエッタに、ドアを指差してみせた。
「……カーリー、ちょっと反省してくる」
 少しそっとしておいてあげるべきだろう、マリエッタもそう判断し、二人でオフィスを出て行った。

「さすがにやりすぎたか」
「あの真剣なのも演技なの」
 自販機に向かいながら呟く倫太郎を、マリエッタはじろりと睨みつける。
「おいおい。オレだって反省する時はする」
「あんたなんかに、カーリーはあげないんだから」
「おいおい、オレは」
「カーリーは、あたしが守る。
 カーリーを泣かす男なんか、皆死んじゃえ」
 じろりと睨み据えて、マリエッタはぷいと身を翻して歩いて行く。
「……物騒な脅しだな」
 見送って、倫太郎は肩を竦めた。




―――――――――――――――――――――――――――――― 行き過ぎた痴話喧嘩