|
|
リアクション
真夜中近く。
月の光も届かない、緑深い緑地を足早に湖へ向かって歩く人影があった。
そしてその後ろを追いかける人影。
「待って、シュウ。行っちゃ駄目」
「まだそんなことを言っているのか」
先を行く人影――高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は、後ろから腕を掴み、それ以上前へ進もうとするのを止めようとするティアン・メイ(てぃあん・めい)の手をうとましげに振り払う。
「でもあなたはまだ本調子じゃないのよ」
「ちゃんと動けている!」
いら立ちから、噛みつくように言葉を返す。
「ここまでだって何の支障もなく来たじゃないか! 何も問題はない!」
「でも、術を使えるほどではないわ」
対照的に、ティアンは静かだ。しっかりと芯のある姿勢をとり続け、彼をさとそうとする。
「大きな術は消耗が激しいわ。今のあなたでは1〜2度が限界のはず。それもおそらく、使用後はその場から逃走することすら困難になるに違いないわ」
そのとおりだ。
「……だからどうした?」彼女の的確な読みに内心では舌を巻きつつも、強気の姿勢は崩さない。「ここは時を操る魔術師の生み出した幻のオアシスだ。ここには僕の知らない魔術体系があるかもしれないというのに? ここは明日にはまた消えてなくなってしまうんだぞ?」
「もし仮にその魔術体系がここに残されているとして、それでも今のあなたがそれを手に入れるだけの状態にないことは、あなた自身分かっているはずよ。
今回は運が悪かったわ。次の機会を待ちましょう」
ティアンはいくら玄秀が熱くなり、態度を硬化させても変わらなかった。以前のように取りすがって「お願い」したりはしないその姿に、玄秀は夜の暗さにまぎれて目を瞠る。
道中ずっと反対され続けたこともあり、カッときて熱くなってしまっていたが、一方で玄秀のなかにはこの状況を静観する冷静な部分もあった。氷のように不動なその部分は、彼女の言葉こそ正しい、と告げている。状況を見誤るな、己を客観視しろ、勝ちの薄い勝負に飛び込むな。
(――力を求めて何が悪い!? 僕は力がほしい。嫌なやつの言うことを聞かなくてすむだけの力がほしい。自分を忘れ去ったやつらに思い知らせるための力がほしい。自分を認めない連中に自分を認めさせるだけの力がほしい!
それの何が悪いというんだ……!)
ティアンと内なる声、双方から間違っていると指摘され、思わず心の奥深くでわだかまっていた黒塊を吐露しそうになり、ぐっと唇を噛み締める。
玄秀は大きく深呼吸をするように息を吐き出した。
そしてやおらティアンの腕を掴み、ぐいと引き寄せる。
「分かった。今回は諦めよう……だが、僕に意見した代償は高いよ?」
「……あっ」
次の瞬間、ティアンは仰向けに押し倒されていた。
少し息が詰まったが、下は草地である上、落ち葉が敷き詰められているので痛みはない。両足の付け根のすぐそばに、あたたかな玄秀のひざがあるのが感じられた。手がいつの間にか服の下に忍び入っている。
「どうした? いやなら抵抗していいんだぞ」
月を背にした玄秀が、覆いかぶさる黒い影となって上にいた。
言葉は乱暴なのに、声の響きはやさしい。有無を言わせず侵入しながら思いやりを感じさせる触れ方をする、この手と同じだ。
彼という人間はとても複雑で――とてもあたたかい。
「どんなときもあなたを拒んだりはしないわ。知っているでしょう?」
愛しているのよ、シュウ。
そっと玄秀の服の胸元に両手を差し入れ、肌をすべらせ、うなじへと手を回す。腕をからませ、引き寄せて、唇を差し出した。
「……ばかな女だ」
触れ合う直前、玄秀はつぶやいた。
吐息が言葉を飲み込んだ。深く舌を絡ませながら、2人は協力して互いの服を脱がせ合う。肌を触れ合わせたい、互いのぬくもりを感じたい――。すぐさま押し寄せてきた情熱は、2人にとってもうなじみのものでありながら、それでいてこれまでとどこか違うものだった。
(この子は壁を越えるのが早すぎたのよ……。だから目標を見失っているんだわ)
すべてが終わったあと。眠る玄秀のとなりで静かに月を見上げながら、ティアンは考えていた。
(私が何を口にしても、私の言葉では多分、彼の生き方を変えられない。だけど、一緒にいて精神の渇きを癒してあげることはできる。……できるはず)
そう思った直後、頭を振る。
(ばかね。思ったそばから、もう弱気になってる。
守るんじゃなかったの? 主君のために戦うカナンの騎士たちのように。たとえ思っていた道と違っても。大切な人も守れなくて、何が騎士なの?)
「しっかりしなさいティアン・メイ。守るのよ、自分の意思で!」
固く決意して、目を閉じる。間もなく、彼女の意識はこぼれ落ちる砂のように溶けていき、眠りへと誘われた。
彼女が深い眠りについたのを確信して、今度は玄秀がぱちっと目を開く。今までも眠っていなかったのだろう。身を起こし、片ひざを抱える。
となりでかすかに寝息をたてて眠るティアンをつくづくと見下ろしてつぶやいた。
「本当に……ばかな女だ」
声に笑みと、どことなくうれしげな響きを乗せて。