イルミンスール魔法学校

リアクション

　
　
「インカローズ。
　あなたにしかできないことだから、あなたが”守り人”となったんでしょう。
　他の人で代替は利かない。自分の使命を、思い出すべきだ」
「……思い出す、ね」
　御風　黎次（みかぜ・れいじ）の説得の言葉に、インカローズは、自嘲の笑みを浮かべた。
　忘れたことなどない。
　それは常に、どんな時でも、自分の精神を支配している。
　ノエル・ミゼルドリット（のえる・みぜるどりっと）が真摯な表情で続ける。
「忘れていないのなら、あんな無責任な発言はできないはずす」
「……そうね。その通りだわ。
　私は……忘れることが、できているのかしら？」
　ああ、この人は、私達の言葉を、聞いていない。ノエルは絶望的な気持ちになる。
　聞いていないのではなく、届いていないのか。
　インカローズの心は、今やすっかり固くひび割れたものに変わってしまって、自分達の言葉では、それを潤すことはできないのだ。
「どうして？」
　ノエルは、そんなインカローズを哀しく思う。
「あなたは……この世界を美しいとは思わないのですか？」
「……素敵ね」
　インカローズは、ノエルを見て、少し笑う。
「あなたが美しいと思う世界を、あなたの目を通して見てみたかったわ」



「残念ながら、コハクと一緒に聖地まで来ることはできなかったが！」
　仕方なく先に来た鈴木　周（すずき・しゅう）は、折角買ったバットをコハクとのコミュニケーションもとい特訓に使えずがっかりだったが、仕方がないのでそれは取りあえずおいといて、今は目先のナンパに集中することにする。
「待ってろよ美人のおねーさん！　よしっレミ行くぜ！」
「何か、いつに無く力入ってるね……」
　半眼ジト目でレミ・フラットパイン（れみ・ふらっとぱいん）が突っ込めば、
「そりゃあ、聖地を魔境化させられねえだろ？
　守り人のおねーさん口説いて仲良くなっていちゃいちゃとか考えてないぜ！　考えてないぜ！」
　レミの笑顔に怒りが滲み出ているのを見て、ぶんぶんと周は両手を振った。
「……もー、本音ダダ漏れなんだから〜」
　レミは舞い上がりすぎの周に溜め息を漏らす。
　行ってくるぜッ、とチャレンジャーな周に、レミも自作のハリセンを手に後を追った。
　行き過ぎ、不真面目には容赦無く鉄槌だ。
「というわけで、おねーさん、一緒にお茶でもどう」
　周の誘いに、インカローズはきょとんとした。
「茶……？　どうして」
　呆気にとられている様子のインカローズに、
　周は苦笑する。
「そりゃ、俺がおねーさんのこと好きだから。
　何かコミュニケーションしたいなと」
「好き？　あなたが、私を？」
「わー、照れるぜ。一目ボレってことで？
　付き合って貰えませんか」
「何処に？」
「わー、古典的なボケだ。うん、お茶にさ」
　ぽかんとするインカローズに、周は明るく笑う。
「いきなり言われても驚くよなー。とりあえずお茶して〜。
　デートして、俺のこと知って好きになってくれよ」
「……いいわよ。考えておくわ」
「えっ、本当！？」
　今まで、ナンパの成功率がゼロだっただけに、初の快挙に周はうっかり訊き返す。
「え、何かまずかったの」
「いやいや、まずくねえよ！　待ってるぜ！」
　大喜びの周に、ふ、と微笑んで、じゃあまた、と歩いて行く周は、インカローズを見送った後、ぐるっとレミを見る。
　レミはぽかんと周を見ていた。
「その場で断られなかった周くん初めて見た……」
　了承ではなく保留なのが微妙なところだが
「微妙じゃねえよ了承だ了承！　ひゃっほー未来は明るいぜ！」
「この男のどこが……？」


「この聖地を、観光名所に利用する、というのはどうです？」
崩城　亜璃珠（くずしろ・ありす）の突拍子もないセリフに、インカローズはぽかんと虚をつかれた顔をした。
「…………あなた、面白いことを言うのね」
「いえ、別に意外性のある言葉を狙ったわけではございませんのよ。
　本気ですのよ。あ、観光客を呼ぶには”聖地”のネームバリューだけでは今いちですわね。
勿論、ここはそれだけで売るに足る素敵な場所だとは思いますのよ？
　でも、伝統工芸や芸能などがあるのでしたら完璧ですわ。
”種”は展示物に使えますわね。
　ええ、勿論本物を置くのはヤバすぎますのでレプリカということになりますが。
　こちらの皆様、商売事には詳しくなさそうにお見受けいたしますし、私がプロデュースしてさし　あげますわ。マージン５パーセントでいかがです？」
　そう、勿論真の目的は金儲けなわけなのだが。
　怒涛の如く流れた亜璃珠の言葉を、インカローズは言葉を挟む余裕もなく呆気にとられて聞いていたが、やがてくすくすと腰を折って笑い出した。
「……あなた、変な人ね」
「まあ、心外ですわ」
　真面目な顔で亜璃珠が答えたので、インカローズは尚笑う。
「ああ、そうね、そうできたらいい。
　ここが……本当は私は、あなた達をここに入れてはいけなかったのだと、そんな事実が、なくなってしまえばいいのに」
「……？　どういうことです？」
　インカローズは黙って目を伏せた。
「交渉決裂ということなのかしら」
　それは、インカローズがまだ、守護者としての使命を完全には放棄していないということなのか？
「……でも、現状に疲れたら、いつでも声をかけてくださいませ。
　素敵なレジャー計画を練り込んでおきますわ」
「……いいわね」
　夢見るように、インカローズは呟いた。
　そんな未来が、本当にあるなら。


