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四季の彩り・魂祭~夏の最後を飾る花~

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四季の彩り・魂祭~夏の最後を飾る花~
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 第3章

 ――8月11日。ヒラニプラ。病院の中はとてもクーラーが効いていた。
「買い出しだ? また?」
「そうだ、まただ」
 廊下でレン・オズワルド(れん・おずわるど)に手書きのメモを見せられ、ラスは少し身を引いた。病院に来て何度目だろうか。レンはメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)からお使いを頼まれては、粛々とその任務を遂行していた。
 この時に掲げられたメモにはずらずらと品目が書かれてあり、それを暫し眺め、ラスは言う。
「……ご苦労さん」
「おい」
 レンは即座に突っ込みを入れた。時は昼間。窓の外は快晴。暦は無視するとして今は真夏。つまり、暑い。つまり、外出したくない。それは理解出来るが、つい、口から突っ込みが漏れた。
「……よくやるよな、お前」
「こういう時に、男というのは何をしたら良いのか判らないからな」
 メティスの提案で、レンはファーシーの出産に立会い兼手伝いに来た。しかし、実際に出来ることは多くない。どこまで踏み込んでいいものかも判断がつかない。つまり、言われるままに買い出しに行く他にやることもないのだ。
「正直、これで良いのか? と疑問に思うこともある。だが、出産は女性にだけ許された行為だ。男は黙って馬車馬のように働くのみ」
「…………」
「ラス……俺は考えるのをやめたぞ!!」
「おい」
 ラスは即座に突っ込みを入れた。力強く宣言したレンに、気付いたら突っ込みを入れていた。だが、同意する部分が無いわけでもない。
「まあ……な」
 レンとは逆ではあるが、極力関わらないように、と病室の周りを意味もなく歩き回っているラスも似たようなものだろう。彼の場合は考えたくない、というのもあったのだが。
 開いたドアから病室を見ると、ベッドの上のファーシーをメティスとノアと朝野 未沙(あさの・みさ)スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)、、加えてピノが囲んでいる。彼女達が手にしているのは、甘い匂いのする洋菓子だ。
『腹が減っては戦は出来ぬ、ということでドーナッツを持ってきました! 美味しいよ☆』
 と、ファミリーサイズの箱を持って元気良く飛び込んできたのは20分程前の事。同姓だし当然なのだろうが、全く躊躇というものがない。
「ドーナッツですよドーナッツ!!」
 ドーナッツを連呼しながらてきぱきとお茶の用意をし、ノアはファーシー達に洋菓子を配る。彼女を中心に場は明るい雰囲気で、リラックスムードながら――
 地に足のついた、重みに似た何かを感じられた。ドン、と構えたその様子は『狼狽』という文字とは縁遠いものだった。
 その中で、笑顔で座るメティスを見る。機晶姫であるとはいえ、少し疲れているようにも見えた。不眠という事実を知る、自分の先入観からかもしれないが。
 入院初日、メティスはモーナ・グラフトンに頭を下げていた。機晶技師兼助産婦として、ファーシーの手助けをしたい、傍に居たい、と。
『私もまだ“出産”の経験はありませんが、機晶技師としてモーナさんのサポートは出来ると思います。お願いします』
『待って待って、頭を上げてよ。機晶技師って、経験はどの位あるの?』
 慌てるモーナに、メティスはある人の魂を機晶石に宿そうと、その器を用意した事のみを説明した。個人の話であり、モーナも詳しい事情は訊かない。彼女が確認したのは、主に技術的な事だった。
『……うん。いいよ。でも、無理だけはしちゃ駄目だよ』
 最終的に、モーナはメティスに許可を出した。何より、彼女は現役のアーティフィサーなのだ。そこまで聞いて、断る理由は無い。
『ありがとうございます。――私がファーシーさんを守ります』
 その瞳には、紛うことなき意思が込められていた。それから不寝番を使い、彼女は数日間、眠っていない。レンも、彼女に暖かい視線を向けた。
「メティスの願いは、誰かの幸せを守ることだ。今彼女は、友人であるファーシーの幸せを願っている」
「……分かったよ。ここにいても落ち着かないしな」
 メティスから視線を外し、ラスは廊下を歩き出した。

