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第9章 真相――誰が誰の仇なりや


 数日の間、敵意を持つ者に囚われていたにもかかわらず、姐さんの身には傷一つなかった。
 助け出された時にも、落ち着き払って泰然とした態度で、精神的にダメージを受けている様子もなかった。

「【非実存の境】なんて次元にまで来て、再起不能になるまで潰し合ったって意味がない。
 俺たちはただ、一泡吹かせてやりたかっただけだ。
 『山羊髭夫人の茶会』――を書いた野郎にな」

 契約者たちに取り巻かれながらも、息巻くのは『黒天の書』なる魔法書である。
 この書と『灼星の書』『イギオビネン記』なる魔法書が、今回の姐さん拉致事件の首謀者――にして、彼ら曰く「『山羊髭夫人の茶会』被害者(の著作)の会」の“主要メンバー”だという。彼らの手伝いをしていた書も何冊かあったが、それらまでが被害者の会メンバーなのかどうかはすぐには判別できなかった。この事態に震え上がって、固まって沈黙を守っているからだ。
 そういった者を無理に尋問しても仕方がないし、幸い首謀者の方がしっかり喋ってくれているので、契約者たちはこの主要メンバーなる3冊から話を聴くことにした。

「そうは言っても、書いた人間はもういないんじゃないか」
 鷹勢の冷静な言葉に、しかし黒天の書はさらにいきり立つように言葉を重ねるのだった。
「俺を書いた魔道士は、『山羊髭夫人』の立てた風聞のせいで名誉を失い、後ろ盾を失って棲み家を失い、野を彷徨って文字通り野垂れ死にした。
 灼星の作者は、当局に追われて行方不明になった。多分捕まって刑死したんだろう。
 すべて、山羊髭夫人に名が載ったせいだ。

 だが、当の山羊髭夫人の作者が名を残していないのはフェアではないのじゃないか!?」

 姐さん――『山羊髭夫人の茶会』は作者不詳の書だった。
 その名は、姐さん自身にすら思い出せないという。

「己の名は秘しながら、他者の名は声高に呼ばわり、好き勝手に侮辱し嘲笑する書を残す。
 己は傷つくことなく他者をなぶり倒す――
 我々はそれが許せんのだ」
 イギオビネン記が低く唸るような声で呟いた。


「匿名で、隠れた場所から人を馬鹿にする――それを卑怯と呼ばずして何と呼ぶか、か。
 全くもって一言も返すことができないよ。同意するしかない」
 落ち着いた声でそう言ったのは、他ならぬ姐さんである。
「姐さん」
 その発言に他の者が驚いた顔を見せる中、パレットの呼ぶ声は、どこか労しげだった。

 かつて人間嫌いだった魔道書達は皆、人間に対する鬱屈した思いを抱えていたが、そのほとんどが少なからず、自分を生み出した人間――作者に対する不満、不信を抱えていた。
 姐さんの気持ちが己を作った者よりも、己を憎む者たちの主張に心を寄せることも、パレットやヴァニらには、他の者より不思議には思われないのだ。

「――そういうわけだ。最終的には俺たちは合意の上であそこにいたんだ」
 黒天の書が言う。
「拉致を合意でって?」
 イマイチ飲み込めない、というようにルカルカが訊き返すと、
「まぁ、途中から合意に至った、というほうが正しいな。
 ……俺たちだって、冷静になってみれば、被害者も加害者ももういない世界でいつまでもいがみ合ったって仕方ないって理解してたしな」

 本当は、自分たちの作者の言葉でいたぶったその書に、作者の無念をぶつけ、痛めつけてやるつもりだった。
 だが、途中で少しだけ様変わりしたのだ。彼女の中にも、その人物への不満があると分かった時に。

「けど、積年の恨みだ。せめて、溜飲を下げる点に到達したかった」
「点って……どんな?」
 アキラが尋ねる。
「山羊髭夫人の作者の名を知りたかった。改めて、その名を明らかにして書に刻むこと。それでこの件は水に流す。
 山羊髭夫人自身もそれに同意した」
 その言葉に真実味を沿えるように、姐さんが黙ってうなずく。
 匿名で人を面白おかしく、そして際どくネタにして笑い者にした人物のその名を明らかにしたい。
 姐さんも、そうしたいと思った。
 卑怯者のこすっからいゴシップ集である自分に、その卑怯者の名を堂々と刻むことで、長年抱えてきたもやもやした思いに蹴りがつくかもしれない。

