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リアクション
■4――三日目――17:00
山中――。
「一式買い揃えたばかりだったのに」
双眼鏡を覗きながら、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)はボヤいた。
デニムのショートパンツから伸びた黒のレギンスは破れ、色の気に入っていたシャツもブーツは泥塗れ、邪魔になったカーディガンは何処かに捨てた。
「どうせ通販で買った安物でしょ」
セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の非常な一言が聞こえる。
セレンフィリティは半眼になりつつ返した。
「アウトレット通販を馬鹿にするものはアウトレット通販に泣く」
「今時期、秋物ならセールで安く手に入るわよ」
「たいがい良いのなんて残っちゃいないでしょうけどね、っと」
明らかに正気を失って共食いを始めている死人を見つけ、対物ライフルを設置していた地面へと身を伏せる。
目標は二つ。
「そう……『二つ』よ」
二人ではない。あれは、もう人ではない。
だから、普段なら決して有り得ない、異常なポイントへと狙いを定め、セレンフィリティは引き金を引いた。
銃声が響き、遠くの肉と骨が爆ぜて、半壊した頭部が地に転がる。
数秒の間を置いてから、もう一発。
通常、契約者でも無い地球人に使うには余りに威力の有り過ぎる弾丸は、その首と周囲を粉砕し、目標の胴と頭とを分断した。
セレンフィリティは、小さく息を付いてから身体を起こした
「回収するわよ」
セレアナと共に山を駆け下りる。
その途中――
彼女たちは、偶然、クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)と出会ったのだった。
「クレア大尉……?」
そう呼ばれ、クレアは目を上げた。
セレンフィリティとセレアナが立っている。
彼女たちの目には、明白な疑惑があった。
クレアは山から迫り出した大岩の影に立っていた。
「先ほどの銃声は、あなたたちか」
問いかけに、セレンフィリティが頷く。
「援軍を命じられて来たわ。
死人封印の儀式を邪魔させないために、死人を狩っているの」
「そうか……」
「大尉」
セレアナが抑揚の無い声で言う。
「こちらへ出て来てはもらえないかしら?」
こちら、とは、この影の外の事だろう。
「断る――とは言えないな」
クレアは、ゆっくりと茜色の中に歩み出た。
日差しがずっしりと彼女の身体から軽さを奪っていく。
契約者どころか、これでは一般人にも組み敷かれてしまうだろう。
セレンフィリティがナイフを抜いて、クレアの差し出した手の指先に刃を立てる。
瞬間、クレアの後方で銃声が鳴った。
クレアの後方の影に潜んでいたエイミー・サンダース(えいみー・さんだーす)の放った銃弾がクレアの身体を貫き、セレンフィリティの足根に突き刺さる。
「ッ――」
呻いたセレンフィリティへと、クレアは手を伸ばしていた。
生気を奪うために。
が、間髪入れずにセレンフィリティを叩き転がしたセレアナのヴァーチャースピアがクレアの臓を抉った。
その時、セレアナの瞳にはクレアの服の下に隠されていた『罠』が映し出されていた。
セレアナが叫ぶ。
「逃げ――」
彼女がセレンフィリティにそれを伝えきる前に、クレアは自身が抱え込んでいた機晶爆弾を起爆した。
鼓膜を破る程の轟音が響き、セレンフィリティは山中を無様に転がった。
木や石に身体をゴツゴツとぶつけながら、ふっ飛ばされた先で、身体をくの字に折って咳き込む。
咳き込んでいる自身の放っているはずの音が上手く聞こえない。
(――耳が……それに肩とアバラ……足は、もう駄目かも)
ついでに、視界を確保しようとして目を開いたら、片目も潰れているようだった。
軋むどころじゃない身体を引きずり起こしながら、離すことの無かったナイフを構える。
