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リアクション
chapter.11 地下五階(1)・触
地下五階。
簡素な石の廊下が続くその道は、一歩進む度にむせ返るような瘴気が吹きつけてくる。これほどまでにおどろおどろしい気を放つものが、奥にあるのだろうか。
晴明たちは慎重に歩を進める。
「ねーねー晴明くん晴明くん」
と、その重苦しい空気を換気でもするかのようなトーンで、魔鎧であるパートナーエレクトラ・ウォルコット(えれくとら・うぉるこっと)を身につけた桐生 円(きりゅう・まどか)が話しかけた。
「……なんだよ。よくこのねばっこい空気の中そのテンションでいれんな」
「こういう時だから、いつものような状態でいることが大事なんじゃないか?」
そう言って会話に入ってきたのは、樹月 刀真(きづき・とうま)だった。刀真は「そういえばまだ挨拶をしていなかったな」と前置きをし、名を名乗ると右手をすっと差し出した。
もしかしたらこれから、命懸けになるかもしれない。
そう感じた刀真は、互いに信頼していることをその行動で示そうとした。が、晴明はその性質上、素手で握手はしない。
「……」
少しの逡巡の後、彼は式神を呼び出した。「万物掌握」とはまた別の式神、「満たされぬ慈愛(ラヴ・ミー)」という式神だ。おそらく人と接する時に使用するのが、この式神なのだろう。
「よろしく」
刀真の手に式神の手を重ねようとする晴明。が、今度は刀真がそれを拒んだ。
「そんな握手ならいらない」
それは怒気を孕んだ言い方ではなかったが、内心は「剣士の利き腕を預けるという行為を無下にされた」という思いもあった。そこに再び、円が話しかける。
「晴明くん、本名教えて、本名」
今見ても分かる通り、彼が潔癖症だと知りつつ彼女は、あえて晴明の服の袖を引っ張って言った。
「ばかっ、触んなよ!」
思わずぽろっとそうこぼしてしまった晴明。彼に悪気はないのだろうが、その言葉はあまり聞こえのいいものではない。円はそれを聞き顔を赤くするかと思いきや、彼の気質について考えを巡らせていた。
人間が、嫌いなのかな?
もしくは、ただの潔癖症じゃなくて、それ以外の要因があって握手とかを避けてる?
無論、それは言葉にしていないし、したところで晴明から答えは聞けないだろう。ただ円は、もう少し、晴明について知ろうとした。
「分かったよ、もう服引っ張んないから。本名は?」
「ん? 晴明だよ。安倍晴明」
「だって安倍晴明って、歴代何人もいたんでしょ? 同じだとややこしいと思うし、やっぱり各自で違うんでしょ?」
円はその響きに、陰陽師としての称号やブランド、立場が含まれているのを感じていた。つまり、彼の人格以前のものである。
「安倍晴明の意味は、有名な陰陽術師って意味で素敵だと思うんだけど。ボクとしては、本人を見てないっていうか、色眼鏡で見てる感覚で、あまり好きじゃないんだ。晴明くんは安倍晴明って名前、気に入ってる?」
「……気に入ってるよ。親がなってほしかった名前だからな」
それは、やはり安倍晴明という名が称号としてつけられたそれであることを、証明していた。
「なら、やっぱり名前は」
彼の、晴明ではない名前を聞こうとした刀真。晴明は、面倒そうに短く答えた。
「……八景。安倍八景(あべのやつかげ)だよ」
「八景……」
その響きを、刀真と円は反芻することで耳に吸収した。
「やっと名前教えてくれたね。でも、女の子相手にそんな面倒そうな態度してたら、イケメンでも童貞で過ごすことになっちゃうぞ。ほら、この男みたいに」
名前を知れて少しはしゃぎたくなったのか、円はラフな空気に持っていくと刀真を指さした。
「ばっ……」
言いかけた刀真を、円が制した。そして真剣な表情で、晴明に言った。
「驕るなよ、イケメンでも油断したらこうなる」
「……円、言いたい放題だな。ちなみに驕ってないし油断もしてない。俺がそうなのは、全員の思いを背負えるようになるまで手を出さないと決めてるだけだ! 俺だってな、色々大変なんだぞ!?」
