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リアクション
渡る風が湖面に生み出したさざ波によるハレーションに目を細め、色とりどりの個性あふれる薄絹をまとって遊泳やビーチでのひときを楽しむ面々。そこかしこでたわいのない笑声が響いている。
しかしそんな光に満ちあふれたバケーションを楽しむ人々の声も届かない緑の奥では、人知れず闘いが勃発していた。
「……くそったれが」
荒い息を吐き出す間に間に、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)はつぶやく。
今季節は夏で、ここは緑地。赤く燃えた太陽は真上にあり、周囲に満ちた湿度を思えば彼が汗だくなのは分かるが、まるで着衣水泳をしたのではないかと思えるほどぐっしょりと濡れ、尋常ならざる息をしていることの説明にはならない。
一体どれだけの時間、そうしていたのか。
声はかすれ、カラカラに乾いたのどを熱い呼気が通るたび、血の味が口内に広がる。
一刻も早く息を整えなくては。
こめかみの脈拍をさながら金づちで殴打されているかのような頭痛のように感じながら、竜造は必死に集中力を保とうとする。
あせりからか、無意識的に握り直した手のなかで、超重量を誇る巨大剣斬撃天帝の柄が滑った。
「ちッ」
手汗をかいているのを見て、服でごしごしこすり取る。そうする間も周囲の警戒は怠らず、行動予測を働かせるが、杳としてカイン・イズー・サディクの気配は掴めず、まとった服の端、褐色の肌の影すら見つけられない。
この場所を戦いの場に提示したのは竜造だった。
正確には「選べ」と言ったのだ。「俺ぁどこでもいい、てめぇの戦いやすい場を選べ」と。
カインは主君バァル・ハダド(ばぁる・はだど)の護衛者としてこの地に来ていた。任務中に主君の元を離れることなどあり得ない。通常ならば。しかし見せつけるように彼が胸ポケットから取り出したコインがあった。
かつてカインが肌身離さず持っていた物。先日の戦いで、竜造に預けた物だ。数千年の間、さまざまな人の手を介して伝わったコインの両面には深浅の傷やへこみがついているが、サディク家の紋章は今もくっきりと刻まれている。
それを目にしたカインの目が、わずかに締まった。面は変わらず無表情で、ほかの者であれば見落としてしまいそうな些細な変化だが、カインを注視してきた竜造ならば分かる。
――食いついた。
確信した竜造は、フ、と薄い笑みを浮かべた。
『このコインはどのみちおまえの手元には戻るから安心しとけ。おまえが俺を殺せば、おまえの言葉どおりおまえの手元に返る。おまえが俺に殺されれば、俺がてめえの墓穴にぶち込んどくから結果的に手元に戻る。
このコインにどんな由来があるかしらねぇが、返してもらうと言った以上なにかしら特別なもんなんだろ? こうすりゃどっちにしてもおまえは目的を果たせる。よかったなぁ』
この言葉は間違いなく、カインを本気にさせた。
だがあれから時間が流れ、死にかかっているのは竜造の方だった。
密集した木々が乱立する緑地という動きが大幅に制限される場において、暗器使いの手練れを相手にする恐さを真の意味で理解していなかったことを、竜造は今、身をもって学んでいる最中だった。
視力、聴力はほぼ役に立たない。死角が多すぎる上、気配を探るにはここはうるさすぎる。
しかもカインは高速攻撃の使い手だった。木の幹や枝、岩を足場にして立体的な動きを可能とし、360度あらゆる角度からヒット・アンド・アウェイ攻撃をしかけてくる。視認し、反応していては攻撃をかわすことはできない。
となれば、竜造に残された選択肢はひとつだった。
「どうした!! 自慢のクナイもタマ切れか?」
ぐいっと口元をぬぐい、どこかで聞いているに違いないカインをせせら笑う。
「スタミナでも切れたか? 俺ぁまだこのとおり、ピンピンして立ってるぜ!! もう十分休んだだろ? 来いよ、オラァ!!」
