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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●予行

 式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)は和室に正座して、文机で俳句を捻っている。
 本日の彼は拠点にてお留守番なのだ。
「さて……」
 ふと彼は、我が君のことを考えた。

 広目天王の「我が君」、こと高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)はその頃、久方ぶりの空京を満喫していた。
 現在は2027年の五月、すなわち、浮遊島群での戦いの後、ティアンと新たな人生を生き直すと約束してから三年の時間が経過したことになる。
 行方不明になったと偽装して姿をくらませ、玄秀は過去を捨てて普通の生活を送っている。
 名前は変えた。
 外見のほうも、多少は手を加えている。具体的に言うと、過去と決別した日に髪をばっさり切ったので、すっきりした短髪になっているのだった。
 そうして辺境の地に小さな神社を構え、魔道書の山に埋もれつつ、研究とたまにくる参拝客の相手や卜占・呪術の依頼を受けて暮らしているのである。
 昔のように呪殺を生業にするのは止めた。大切な人……すなわちティアン・メイ(てぃあん・めい)が、そういう生き方を望んでいないからだ。
 現在の玄秀にはどことなく、世捨て人の風格が漂っていた。しかしこれはむしろ、今までがおかしかったのであり、本来の姿に立ち戻ったのだと言うこともできよう。
 外聞を繕うことをやめたので、他人からはとっつきにくい人間だと見られてあまり親しくなることはないが、下手に過去を詮索されることもないのでそれはそれで好都合である。
 本日は、なにを目的にした空京行きでもなかった。強いて言えば玄秀は古書漁り、連れのティアンのほうは服とか装飾品とか化粧品とか、そういったものを求めただけの道中である。
 それゆえにそぞろ歩きの一日であったのだが、ふと気がつくと、玄秀の足は空京神社の敷地にたどり着いていた。
「何年前だったか……」
 記憶が蘇る。彼が、ティアンと二人で初詣に来たときのことだ。
 あの頃の自分と、今の自分はいわば別人である。名を変え姿を変え、居と生業を変えたということに留まらず、生き様という意味で別人だといってよかった。
 ――あの頃の自分には心に飢えがあった。
 世界は敵で、自分を認めない連中全てを叩きのめして、自分の存在価値を確かめたかった。手負いの、しかも激しく空腹を感じている獣のようであったと、言い換えることもできようか。
 今、穏やかな生活の中で、野心が完全に消えたのかと問われれば、否と答える。
 たまに、この生活を捨ててまた過去の自分に戻りたい誘惑に駆られる。
 ――多分、そうなってもティアは付いてきてくれるだろう。しかし……。
 なにか不吉な、見たくはない己の鏡像をつきつけられたような気分であった。
「行こう」
 玄秀はきびすを返すと、神社の玉砂利を踏むことなく、街へと戻っていった。
 ティアンは黙って、彼に従う。
 あれから三年。
 三年が経過したのは、玄秀も彼女も同じである。
 去ろうとする玄秀を引きとめ、過去を捨てさせて新たな道を生きるよう求めてから三年が経過した。
 玄秀が変わったように、ティアンも変わった。
 なお鍛錬は積んでいるものの剣を持つ事も稀になり、今は玄秀の元で助手のようなことをやっている。
 必要に迫られて着た巫女装束はことのほかティアンの気に入った。今では、拠点にいるときは仕事がなくとも大抵着ている。ただ本日ははお出かけなので、一般的なシャンバラ人の服装だったが。
 ティアンが玄秀と行動をともにするようになって既に長い。
 長年の勘で、彼女は玄秀の思考をおおよそ理解していた。
 彼の野心が完全に消えていないことは、とうに知っている。
 ――少しずつ変わっていけばいい。
 だからそう考える。
 自分の気持ちを感じ取り、大切に想ってくれるようにはなったのだから、できるはずだ――と。
 しばらくは会話もなく歩いていたが、だしぬけに玄秀は思考の底から浮上することになった。
 ティアンの姿が消えている。
 振り返ると彼女は、あるショーウインドゥの前で立ち止まっていた。
 結婚式場が用意した相談所だ。予算に応じたブライダルプランを相談したり、会場の手配を行えたりするといった場所。結婚への興味も結婚の予定もない人間にとっては、視界にも入らない類のものだった。
 ティアンの視線の先にあるのはガラスケースだ。
 正確には、その中に入ったウエディングドレスだった。今日は会場のイベントで、結婚式の体験をさせてくれるらしい。
 玄秀とティアンはすでに事実上の夫婦のようになっているものの、籍は入れていない。
 一緒にいて幸せにすると、かつて玄秀は彼女に誓った。
 だが玄秀が己の、これまでの所行を鑑みれば、その先は容易に踏み込めない領域であった。
 といってもティアンの気落ちはわかる。痛いほどわかる。
 彼女の隣に立って、
「すまないが……」
 そう言い掛けた玄秀は、ティアンによって唇を、人差し指で押さえられていた。
「今はごっこでもいいの。でも……いつか」

 結婚式体験イベントが終わり、薄暗い館内。
 音を立てず錠を外し、忍び入る影がふたつあった。
 男性らしき姿はタキシードを手に取る。