|
|
リアクション
■ 過去からの痛み ■
「主が変わった場所なら知っておる。行くか?」
シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)に言われ、ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)は極寒の地にやってきた。
何か記憶をくすぐるものはないかと周囲を眺め渡してみたけれど、やはり何も思い出せない。
「私が変わった場所ということですが、この場所と私にどんな接点があったんですか?」
ラムズは尋ねてみたけれど、手記は何も答えてはくれない。
それどころか廃墟の前で立ち止まり、動こうとしなくなってしまった。
「ここは何なのですか?」
「近くの酒場ででも休んでいろ。我は暫く此処に居る」
ぶっきらぼうにラムズに言い放ち、手記は柵越しにその建物を見上げた。
厳めしい塀と門で囲まれた頑丈な建物だ。
けれど既にそこに人の気はなく、建物にも老朽化の痕跡が著しい。
その建物はかつて刑務所と呼ばれていた場所だった。
(我は此処で生まれた)
手記は目を閉じて思い出す。
(奴が狂い……いや、狂っているという事を自覚してしまった直後に、我はこの世に生を受けた。はじめは不定形だったこの身体も、漸く此処まで成った……)
より人間らしく、より『彼女』らしく。其処に手記の意思はなく、呪いじみた本能だけが鬨の声を上げ続ける。
目を閉じ、顔はその建物に向け。手記は物思いに沈んでいった。
手記にそう言われてしまったラムズは仕方なしに、近くの酒場に足を運んだ。
言われたからというのもあるが、何か温かいものでも飲まないと凍えてしまいそうに寒かったからだ。
珈琲を頼み、酒場の店主に話しかける。
「冷えますね」
「ええ……流石に堪えます」
穏やかに答えた店主は50歳前後といったところか。物腰の柔らかい紳士的な雰囲気のする男性だ。
差し出された珈琲を、ラムズは軽く傾け味をみる。
少し濃いめの珈琲は香りも良く上々だ。
他に客がいなかったこともあり、店主はカップを拭きながらラムズに話しかけてくる。
「ところで知っていますか? 昔この辺りで大きな事件があったんですよ」
「いいえ、知りません。犯罪でもあったんですか?」
「犯罪というのか……おかしな宗教団体とマフィアの間で抗争があってねぇ」
つきんと頭に痛みが奔る。それをこらえてラムズは差し障りない返事をする。
「それはまたお気の毒に……」
「結果的にはマフィアの方が勝ったらしいが、問題はそこからでね。街中を化物が徘徊するようになったんだよ」
「化物……?」
「ああ、化物だ。人間の癖に人間を餌にする化物だ。――覚えがあるだろう? マーク」
く、と店主の喉が楽しそうに鳴る。
頭の痛みが酷くなる。
(マーク……まーく……)
その名前が耳障りな響きでがんがんと、ラムズの頭の中で暴れる。
「その手は知っている筈だ。化物を相手にしたお前なら知ってる筈だ」
店主は小さな白い円柱を差し出した。それが煙草だと気づいた途端、ラムズは耐えきれない痛みを感じた。
「忘れるなよ、マーク」
口元だけをにやりと歪めて呼びかけてくる店主に、ラムズの口は自然に答えを返している。
「断る、アラーム」
するりと出てきたのは、自分には覚えの無い名。
(誰だ? アラーム?)
吐き気のするように頭痛に悩まされながら、気づけばラムズは足早に手記の元へと向かっていた。
手記はまだ刑務所だった場所の前にいた。
もうこんな所にはいたくない。一刻も早く立ち去りたいと、ラムズは手記を呼ぶ。
「帰るぞ、ニーア」
また知らない名前が口から出た。
魂の抜けたような顔で立っていた手記の表情が、驚愕へと変わる。
「!? 主、記憶が!」
「黙れ。帰るまで口は閉じてろ」
不愉快を隠さずにラムズは命令すると、それ以上は物も言わずにただ足だけを動かして、凍てついた地から立ち去って行くのだった。