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そして春が来て、君は?

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そして春が来て、君は?

リアクション

「ジェイダス様を?」
「はい。彩々に、お招きできないでしょうか」
 校長室でルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)に面会をした梓乃は、そうルドルフに切り出した。
「まだ、レモが直接、ジェイダス理事長から合格の言葉をいただいていない気がするので……タシガンやバラの学舎の変化の一つとして、理事長に見ていただけたら、と思って」
「たしかに、それはそうだね」
 ルドルフは首肯した。よく考えてみれば、レモが育ってからというもの、ジェイダスとゆっくり過ごしてもいないはずだ。
「わかった。私から、お願いしてみるよ。……気づかせてくれて、ありがとう」
 仮面越しに目を細め、ルドルフは梓乃の心遣いを賞賛してくれた。

 そういった経緯があり、梓乃は始終ちらちらとドアに目をやっていた。すると。
(……あ)
 人影を認め、ドアへと急ぐ。
 「ようこそ、彩々へ」
 にこやかに出迎えた梓乃は、「こんにちは、梓乃ちゃん」の言葉に驚き、それからはっと口元に手をやった。
「久しぶりだねー、元気だった?」
 にこにことそう言う、アステラ・ヴァンシ。今日はどうやら、約束があって、彩々にやってきたようだ。店内に先に居た生徒にむかって、ひらひらと手を振っている。
「アステラさん、こんにちは……」
「こんにちは。ごめんね、今日は先約があって。……また遊ぼうね♪」
 ウインクをして、アステラはいそいそと待ち合わせのテーブルに向かう。わかってはいたが、プレイボーイな人だ。飄々とした背中にむかって、梓乃は「うぅ……」と小さく唸った。
(遊びたいけど、釘刺されちゃったしな〜)
 アステラとしては後ろ髪をひかれるが、仕方がない。
 タシガンの屋敷で、先だって過ごした夜のことだ。
「「最近、ルドルフの手足として働いてるんだって? そういえばキミ、シノにちょっかい出したでしょ。どういう考えか聞かせて欲しいなぁ」
 ティモシー・アンブローズ(てぃもしー・あんぶろーず)が誘い出したのは、そういう理由だったかとアステラは苦笑する。
「手をだしたのは可愛いかったから。ルドルフを手伝ってるのは、暇つぶし」
 たしかに明快で簡潔だ。「なるほど」とティモシーも肩を揺らし、それ以上は追求しなかった。
 永遠の時間を倦怠で過ごすことがどういうことかは、お互いよくよくわかっている。
「暇つぶしなら、こっちを鎮めてくれるっていうのはどう?」
 長いすに腰掛けたアステラの膝の上に足を開いて座り、ティモシーが媚態もあらわに誘いかけた。
「下品なことを言うね」
「お上品ばかりも、退屈じゃない?」
 月明かりの下、二人の吸血鬼は寄り添いあった。妖しく赤い瞳が光り、青白い肌は熱を帯びてもなお白い。
「……久しぶりだけど、美味しいね」
「健康的だからかな。このところ」
 ふふ、と密やかに笑いあう。血と精のどちらも混じり合わせ、啜り合う睦み合いは、ひどく淫猥で濃厚だった。
 しかしそれも、しょせんは退屈しのぎなのだ。この二人にとっては――。

「アステラさん?」
「あ、ああ。ごめん。あんまり君が可愛いから、つい見惚れてた」
 淫らな回想に耽っていたことはなどひとつも感じさせず、アステラは今日の暇つぶし相手にむかって、無邪気に微笑んでみせるのだった。



