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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories

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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories
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●epilogue 1

 数日後。
「そうですか……ようやく……」
 許可が出た。
「今日は会えるよ」
 博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)がパートナーたちを見回すと、皆、花が咲いたような笑顔になった。
 しかしそれは数秒後、緊張に変わる。
 会える、ということはつまり、対面しなければならないということなのだから。
 いや、それでいい。顔を見に来たはずなのだ。しかし――緊張するなと言うほうが無理な話なのは確かだ。
(「僕が緊張してどうする……」)
 博季はすぐにその愚を悟っていた。重々しい雰囲気にしてはいけない。これは、ただ友達に会いにいくだけの話なのだから。
「さ、行こう」
 博季は努めてリラックスした風を装いながらエレベータの『昇』ボタンを押した。
 ところが、
「ちょっと待って。まだ受付が終わってないの」
 西宮 幽綺子(にしみや・ゆきこ)が手を振って皆を呼び止める。
「あと二箇所サインしなくちゃならないんだって……え? これも?」

「花束ひとつ持っていくのに、あんなに書類を書かされるなんて」
 幽綺子はいささか不満そうである。
「……まあ、仕方がないだろうけど」
 フレアリウル・ハリスクレダ(ふれありうる・はりすくれだ)はエレベータの壁に手を付いた。
 壁面は四方すべてガラスだ。よく磨かれており、動き出すと外の光景が一望できるようになっている。
 病院といっても、その性質上、暗い雰囲気は極力排除しているようだ。
 ぐんぐんエレベータは上昇する。見下ろせば周辺の建物や公園が、どんどん小さくなっていく。さながら空を飛んでいるような気分だった。
 しかもその空は、雲ひとつない晴れ晴れとした蒼空なのである。
 陽差しが飛び込んで来た。いつの間にやら季節はもう冬だ。しかしこの時間であれば太陽は眩しい。
「良い天気……やっと晴れたよ」
 うんと伸びをしてフレアリウルは言った。
 そういえば、事件の日も好天だった。だがその秋の終わりを、楽しむ余裕は彼らにはなかった。
 エリザベートが救出され、クランジ量産型は全滅。鎮火が終わり、ようやく事件が収束したのが午前零時前後だった。泥のように疲れて外に出て、空が真っ暗だったことに博季の気分はさらに沈んだ。
 その翌日から雨が降った。これが豪雨ならまだしも、老人の繰り言のようにそぼそぼと降る冷たくて陰気な雨で、降ってやんでを繰り返して何日も続いた。
 なので、今日は久々の晴天ということになる。それだけで嬉しかった。好天に救われたような気がしていた。
 ぺたっ、とエレベータに貼り付いて外を眺めていたマリアベル・ネクロノミコン(まりあべる・ねくろのみこん)がぽつりと言った。
「ところでのう……先だっての事件……実は、色々なクランジが出たり入ったりややこしくて、誰が誰やらようわからん。いまだにわらわ、理解しきれてないところがあるのじゃよ……博季、主要クランジの立場をそれぞれ、イマキタ産業で説明するがよいぞ」
「産業? 三行ってことだよね? そう言われてもねえ……」
 まあ、できるだけシンプルに言うと、と、博季は解説した。

■クランジΘ(シータ)の一派……塵殺寺院から独立。古巣の塵殺寺院との間で抗争が勃発しているようだ。目指すは『混沌』。混沌の後にクランジの国家(?)を設立するつもりらしい。現在、クランジΠ(パイ)、クランジΙ(イオタ)もこちらに所属が確認されている。量産型もすべてシータ一派の元にあるという。

■大黒美空ことクランジΟΞ(オングロンクス)……目指すは『秩序』。ただしその考え方は歪んだかたちで暴走しており、クランジを滅ぼすことで力ずくで秩序を取り戻せると盲信している。最後は自殺して地上からすべてのクランジを消し去るという考えに取り憑かれていたが、それは捨てたようだ。改心してくれればいいが……。

■塵殺寺院所属クランジ……裏切り者のシータを暗殺しようとしていたが、シータを仕留めることは出来なかった。クランジΥ(ユプシロン)ことユマ・ユウヅキ、それにクランジΡ(ロー)ことローラはすでに籍を抜け、パイとイオタがシータについたということもあり、現在ではクランジΚ(カッパ)のみが確認されている。


「……ということだよ。わかった?」
「ふむぅ……わかったようなわからんような……まあ、全部こらしめて改心させればいいのじゃろう? そういう風に理解しておく」
 そんな無茶な、と言いかけた博季であるが、マリアベルの言う通りになれば一番いいと思い口をつぐんだ。
 夢想かもしれないが、確かにそうなるのが理想的だ。
 ここでエレベータが止まった。
 特別階層。
 この精神病院でも、もっとも取り扱いに注意を要する患者、VIPの患者などの入院病室があるフロアだ。
 すべて個室とされている。
 消毒液の香りがするなかを、教えられた部屋に向かって博季は歩いた。
 イルミンスールから派遣された警護兵が守る部屋にたどり着いた。
「ご苦労様です」
 許可証を見せ、ボディチェックも受けた。
 それでようやく四人は、小山内南の部屋に入ることができたのだった。