挑発に乗り、繰り出される一撃に対するカウンター。これに賭けるしかない。
賭け金は己の命だが、そんなことは先刻承知だ。
「!!」
あるかなきかの気配を感じてふり仰いだ先、竜造めがけてクナイの雨が降りそそぐ。
カインは量で押し切ることはない。これをかわそうと後方へ跳べば、体勢が崩れたそこをねらっての一撃がくるに違いない。
その場に踏みとどまり、すべて斬撃天帝の面でたたき落とそうとするが、微妙な時間差をつけて投擲されたクナイは全てを防ぎきることはできなかった。
頭、心臓、急所を確実にカバーした竜造の体を鋭い刃が切り裂き、突き刺さる。耐えきったが、直後目がくらんだ。軽いしびれが傷口から広がって、平衡感覚がおぼつかなくなる。
「くそ、毒か!」
クナイの刺さった右足のひざが崩れ、落ち葉の上ですべった。
直後、頭上から人影が落ちる。
「来やがったな!!」
ぼやける視界を振り払うように頭を振り、竜造は逆光に黒い影と化したカインをにらみ上げた。野獣のように牙を剥き、斬撃天帝で迎え撃つ。いくら高速で動けようと、人の身である限り宙に飛び出せばあとは落下するしかない。このような狭所では動きを制限されて、これまで本力を発揮できずにいた斬撃天帝も、これならば邪魔となるものはないだろう。
「うおらああっ!!」
剣風を巻き起こし、うなりをあげて斬り上げられた斬撃天帝を前に、しかしカインの冷酷無比な無表情はわずかも揺らがなかった。くるっと回転し、面を踏む。同時に彼女がねらったのは斬撃天帝ではなく、それを持つ竜造の指だった。
しなる鞭のように繰り出された強烈な蹴りを、竜造は視認できなかった。ゴキッという音が骨を伝って脳に牙を立てる。
「……ガッ!!」
人が肉体を鍛えるなかで、鍛えられない箇所の1つが指だ。雷撃のような激痛が走り、斬撃天帝がこぼれ落ちる。だがその痛みが毒によるおぼつかなさを一蹴した。
カインはたしかに強い。しかし捕まえてしまえばこっちのものだ。格闘技は体格差がものを言う。
竜造は瞬時に錬鉄の闘気を発動させると足元に転がる斬撃天帝には見向きもせず、まっすぐカインを見据えて手を伸ばした。
しかし手はすり抜け、竜造と重なった瞬間に宙へ溶けるように消える。
「なに!?」
ボスッと草むらに落ちた木の枝。
「変わり身――」
瞬間。
うなじで耐えがたい痛みが爆発した。
一瞬の隙をついたカインのひざが入ったのだ。
竜造は声を出す慈悲すら与えられず、斬撃天帝の横にひざから崩れ落ちて転がる。だがそれでは終わらなかった。直後、ドスッという重い衝撃とともに心臓の横ギリギリをかすめて刺突が入る。走る激痛に竜造はカッと目を見開き意識を取り戻した。
「…………っ!」
歯が砕けるのではないかと思うほど噛み締めても、決して悲鳴は漏らさない。
カインは独自の武器――刀身が黒く細い中刀――で竜造を地に縫いつけたまま、立ち上がる。
そしてここに至り、初めて口を開いた。
「おまえは武器に頼りすぎだ。己を過信しすぎてもいる」
カインの細く、傷だらけの指先が、揺れる竜造の視界に下りてくる。そして闘いのさなか胸ポケットから転げ落ち、草むらになかば埋もれるようにして転がっていたコインを拾い上げた。
「……くっ…! 殺せ……なぜ、とどめを、刺さねえ…っ!」
ひじを立て、わずかに起こした頭でカインを見上げる。カインの水色の瞳はいつもに増して無情で、容赦もなく。何も語りかけはしない。だからこそ、分かった。「それくらい、自分で考えろ」と。
次の瞬間、カインの姿はその場から消えた。おそらくは、主君の元へ帰ったのだ。
「く……そっ……たれ」
背中に手を回し、感覚の失せた手でどうにか刀を抜く。それを投げ捨てるとそのまま倒れるように仰向けになって、竜造はふうと息をついた。
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