「女というのは不思議なものだな。……いや違うな……女は凄いな、か」
 レンがそう話し始めたのは、買い物を終えて戻る途中の事だった。想像していた通りに外は暑く、荷物は重い。
「ついこの間まで何も知らないと思っていたのが、その身に新しい命を宿してからは次々と違う顔を見せてくれる。『母親』というたった2文字に、色んなものが含まれている。……そう、改めて感心したところだ」
 独白のようでもある。だが、多分そうではないのだろう。
「俺は契約者になってから地球に戻ったことがないが、一度くらいは帰郷して親に顔を見せても良いかなと思えたよ」
 ――俺にとっての始まり、それは、紛れもなくあの人たちが居たからこそなんだから。
 そう続けて、レンは空に浮かぶ入道雲を見る。口元にはしみじみとした笑みが浮かんでいた。彼の話は、ラスに去年の冬を思い起こさせるものだった。契約者になってから帰郷しなかったのは、自分も同じ。地球に戻ろうという気が起きたあの冬と、どこか似た感情にも思えたのだ。
 自らの始まりに不可欠だった存在なのは間違いなく、還るべき場所でもある筈の、存在。
 あの時は戻っても、居心地悪く1泊もせずとんぼ帰りしてしまったが。そしてそれ以降は一度も“降りて”いなかったりするのだが。
「願わくば、これから産まれてくる全ての子供たちに幸せな未来が訪れることを。――その為に、俺は戦い続けよう」
 真っ直ぐに雲を見る彼の目は、遥か遠くを見ているようで。それでいて、すぐ近くを見ているようで。
 サングラスをしていても、その下に浮かぶ偽りの無い決意が見て取れるようだった。

 ――だが。
「戦い続けるんじゃなかったのか?」
「それとこれとは別だ……………………」
 数時間後、分娩室の前でレンは何かぐったりとしていた。
「いたいいたいいたいいたいいたいいたいっ!!! って……あ! わたし今、痛いって言った!? 初めて! 初めてかも、これが『痛い』……あれ、前にも言ったっけ? て、だからいたいいたいいたいってばもーーーーーー!」
 ファーシーの声は、閉ざされている筈の扉を容易く貫く強力なものだった。そういうものだと分かってはいても、彼等の精神力は少しずつ着実に削れていく。
 痛いと言い過ぎて、その声はたまに、楽しそうにすら聞こえた。しかも。
「子供! 子供だぜ! いえーいいえーい!」
 大声を出すフリードリヒという輩がいてますます疲れる。彼は初め、分娩室の内側、つまりあちら側にいた。立ち会いを希望して許可されたのが、騒ぎすぎてファーシーに『フリッツ、うるさい!!』と退去を命じられたのだが。
「まぁゲンミツには俺の子じゃねーけど! カンケーねーし! 愛でるし! 愛で倒すし!」
 廊下に出てからも、その高いテンションは収まらなかった。
(当然ファーシーも愛でて愛でて愛で倒すし!! 天国のルヴィの分まで幸せにするし!!!!!!)
 内心でそんな事を考えながらも、それでいて当人は落ち着いているつもりだったりする。
「こいつ、何で追い出されたか解ってねーな……」
「まあまあ、まだ始まったばかりですし、ゆっくりと待ちましょう」
 立ち会いに来たザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が苦笑しながら言う。
「きっと、大丈夫ですよ」

『痛い』の連呼が止むと、廊下はしん、と静かになった。男達がぴたりと止まる中、ノアとピノが顔を見合わせる。だが、彼女達も声は発さない。
 扉の奥には、モーナを始めメティスと未沙、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)、またアクアがいる筈だ。他にも二名程居るが、その誰一人として、外に出てこない。
「「「「「…………」」」」」
 沈黙が重なった、一拍後。
 おぎゃあおぎゃあ、と、擬音としては馴染みの声が耳に届いた。