「そういうわけで、あたしは途中からは自分の意志であそこに留まったんだ。
 連中の持ってる魔術知識と、あたし自身の力とで――何とか、消えた、もしくは隠された名前を蘇らせることができないか。
 しばらく試していたのさ。……まぁ、全然実は結ばなかったけどね」
 姐さんはそういうと、気だるげに長い髪をかき上げる。
 どうせ敵対したままだったとしても、結界があって逃げ出せなかった。
 それよりは、恨みが貼れたわけではないとしても、共感できる点が見いだせたのは幸いだったのだ。

「も〜それならそうと連絡ぐらい入れてよ〜。心配したじゃん」
 ヴァニがふくれっ面でぼやく。己のキャラを解っている彼独特の茶化すような言い方だったが、結構本音のようだった。
「悪いね。結界内で、その手段がなかったもんだから」
 姐さんはあっさり謝った。
「せめて揺籃が一緒にいれば、何とかなったんだけど」


「で。こっちはどういう理由で、あの書たちを攻撃したわけ?」
 揺籃を助け出したセレンフィリティが、“連行してきた”魔法攻撃の主にして揺籃拉致(されていたらしい)の首謀者、数冊の書物を見やって問い詰める。
 いずれの書も、内容的には揺籃と同じ――「世界の終末」に関するものだ。あるものは胡散臭い予言の書、あるものはスピリチュアル関係者らしき人物の手による“世界の成り立ち”の解説本、あるものはもっともらしいノンフィクションもどきの顔をしたパニックホラー。いずれも、かつての地球世界でデカダンスが流行った時代には、文明社会への警鐘としてもてはやされたであろう、終末思想の香り漂う書物だ。
 それらの本を、傍らの揺籃は冷めた視線で、何も言わずじっと見つめている。

「いや、あの……あいつら目障りだったんで」

「“あいつら”?」

 聞き質すと、終末思想書のグループは、言いにくそうに、黒天や紅星らの名を上げる。
 これには、言われた方の黒天たちも驚いて目を丸くしていた。

「復讐だかなんだか知んねえけど……『我らの力さえあれば魔道書独り生け捕りにするのも』とか、『俺たちの力はそこらの魔法の書の非ではない』とか言って。
 他の、魔法手引書なんかにも声をかけてたけど、えらく尊大ぶってさ。
 『力を貸してくれ』って、言葉では言ってても、態度は『仲間にしてやるんだありがたく思え』って感じで。
 こっちは静かにしてたいのに、やたら騒がしくして、嬉々として大昔のよく分からない仇討の計画立てて、実行してて。
 正直、恨みを晴らすっていうより、こんなことができる自分の力、魔法の書としての格の高さはどうだ、って己に酔いしれてるように見えたよ」

「そーそー。そんなに、焚書時代に生きて死んだ魔法の書、とやらが偉いのか、って。バカにされてる気がしてさ」

「俺らみたいに行動を起こした書以外にも、ムカついてる奴らは多かったと思うぜ。
 いろんな経緯を経てここで静かに暮らしてるのに、自らきゃっきゃきゃっきゃ騒ぎを起こしてさ」

「そしたらムカムカしてきて、俺らみたいな『終末組』だって、お前らの魔力に対抗するくらいできる、って。
 皆で結束し始めたところに、タイミングよくあの『揺籃』さんが――」

 終末組――とはまた滑稽な自称だが、要するに彼ら、終末思想の書のグループらしい。
 そんな彼らの中でも、特に終末思想に傾倒する世紀末の若者たちの心を掴んだことで有名な『暗黒の揺籃』が、偶然書庫を訪れた。
 その功績は、彼らの中では語り草であり、まさしく揺籃は彼らの「カリスマ」だった。
 揺籃が来たのは奇しくも、当の黒天らの計画が実行されたことにより、消えた姐さんを捜索してのことだったのだが、終末組には、癇に障る焚書時代の魔法書たちをぎゃふんと言わせるチャンスだった。カリスマへの憧れのまま、言葉をかけて揺籃の足を止めさせ、婉曲的な言葉を使って自分たちの目的を告げながら仲間に入ってくれるよう頼み込んだ。
 だが、揺籃にしてみれば、姐さんを取り巻く敵意の正体が分かったという収穫はあったものの、その奪還をややこしくしてしまいかねない、無用な混乱を招きかねない彼らの計画は、到底飲み込めるものではなかった。揺籃が断ると、今度は終末組は、すべてが終わるまで揺籃を、魔力で監禁することにしたのだ。
 計画が漏れるのを恐れたのと、その計画が上手く運べば、やはり最後には彼にも加わってほしかったのと、半々だったと彼らは言った。
 隙を見て、姐さんを助けるために揺籃が放った獣だったが、それが姐さん救出のために黒天たちの結界を解くことは、終末組にとっても願ったりかなったりだった。その内部にいる書達に「目に物見せてくれる」というのが、彼らの狙いだったのだから。
 呪詛を中心としたその力は、結界内にいた書物に襲いかかったが、中に残存していた魔力――姐さんの記憶の深部を表に出し、作者の名を思い出させるために姐さんが許可したうえで施していたまじない――とそれらがぶつかると、化学変化的に力は荒れを増し、手の施しようのない乱れとなっていったのだった。