なぜか、色恋話に流れが変わっていた。晴明はこれ以上付き合いきれないといった様子でふたりから離れようとするが、そうもいかなかった。彼らの色恋話を聞きつけ、東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)が話しかけてきたのだ。
「晴明さんですね、どうも」
式神で握手する場面を見ていたのか、手は出さず、会釈と言葉のみで挨拶を済ませる雄軒。彼は挨拶もそうそうに、彼に早速話を振った。
「晴明さんは、恋人とかいないんですか?」
「な、なんだよいきなり。そういうの俺、いらねーし」
晴明は目を逸らして答えた。おそらく本音とはずれているのだろうが、彼の歳を考えればこの反応が正しい気もする。
「そうですか……」
雄軒は残念そうに呟くと、晴明に恋について語りかけた。
「恋人は良い。恋人は良いですよ。人生が明るくなりますから。陰気なところで過ごしても、太陽の元にいるみたいです」
「……」
「あ、なんか今うぜえって顔しましたね。歳の差考えろとか思いました?」
見た目は確かに二回りくらい離れてますけど、と雄軒は少しおどけた口調で言った。
「ノロケ話はそんくらいにしてくれよ。ほら、もうすぐ奥につきそうだ」
晴明が、先を指さして言う。彼の言う通り、長い通路が少し先で途切れ、その先は広い部屋になっているようだった。自然と、彼らの顔つきも締まってくる。
「あれが、深守閣というものですか。ここに入った時から思っていたんですけど、深守閣……それは陰であり、葦原城が陽を指しているのではないですか?」
「ここが陰で、上が陽?」
「はい、そのために、こちら側が暗く濁ったような状態で、怨念などが溜まっているのではないかと」
推測ですが、ブライドオブシリーズも穢れのようなものを受けているのかもしれませんね、と付け加え、雄軒は自身の考えを述べた。
そんな会話をしている間にも足は進み、広間への手前へと彼らは着いた。そこで一旦足を止めた晴明。ここまでの経験から、何が突然降りかかるか分からない。景観が変われば様子を伺うのが得策だと、彼は身をもって理解していた。
だがしかし、それも円にかかっては型なしであった。
「晴明くんどう思う? この広間、汚れてると思う? まぁいいや、見てきて! 潔癖症だからって嫌がってたら、旅行だって行けないぞー。ほーら、どーん!」
「うおっ!?」
またもや躊躇いなく晴明に触れた……いや、押した円。背中を思い切り突き飛ばされた晴明は、前のめりになりながら広間へ足を踏み入れた。
「お前な……!」
後ろをすぐ振り返り、晴明が背中式神に払わせながら円を睨む。
本当に潔癖症なんだなあ。円は、そんなことを思っていた。
「そこまで潔癖になったきっかけとか、あったりするの?」
円は好奇心からそう尋ねたが、晴明はその問いにすぐ返事をしなかった。ただ彼の脳裏に浮かんだのは、褪せた色の心象風景。そこにいたのは、彼の母だった。
が、思い出に浸っている場合ではない。晴明はすぐ我に返ると、一言だけ告げた。
「……言われたんだよ」
「え?」
聞き返す円に、晴明はぶっきらぼうに言い直した。
「きれいなひとになりなさい、って言われたからだよ」
吐き捨てるように言ってそのまま円に背中を向けた晴明。円はしばらくその言葉を、体に染みこませていた。
そんな彼を、見つめている者がひとり。
「確かに、何かを感じさせる雰囲気はあるよね」
「そうなのか?」
「あの人も、期待を寄せているようだったからね」
晴明から少し離れたところでやり取りを交わしていたのは、黒崎 天音(くろさき・あまね)とパートナーブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)だった。
天音は、ここに来る前ハイナと話した時のことを思い出していた。
「これはほんの手土産の、黄金色の……というのは冗談だけど、資料を地下城に持ち込んで、実際と比較しつつ検証したいんだけれど、複写させてもらっても良いかな?」
一行が抜け穴から地下城に入る少し前。探索者が続々と集まる中、天音はハイナがいる校長室にいた。ブルーズがつくったらしいだし巻き玉子の入った重箱を渡し、ハイナに願い出る天音。
ハイナがそれを許可し、資料を渡すと、横にいるブルーズに流し、彼の絵画のフラワシに描写させた。
その間、天音はハイナに雑談混じりに質問をしていた。
