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一会→十会 —鍛錬の儀—

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一会→十会 —鍛錬の儀—

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【頂上を目指して・3】


 真っ赤な車両は、青く茂る木々の中にあってよく目立つ。
 ケーブルカーは山頂付近の駅――と言っても実際は小屋がぽつんと建っているだけの非常に簡素なものだ――を目指し、一本のロープを器用に伝って昇っていた。コトコトと線路のリズムを刻む車内では、カーブを曲がる度に軽い揺れを伴うが、そんなところもまた親しみを持ってしまう要素の一つだ。
「あー、今超平和じゃんよー……戦闘とかしたくないなぁ」
 低い天井に向かって伸ばし、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)は両腕を首の後ろで組みなおした。
 ところどころ禿げたニスが逆に赴きを感じる木製のベンチ。隣にちょんと座ったトゥリン・ユンサル(とぅりん・ゆんさる)は唯斗からすると“ちっさ可愛い”し、窓の外でどこまでも続く緑に混ざって時折現れるアヤメの紫色やシャクナゲの紅桃色は、心をほっこりさせてくる。
 そんな風景をみながら翠とサリア達がきゃっきゃと上げる歓声も、全身の筋肉を緩ませるのだ。
 とてもじゃないが、そんなテンションにはなれなかった。
(まぁ、一応大人だし、いざとなったら率先して動くつもりだけど……。
 トゥリン達には前出させられんよなぁー)
 そんな風に頭の隅で考えて居ても、今がその時でない事は、このまったりとした空気に感じられる。
 唯斗は深い息を吐くと、半身を捻り、もそもそと握り飯を取り出した。こういう所で喰うのがまた美味いのだ。
 今頃山登り……もとい崖登りを頑張っているであろう平太達を思えば申し訳ない気分になるものの、それはそれ。心の中で(仕方ねぇ、頑張れ皆)と控えめに応援しつつ、ちょっとしたピクニック気分に浸らせて貰う。
「食う? 一応多めに持ってきた」
 まずは隣に差し出すと、トゥリンは目をしぱたかせ、いいの? と確認するように小首を傾げ見上げてくる。まるで餌を与えられた野生の小動物のような仕草に、思わず笑い声を混じらせた。
「おう、食え食え、旨いぞー」
「ありがとう」

「……はぁ」
 どんよりと重いため息を吐いて、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は流れていく景色に目を落とした。穏やかな風景だったが、今のさゆみにとっては何の効果ももたらさない。
(いつまでも狂気に駆られちゃいけない。アッシュへの憎悪に狂ってはいけない。
 ……分かってる、分かってるのよ、でも……)
 ままならない心に、さゆみの心は沈んでいく。久し振りに訪れた葦原でアッシュの姿を認めてから、ずっとこんな調子だった。
(もう彼は以前の『灰撒き』ではない。分かっているんだけど……)
 何か目的があってここを契約者と訪れているらしいことが分かったさゆみは、アッシュと行動を共にしない手段を選んだ。またいつものように噴き出す狂気に任せて行動すれば、被害はアッシュのみならず彼と行動を共にする者たちにまで及ぶ。それは避けたかったし、何より自分がそうなることで、私という存在が死んでしまうような気がしたから。
「はぁ……」
 景色を眺める、それだけの行為も今のさゆみにはきつかった。さゆみは顔を伏せ、外から何も入ってこないようにする。アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)がさっきからずっと自分を心配してくれているのは分かっていたが、だからこそ、これ以上彼女に心配をかけるわけにはいかなかった。
(もう、一年くらいになるのかしらね)
 さゆみの思考は、過去へと遡っていく。自分がアッシュ――いや、『灰撒き』に屈辱を受けてから、もう一年以上が経過していた。
(……いつまで、こんな事やってればいいんだろう。ずっと憎んで、事あるごとに狂気にかられて……。
 もう、疲れちゃったよ。いっそ消えてしまえたらいいのに)
 フッ、と降りてきた心の闇に、さゆみは逆らわずただ流されるままに漂う。どうせこんな事を思っても実行に移せやしないのだ。今の自分にそうするだけの気力もないことは、自分自身がよく分かっていた。
(おかしいな……どうしてこうなったんだろ。魔法少女として頑張ろう、って思ってた時もあったはずなのにな……)
 そうなのだ。魔法少女として無数に分裂した子アッシュとやらと対峙した時の自分は、今よりもうちょっと前向きだった気がする。
(良くなるどころか悪化してるじゃない……)
 自分の情けなさに、がっくりと項垂れる。……流石にこれ以上、自分を貶めるのは何かこう、自分が許せない気がした。
 スッ、とさゆみは顔を上げ、景色を目に入れる。あんまり変わってないが気にしてられなかった。
(二つ名……ね。私とアデリーヌがもらえるなんて思わないけど……)
 そう思った理由は、自分がこれまでアッシュを目の敵にしてきたから。……しかし、もしもここで自分とアデリーヌが、彼に二つ名を付けてもらうことが出来たなら、彼は今までされたことを根に持ってない、ということになるのではないだろうか。
(……なんか、それはそれで腹立たしいけど……)
 ――でも、もし自分とアデリーヌが二つ名をもらえたなら。その力で何か危険な存在と戦う必要があるのなら。
「…………」
 近付いていく頂上を見つめるさゆみの瞳には、ほんの少し、力が戻っていた。彼女の背後でアデリーヌが、さゆみには聞こえないようにホッ、と息を吐いた。



