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シルバーソーン(第1回/全2回)

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シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション


1 アガデの都

●東カナン首都・アガデ 領主の居城

 城内は一触即発といった緊迫感に包まれていた。
 本来であれば今の時刻、東カナン領主バァル・ハダド(ばぁる・はだど)とアーンセト家令嬢アナト=ユテ・アーンセトの結婚式が終わり、場は中庭に設けられた宴席へと移って、軽快な音楽やいい香りのする花々が舞き散らされるなか、参列者たちの間で華やかな祝杯がかわされているはずだった。
 しかし今、そんな浮かれた気配はどこにもない。
 すべては復讐のため、式に乱入した魔女モレクの仕業だった。彼の放った毒矢を、バァルのかわりにアナトが、シャムスのかわりにセテカが受けてしまったのだ。
 2人が運び込まれた部屋の前で、バァルは黙して頭を垂れていた。
 城付きの薬師たちが中へ入って数十分が経過したが、その間彼は彫像と化してしまったかのようにぴくりとも動かない。だれの慰めの手も拒否しているその姿を、場にいる全員が固唾を飲んで見守っている。
 空気はずしりと重く、冴え冴えと凍りついていた。呼吸音をたてることすら気遣ってしまうほどに。
 やがてかちゃりとドアノブが回る音がして、中から薬師たちが現れる。その姿に、初めてバァルが動いた。
「2人の容態は?」
 駆け寄ったバァルとシャムスを前に、薬師長は土気色した顔で首を振り、力なく告げた。2人を治療するにはシルバーソーンという、絶滅した幻の薬草が必要不可欠であるということを。


「なんということなの」
 薬師たちから詳しい説明を受けているバァルたちの様子を見守りながら、イナンナ・ワルプルギス(いなんな・わるぷるぎす)はうめくようにつぶやいた。
「まさか、こんなことになるなんて…」
 場の意識はすべてバァルと薬師たちに集中している。だれにも拾われるとは思われなかった小さな言葉。しかしそれを耳に入れている者がいた。
 カルロス・レイジ(かるろす・れいじ)、シャンバラ教導団に所属するソルジャーだ。
 36という歳は、一兵卒としては少し薹が立っているかもしれない。しかし男としては一番油の乗った盛りの時期である。精悍な顔立ち、引き締まった肉体、それを持つ者にふさわしい自信と落ち着きで、彼はイナンナの傍らへと歩み寄り、そっと彼女の小さな手を取った。
「こうなったのはあなたのせいでも、ましてやあなたの責任でもありません」
 そっといたわるように手の甲をなでてそこにこもる力を解き、こぶしを開かせる。
「おまえは?」
 イナンナの怪訝そうな問いかけに、カルロスはビシッと最敬礼のポーズをとった。
「失礼しました! 自分はシャンバラ教導団一般兵のカルロス・レイジであります! 上官の命により、イナンナさまの警護を仰せつかり、この地へ参りました!」
「そう?」
 もちろん嘘だ。そんな命令など受けてはいないし、こんな嘘、ヒラニプラへ問い合わせられたら一発でバレてしまうだろう。
 われながら底の浅いことを口にしてしまったと、胸の内で己を罵る。
 いつもの彼であれば、こんな失態を見せたりはしなかった。女性の肌に触れるのなど日常茶飯事、シャンバラでは一兵士だが地球で軍歴はかなり積んでいる。この程度のことで取り乱したりはしない。適度に嘘と真実を織り交ぜて、もっともらしいことを口にしただろう。
 だが――それまで前を向いていた彼女の美しい青い目が上を向いた瞬間、カルロスの頭は思考することをやめた。
 まるで果てなく広がる無限の砂漠で唯一のオアシス、豊かな水をたたえた湖のような真青の瞳がただ1つ、彼を映し込んでいると知った瞬間に、彼の脳はまるでポンコツのロボットも同然になり、気がつけばあんなことを口走っていたのだった。
 そのことに一番衝撃を受けたのは、カルロス自身であったかもしれない。
(落ち着け、俺……祖国じゃ女なんて、ナンパすれば3回に1回の割合で落ちたじゃねぇか!
 そう、俺はプレイボーイのカルロス・レイジさまよ。女なんて、ちょっと髪の色や目の色が違うだけで、どいつもこいつも皆同じ――)
 懸命に胸のなかでそう繰り返し、あらためてイナンナを見る。
 だがいくら呪文のようにつぶやいたところで、そのすべてが無駄だった。このたぐいまれな美貌の女神とただの人間の女などを同じ土台に上げて比較しようなど、することすらおこがましい。
 今目の前にいるこのひとこそ、まさに文字どおり、カルロスにとって唯一無二の『女神』だ。
「――若輩者ではございますが、これからもよろしくお願いします!」
 最後、そう締めたカルロスの声にかぶさって、神官たちがイナンナを呼んだ。
「イナンナさま、馬車のご用意ができました。お荷物もすべて運び込んでありますので、いつでもキシュへ発てます」
「バァルさまへのご伝言も、こちらの女神官へ伝えております。もう少し落ち着かれてから、ころあいを見て彼女の口から伝えていただけますでしょう」
「分かりました」
 イナンナはもう一度、バァルを見た。血の気の失せた顔で、食い入るように薬師長の話を聞いている…。
「行きましょう」
「お待ちください、イナンナさま!」
 きびすを返したイナンナを、あわててカルロスが呼び止めた。
「北カナンへ戻られるのでしたら、この自分をぜひお供にお加えください! あなたをお護りすることが自分の役目です! どんな敵が現れようとも、必ずやこの命に代えてもあなたをお護りしてみせます!」
 彼の熱意に、イナンナは少し眉を寄せた。だが彼女を狙ったモレクの襲撃があった今、第二第三の刺客が彼女を狙うのではないかと考えるのは当然のこと。まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかったため、供の神官兵士の数が十分でないこともあり、イナンナは頷いた。
「あなた、馬は持っていますか?」
「いえ」
「そう。ではこちらの厩舎から借りればよいでしょう。厩舎の者に説明して、適当に見繕ってきなさい」
「分かりました」
 イナンナの許可を得られたことにカルロスは大きく頷き、イナンナに続いてこの場を離れた。



