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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 暑い――シェイド・ヴェルダ(しぇいど・るだ)が最初に思ったのはそれだった。太陽が溶鉱炉のように、ギラギラと熱を放射してくるのだ。
 ただし光強ければ影もまた濃い。シェイドはすぐさま、手近なトタン屋根の影に身を潜めている。
「此処が、過去か? ずいぶん人が多いな? あまり派手な事は、できないな」
 影から影へと伝い、シェイドは状況把握のため都市のほうぼうを経巡った。
 どうやら新宿付近に降り立ったらしい。事前に渋谷・新宿の地図は頭に入れてきた彼ではあったが、1946年の帝都は想像以上に荒廃しており、2022年の情報はまるで役に立たない。気ばかり焦る中、やがて彼は夜を迎えた。
 日が沈みようやく熱射を避けられた安堵感を抱く。吸血鬼と真夏の昼なんて、西瓜にソースをかけるレベルのミスマッチではないか。シェイドは新宿御苑を抜けながら、夜でもほんのりと灯りの灯る場所へ、吸い寄せられるように近づいていく。
 このとき彼は石灯の影に、よく知る人物の背中を見つけた。
 あでやかなる着物姿に洒脱な髪型、姿勢の美しさもあって、なんともいえぬ気品が漂う。
 ところがシェイドはそれを見て舌打ちしたのだった。
 神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)ではないか、と。
 今回、シェイドは紫翠抜きの単身で行動している。それにはれっきとした理由があった。
「紫翠? ウソだろ? あいつなんで、ここに。家で、寝込んでいるんじゃなかったのか? 無茶して倒れたら、どうするんだよ」
 紫翠は夏風邪を引き、自宅にて熱で伏せっているはずなのである。しかしああ見えて責任感の強い人間ゆえ、結局病をおして出てきたのだろう。紫翠らしいといえばらしいが感心しない。なにせシェイドは出発時、紫翠に対して、くれぐれも来るなよと念押しに念押しを重ねてきたのだ。
 コウモリのように滑らかに、しかし音もなく滑空し、シェイドは紫翠の目の前に着地した。
「紫翠?」
 と呼びかけた時点で自分のミスに気づいた。
「何? 誰だい? あんた? あたしに何か、用かい」
「悪い、人違いだ」
 確かに、髪型も雰囲気も紫翠によく似た人ではあった。しかし一点、重大なミスがあった。
 相手は、女性であった。
 紫翠に負けず劣らずの美貌である。けれど、この人には女性特有の色気があった。近づくだけでむっとするほどに女のフェロモンが感じられた。
 しかし人違いと言われても、その女は平気のようだった。媚びるような視線を向けて、
「いいさ。でもそれならあんた、一夜の夢見るかい?」
 この身体が売り物とばかりに、蠱惑の表情を見せたのである。
 娼婦、いや、遊女というやつか。
「いや、そんな気分じゃない……まあ少しは有るが」
 紫翠に似た女を抱くというのはどんな気分だろう。倒錯的な悦びがあるだろうか。それとも、虚しさだけが残るか。
 逡巡するシェイドを見かねたか、彼女はするりと身を寄せた。香水をまとわせながら囁く。
「あんた、ただの『人』じゃないだろう? そんな気がするよ」
 シェイドは流し目する。
 誤魔化してもよかった。一笑に付すのもひとつの方法だ。しかしなぜか、この人に嘘をつくのは嫌だと思った。
「どうしてわかった?」
「さあねえ、女には、隠しごとが多いのさ」
 くす、と微笑すると彼女は、今度は彼の正面に回った。
「とりあえず、ここにいると厄介な事になるよ。あたしの家に来な。旅館をやってるのさ。時間あるんだろう……なに、話し相手になってもらうだけさ」
 その仕草、口調、そして匂いがまた、紫翠が女であったらこんな感じではないか、という様子である。
 決してたっぷりと時間に余裕があるわけではない。本日中に新宿・渋谷間の戦争が始まるのは決定事項である。しかしそれでも、シェイドは好奇心には勝てなかった。
「暇とは言い切れないが、話に興味はある」
 
 旅館への道すがら、彼女は神楽坂紫蘭(かぐらざか しらん)と名乗った。シェイドの勘は正しかった、紫翠の親類だったわけだ。血を引いているなら、似てるはずだ。彼女は紫翠の祖母か、曾祖母か、それとも叔母になるのか。
 歌舞伎町が派手になるのはもっと後世の話だ。歌舞伎町付近のある場所、瀟洒といっていい日本邸宅へ紫蘭は彼を誘った。
 紫蘭が玄関に現れると下男が履物をおしいただき、小間使いの少女が駆け出て「おかえりなさいまし」と声を上げる。紫蘭がここの女主人のようだ。
 玄関から上がると、紫蘭は後れ毛をかきあげながら一言告げた。
「前、言ったね。今夜あたり荒れる……でかい花火が上がりそう、ってね。皆、稼ぎ時のチャンスかもしれないよ? 今宵も気合入れて、稼ぎな。ただし無理せずにやるんだよ」
 使用人や他の娼婦たちはその声を受けてそそくさと動いた。さすがだな、とシェイドは内心舌を巻く。
 紫蘭の私室なのだろう。畳敷きの一室に通された。
 向かい合って座ると、彼女は筮竹を使って卦を立て始めたのである。
「話というのは占いか? オレは占いはさほど……」
 しかしシェイドを手で制して紫蘭は厳かに述べた。
「ふ〜ん、片思いだね。あんた。あんたが惚れている相手には、あんたの他に候補がもう一人いてどちらも選べないようだね。まあ、頑張りな」
 さすがにこれにはシェイドも驚いた。動揺をなんとか収めてから返事する。
「なんで、分かった? 顔でも書いてあるのか? まあ好きな相手いるが、優柔不断ということかよ」
「これは占い。当たるも八卦さ。ま、自慢するわけじゃないが、あたしの占いは当たるって評判だよ」
 このときにわかに外が騒がしくなった。抗争の声だろうか。銃声も聞こえた。
 始まったのだ。
「悪い。時間みたいだ。もう行かないとやばいようだ。時間潰しさんきゅ。紫蘭、また会いたいが……」
「会いにきなよ……ああそうか、あんた、そうそう会いにこれない事情を抱えているんだね」
「それも正解だ」シェイドは寂しげに笑った。「紫蘭、ほんの短い時間だったが話せて良かった。なんとしてでも時間を作ってまた会いに来る」
「信じていいのかい」
「それまでオレの名前は伏せておくよ。次、来たときに名乗らせてもらおう」
「きっとだよ」
 媚びるような目で紫蘭は彼を見上げた。
 これは娼婦らしい仕事術だ、オレ以外の来客にも皆やっているはずだ――強いてそう考えてシェイドは外に飛び出したのである。
 彼を送り出すと、紫蘭はまたも筮竹を手にした。
「すごい卦が出たねぇ。これが全部正解だとすりゃ、どうやらあの子、あたしの子の関係者のようだが……まさかその意中の人に、恋人が、二人も見えたとは。言いづらいが、後は、本人達次第だろうねえ」
 そして眼を細め、髪留めを外したのである。
 銀色の美しい髪が、まるで天の河のようにきらきらと流れた。