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ユールの祭日

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ユールの祭日
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●●● 無明地獄

「いまのが義経公ですか」
座頭 桂(ざとう・かつら)が反応した。
琵琶を嗜んだ桂にとって、義経のことは平家物語などで親しみがあった。

「どうだった?」
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)が尋ねる。
桂は目が見えないので、義経の顔かたちはわからなかったが、声や気配で感得するところはあった。

「ほな、参りましょ」
刀を腰に、桂は席を立つ。


対手は高 漸麗(がお・じえんり)、中国は戦国時代の人である。
手には武器ではなく、筑(ちく)という楽器を手にしていた。
筑は中国の古楽器で、箏に似ている。
長さ約70センチ、幅20センチほどの箱型で、弦が五本ほど張られていて、この弦を棒で叩いて音を出す。
箱の部分は音を共鳴させる仕掛けだ。

「この人は気になってたの!」
珠代が身を乗り出す。
「不勉強なもので、どのような英霊なのでしょう?」
アウナスは実際知らなかったうえ、珠代がこうまで関心を示すとは只者ではあるまいと考え尋ねてみた。

「中国の楽器奏者で、暗殺者なの!
 秦の始皇帝を暗殺するために、あの楽器に鉛を仕込んで殴りつけたのよ!」

誤解を招く表現だが、伝わっている事績はだいたい合っている。


天才的な楽器奏者である高漸麗(高漸離)は荊軻(けいか)という人の友人であった。
荊軻は始皇帝暗殺を試みるが、失敗し切り殺される。

後に高漸麗はその筑の腕前から始皇帝に召されることになった。
始皇帝は高漸麗が荊軻の友人であると知ったが、筑の腕前を惜しみ、その両目を潰して側においていた。

しかし高漸麗は荊軻のことを忘れず、始皇帝暗殺を実行に移したのである。
だが暗殺は失敗に終わり、彼もまた友人と同じ末路を辿ったのだった。


というわけで、ついベースで観客を殴ってしまう珠代からすると、高漸麗は偉大なる先達ということにならないでもないのだが、高漸麗としては大義のために仕方なく大事な楽器を武器にしただけのことであって、暗殺者扱いはいささか不本意であろう。


天 黒龍(てぃえん・へいろん)は心配そうに高漸麗を見守ることしかできない。
「彼とは友達になれそうだ」
という言葉を信じて、今は待つ。


両者とも目こそ見えないが、互いに相通じるものを感じ取った。

「桂さん、勝手を言うようだが、僕も君も楽師のようだ。
 この戦い、楽の音で競わないか」

桂は躊躇った。
実のところ、戦いはあまり望む所ではない。
しかしそうした心情とは別に、琵琶と同じく剣は血肉の一部となっている。
いうなれば英霊の業であった。

桂はこの己の業を見極めようと、この戦いに身を投じたのである。

「おまえの申し出には引かれるものがある。
 しかし今こうして琵琶ではなく刀を帯びてきた。
 わたしにとって戦いとは意味があるもんやったんや、きっとな。
 そこのところをわかってほしい」
「残念だな。
 ならばせめて琵琶の音を聞かせてはくれないか」
「迷わせないでくれ。
 この戦いが終わってから、いずれ存分に」

高漸麗は桂の覚悟を悟った。
桂は一礼し、刀に手をかける。

高漸麗は武器をとらず、筑のみで挑むことで己の意志を示す。

「『天下の筑師』と謳われた僕だ、歌のない曲だが聞いて欲しいな」
筑の音が響く。

(これだけの英霊が集まっていれば、ひょっとしたら荊軻もどこかにいるかもしれない)

その思いで筑を撃つ。
始皇帝ですら魅惑した楽の音に、再び桂の意思が鈍る。

桂は目が見えぬぶん、勘が働く。
また、相手の居場所や挙動を感じるために、臭いや音に神経を集中させてもいた。
それゆえ、高漸麗の曲から逃れることはできなかったのだ。


しばらく両者の睨み合いは続いた。
観衆はただただ、筑の響きに酔いしれるばかりである。

そのあいだ、桂の心の裡には諸々の感情が渦巻き続けた。
それは他者には理解できないが、闘争であった。


  @ @ @

江戸時代も終わりの近いころ、現在の千葉県のあたりに飯岡助五郎という侠客がいて、一大勢力を築いていた。
助五郎はもともと力士であったが、同じく力士あがりの笹川繁蔵と抗争を繰り広げた。
講談では悪党として語られる反面、強大な統治力で治安維持に一役買ってもいたようだ。
この助五郎のところに厄介になっていた風来坊のひとりが、座頭の市であった。
この座頭は後に剣客として世に知られるようになったが、実のところは剣など握らぬ男であったという。

  @ @ @


桂は自分が何者であるかわからなかった。
この剣と琵琶とを手にした自分は、いったい何なのだ?
それを見極めようとして、この戦いに身を投じたのではないか。

斬れ。
あの筑をもった楽師を斬れ。

刀の重みを感じずして、自分のことを思い出せるはずがなかろう?

桂は刀を固く握る。
彼の剣術は、居合だ。
あとは剣を抜くだけで勝てる。


しかしついに桂は剣を抜かなかった。
抜けなかった、というべきであろうか。

「感謝する、おまえもまた、わたしに強くなるきっかけを与えてくれた」
傍目には桂はなにもせず、ただ敗北しただけだ。
だが別の強さが彼には目覚めていた。

この戦いのあとで、桂は九条にこう打ち明けた。

「わたしは昔、兇状を犯してしまったのだ。
 今回わたしが学んだことは、剣を抜かぬ、ということだ。
 これからは人を殺める剣ではなく、人を守る為の剣になろうと思う」

九条は黙ってそれを聞いた。


「ふうむ。やはり気のせいかのう」
伊東 一刀斎(いとう・いっとうさい)はしきりと首をひねっている。

「どうしたんだい、先生?」
八神 誠一(やがみ・せいいち)の問いに、一刀斎は次のような話をした。

「わしの師匠は鐘捲自斎といってな。
 自斎先生の縁者に、富田勢源という剣客がおったんじゃ。
 この富田勢源、目を患って視力を失ったが、なお恐るべき剣豪でなあ……
 さきの座頭の構えが似ているように思ったのだが、気のせいだったようじゃな」