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そして春が来て、君は?

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そして春が来て、君は?

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2.


 その頃レモ・タシガン(れも・たしがん)は、タシガン市街地にあるとある店にいた。
 最近出来たばかりのカフェで、雰囲気が良く落ち着いた店だと、薔薇の学舎の生徒たちからも評判だ。
 いつもはつい喫茶室にばかり行っているが、たまには外の店に行くのも気分転換になる。なにより、理由としては。
「久しぶりね、レモ」
「お久しぶりです、祥子さん」
 この店で、レモは祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)と待ち合わせをしていた。
「わざわざごめんね。メールでもよかったんだけど、……やっぱり、ちゃんと顔を合わせたくて」
「僕も、会いたかったですから。こちらまで来てくださって、本当にありがとうございます」
 和やかにそう言うレモは、最初に会った時に比べて、本当に大きくなったと改めて祥子は思う。
 その上で、今の彼にだから、話したいことがあった。
「それで、お話って……」
「ああ。まずね、この春から百合園で正式に教師として働くことが決まったの」
「そうなんですか! おめでとうございます」
「ありがとう。まぁ、教科の担任を持つかどうかはまだわからないけど、何かあったらすぐにっていう身軽さがなくなっちゃうのは確かね」
「そう……ですよね」
 それが、責任ということだろう。レモは少しだけ寂しげに頷いた。
 そんなレモにむかって、ことさらざっくばらんな口調で、祥子は切り出す。
「私ってさ。嫌なことから逃げて、ずっと行き当たりばったりで生きてきたのよね」
 唐突ともいえる祥子の言葉は、しかもレモが抱く彼女のイメージとはひどく乖離していて、レモは目を丸くして彼女を見つめた。
 そんなレモに、祥子は微苦笑を浮かべる。
 実際、パラミタに来たのは、親に勧められた縁談が嫌で、逃げ場を求めた結果だったのだ。生活の糧を求めて教導団に入ったのに、決してネガティブな理由ではなかったとはいえ、任務を放棄してその立場を放り捨てたりもした。
「人生って不思議なものよね。逃げたはずの嫌なこと……結婚と向き合って、それを受け入れちゃうようになったりさ。以前は、『しなくちゃいけないこと』は、任務として与えられるものだったけど、教師になりたいって……やりたいことができたら、『しなくちゃいけないこと』が自然とわかって、できることも任務から勉強に変わった」
「そう……なんですね」
「んー、なにが言いたいかって言うと……心持ち一つなのよね。嫌なことを昇華するのも、自分の進むべき道を見つけるのも」
 きっかけはなんでもいいのだ。そうしたいと思ったときに、躊躇わず一歩を踏み出せるか。それが問題だと、祥子は思う。
「それで、祥子さんは……結婚も、仕事も、見つけたんですか」
「そういうこと」
 結婚に関しては、少し照れたように祥子は笑った。
「でも、レモならきっと大丈夫だと思うわよ」
 そう、レモを勇気づけて、その後も二人はあれこれとお喋りをした。時には声をあげて笑い、時にはしみじみと懐かしみながら。
 別れ際、店の前で、祥子は改めてレモに言った。
「これからは会える機会がずっと減っちゃうと思うけど、お互い頑張りましょう。したいことのために、なりたい自分のためにね」
「はい。……僕にとっても、祥子さんは尊敬できる先生です。これからも、そう思っていていいですか?」
 レモの申し出に、祥子は少し驚いて、それから。
「ええ、もちろん」
 そう、握手をかわして、二人は別れたのだった。

(……したいことのために、なりたい自分のために)
 薔薇の学舎への帰り路の間、レモは心の中で、その言葉を幾度も反芻していた。
 祥子が忙しい中、時間をさいて来てくれたことは本当に嬉しかったし、その分、渡された言葉の想いを、レモは真剣に受け止めている。
「やっぱり……言おう」
 ――それは先日、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)らと話し合ったことでもあった。