「お見舞いに来たよ」
 ノックして告げた。
「南さん、僕です。音井博季。久しぶりだね」
 その人は、身を起こして待っていた。
 パジャマを着ている。その白い服には金具がついており、いつでも拘束服に早変わりできるものだと気付いて、博季は密かに胸を痛めた。
「具合はどう? 南ちゃん」
 幽綺子が問うと、南は、静かに首を振って窓の外に眼をやった。
「良くないです……頭の中身が混線して、自分が、一体何者なのかわからない……」
「でも、記憶はあるんでしょ?」
「あるけれど、どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか判然としません。私は小山内南なのか、それともやっぱり、クランジΣなのか……そもそもここが本当に病院なのかも怪しいくらいです。私は本当はまだ図書室にいて、記憶の迷路で迷子になっているのかも……」
 気をしっかり持って、と博季は呼びかけ、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「………貴女が否定しても、僕には、貴女こそが小山内南だ」
 僕は覚えてる、と博季は語った。
「夏祭りで、僕が南さんをクランジだと勘違いしたこと。
 それが初めての出会いだったね。たこ焼き好きだって言ってたのも憶えてる。
 鍋パーティのとき……。
 僕が敵を殲滅せずに済んでよかったって言ったとき、『そういう所好きだ』って言ってくれたね。
 新春のショッピングモールは、恥ずかしい所見せちゃったね。
 でも、マリアベルの友達になってくれて嬉しかった」
 ひとつひとつ、語りかけながら博季は南の瞳の動きを観察した。
 反応はある。やはり南は覚えているのだ。
 少し、語気を強めて博季は言った。
「憶えてるんだろ? 全部。じゃあ、やっぱり君は南さんだ。『小山内南』でいいんだよ」

 見舞いの花を花瓶に挿しつつ、フレアリウルは南を観察していた。
(「なんとかしてあげたいけれど……」)
 フレアリウルは南を見るのはこれが初めてだ。
 聞いていた以上に、か細く、運命に翻弄されて疲れているような印象を受けた。

(「今日はやっぱり、凶平のことは口に出さないでおこう」)
 幽綺子は決めていた。
 彼女の父、御桜凶平は塵殺寺院の科学者であった。『クランジ』という名前は聞いたことがなかったが、凶平が人体改造という禁断の研究を手がけていたのは事実だ。その成果が、クランジという形に結実していた可能性は高い。
(「ラムダは凶平のことを知っていた……? 結局あの日、大図書室で私たちは量産型に手こずり、シータや美空ちゃんにはあと一歩のところというニアミスを繰り返しただけだったけど、シータとの、あるいはΚとの接触に成功していれば、なにか聞けたかもしれない……」)
 しかし今は、南のケアに集中するべきだと幽綺子は思い直した。

 幽綺子は、赤子の泣き声を聞いた母親のように唐突に我に返った。
「ありがとう……ございます……」
 と、南が言うのを聞いたからだ。涙がこぼれそうになっている。
 暗くなりそうなのを察したのか、ちょこんとマリアベルはベッドに腰を下ろした。
 そして、猫のように身を近づけ、マリアベルは気恥ずかしそうに口を開いたのである。
「のう、南……実はわらわの、友達、あまりおらんのじゃ。
 だからの、おぬしが友達って言うてくれた時……、『親友』と言うてくれた時、本当に嬉しかった。
 ……のう、南よ、苦しい状況なのはわかる。わかっておるが、どうにか戻ってきては、くれぬのか?
 わらわ、何でもする。
 おぬしの望むこと、わらわも頑張って手伝う。
 もしおぬしが悪事をしでかしておったのなら、わらわも一緒に謝る。
 おぬしが寂しいのであれば、ずっと傍に居てやる。
 自分勝手かもしれんが、わらわは親友を失うのは嫌なのじゃ」
 恥ずかしいのか顔を赤らめ、これは言いたくなかったけれど、といった風に言い加える。
「あ、もしやわらわの喋り方が気に入らんかったのか? なら、え、ええと直すように努力する…のじゃ……」
 すると慌てて、南はマリアベルに言ったのである。
「そんなことないです。マリアベルさんの話し方、個性的でいいと思います!」
 この日初めて聞く、南の力強い声だった。
 これなら大丈夫――博季は確信した――これならきっと、大丈夫。南は元に戻る。きっと戻る。
 根拠はないが確信した。
「本当か!?」
 するとマリアベルもつられて、元気を取り戻したのか笑顔になった。
「ほれ、あの時のチョコバー、買って来たんじゃ実は! 一緒に食べよう。病院食以外禁止されとるじゃと? ええい、カタいこと言うでないわ。ちょっとくらいいいじゃろ? のう博季?」