そして、その直後――彼女は悟った。
「……セレ、アナ」
パートナーロストによるものと思われる激しい苦しみと、唐突に恋人を失ったという現実に、彼女は嘔吐した。
「苦しそうですね」
とても穏やかなその声は、すぐ傍にあった。
しかし、セレンフィリティにそちらを見上げることは出来なかった。
必死に、今、自分が何をすべきかを考えようとしているのに、パートナーロストによる痛みが、それを阻害する。
声は続ける。
「心配しなくても、大丈夫ですよ。動けるほどには回復してさしあげますから」
ナイフを持った手と首根の後ろを地面へと押さえこまれながら、セレンフィリティは自身の傷が癒されていくのを感じていた。
「そうしないと、不便でしょう?」
そして、彼女は抵抗する間も無く、ハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)に生気を奪われたのだった。
市警時代に良い思い出は無い。
いや、幾つかあったかもしれないが、全ては鼻の奥にこびりついた血の匂いに霞む。
「――ああ、この臭いだ」
ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)は、腕で乱暴に顔面を拭いながら呻いた。
そばに転がるのは、今しがた自身の手で首を刈った身体だった。
気道の断面に垂れた血液が肺に残されていた空気に押されて、ビルビルと奇妙な音を立てていた。
首を切断した時に散った血が床や壁にこびり付いている。
己自身にも、だ。
かつて、ロス市警の特殊火器戦術部隊に勤務していた時、シリアルキラーの逮捕に駆り出されたことがある。
首を集めるのが趣味の変態野郎で、そいつの部屋の中には防腐処理の行われた首が幾つも飾られていた。
その時は心の底から、その男のような人種を嫌悪したものだが――
果たして、今の自分は彼と何ら変わらないのではないか。
血と脂に塗れた手で死人の首の髪を掴み、ぶら下げたまま、ほんの僅かな時間だけジェイコブは自問していた。
と――
「……プリーストの私が、まさかこうして直接剣を振るうなんて思ってもみませんでしわ」
フィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)が戸口に立って、言う。
彼女もまた、血に塗れていた。
「人間って奴は、生きてても死んでても全く救い難いな。
神が匙を投げ出すのも、無理からぬ話だ」
「……元々、人間って神様に祝福された存在だという話ではなかったでしたっけ?」
フィリシアが血に濡れた髪を耳に流しながら首を傾げる。
ジェイコブは笑った。
「さぁな――もしかすると祝福し間違えたかも知れんぞ」
だからこうも、自分たちは血に塗れているのか。
閻羅穴――。
日没が迫っていた。
「もう余り時間はありませんね」
東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)は来る夜に向けて、バルト・ロドリクス(ばると・ろどりくす)や仲間たちと準備を進めていた。
儀式の行われる祭場。
三日間に及んだ秘祭は、閻羅穴の儀式で終わる。
閻羅穴の手前には『偽物の祭壇』があり、その奥には『本当の祭壇』があつらえられていた。
手前の祭壇が偽物であると彼らに告げたのは、山場 敬と名乗る青年だった。
彼は涼司に姉の願いを叶えて欲しいから、協力しているのだと言った。
自身が死人であると告げた彼の言葉通り、閻羅穴の奥には古くから使われている様子の神具が並べられており、そして祭壇は穴の上へとせり出すように作られていた。
秘祭の最後の儀式を行う者は、この祭壇の上で祝詞を唱えるらしい。
「願わくば、皆でハッピーエンドを迎えたいものですが」
「この状況で、それを願うのは、ちぃと酷ってもんじゃねぇか?」
仕掛けを終えてきたドゥムカ・ウェムカ(どぅむか・うぇむか)が言う。
既に多くの生者が死人に生気を奪われたり、殺されたりしてきた。
