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太陽の天使たち、海辺の女神たち

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太陽の天使たち、海辺の女神たち
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リアクション


●Fireworks(3)

「いんぐりっとちゃん!」
 バーベキュー会場でイングリット・ネルソンに声をかけたのは、黒いまんまるな目にチョコレート色の髪、小柄で愛らしい天苗 結奈(あまなえ・ゆいな)だった。
「結奈さん、ごめんなさい。遅くなって」
 いいの、と結奈は首を振って問うた。
「どうだった? 戦い?」
「ええ、いい試合でしたわ」
 うっとりとしたような目でイングリットは言った。戦い、というのは彼女が、冬山小夜子と行った手合わせを指す。仲良しの結奈とイングリットは本日、二人で島を訪れ海で遊んでいたのだが、イングリットが小夜子に誘われ、手合わせするために一時的に別れていたのだ。
 戦いの傷を癒し、ストレッチなどをゆっくり行っていたため、イングリットが会場入りするのは多少遅れた。
 手合わせを思い出すと、それだけでイングリットの胸は熱くなる。
 あれはまさに、試合というより『死合』と呼ぶに相応しい凝縮された攻防だった。でもあの戦いでついた痣は、結奈が心配するといけないので隠しておこう。
「さあ、お腹も空きましたし、ご飯にしましょう」
「うん!」
 二人は連れだってバーベキューのコンロに向かった。

 そのイングリットたちと入れ替わるように、東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)要・ハーヴェンス(かなめ・はーう゛ぇんす)はテーブルを離れた。
「さて秋日子くん、食事も済んだことですし、浜辺で花火でも眺めませんか?」
「本当にそれきりでいいの、要? ほとんど食べてないじゃない」
「今日はあまり食欲がありませんので」
「大丈夫? 具合でも悪いんだったら……」
「いえ、ご心配なく。打ち上げを眺めたら、手持ち花火もしたいかと思って持ってきました」
 ほら、と彼は線香花火の包み紙を見せてくれた。
「それならいいけど……」
 と言いつつも、なんだか秋日子は落ち着かないものを感じているのだった。
 要の様子はやっぱり、明らかにおかしい。体調不良なんだろうか。昼間はしっかり泳いだから疲れているだけだろうか。いずれにせよ、自分を喜ばせるために無理をしているのでなければいいのだが。
 ――でも、やっぱり花火も楽しみ!
 花火を楽しめば、要も元気になるかもしれない。前向きにいこう。
 以前、要に自分の想いを告白するのにはちょっと失敗してしまった秋日子だけれど、こうして二人で遊べるのだから、今日はそのことは意識しないですごすつもりだった。
 
 イングリットと結奈は、差し向かいのテーブルで思い出話に華を咲かせている。
「それにしても、いんぐりっとちゃんの泳ぎかた、びっくりしたなぁ。あんな横向きに泳ぐんだもん」
「あれは練習中の日本古式泳法です。見た目は変わってますが、疲れにくくていいんですよ」
「立ち泳ぎも上手だし」
「武道の訓練のたまものです……あ、そうだ、今度教えてあげますね」
「ほんと!? でもできるかなあ」
「コツさえつかめば立ち泳ぎは簡単です。古式泳法のほうはちょっと難しいかもしれませんね」
 ところで、とイングリットは結奈の皿を見て、
「結奈さん、野菜は全然取らないんですね」
 えへへ、と結奈は笑った。
「野菜なんかはとらずにいい感じに焼けたお肉ばかりを狙ったんだよー。あ、いんぐりっとちゃんにもわけてあげるね。はい、あーんして」
「いえそれは……」
 と二の足を踏むイングリットなのだが、せっかく結奈がやっているのだから、と気を取り直して、
「それでは……あーん」
 と肉のご相伴にあずかった。
「それじゃあ、つぎは結奈さんが『あーん』の番です。お野菜も食べましょうね」
「えー、それは……」
「野菜を食べないと強くなれませんよ。私は格闘家ですから、日々の栄養にも気をつけているのです」
「んもう……じゃあ、ちょっとだけ……」
 これもまたいい思い出だ。
 ――いんぐりっとちゃん、楽しかったね。また一緒に遊びにこようね。

