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リアクション
■老魔術師の塔
「わーっ! 見て見てアルくん! お月さま、あんなにおっきい!」
夜空を見上げ、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)は真上を指さした。
指の先には、彼女の言うとおり大きくて明るい月が浮かんでいる。
満月だ。
「ああ、すてきだね」
アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は湖を渡ってくる向かい風に目を細めつつ、空の月からシルフィアへと目を戻す。髪を高く結い上げ、青の着物風ドレスを着て楽しそうにはしゃぐシルフィアは、とてもかわいい。
「昔、日本に夏目漱石という人物がいてね。彼が教師をしていたとき「I love you」という英語を生徒が「我、君ヲ愛ス」と訳したんだ。それを聞いた漱石は「「月がきれいですね」と言いなさい。それで相手には伝わりますから」と言ったそうだよ」
シルフィアの着ているドレスに触発されたのか、ふとそんなことを思い出した。
「へーっ。アルくん、博識!」
素直に尊敬の眼差しを向けてくるシルフィアに、照れ照れになってアルクラントは「そんなことないよ」と返す。
2人は並んで波打ち際を歩いた。
(アルくん、そんなことないって言ったけど、やっぱり物知りよね)
シルフィアはさりげなく湖側についたアルクラントを見上げて思う。これだって、彼女が濡れないように配慮しての行動だ。
自分は恋人だけど、そういう欲目を差し引いても、アルクラントはかっこいいと思う。物腰はやわらかいし、紳士だし、親切だ。外見だっていいし。
だれが、いつ、アルクラントを好きになったって全然おかしくないのだ。
(もしそうなったらどうしよう! すっごくきれいな人とか、それこそ中身もすてきな人が現れたりしたら、ワタシなんかじゃ勝ち目ないかも…)
「どうかした? シルフィア。そわそわして」
急に落ち着きをなくしたシルフィアに気付いて訊く。キッと表情を引き締めて、シルフィアは言った。
「アルくん、いっぱいごはん食べて、おなかぷにぷにになって!」
「ええ!?」
「おなか枕にして、ワタシ一緒にお昼寝するから!」
「えーと……。シルフィア、太った人が好きなの?」
「そういうわけじゃないけど……でもアルくんなら、太っても好きよ?」
つまり、太ればアルクラントに色目を使う女性は現れなくなる、という結論に至ったわけだが、いきなりそこだけ聞かされたアルクラントには何が何やらさっぱり分からない。
太れと言って、太った人が好きなわけでもないって、どういうこと?
「え、えーと、えーと……。
あ、シルフィア。あそこにだれか立っているみたいじゃないか?」
にじり寄ってくるシルフィアにアルクラントはちょっとあせりつつ、きょろきょろ周囲を見渡して、とっさに前方の人影を指す。人影は湖に向かって身じろぎもせず彫像のように立っている。
「え? あら本当」
「昼間見た顔、ではないよね? 何かわけありのように見えないかい? 行ってみよう」
シルフィアの気がそれたことに内心ほっとしつつ、アルクラントはそちらへ近付いた。
立っていたのはカナン人の服装をした歳のころ19〜20歳の青年で、名をジャファルと名乗った。
近づくまで気が付かなかったが、彼の影に隠れる位置にはクレア・ラントレット(くれあ・らんとれっと)がいて、2人にかいつまんで説明をした。そして彼らは今、協力者を募っていて、彼らが来るのを待っているところだという。アルクラントたちはそのことを知らなかったから、たぶん散歩に行こうとキャンプ地を離れたとき、彼らと行き違いになったのだろう。
「1時間?」
「はい。あの小島にある塔に月がかかっている間だけ、塔に入る入口が現れるのです」
ジャファルが答える。
「数十年で3日間現れる幻の湖に、1時間だけ入れる塔か。なかなか厳しい条件だね。でも、行くのか」
「はい。ずっとこの時が来るのを待っていました」