(魔力で監禁……それって揺籃が破れないほどの力だったのか?)
 話を聴いて、パレットは揺籃の横顔をちらっと見ながら思った。
 何冊かが束になってかかったのだろうが、揺籃には獣を使役も出来るし、厳しい時代を生き抜いてきた魔道書としてかなりの力があるはずだ。
 破ることは出来たかもしれないが、それによって終末組がダメージを負うことを避けようとしたのかもしれない。
 ぶっきらぼうでいつも素っ気ないが、無暗に仲間に手を上げることは良しとしない男だ。
 そう思い至ったが、パレットはその推察を口にはしなかった。
 揺籃は一言も喋ろうとはしない。


 姐さん拉致組の3冊は唖然としている。
 ――何もしていない、何なら存在を認めてすらいなかった相手に、そんなことで敵意を持たれていたとは。
「……逆恨みだろう、それは……」
 黒天は、責めるつもりでその言葉を口にしたのだろう。しかし、奇妙に声には力がなかった。
 害を加えるつもりなどなかった相手から勝手に逆襲されていたのだ、それを責めたとて理はこちらにある。叱責してもよいはずだ。
 だがそれをする前に――少なからぬショックが、彼らの毒気を抜いてしまった。
 害を加えるつもりなどなかった相手が、彼らなど眼中になかった自分たちの行動で、恨みを抱き、物騒な行動をとったという、その事実。
 ……そんな風に、敵意とは、怨恨とは生じうるものなのか。
 自分の意図と全く関係ないところで、自分に対する憎悪はそんな風に発生するものなのか。
(尊大ぶって)
(嬉々として)
(酔いしれてるように)
 誤解だ。イライラして、色眼鏡で見るからそう見えるのだ。こっちは恨みを晴らしたい、その一心で――
(自らきゃっきゃきゃっきゃ――)
 だが、外からはそう見えたということ、それが自分たちの知らないところで無関係の者の恨みを買っていたことは、彼らにとって音のない深い衝撃だった。

 ひとはそんな風に、知らぬ間に誰かから恨みを抱かれるものなのか。
 敵意は、知らぬところで別の敵意を生む。

 自分たちの恨みを正当化して動いていた間は見えなかった、想定もしていなかった事実に、続く言葉を紡げないほどに動揺していた。





「――ま、ちょっとばかりタチの悪いガキのケンカだったってことさね」
 すべて聞いた姐さんが、かなり身もふたもない結論を出す。
「そうだな」
 ここでようやく口を開いた揺籃は、簡潔に言って頷いただけだった。
 自分を盲目的に祀り上げた上に監禁した終末組に対しては、叱責も諭しもない。黙って触れないのが、彼流の許しだと、パレットや仲間たちは知っている。
「情けないのう。
 貴様らも知を蓄える本なれば、その怒りに身を任せて暴力を振るうのではなく、それらを超える知恵を見出してみよ」
 ルシェイメアが、騒ぎを起こした書物たちに対して、怒りとも呆れともつかぬ口調で言い放つ。正論すぎてぐうの音も出ず、書物たちは黙りこくるばかりだ。


「まぁあたしはある意味当事者の一人だから、偉そうに批判できた義理じゃあないけど……
 あんたらは飛んだ茶番に付き合わされた格好になって、気の毒だったね。書物のひとりとして謝るよ」
 あんたら、とは契約者たちのことだ。言葉だけでなく、姐さんは頭を下げた。