「今日はありがとう。勉強になったよ」
 彩々のテラスでは、清家安彦が、エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)リュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)に感謝を述べていた。同じテーブルでは、カルマ・タシガン(かるま・たしがん)が椅子にちょこんと腰掛け、足をぶらぶらと揺らしている。少しお行儀は悪いが、テラス席ということで、大目に見よう。
「いえ、お役に立てたならなによりです」
 エメはそう微笑んむ。
「楽しかっタ!」
 カルマも相変わらず枕がわりの羊のぬいぐるみを抱き締め、にこにこと笑っている。
 今日は、新たに薔薇学の教師になるという清家と、新入学のカルマに、エメとリュミエールが改めて校内案内をしてあげていた。
 最後はやはり、この喫茶室だろう、ということでやって来たわけだ。
「知ってはいたけど、改めて、華やかで素晴らしいところだね」
 清家が感嘆のため息を漏らす。
「清家さん、先生になったらおしゃれも頑張ってね。見ての通り、僕みたいな美形も普通になっちゃう環境だから」
 リュミエールがそう口にして、ウインクをする。
「……頑張るよ」
 どちらかというと研究一筋で、今もくたびれたスーツ姿の清家は、弱りつつも頷いた。
「アのね、ボク、ここのケーキ、大好キなノ」
 だから一緒に食べよう、とカルマは清家にメニューを開いて勧めている。
「どれがいいの? 選びきれないなら、私がそれを頼むから、半分あげるよ」
 清家の魅力的な提案に、途端にぱぁっとカルマの表情が輝く。
 相変わらず、二人は相思相愛といってもいいほどの仲の良さだ。ただ、それが、エメとしては多少気がかりでもあった。
「お気に障ったら申し訳ありませんが、清家さんが教師になるお話、とても嬉しいですが、少しだけ心配です」
「……信用は、しにくいだろうな。たしかに」
 かつて、清家がしたことは、薔薇の学舎の生徒であればほとんどが知っていることだ。表情を曇らせる清家に、「いえ、そちらではなくて」とエメは穏やかに訂正する。
「教師という立場ですと、やはり公平が求められますから、カルマ君だけを見ることもできませんし、カルマ君にしても、気兼ねなく甘えることは出来ないかと」
「ああ……」
 清家は頷くと、気恥ずかしそうに頭をかく。きょとんと目を丸くしたのは、カルマだった。
「イケないノ?」
「まぁね。おおっぴらに可愛がったりはできないから、寂しいかもね」
 リュミエールの言葉に、しゅんとカルマはうなだれてしまう。
「……たしかに、私はカルマを可愛いと思っているよ。でも、公私のけじめはきちんとつけるつもりだ」
「そうですか。でも、それでしたら……二人がもしよければですが、清家さんがカルマ君の保護者になったらどうでしょう?」
「私が?」
「ええ。レモ君も、外見は成長したとはいえ、まだ少年には違いありませんし」
「だ、だが……」
 清家はあからさまに狼狽え、うろうろと視線を彷徨わせてしまう。そんな清家に、「もー」とリュミエールは余裕を感じさせる笑みを浮かべて。
「清家さんは、カルマ君とどうなりたいの? もっと、一緒にいたいんじゃない?」
「それは、その……」
 ますますたじろぐ清家に、だが、カルマは彼を見上げて小首を傾げる。
「だメ?」
「…………そう、だね。考えておくよ」
 カルマにねだられては、しょせん清家は弱い。困りながらも頷き、カルマの髪を撫でた。
 そこへ。
「久しぶりだな、皆」
 庭に咲く薔薇よりも艶やかで、太陽よりも眩しいほどの存在感をまとわせ、凜とした声が響いた。
「……ジェイダス様!」
 いち早く立ち上がり、エメがジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)を出迎える。薄紫と濃紫を重ね、そこに金糸銀糸の刺繍を施した派手な着物に、長い髪を結い上げ、相変わらずぞっとするほどの美少年だ。
 清家たちも立ち上がり、彼を出迎え、挨拶をかわした。
 そして、その彼に寄り添う、もう一つの夜の華こそ、吸血鬼の王にしてタシガン領主、ラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)だ。
「ラドゥ様、会えてよかった。今日も綺麗だね」
「当たり前だ、馬鹿者」
 微笑むリュミエールに、ラドゥはいつも通り素っ気なく返す。だが、かつてリュミエールが贈った茜地に黒いバラの染め物のストールを巻いている。それだけで、リュミエールには十分だ。
「使ってくれてるんだ、嬉しいな」
「たまたまだ。……まぁ、物は悪くない」