 ジャネット・ソノダ女史もこの島に招待されているということを、榊 朝斗(さかき・あさと)が知ったのはバーベキューの席でだった。
 昼間は海で遊んで、友人と会話したり、例によって女装させられそうになって逃げたり……とそれなりに楽しく過ごしていたので、ソノダが来ていることなど気づきもしなかった。
 アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)とともに着席した朝斗は、
「それにしてもルシェンの着替え、思ったより時間がかかってるな……」
 と連れのルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)の姿を探していて、ソノダの存在に気がついたのである。
 朝斗が「あっ」と小さく声を上げたので、アイビスは怪訝な顔をした。
「どうしたの? 海パンを穿きっぱなしだったことにでも気がついた?」
「いやそんなわけないだろ……っていうかアイビスのそういうジョーク、いつまでたっても慣れないよ……」
「それはどうも」
 とアイビスは悪戯っぽく笑って、
「でもルシェンなら、ちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)が付いているし大丈夫だと思うけど?」
「いやあ、これまでの経験上、なぜかそうは思えないんだよなあ……」
 一瞬、朝斗は遠い目をしたが、すぐに、「いや、それはともかく」とアイビスに向き直った。
「アイビス、ソノダ女史が来ている。御神楽環菜さんに招待されたみたいだね」
 自分たちに環菜の招待状が届いたのも予想外だったが、ソノダが来ていることも予想外だ。偶然というのは重なる――と朝斗は思う。
 彼はアイビスに言った。
「アイビス、せっかくの機会だ。ソノダ女史に会ってみたら? 話がしたい、って言ってただろ? 憶測かもしれないけれど、アイビスの過去……君のお母さんを知る手がかりになるかもしれないからね」
「うん。これを逃したら次はいつ会えるか分からない……だから会わなきゃいけないと思う」
 アイビスは真面目な顔をしてうなずいた。
 ――私の記憶に……お母さんの手掛かりになるかも知れないから。
 そして。
 エース・ラグランツたちと別れ、ラズィーヤ・ヴァイシャリーに挨拶に向かったソノダを、途上で朝斗は呼び止めた。
「ジャネット・ソノダさん、ごめんなさい。ちょっとお話させていただいてよろしいですか?」
 朝斗はアイビスともども丁寧に自己紹介した。急に呼び止めたにもかかわらず、ソノダは笑顔で応じてくれた。会場で見た印象と少しも違わない。ソノダは有名人とは思えない穏やかな口調だ。なんだかいい匂いがした。
 少し離れたテーブルを囲む。
 ソノダがしげしげと眺めているのは朝斗ではなくアイビスだった。
「あなたまさか……いえ、そんなはずは……」
「やっぱり、私のこと、なにか知ってるの?」
 アイビスは座っていた腰を浮かせた。しかしソノダは悲しげに首を振った。
「あなたのことでは、ないと思うのです。私の古い、友人にあなたはとても似ています。生き写しかと思うほど」
「その人は」
 アイビスは、一瞬、言葉に詰まった。絞り出すようにして続ける。
「その人は……私の、お母さんかも……しれない!」
「可能性はあります。あなたが彼女の……アデットの娘だとしたら」
 ソノダはアイビスの両手を握りしめていた。そして、目を潤ませてアイビスの眼をじっと見つめたのである。
「名前は……アデット・グラス。私のハイスクール時代のルームメイトです」
 ソノダが語ったアデット・グラスについての情報を簡単に書く。
 彼女はアイビスによく似た容姿をもつ少女だった。ソノダに勝るとも劣らぬ勉強家で、生物学や工学、あるいはその双方を組み合わせた科学に強い興味があったという。ソノダの親友であり、後に奨学金を得てMITに進学している。
「研究者の道に進んだはずです。はず……というのは、ある時点を境に、消息がわからなくなったから」
 最後にソノダが見たアデットは、大きなお腹をしていたという。父親については決して語らなかった。一人で子を産む道、すなわちシングルマザーを選択すると言っていた。
「その赤ちゃんが生まれたかどうかは、知りません。それきりアデットは連絡を絶ってしまったからです」
 ソノダは八方手を尽くしたが、決して彼女が姿を見せることはなかった。高い才能があったにもかかわらず、科学分野の表舞台に出てくることもなかった。
 あえて姿をくらませた可能性がある――朝斗は思った――彼女が、塵殺寺院に加わったのであれば。
 アデット・グラスの言動はソノダの思想にも大きな影響を与えているという。自分が後に女性論・家族論に興味を持ったのは、彼女のことが念頭にあったからだと思う、とソノダは語った。
「そうですか…ありがとうございました」朝斗は頭を下げた。
「なにかあれば、これを」ソノダは朝斗に名刺を手渡す。
 このとき、アイビスはただ呆然としていた。魂が抜けたように動かなかった。
「アデット・グラス……」
 聞き覚えがある。少なくとも、初めて聞く名ではない。
 ――アデット・グラス……あなたが私の、お母さんなの?
 もう一度、ソノダはアイビスの手を握った。
「アイビスさん、あなたについてのお話、聞きました。思いだしたことや、知りたいことがあれば連絡を下さいね」

 ちょうど朝斗が、アイビスを連れてソノダと話し始めたころ。
「この格好、大胆だったかしら」
 鼻歌まじりでルシェンがバーベキュー会場に入ってきた。
「あまり派手目な格好はしないようにと着てみたけど……」
 派手ではないかもしれないが、たしかに大胆かつ挑発的な衣装であった。チャイナ服。それも、背中が大きく開きスリットが深めに入ったセクシーなものだったのである。いくらか濃い目にメイクして妖艶さもひとしお。若い男性には目の毒だ。
「にゃ〜にゃにゃー」
 その肩に乗るあさにゃんは不服げである。「時間かかりすぎ!」と言っているようでもあった。
「周りの視線がこっちに注がれてる気がするわね……」
 などと、まんざらでもないルシェンであるが、
「それよりも朝斗はどこにいるのかしら……!?」
 彼の姿を探して、「えっ!?」と硬直した。
 朝斗はアイビスを連れ、ソノダ女史のところに挨拶に行っている。
『有名人のソノダさん。こちらが僕の恋人です。よろしく。そしてサイン下さい』
 なんだかそんな風に言ってそうな光景ではないか!
 くわーっ、と体温が一気に上昇する血液が沸騰しそうである。なぜ!? なぜ自分をさしおいてソノダにアイビスを紹介するというのか!?
「――私、朝斗の赤ちゃんを産むことができるわ」
 そんなアイビスの発言まで思い出されてきた。
 まさか、まさか二人で……。
 ――家族論の専門家に、赤ちゃんの作り方を聞きに行っているのでは!?
 思わず卒倒しそうになり、ルシェンは大股で手近なコンロに近づくと、そこにあったバーベキュー串を両手でガンガン取ってむさぼるように食い、会場を飛びだしてしまった……!
 あさにゃんが転がり落ちて、にゃーにゃー抗議するが聞こえない。