「キャー！　ねえ見て！　魚が空中を泳いでるわ！　素敵！」
　まるで絵本の中の世界みたい！　と、走り寄るセレンス・ウェスト（せれんす・うぇすと）を、パートナーのウッド・ストーク（うっど・すとーく）は、おいおい、と引き止めた。
「危ねえから近づくなよ。そいつ結構凶暴なんだぞ」
　だが、ふよんふよんとのんびりと泳ぐ森海魚は、凶暴さのカケラもなく、近くにセレンスやウッドがいることに気づかないかのようにたゆたっている。
「ホラ、大丈夫だよ。きれーい！」
「本当だ……」
　ギリギリまで近づいても、森海魚が襲いかかってくることはない。
「ひょっとして、ここが聖地だから……か？」
　セレンスがそっと触ってみると、予想外に滑らかだった。
　ひく、と、森海魚の動きが一瞬止まった。
「ん、何？」
　陸に打ち上げられた、水中を生きる魚のように、激しい痙攣を繰り返し、それが止んだかと思うと、森海魚は、突然牙を剥いて２人に襲いかかってきた。
「きゃー！」
「何だあ！？」
　咄嗟の反応が遅れ、ウッドはセレンスを庇いながら森海魚と距離を起き、それから、突進して来るそれに向かってランスを構える。
「うおお！」
　ランスは見事に胴体を貫き、深海魚は地面に落ちたあと、暫くびちびちと跳ねていたが、やがて動かなくなった。
「……これは、どういうことなんだよ？」
　聖地内にいるから凶暴性が失われていたと思われる森海魚の突然の変貌。
「何だかキナ臭い感じがするぜ」
　とりあえずインカローズに会わないことには。
「とんだ道草しちまった。さっさとインカローズに会いに行こうぜ」
　魚を気にしつつ、２人はインカローズのところへ向かうのだった。




「コハクは、聖地には来ないのかなあ？」
　インカローズに会わせたいと思っていたのだが。
　清泉　北都（いずみ・ほくと）は、鈴木周を見かけてそう声を掛けた。
「おう、俺も一緒に行こうって言ったのにさー、何か色々ゴタゴタやってて、来ないか遅れるかしてるみてえ。
　美羽がコハクと２ケツで来るんだっつってたけど」
　周もコハクとインカローズを会わせたら、話が解りそうだ、というかぶっちゃけ一緒にナンパをしたかったのだが、色々と事情があるらしい。
「そうですか〜」
　残念ですねえ、と北都はパートナーのクナイ・アヤシ（くない・あやし）に言ったが、クナイは、コハク同伴でインカローズと真面目な話をした後で、コハク同伴でナンパをする気だろうかこの人達は……、と、ふと想像をしてしまった。
「携帯が繋がればよかったんだけど……」
　イルミンスールの奥、聖地までは電波が届かなかった。
　だから周もコハクの現状までは解らないでいるのだろう。


「あなたが使命を放棄する理由は何なのかなあ」
　それは自由を欲するものなのか、足枷を嫌うものなのか、北都はインカローズに訊ねてみた。
「……自由が欲しいわ」
　少し考えて、インカローズはそう答えた。
「解放されたい」
「……コハクという少年を知っていますか」
「ええ、聞いたわ」
「彼と話をさせてあげたかったですねえ。
　セレスタインから、たった１人で飛んで渡ってきた彼を。
　あの時の彼を見せてあげたかった」
　逃げて放棄するのも、選択肢のひとつであるだろう。
　けれどそれは命を賭す価値のあるものなのか、それを考えて答えを出してほしい、と。
「よかったら、”種”はこちらで預かりましょうか？」
「……ええ、そうね。お願いするわ」
　インカローズは”種”を取り出して渡そうとする。

「ダメだ！」
　そこへ、高月芳樹が割って入り、がしっと北都の手を掴んだ。
「……それは、しない方がいいと思うわ」
　その横から、アメリア・ストークス（あめりあ・すとーくす）が苦笑する。
　それは、インカローズ以外の人の手に収めるべきではないと思う。
　だから２人はインカローズの手を阻んだ。
「……解りましたよ。離してください」
　北都が手を引っ込めるのを見て、インカローズは、ふっと溜め息を吐いた。
「何ですかあ？」
「……あなた達は、どうやってここを知ったの」
「えっ？」
　この聖地の場所を知るきっかけ。
　それは森海魚の習性を利用して、ここまで案内されてきたからだ。
「誰が、森海魚を、あなた達のところにけしかけたの」
　それは、一匹の操られている魚に、残り全てが操られていたからだ。
「その誰かは、どうして、あなた達をわざわざ、この聖地に案内したの」
「……何を知っているんです？」
　北都は眉を顰める。
「あなた達が警戒する存在が、この聖地に来るとしたら、多分目的は”種”だけではないでしょう」
　インカローズは溜め息を吐いた。
｢『ヒ』とやらは、”種”と、もうひとつ」

　種を納める為の力場、”柱”を狙うはずだと。



　どこからか、轟音と喚声が響き渡った。