「ありがとう。僕ね、紺屋になろうと思ってて。ラドゥ様に気に入ってもらえたなら、自信もっちゃうな」
 それが、リュミエールの『これから』の夢だった。植物の美しさ……花咲くそのときだけではなく、内側に秘めている様々な色までも、伝えていきたいと思うからだ。できればそれで、もっと人と植物が仲良く栄える世界になればいい、と。
「そうか……」
「あ、でも、卒業しても足繁くここに来ても問題ないよね? アトリエは近くに作る予定なんだ。だって、毎日ラドゥ様に逢えないと、僕がすごく寂しいからね」
「私は待っていないからな。それほど暇ではない」
「うん。僕が逢いたいだけだよ?」
 くすくすと笑いながら言われ、ラドゥはそれ以上憎まれ口がたたけなくなってしまう。
 そんなやりとりを目を細めて見守っていたジェイダスが、今度はエメに尋ねた。
「おまえは、どうする予定なのだ?」
「私は、家を継ぐことが生まれたときから決まっていますから。……でも、そうですね。できたら……」
 じっとエメを見つめ、ジェイダスはその言葉の続きを待っていてくれる。その美しい安心感に包まれて、改めて魅惑されるようだ。本当に。
「ジェイダス様の華は、本当に素晴らしいんです。見るだけでどんなに沈んだ心でも明るく華やぎます。私はなかなかその域まで及びませんが、私なりの華で癒しを必要な方々に届けられるようになりたいと思っています」
「そうか。……おまえなら、大丈夫だろう。私の自慢の、美しい弟子だ」
 ジェイダスからの賛辞に、エメは白皙の頬をほんのりと上気させ、「ありがとうございます」と心から告げた。
「ジェイダス様」
 そこへ、爽やかな笑みを浮かべてやって来たのは、ルドルフだった。ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)と連れ立って、喫茶室に来ることにしたのだ。
 梓乃に頼まれてジェイダスに伝えるまではしたが、自分が行くかどうかは、少しルドルフは迷っていた。その背中を押したのは、ヴィナだ。
「行こうよ、ルドルフさん」
 そう、穏やかに誘って。
「ようこそ、ジェイダス理事長。ラドゥ様、ルドルフ校長」
 華やかな三人のそろい踏みに、緊張と興奮を覚えながら、梓乃が彼らを店内に出迎える。せっかくだからとジェイダスが誘ったので、エメたちもそれに続いた。
 梓乃がさりげなくルドルフに笑いかけると、ルドルフも梓乃にウインクを返した。
「ジェイダス様、ラドゥ様……!」
 レモは立ち上がり、そして、暫し言葉をなくした。
 言いたいことがありすぎて、喉がつまるようで。なにも、口から出てこない。
 だが、そんなレモに微笑み、ジェイダスはレモに歩み寄った。
「立派になったな。お前を見上げるのは、不思議な感じだ」
「そんな、ジェイダス様。あの、あの……」
 もう、駄目だった。言葉も感情が涙になって、レモの両目から一気に溢れ出す。恥ずかしいと思うのに、堪えれなかった。
「ジェイダス様の夢、でした、のに、……僕は、守れなくて、……」
「なにを言っている。私はまだ、諦めてはいないぞ? 一つ手段がなくなったからといって諦めるのは、醜い愚か者のすることだ。レモ、私がそのように見えるか?」
「いえ!! とんでもないです、ただ、……」
 レモは後悔とともに、痛感する。なにもかも、ジェイダスの器の大きさには敵わない。喩え姿こそ幼くなったとしても、永遠に自分より、ずっとずっと大きな人だ。
「レモ。……合格だ。美しい薔薇の学舎のままで、安堵した」
 ジェイダスの指が、レモの涙に濡れた頬を撫でて、そっと抱き寄せる。その言葉も、その手も、なにもかも優しくて。レモはまたひとつ、大きくしゃくりあげて、涙をこぼした。


 それから、ジェイダスを中心に、彩々は賑やかなパーティのようになった。
 カルマが撮ったタングートの写真を見たり、クリストファーたちが歌ったり。
 タングートには、ラドゥも珍しく興味を示し、いずれ案内するとリュミエールが約束した。
 初めまして、になるカルマも、ジェイダスとラドゥに懐いたようだ。
 なによりも久しぶりに、ルドルフもジェイダスの前で、ただの師弟として楽しげに会話を交わしていた。
 アステラと清家も、久しぶりに顔をあわせて、あれこれと話している。
 そんな中。
「今日のお着物も、素敵ですね」
 エメがジェイダスの着物を褒めると、ラドゥは若干渋い表情になる。
「本当は、もっとふさわしいものもあったのだがな……」
「まぁ、良いだろう。餞には、あれがふさわしい。なにより、たまには破天荒も良いものだ」
 ジェイダスは、少し思わせぶりにそう呟いて、近寄ってきたカルマを膝に乗せて微笑むのだった。