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63


 その日、赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)クコ・赤嶺(くこ・あかみね)やルミエールの子供たちとお盆の準備に取り掛かっていた。
 もうすぐ日が暮れ、街では精霊船が流されるだろうという時間。
 ――ん?
 森に人影を見つけた。知った顔だ。ちらり、周りの様子を窺う。誰も、森の中の彼に気付いた様子はなかった。彼が、不意に背中を向けた。森の奥へと歩き出す。
 ついてこい。
 そう言っているような気がして、霜月は小さく息を吐いた。仲間内から抜け出して、森の奥へと誘われていく。
 しばらくして拓けた場所に出た。彼は仁王立ちしてこちらを見ている。
「やっぱり薙先生か」
 薙 結城
 霜月の育ての親であり、師匠である人。
 改めて正面から彼の顔を見て確認すると、安堵のような、あるいは拍子抜けしたような気持ちが湧いてきた。やっぱり、と思った。驚きはさほどない。
 薙が、眠そうな顔を少し歪めた。小さく笑ったようだった。
 同時に、抜刀。
 二本の刀が霜月を襲う。が、これにも霜月は動じない。なぜなら、ナラカの道を歩いているはずの彼がわざわざ会いに来たのだ。普通に話をして終われるはずがない。
 ――むしろ、そういった意味では予想通りか。
「それにしても、いきなりすぎますけどッ」
 孤月を抜いて、刀を薙ぎ身をかわし、避ける。
「特訓だ、霜月。ひとつ手合わせと行こうじゃねえか」
「色々と言いたいことはありますが――」
 刀を構えなおす。
「薙先生にどこまで近付けたか、見てもらうのもいいかもしれませんね」
 霜月の言葉に、薙も構えを変えた。
 静寂。空気が張り詰める。相手の呼吸まで、わかる。つまり、相手にはこちらの呼吸も知られている。
 どのタイミングで動こうか。あと一呼吸。いやもう一呼吸。
 先に動けば負けなのか、動かないから負けるのか。
 ごちゃごちゃ考えるのは、二秒で止めた。身体に任せる。すると、足が自然と動いた。孤月を手に、全力でぶつかっていく。


 いくばくかの時が過ぎ、日はとっぷりと暮れ。
「契約者じゃないのに、この強さは反則でしょう……」
 地面に転がったまま、霜月は荒い呼吸と共に言葉を吐いた。
 この時間まで戦っても、結局霜月は薙相手に一本を取ることはなかった。
「強くなったじゃねえか」
「先生より、全然弱い」
「成長したなって意味だよ。素直に受け取れ」
 遠くで、祭囃子の音がする。
 祭りはもう、終わりに近付いているらしい。森の中で時計はないから、正確な時間はわからないけれど。
「霜月」
 薙が不意に、稽古中とは違う質の声を出した。
「お前は今幸せか?」
 質問の意味を捉えかねているうちに、薙の姿は消えていた。
 身体を起こして、首を回す。どこにも、彼はもう居ない。
「……こっちの返事も聞かずに消えるなんて」
 それにそもそも、その質問はこっちがしたかったものだ。
 ――自分のようなお荷物を抱えて、あなたは幸せでしたか?
 心の中で問い掛ける。声にもしなかったから、聞こえるはずはないけれど。それでも答えを待ってみた。もちろん、答える声はない。
 ただ、虫の鳴く声と風で木の葉が揺れる音だけがした。
 ナラカではどうなのだろうか。向こうにも、こんな風に情緒ある景色が広がっているのか。それとも、何もないのか。何もないなら、自分の声は届くかもしれない。
「自分は、今、幸せですよ」
 言葉にしてみたけれど届いたかどうかまでは、やはりわからなかった。