 一方で、薬師からの説明を聞き終えたシャムスもまた、きびすを返していた。
「シャムス殿?」
 気配からそれと察したバァルが声をかける。
「南カナンへ戻る。向こうで何か有効な手立てが見つかるかもしれない」
「……頼む」
 バァルの噛み締めるようなひと言に、こくっと短く頷き、再び歩き出す。
 シャムスの背中とうなだれて立つバァルの間で、授受は何度も顔を右往左往させた。そして意を決した表情でバァルへ駆け寄り、両手で持ったデスプルーフリングを掲げるようにして差し出す。
「バァルさま、これ……セテカさまに。闇から護ってくれる効果があるから…」
 うつむいたまま、口早にそう告げた。
 こうなって初めて彼女は城の外門でセテカに対し、とってしまった行動を悔いていた。こんな事態になると知っていたら、あんなこと絶対しなかったのに…。面目なさからどうしても顔が上げられない。
「これ、以前シャムスさまにお守りとして渡した物とお揃いのリングなんです。だからきっと、ご利益あります!
 それから……伝言、お願いします。死んだりして、シャムスさまを悲しませたら許さない。死んだらあなたのこと、一生認めてなんかあげないから! って…」
 涙はこぼれていなかったが、赤い目をして叫ぶようにそう言うと、授受は廊下の端から見えなくなったシャムスの背中を追って走り出した。
 バァルは彼女が用いた言葉が理解できなかった。シャムスがセテカにどう関係があるのか……だがすぐにその考えも消えた。セテカとアナトを失うかもしれないという危機の前に、それはとるに足らない詮索でしかない。今はもっと重要なことがある。
 2人は今、意識が戻っているという。彼らに、おまえたちを救う手段はないかもしれないなどと、一体どんな顔をして告げればいいのか? もちろんシルバーソーンは探させるが、何百年も前に絶滅した幻の草など、本当に見つかるのか? しかもあと5日のうちに手に入れなければ、2人を救うことはできない…。
 それは、奇跡に思えた。
 閉じたドアを前に無言でうなだれているバァルの姿に彼の胸中が伝わってきて、だれもおいそれと近付けずにいるなか、動いたのは七刀 切(しちとう・きり)だった。
「……ああ、切」
 近付く彼に気付いたバァルがそちらを向く。直後、切は固めたこぶしで思い切りバァルを横殴りした。
「ちょ! おまっ…!!」
「き、切さんっ!?」
 月谷 要(つきたに・かなめ)朝斗が目をむいて、あわてて2人の元へとんでくる。
 切は殴られたままかしいだバァルの胸倉を掴み上げるや、たたきつける勢いで壁に押しつけた。
「なんなんだよ、あのていたらくは! 自分の女だろ!? かばってやるぐらいのこともできねぇのかてめぇは!!」
 それがどうだ? 反対にかばわれやがって!
「いいから、手ぇ放せって! いきなりどうしたんだよ、切!」
「そうですよ、切さん! どうしたんですか? 護衛の騎士たちが来ます、あまり無茶は――」
 間に割り入った朝斗が、まだ驚きの表情を浮かべたまま、それでも両手を伸ばして切を後ろへ下がらそうとする。
「うるさい!」
 羽交い絞めるようにして無理やり引きはがした要をドンっと突き飛ばし、切はバァルへ向き直った。
「いいか? 彼女が助かったら真っ先に謝れ! それこそ平身低頭して、てめぇが死んでも次は絶対助けると誓え!
 ……そのためにも、ワイも手伝ってやるから、絶対その草手に入れて2人を助けようや。なぁ、バァル」
「切…」
「ほら、だからいつまでもそんなシケたツラしてんな。ワイや、みんなだってこうしてここにいるだろ。1人で変にクヨクヨしてないで、んなヒマあったらとっとと探しに行くぞ。奇跡が必要なら、ワイらでその軌跡を起こしてみせようや」
「……すまない。わたしは、まだまだだな」
 自重気味に笑うバァルを引き寄せ、肩に腕を回してがっしりと抱き締めた。
「だれも責める前から、自分のせいだなんて思うな。おまえはひとに言われてから思うぐらいがちょうどいいんだからさ」
 けどまぁ、バァルが無事でよかったよ。
 ぱんぱんと背中をたたき、身を離した切はかすかに笑みを浮かべる。
 切の真意を知って要と朝斗がほっと胸をなでおろしたとき、彼らの様子を伺っていた騎士の1人がおどおどと近寄った。
「バァルさま……あのぅ……」
 騎士はバァルの顔色をうかがいつつ、自信なさげに視線をあちこちさまよわせながら、先ほど薬師が見せたあの草の絵を見た覚えがある気がする、と告げる。
「なんだと!!」
 鋭い声が廊下じゅうを満たした。