思いつめた顔をして、塔に月がかかるのを待っているジャファルの横顔に、アルクラントは何かひらめいたような顔をしてウエストポーチを探った。中からアル君人形ストラップを取り出してジャファルに手渡す。
「あの搭に挑むきみに、こいつをプレゼントだ。アル君人形ストラップ!」
「アル君人形……?」
「こいつは『素敵』に出会いやすくなり、それ以外を遠ざける。
1個999ゴルダ――と言いたいところだが、御代はきみがきちんと目的を果たすことだ」
「え?」となったジャファルの肩をパンとたたくアルクラントを見て、シルフィアは、私用のスーパーアル君人形って作ってくれないかしら? とぼんやり考える。
「私たちで力になれることなら全力で手伝おう。な? シルフィア」
振り返り、当然と疑いもしない目で見つめられて、シルフィアは笑顔でうなずいた。
「もちろん。ワタシも協力するわ」
囚われのお姫様を救いに搭を上る、なんて、お約束だけどやっぱり憧れるし。それに、やっぱりこういうお話はきれいに終わらなくちゃ。
それってとてもすてきなこと。
アルクラントとシルフィアは通じ合ったようにほほ笑み、見つめ合った。
「伝説の偉大な老魔術師、ね。まだ生きていたのね」
ジャファルたちのいるビーチへ集合したリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は、ぽつり、そんな感想をもらした。
実はこのオアシスの伝説について、リカインは昼間のうちに北カナンの女神官で友人の神官 ニンフ(しんかん・にんふ)からある程度話を聞いていた。エメラルドグリーンの湖の中央にある小島、そこに1つだけ立っている塔――しかも遠くから見た感じ、窓らしきものは一切ない――、好奇心をそそられないわけがない。
『ハディーブはとても強力な魔術師でした。そのため、カナンの歴史書にたびたび登場しています。このオアシスもそのうちの1つです』
一緒に泳いだあと、休憩をとりながらニンフはリカインからの質問に答えた。
『数十年に1度現れる、ということは、普段はどこにあるのかしら?』
『さあ? 記録によれば、現れる場所もいつも違うようです。西カナンであったり、北カナンであったり。ある日フッと現れて、4日目の朝日が現れると同時に消えるそうです』
『そんなものを生み出したっていうことは、やっぱりすごい魔術師なのね』
『そうですね。天才だったのでしょう』
その言葉にふと、リカインは塔からニンフへ視線を移す。
『もしその老魔術師があの塔にまだいたとして。ニンフくんだったら、お姫さまを助けられる?』
ニンフはかつて奈落人アバドンに乗っ取られていた過去があった。その理由は複数あり、北カナンの神官であるという立場もあるが、一番の理由は彼女の持つ稀有な才能にあった。ニンフには潜在能力が並はずれてあり、その魔力を高める修行をし、用いれば、きっとカナンでも伝説的な魔術師として名を馳せるに違いなかった。ハディーブに匹敵する人間はカナンにおいてニンフしかいない――すべて、彼女がその気になれば、という前提の元だが。
ニンフは少し恐縮そうにほほ笑んで、そっと首を振った。
『それはおとぎばなしです、リカインさん。この地はたしかにハディーブの生み出した魔法によって構成されていますが、いずれは編み込まれた魔法もゆるみ、ほどけて散っていくでしょう。数十年後か、数百年後かは分かりませんが』
ところが、さらわれたお姫さまはおとぎばなしなどではなかったというわけだ。
「そろそろ小島へ向かいます。皆さん、準備をお願いいたします」
ジャファルを乗せたクレアの幼き神獣の子がふわりと浮き上がる。
結構な人数が集まった周囲におどおどびくびくして、リカインの服のすそを握りしめている禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)を後ろに乗せて、リカインの小型飛空艇アルバトロスもまた浮上する。
ほうき、小型飛空艇などなど。さまざまな乗り物を駆使して、幼き神獣の子を先頭に一行は塔のある小島へ向かって飛んだ。