「キレーな景色だね!」
 弾むような声も、気さくな笑顔も、頷いて返すのが精一杯だ。アホのように口を開いて。
「…………大丈夫?」
 ノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)の心配する言葉に、アッシュは何と答えたものか逡巡してしまう。
 豊美ちゃんが与えてくれた魔法は、山頂がちらちら視界に入り始めた辺りから徐々に消えてしまった。“そういえばそういう話だった”と思い出した時には遅く、疲労を覚えた足は鉛のように重くなっている。
(でも疲れたなんて言ったらいけない……)
 あの記憶の全てを取り戻した日、エリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)に戦う意思を改めて問われた時から、全ては変わったのだ。イルミンスールに守られている日々は終った。
 『魔法石・魂の牢獄』の引き起こした『異世界転移事件』に巻き込まれた者は、一人や二人では無い。オーストリアに出向いた契約者達は、ヴァルデマールの危険性を実際に目にし理解している。
 だが多くの者にとって、この事件は“所詮遠い異世界の出来事”である。
 事実シャンバラの中でこれを真面目に捉え、動いていた者は少なく、各所へ助力を願うエリザベートへ向けられる視線は疑いの色を多分に含む。『豊浦宮』による情報拡散も、芳しい結果とは言えないようだった。契約者ですらない地球人をも相手にする『プラヴダ』は、一番それを感じているのだろう。
 数日前、そんな風にアッシュへ報告を終え肩を落す下官に続いて、アレクは言った。
「舞踏会の招待状は消え、サヴァスは監視カメラにも映っていなかった。
 つまり、あれらが集団パニックの一種だと、幻覚や妄言では無いと証明するのは難しい」
 こういった経験の多いパラミタでさえ――、否、魔法や幻術が存在するパラミタだからこそだ。事件の根底に何らかの要因が存在する事は認めるだろうが、異世界が攻めて来るなどという容易に想像がつかない程大規模な話になれば、笑い飛ばされてしまう。
 ただでさえ今のパラミタは、目前に瀕する危機の事で手一杯なのだ。
「見えないものを信じられる人間は少ない。此方側から見えているのは、アッシュ、お前だけだ」
 自分こそが生きた証拠なのだ。目前に迫る戦いで、アッシュは旗印とならなければならない。そもそも全ては、自分がパラミタへ逃げて来た事によって喚んでしまった自体なのだ。
 ヴァルデマール・グリューネヴァルトに与えられた【灰を撒くもの】という屈辱は、最早彼の名に被さりはしないが、全てを拭い去る事は出来ない。ケーブルカーへ向かうさゆみとアデリーヌの視線から、アッシュはそれを痛感していた。
(僕が皆の足を引っ張ったらいけない。僕に今出来るのは、進む事だけだ!)
 ぎゅっと目と瞑り、なんとか気持ちを切り替え、気力を振り絞ていると肩をトントンと叩かれる。
 友人のフィッツ・ビンゲン(ふぃっつ・びんげん)だ。
「荷物預かるよ」
 彼が示したのは、空を飛ぶ子馬だ。
「ペガサス?」
「別種だよ。フライングポニーって言って、気性も穏やかで扱い易いんだ。
 “身一つ”っていう条件には引っかかっちゃうかもしれないけど、荷物だけだし、きっとギリギリ許してくれるよね」
 こそっと耳打ちしてくる彼に、アッシュの気持ちも解れる。
「それとまた攻撃があったら、僕が引き受けるよ」
「でも……」
「僕程度の魔力じゃ強いやつだった時に太刀打ち出来ないだろうし、アッシュくんの方を優先しなきゃ!」
 フィッツの好意と含んだ意味に、アッシュは強く頷いて再び一歩ずつ踏み出して行く。二人の様子を横目に見て、椎名 真(しいな・まこと)はスピードを上げ、カモシカのようにひょいひょいと山を駆けあがっていくスヴェトラーナの横につけた。
「楽しいですね、真さん!」
「そ、そうだね……でも皆疲れて来てるみたいだし、もう少し速度を落していいかも」
「もう少し?」
「あー……もう大分、沢山、大幅に」
「はいっ了解しました!」
(言わなきゃ俺もついていけないかもしれないしね)
「脱落者が出ないといいのですが……。注意しないといけませんね」
 後ろから声をかけて来た御神楽 舞花(みかぐら・まいか)に続いて、皆の様子を振り返り様子見守っているのはエリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)だ。
 契約者としては優秀な彼女達だが、小柄な少女の体格は、崖登りにはかなり不利だ。
「君は平気?」
「ええ、鍛錬代わりに丁度良いですわ。
 それに乗りかかった船ですし、わたくしも最後迄付き合いましょう」
 どうやらエリシアは“丁度いいトレーニングにもなる”と思った真と同じ考えをしていたらしい。
「また妖怪が出てくるとも限りませんけれど、その時は羅刹として対抗致しますわ」
「妖怪か…………。山に立ち入ってるのは俺達だし、出来ればあまり傷つけたくないな」
 真の提案に、二人は頷いて答える。
「じゃあ俺は上りやすいルートを見極めてみるよ」
「はい。皆さんには戦いが不得手な方を囲むフォーメーションを提案しています。
 それと最後尾にはノーン様がいらっしゃいますから、万が一何かがあればハンドコンピューターで連絡をして頂く予定です」
「飛鳥馬宿が言っていたように、引き続き件の二人の安全を最優先に気を配ってきましょう」
 こんな風に、連携は完璧に取れていた――筈だった。
 しかし君臨する者の少年がはった小さな罠は、契約者達が気付かぬうちに、ゆっくりと彼等に忍び寄っていたのである。