 授受とエマとともにシャムスは城の玄関を飛び出し、外階段を駆け下りる。
 一番下ではローザマリアが巨馬の手綱を手に待ち構えていた。彼女は確信を持ってここにいた。シャムスならきっとこうするに違いない、と。彼女はあきらめてただおめおめとその瞬間を待つような女性ではない。
 そしてローザマリアとしては、標的の1人とされた彼女を手薄な状態で南カナンまで帰らせるような危険な真似はさせられなかった。
「差し出がましいとは思ったけれども馬を用意させてもらったわ。この馬を使って。小型飛空艇の2倍の速度が出るから。見てのとおり、強靭な体をしているから、多少の無茶も平気よ。おそらくこの子にかなう脚力の馬はここにはいないわ。……本当はエリシュ・エヌマを手配したかったんだけれど…」
 言いよどみ、唇を噛む。それだけで彼女の無念さは伝わった。
 シャムスにも分かっている。エリシュ・エヌマは南カナンの守護神とも言うべき巨大飛空艦。それこそ南カナンの危機、シャムスの生命の危機でもない限り、シャムスの許可なしに南カナンから動かすことはできない。
「いや、助かった。ありがとう。だが…」
 シャムスのためらいを察して、授受はすぐさま首を振った。
「行って、シャムスさま! あたしたちはすぐ追いつくから!」
「……すまない」
「心配しないで。道中何があってもシャムスは必ず守ってみせるわ」
 授受とエマを見返して約束すると、ローザマリアはひらりと馬にまたがる。
「気性の荒い馬だけど、私と一緒に乗れば大丈夫。
 今は1分1秒が惜しいわ。一刻も早く、南カナンへ急ぎましょう」
「ああ」
 ローザマリアの差し出した手をとり、後ろへまたがろうとしたときだった。
「シャムスさん」
 階段の上からだれかが彼女を呼んだ。振り向くと、朝斗が三月ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)とともに階段を駆け下りているところだった。
 彼女に、朝斗は先の騎士がバァルに語ったことを伝えた。
「戦艦島。そこにシルバーソーンが?」
「あるかもしれない、という不確かな情報ですが、バァルさんは向かうそうです」
 朝斗は面を上げ、シャムスを真正面から見て宣言した。自分たちはここに残って、バァルとともに戦艦島へ行くことを。
「柚もか」
「はい。私、どこまで皆さんのお役に立てるか分からないけど……でも、少しでも皆さんのお役に立ちたいんです。そして、そこにシルバーソーンがあるならきっと、みんなで持ち返ってきます!」
「そうか」
 予期していたのか。きっと彼らならそう言うと思っていたというように、シャムスはわずかの驚きも見せず受け入れる。
「バァル殿の力になってあげてくれ。それから…」
 ほんの一瞬、シャムスの声がわずかにかすれ、震えたのを朝斗は感じた。
「いや、なんでもない。
 頼む」
「はい」
 言葉よりも先の震えに対して、朝斗はうなずきを返す。彼はシャムス自身よく分からない、言葉にできないもどかしさを感じ取っていた。
「振り落されないよう、しっかり掴まって」
 ローザマリアの手綱裁きに武曲の悍馬は目の覚めるような声でいななくや、トップスピードで跳び出した。
「行こう、柚。バァルさんにもちゃんと言わないとね」
「ええ」
 柚と三月は連れ立って、階段を上がって戻って行く。
 土煙を蹴立てて城門を抜けて行く馬を最後まで見送って、朝斗はつぶやいた。
「本当はきっと、あの人はここにいたいんだよ。でもここにいたって何もできないから、自分にできることを求めて、ああしてここを出て行くんだ。
 だから僕たちも頑張ろう、ルシェン。彼らのために、自分にできることを精一杯するんだ」
「ええ、朝斗」
 ルシェンが、力強い笑みで応じた。