「そういえば今回の探索隊長は、安倍晴明……だっけ? 随分お気に入りみたいに見えるけど……」
じっ、と真意を問うような目で見つめる。ハイナはけらけらと笑って、彼に答えた。
「お気に入りというか、放っておけないでありんすね。せっかくの才を、気質で無駄にしているように見受けられたでありんすよ」
そこに他意はないのだとハイナは言う。天音は「ふうん」と相槌を打つと、
「まぁ、それとは別に身辺には気をつけてね」と言って校長室を後にした。
「放っておけないのも、分からなくもないかな」
言って、天音はブルーズから複写した見取り図を受け取った。それを見る限り、この広間が深守閣で間違いない。だが、彼らが今いるその空間は、ただ広いだけの、何もない場所だった。
「もしかして、役に立たなかったか?」
ブルーズが、自分の複写した図に視線を落とす。しかし天音は首を横に振った。
「ここまではこの見取り図の通り来れたから、これがあてにならないということはないと思うよ。ただ、相当古い文献みたいだから、もしかしたら多少のずれはあるのかもしれないね」
言って、天音は広間を壁伝いに歩いた。
「そうだね……こういう場合、経験上考えられるのは、年数の経過と共に地形が変化したパターン、とかがあるんじゃないかな、もしくは、意図的に地形を弄ったりね」
天音が半周ほど広間を回った時だった。彼はその言葉を証明するように、部分的に壁がせりあがっているところを発見した。それは僅か数センチのずれで、直接触れながら見ていなければ見逃すほどの隆起だった。
「ブライドオブハルパーに通じる道か、それとも罠か……」
天音が思案を巡らせていると、その後ろから宗吾がずい、と進み出た。
「ま、怪しいところはとりあえず叩いてみろ、ってね」
言うが早いか、宗吾は躊躇なくその槍で壁を突いた。彼の打突した点を中心に、壁にひびが入っていく。やがてそれは蜘蛛の巣のように円となり、壁を崩した。
「うお……」
思ったよりも大部分が削れた壁面。直径二メートルほどの空洞ができたその箇所にあったのは、奥に刃の先端が突き刺さった曲刀だった。
「これが……ブライドオブハルパー?」
晴明が、後ろからひょいと覗き込み口にする。しかし、何かがおかしい。その名が示すような輝きは感じられず、むしろそこから放たれているのは暗く、黒い瘴気である。
「まあ、抜いてみたら分かるんじゃないか」
言って、宗吾が真っ先にそれを抜こうとする。晴明は、その横顔に何か普段とは違う彼を見た気がしたが、気のせいだろうと引きずることをやめた。宗吾は何より、ずっと自分の近くにいてくれた男なのだから。
「ん……いや、ちょっと待て! こいつはやばい!!」
と、突然宗吾が声を上げた。これまで空間に漂っていた瘴気、それが宗吾の触れた瞬間、この曲刀に向かって一気に収束していったのだ。
慌ててその場所から離れた彼らは、そこで信じがたいものを目にする。
それは、曲刀と彼らの間を塞ぐようにして現れた、大きく、黒い生物だった。それが生物と分かったのは、大きく伸びた楕円形の体の上部に、小さく不気味に光る目と口があったからだ。その代わり、見た限り手も、足もない。ただ胴体と顔の部分が繋がったこけしのように、おぞましい出で立ちをしていた。高さはおよそ三メートルほどだろうか。見下ろされる感覚を拭えない生徒たちは危機感を覚えさらに距離を空けた。
するとその黒い生物が、自身の体から左右に細長い腕のようなものを生やし、先頭にいた宗吾、そして晴明に襲いかかった。
「危ねえ!」
宗吾が持っていた槍でそれを薙ぎ払い、晴明も咄嗟に式神コリジョンを呼び出し伸びてきた腕に衝突させる。するとなんと、その生物は一旦腕を引っ込めたかと思うと、ぼわん、と体を一回り大きくさせた。
「……なんだよ、こいつ」
晴明が眉をひそめて呟く。ダメージを与えた感触も、相手が痛がっている様子も感じ取れない。それは隣にいる宗吾も同じようだった。
「これは……心してかからないとな」
一同は背を伸ばした黒い生物を見上げた。小さく丸い目が、無言の恐怖感を与えていた。
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