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リアクション
■ いってらっしゃい ■
二度と帰らないつもりだった。過去は棄てたつもりだった。
なのに何故か来ないといけないような気がして、教会兼孤児院となっている自分が育った場所に帰ってきてみれば。
(虫の知らせって言うんですかね)
こんなことだろうとは思っていたけどやっぱりそうだ、と坂上 来栖(さかがみ・くるす)はベッドに横たわるアンナ・ヴェルナーを見た。
「アンナ……」
老いて目も見えなくなったであろうその顔は、それでも彼女だとすぐに分かる。
年齢がその顔に皺を刻んではいたけれど、アンナはやっぱり綺麗だった。
「ここに案内してくれた人、娘? 孫かな? 貴女にそっくり。一瞬びっくりしちゃいましたよ……」
年上だったとはいえ、もうそんなに経つのかと来栖は流れた年月を思う。
来栖の声を聞き分けて、アンナはゆっくりとこちらに顔を向けた。
「クロス君? 帰ってきたの?」
それはかつての来栖の名前。
「……うん、ただいま……」
「こんなに長く留守にして、心配したのよ」
そう言うアンナの表情は優しいままで、今の来栖の姿に驚く様子は無い。やはり見えていないのか。
自分の今の姿、何が起きたかは気づかれないままでいい。聞かれても来栖もうまく答えることは出来ないだろうから。
「あれから随分時間が経ったけど、ここ何も変わってないのよ。お父さんの時のまま、皆仲良くしてるわ」
アンナの言う『お父さん』という言葉に反応して、来栖はわずかに身を固くした。
今はこの孤児院はアンナが経営しているけれど、来栖がここにいた頃は『お父さん』が経営者だった。
その『お父さん』は2人を守るため、モンスターと戦って死んだ。
来栖がここを出ていったのは、その死に責任を感じたのもあるけれど、そんな綺麗なことじゃない。
(後ろめたくて、ただ自分が憎くて、あいつが憎くて、それで此処を出ていったんだ……)
来栖が出て行ったあの時、その背にアンナは不安混じりの言葉をかけた。
「どこに行くの?」
「…………」
「……いってらっしゃい」
それに対して何一つ答えることなく、黙って出ていったあの日――。
遠いけれど、ついこの前のような記憶でもある。
後悔は何度かした。
けれどもう戻らないつもりだった。
自分のことも忘れてくれれば良いと思っていたけれど……でもこんなになってもアンナは来栖を覚えていた。
そのことがなんだか辛くて……嬉しかった。
だからせめて最後は見届けよう。自分の仕事をしよう。
ぽつりぽつりと今までのことを語った後、
「ふふ……ちょっと疲れちゃった」
アンナはため息のように笑った。
「疲れたんなら少し休みなよ、まだ……此処にいるから」
「そうね……」
頷きながらもアンナは、これだけは言っておかなければというように言葉を続ける。
「何があっても私にとって……クロス君はずっと……クロス君なんだから……私もお父さんもいつも待ってるから……また……帰ってきて……ね……」
アンナの声は急速に弱くなってゆく。最後はもうほとんど囁き声だ。
「……そうだね。またいつか帰ってくるよ」
「……いってらっしゃい……」
それは来栖がここを出ていった日、最後にアンナが投げかけた言葉。
来栖はあの時言えなかった言葉でそれに答える。
「いってきます」
来栖の答えを聞いて、アンナは微笑んだ。
そして……長い息をひとつ吐き……その呼吸を止めた。
安らかな表情のアンナの頬に、来栖はそっと手を触れる。
「……いってらっしゃい……アンナねえさん」
アンナを看取ると、後のことをここに案内してくれた子に頼み、来栖は教会をあとにした。
誰も連れて来ないで正解だったと思う。
身内を送るのがこんなに堪えるなんて。
今の自分はきっと醜い顔をしている。こんな情けない姿、誰にも見せたくは無いから。
「ハァ……」
胸の奥に詰まった重い物を吐き出そうとするように、来栖は息をつくのだった――。