 薔薇の学舎の一角。泰輔に呼び出され、レモは小講義室の一つへとやって来た。
「泰輔さん?」
「おお。よー来た。ほな、さっそく初めよか」
「え?」
 見れば、泰輔だけではなく、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)といった面々がずらり居並んでいる。なにごとなのだろう? とレモは思わず訝った。
「あの、みんな、どうして……」
「レモさんに一度、ブレインストーミングをしていただこうと思いまして。どうぞ、こちらに。準備は整えています」
「ぶれーんすとーみんぐ??」
 聞き慣れない言葉に小首を傾げ、レモはその単語を繰り返した。
「まぁまぁ。そう緊張しないで。リラックス、リラックス〜♪」
 フランツが歌うようにそう口にして、レモの両肩に手をおき、用意された椅子へと案内する。すとん、と椅子に座ると、机の上にはペンとたくさんのメモ用紙が用意されていた。
「ブレインストーミング。本来はグループで行う会議の方法ではありますが、個人で考えをまとめるためにも、有効な手段です」
「あ……」
 レイチェルの説明に、レモはぴんときて、泰輔の顔を見た。
 たしかに先日、これからについてジェイダスに相談しに行こうと思っているとは話したけれども。でもこれが、どう繋がるのだろう。
 すると泰輔は、レモにむかってニヤリと笑い、口を開いた。
「ジェイダスはんに相談したいと思てるて、言うてたやろ。けど、そこそこ本人の問題意識や適性の自己分析がない状態で相談にいっても、お忙しい人の時間を無駄に非効率に取るだけやし、その結果、ジェイダスはんから「しょーもないヤツ」やとおもわれたらかなわんがな」
 肩をすくめる泰輔に、たしかに、とレモは頷く。
「ジェイダスはんは、ためになるヒントは必ずくれはる。けど、ヒントの精度を求めるんやったら、自分の方で「問い」をきちんと練り込んで用意していくんがええね」
「そう、だよね。ジェイダス様もお忙しいんだから。……それで、これを?」
「まぁ、そういうことや」
(……実際のとこ、きちんとした問題設定ができたら、それは半分以上解決してるっちゅうこっちゃけど、そういうのは、まだレモにはワカランやろなあ)
 内心で呟き、泰輔は密かに苦笑する。
「あんな、レモ。世の中には、『聞いてもワカラン、でもって説明されても理解できひん人種』っちゅうのが残念やが確実に存在してる。どういうことか、っちゅうと……」
 一端言葉を切り、たとえば、と泰輔はまず指を一本ぴっと立てる。
「その問題に対して自分自身できちんとアプローチして考え抜いた上でワカラン、どのようなコトバで表現すればいいのかワカラン、という連中は、表現の仕方がワカランだけで、問題の所在等の整理は自分の中でついてる。だから、既に中に『きちんと形作られた答え』はないにせよ、そういうモンは、一度聞けば理解できる」
 続いて、二本目の指をたてて。
「これに対して、『聞いても理解できひん連中』っちゅうのは、結局自分のアタマでちゃんと問題にとりくんでない。『わからへん、わからへん、難しすぎてわからへん』…ちゅうて、問題の理解、所在を分析できてない、文字通り『わからんヤツ』やから、先生から『答え』を聞いても、実は何が問題だったかさえ理解できてないからわからへん。レモ、そんな阿呆にはなるな。ジェイダスはんに相談する前に、自分の問題の整理や」
「……うん」
 泰輔の鋭い指摘に、レモはごくりとツバを飲み込み、深く頷いた。
 たしかに、今の自分は、『わからない、わからない』と繰り返しているだけだ。これじゃあ、ジェイダスの前にいっても、ただ愚痴をこぼすだけのようなものだろう。
「お手伝いします。とにかく、やってみましょう」
 落ち込むレモに、レイチェルがそう促す。
「ブレーンストーミングですから、思いついたことはとにかく一度は書きだしてみて下さい、思いつく限り」
「したいことを、書けばいいのかな」
「いえ、それは次の段階です。今のところは、とにかく思いついたことを全てでかまいません」
「恥ずかしいことやったら、見てへんフリするから、気にせぇへんと書いてや」
「う、うん……」
 そう言われると、かえって書きにくい気もするが。
 とにかく、レモは思いついたことを、手当たり次第メモに書いていった。『これから先が不安』『タシガンを守りたい』『カルマは育つのかな』『カールハインツはどうするのかな』『イエニチェリの今後の役目』……雑多な書き付けは、最初はゆっくりと、次第にスピードをあげて、山積みになっていく。
「ではこれを、『どうしたい』のかと『どうしてそう思うのか』とか、書きだしたカードを吟味分類して系統立てて分析して行きましょう?」
「う、うん」
 正直、書いているうちに、自分でもびっくりするような文章もあった。こんなことを考えていたのかと、驚いたくらいだ。