そして、儀式が始まれば弥美に率いられた死人たちは、総力を持って、この場を支配し、秘祭を彼らの望むように終わらせようとするだろう。
雄軒は、ふむ、と片目を細め、笑った。
「山葉涼司は私たちの元へと戻ってた。
そして、必要な祝詞も儀式の手順も私たちは手に入れた」
「だが、これまでの犠牲は多過ぎた」
「個々で死人の数を減らしてくださっている方も居るようです」
「犠牲を重ねながらなァ」
ドゥムカは言って、クツクツと喉を鳴らした。
そして、彼は肩をすくめた。
「俺が言いたいのは、だ。
今生き残ってる全員で明日の朝日を拝もうなんてことォ考えてらんねぇんじゃねえかってことだ」
「目標を下げた先にあるのはジリ貧ですよ」
雄軒は腕を組み、閻羅穴を背に、村へ続く道の方を見やった。
「こんな状況だからこそ、私は全員生存するつもりで、行きます」
「あゆみさん」
聞き覚えのある声に呼ばれ、月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)は俯いていた顔をハッと上げた。
「……来てくれたんだ、ヒルデ」
あゆみが見上げた先には、ヒルデガルト・フォンビンゲン(ひるでがるど・ふぉんびんげん)の優しい顔があった。
思ってもみなかったパートナーの来訪に、あゆみは胸に押し込めていた気持ちを押し込めなくなり、口元を歪めた。
「あゆみ、とんでもない勘違いをしてた……」
ヒルデガルトに懺悔するように言う。
顎根が震えて、奥歯が薄く鳴る。
ヒルデガルトは彼女を静かに見下ろし、ただ、あゆみの言葉を聞いていた。
「死人になってもアンプルがあれば戻せると思ってた……だから……」
ボロボロと涙を零し、その後は言葉にならず大泣きしたあゆみの頭を、一度だけ、そっと撫でヒルデガルトは言った。
「あゆみさん――ここからがはじまりです」
「…………」
「泣き言は私が許しません。立ちなさい。目を開け、周りを見、先へ進むのです」
ヒルデガルドの声は淡々と続いていた。
「幻視してみました。先は真っ白です。何も見えません。
しかし――。
それで落ち込むのは大きな間違いです。
見えないということは、まだ決まっていないということ。
あなたや、あなたの仲間の動きでどちらへも転がるのです。
さぁ、しっかりなさい」
ヒルデガルドの手があゆみへと差し出され、あゆみは彼女の手を取った。
立ち上がる。
ぐす、と鼻を鳴らしたあゆみにヒルデガルドが微笑む。
「あゆみさんが私をパートナーに選んだのと同様、私もあなたを選んだのです。
聖ヒルデガルトに選ばれた者よ。
不吉な予感など笑い飛ばしなさい。
あなたは、ただ、あなたらしく生きるのです」
ヒルデガルドの言葉に、あゆみは、ずずずっと鼻を啜り、レンズを取って、ごしごしと服の袖で涙を拭ってから頷いた。
笑む。
「そうね、ヒルデ……分かった。ここから全力で行く!」
改めてレンズを顔に装着し、あゆみは、くんっと拳を握った。
「このレンズが割れても輝く為に!!」
「……今思えば、全ては周到に仕組まれていたのかもしれない」
朽ちかけた水島の家。
日暮れが迫り、埃の舞う屋内に茜色が長く差していて、
死人である水島 慎や小嶋 咲の身体は徐々に覚醒し始めていた。
死人としての欲求も強まり、理性はゆっくりと駆逐されていく。
慎の手には、刀があった。
この家にあった護り刀だ。
「両親は、この村を逃げ出した。
しかし、俺は戻ってきた……。
両親の遺品にあった、この村のことに興味を持って……それだけだったんだ。
俺がかつて居た場所を見てみたい、という小さな興味だった」
「……うん」
独白めいて呟く慎の傍らで、咲が相槌を打つ。
慎は、失われていく理性を必死で掴み、離すまいと続けた。
「偶然だったんだ。この村にやってきたのは。秘祭のことなんて、知らなかった。こんな事になるなんて、考えてもいなかった。だが……」
死人となり、弥美の命に従って、既に多くの人を死人にした。
それでも、人間的な、生者の頃の理性を取り戻してからは、誰かから生気を奪うまいとしてきた。
弥美に言い渡された役目を果たすために閻羅穴に続く道に、せめてもの罠を仕掛け、生者に近づかないように警告を行ってきたりもした。
だが、飢えと乾きは、彼の願い虚しく理性を駆逐していく。
己の中を支配する血が疼き、騒ぎ、自分が破壊されていく。
「結局、宿命とか運命とか、そういったものからは逃れられないということだろうな。
両親が果たさなかった役目を、俺は果たさなければならなかったんだ。
代々、秘祭を手伝ってきた一族として」
そうして、慎は咲の方を見やって、薄く微笑んだ。
彼女は、この村とは何の関係も無い。
ただ、慎の里帰りに付いてきただけの友人だった。
「すまないな、咲。俺のせいでこんなことに巻き込んでしまった」
咲が慎を見据え、それから、静かに息を漏らし、柔らかに笑む。
「しょうがないじゃない。
私はあなたの事が好きなんだもの」
さらりと、事もなげに置かれた彼女の告白に、慎はわずかに目を見開いた。
そんな様子が可笑しかったのか、咲はクスクスと楽しげに笑ってから、改めて慎の方を見やった。
彼女の冷たい手が慎の頬に伸びる。
「暇だから付いてきた、なんて嘘よ。
私は水島慎の事が好きだから、慎の生まれたところを見てみたかった。
だから、あなたに付いてきたの」
咲の言葉を理解しながら、しかし、慎はもうその気持ちに返すだけの『自分』を持っていなかった。
おそらく、咲も同様の筈だった。二人に残された時間は少ない。
咲が少し寂しげに笑みを傾け。
「慎。あなたはとても真面目だし、優しい人だから……。
私が護って見せるわ」
慎が人として覚えた最期の記憶は、彼女の唇の感触だった。
涼司たちを含む一行は、ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)に先導されながら閻羅穴へと向かっていた。
村には昼前から電気が通わなくなっており、外灯が灯る気配は無かった。
陽の沈むままに闇が山の根本より迫って、村を覆っていく。
更に、穴へ向かうための道は何者かによって電柱や木が倒されており、彼らの行く手を阻もうとしていた。
が――
「すたこらっさっさー、すたこらさっさー」
ミネルバは妙に楽しそうに先導していた。
まるで考え無しのように見えて、彼女は、きっちりと最も安全で最短なコースを取りつつ、何気なく引き連れている全員のフォローも行なっているのは、ラヴェイジャーとしての本能かもしれない。
途中から彼らに同行していた水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は、ミネルバに感心しながら涼司に近づいた。
「お願いがあるんだけど」
「ん?」
首を傾げた涼司の方へ、火軻具土 命(ひのかぐつちの・みこと)がコピー人形を差し出す。
「これをな、ぽちっとしてくれん?」
「どうすんだ?」
「おもろいことや」
命が、えっへへ、と眠たげな顔を綻ばせる。
緋雨は、うん、と喉を鳴らしてから。
「これで死人を誘導するのよ」
「それ……お前たちが囮になるってことか!?」
「言っとくけど、死ぬ気はないわよ」
緋雨は片眉を跳ねながら言って、続けた。
「私にはまだやらなきゃいけない事が沢山あるんだから。
死にたくないし、死人になる気もないし、世界を死で溢れさせる気もない」
「また面白そーなことするみてーだな」
と、声が聞こえて振り返れば、高崎 悠司(たかさき・ゆうじ)がダルそうに片手で首後ろを掻きながら、命の持っていたコピー人形を手に取った。
それから、彼をそれを涼司の方へと放った。
「大人しく押しとけよ。減るもんじゃなし」
人形を受け取った涼司へ言ってから、悠司が緋雨へと視線を向ける。
「俺も一つ噛ませてもらうぜ。断る理由はねーよな?」
「もちろん。心強いわ」
そして、涼司の姿となったコピー人形を命が非物質化させ、緋雨らは先行して閻羅穴へ向かったのだった。
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