「嵐のように荒れ狂う心の中も、先人の開発した手法で分析し整理して理解を深めることができますよ」
「そう、だね。えっと……これは……」
「一通り分析図ができたら、さらに『それは何故?』と疑問を差し挟める個所は面倒くさがらずにぎりぎりまで考えましょう。つらい作業ですが、前進するには必要な手順ですよ」
 レイチェルの指示に従い、時間をかけて、レモは頭の中を整理していく。
 やがて、雑多な紙の束は、関連性をもったグループへとわけられた。さらにそれ同士を、相関関係を考えて配置していく。
 レイチェルの言うとおり、たしかに、なかなかに根気のいる作業だ。しかしそれを、泰輔たちの手を借りて、レモは黙々とすすめていった。
「さて、次だね! 『何になりたいか』『何がしたいか』が判ったら、そうなるための自分の能力・才能や意欲の棚卸だ。意欲「だけ」では満足の行くところまで駆けあがれないケースも多々ある。才能はすなわち適性ともいえるね」
「フランツさんに言われると、真実味が違うね……」
「まぁ? やりたいことと適性が一致してれば言うことはないけど、スランプの時はつらいよ?」
 たしかに、それはそうかもしれない。
「僕の才能、かぁ……」
 あるのかな、とレモは思う。かつては確かに、ナラカの黒き太陽からのエネルギーを利用するという能力はあった。だがそれも、今となっては無効だ。
 ある意味、『どうにでもなれる』存在にはじめてなったからこそ、レモは悩んでいたのかもしれない。
「僕もあまりそういうのは得意じゃなかったけど、適性や運に恵まれてなかったら、面倒見のいい友達をゲットするってのも学生時代ならではのチャンスでもあるよ。それにレモは、友達にはもう恵まれてる」
 ウインクされて、レモは笑って頷いた。友人、というにはもったいない気もするけれど、こうして時間をさいて、面倒をみてくれる人たちがいるのはとても幸せなことだ。
 そうして、話し合って、いくつかの『問題』にレモはたどり着くことができた。
 一つは、『自分はタシガンの守護者として、もっとタシガンの人々に深く関わっていきたい』ということ。
 一つは、『イエニチェリとして胸を張れるよう、ルドルフ校長の仕事を自分からサポートしたい。そのために、事務関係の書類についても勉強する』
 そして最後は……。
「…………」
 『カールハインツと、この先も一緒にいたい』
 しかも、その想いの優先順位は、かなり高かった。
「ご、ごめんなさい。なんか、こんなのが残って……」
 顔から火が出る思いで、レモはしきりに恐縮する。だが、「いっとう良いことではないか」と口にしたのは、顕仁だった。
「でも、なんか、……僕は最初から、薔薇の学舎のみんなや、タシガンの人にいっぱい迷惑かけてきてるし……なのに、こんな自分の感情が優先とかって」
「それの何が悪い? 『何にでもなれる』というのは、我としては少しうらやましい人生であるの。出自によって、歩かねばならに人生を規定されてあることを思えば」
「顕仁さん……」
 申し訳なさそうな表情を浮かべたレモに、顕仁は優雅に微笑みかけ、言葉を続ける。
「その幸運は、存分に楽しむがよい。『おのれが何ゆえに生まれたか?』などは、知ったことではない。おのれに責任のない事項であるのだからな。友のために生きるも、尊敬すべき師のため生きるもよい。……愛する者のために生きることは、なおのこと良かろうよ。愛を知りもせで、死の正しい犠牲の量を知ることもできまいよ」
「……」
 たしかに、それは一理あるとレモにも思えた。
 もしも他の人が、感情や愛情を置いてきぼりにして生きようとするならば、レモだって、きっと止めたと思うからだ。
 それならば、……思い切って、カールハインツとの関係をはっきりさせたい。
 レモは、そう、心に決めた。
「ありがとうございました。かなり、頭の中がすっきりしました」
「よかった」
 晴れやかな笑顔に、泰輔たちは皆微笑む。ただし。
「レモ。もし『愛し方』が判らぬのなら、我が手づから教授してやってもかまわぬぞ?」
「あ、え、い、いえっ! それは以前、ジェイダス様に教えてもらったから……」
「え!!??」
「あ!!」
 顕仁に色っぽく囁かれ、慌てるあまり思わず口走ったレモの衝撃的告白に、さすがに一同のほうが驚く。
「わ、忘れてっ! その、一回だけだからっ!」
「いつのまに……さすがジェイダスはんや」
 真っ赤になるレモをよそに、妙にしみじみと、泰輔は感心するのだった。



 泰輔も、祥子も、手段は違えど、レモに同じことを教えてくれていた。
 自分の想いに、はっきりと、正直になること。
 ならば、みんなの恩に答えるためにも、覚悟を決めよう。
 ……カールハインツを探そう。そして、ちゃんと、告白するのだ。
 そう、レモは決意を胸に秘めて、薔薇の学舎の門をくぐった。