蒼空学園へ

イルミンスール魔法学校

校長室

シャンバラ教導団へ

【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)

リアクション公開中!

【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)
【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話) 【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)

リアクション


●混戦の行方(1)

 第二波が絶えた区切りすら見えないまま、龍の眷属の第三波となる集団が押し寄せてきた。
「まだ……出てくるというのか」
 斑目 カンナ(まだらめ・かんな)は泥のような疲れを感じていた。
 四肢は痛む。首もだ。龍の舞が精神的体力的な負担が大きいことは承知していたがこれほどとは。
 長時間舞い続け、それで少しずつ、希望が見えてきたとは思う。だが希望と恐怖は紙一重、ひとつ希望が見えたと思えば、またひとつ、恐怖が顔をのぞかせる。
 これまでの『眷属』より色が濃く、醜悪で、ますます混沌の度合いを強めた集団が見える。ムカデのような体にびっしりと目がついているもの、頭が二股になっている甲虫、地を這いずり回る蛾……。
 だけど負けていられない。
 カンナは、二人分頑張ることを己に課してこの場所に来たのだ。
 二人分……つまり、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)の分まで。
 ローズは私が守る――そう誓って。
 痺れる足でカンナは歩を進めた。ただローズのことを思って、舞った。
 ローズさえ無事ならば、斑目の家は消えることはない――と決めて、カンナは今回の防衛戦に単身の参加を決めた。ローズには来ないよう厳命している。
 斑目の一族は元を辿ると、オルゴールの製作と販売、輸出を生業にする家だったという。音無穣という人が北海道に渡り、オルゴールの魅力に夢中になったのが切欠だったらしい。
 けれどその家業は、三代目になるはずだった長女がパラミタへ行き、医者を志したことで潰えた。その長女の子供も医者を目指し、オルゴールの家業をする家が分家になり、医者業をする家が本家になってしまった。
 この話を親から聞かされたとき、余計なことを、とカンナは思った。
 医者しか将来がないこと、重いスランプを抱えたこと……その長女にあって夢を諦めさせることで解決するかと思ったときもある。
 もう、過去の話ではあるが。
 ――その穣って人も、ローズも、私も似た者同士なのかもしれない。
 カンナの口元に浮かんだものは自嘲なのか、それとも、奇縁を知った喜びか。 
 このとき源鉄心の声がしたが、カンナには聞こえていなかった。これで本日三度目、彼女の舞は完成し、無我の境地に至ったからだ。
 鉄心の頬には赤い傷痕が真っ直ぐに走っていた。
 銃創に似ている。それは三葉虫のような『眷属』の背から放たれたもの。
「『龍の舞』は大蛇自身はもちろん、『眷属』に対しても大いに有効……ということは、当然こうなるか」
 ラックベリーの舞台、正しくはそこで舞う舞手たちが標的になるのは自明だ。ここを守り切れるかどうかが攻防の焦点になるだろう。
 返礼とばかりに鉄心は仁王立ちしたまま、強力なエネルギーの力場を発生させ衝撃波として叩き返す。
「わたくしは、怖い人には逆らわないのが良いと思いますの……」
 弱々しく告げてイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)が、鉄心に駆け寄りその怪我の具合を見た。
「……この程度なら放っておいても癒える。前に出てくるなっ」
「そんな……でも、さっきのマシンガンみたいな掃射、鉄心の肩まで貫通しているし……」
「捌き切れない敵弾を肉の壁になって遮蔽するのは、護衛役として当然の役割だ」
「でも……せめて、自分にできることくらい、頑張ろうと思いますわ」
「俺を治している暇があるなら舞手を見てやれ。ティーの様子もな。全部防げたわけじゃない」
 鉄心はイコナを一顧だにしなかった。声に苛立ちが感じられた。「全部防げたわけじゃない」という言葉に悔しさがにじんでいる。
「ティーを……そうしますわ」
 鉄心の言い方が気になった。
 彼の懸念は的中していた。
 ティー・ティー(てぃー・てぃー)は腕に傷を受けている。弾丸が掠めたのだ。致命的になりそうなものは鉄心がすべて防いだのだろう。
 けれどすべては防げなかったのだ。
 ぽたぽたと朱い雫が、彼女の細い手首からしたたっている。
 しかしティー・ティーは、負傷をまるで意に介してはいなかった。ずきずきとする痛みも、むしろ自分に対する問いかけのように感じていた。
 ――どうして、こんな風になってしまわれたのでしょう……?
 まるで悪い夢を見ているよう。この世を滅ぼすべく龍の眷属が、空を地を埋め尽くし、ひたすらに迫り来たる。天をつくほど巨大なもの、邪悪で醜悪なもの、その他雑多な……まさに百鬼夜行。
 眷属がただまっすぐにツァンダを目指す理由が、ティーには理解できるような気がした。
 恐怖だ。
 八岐大蛇は恐怖の象徴たらんとしているのだ。奇襲的に不意をつくのではなく、正攻法で進軍するのは、ツァンダと蒼空学園を崩壊させることだけが望みではなく、抵抗しても無駄だというメッセージを人びとに刻み込もうとしているからではないか。
 蝿なのか蜂なのか判然としない模様の獣が、うなりを上げてティーの頭上を掠めた。すぐにそれは誰かに撃墜されたが、その複眼にじっと見られている感覚は残った。
 この世界を憎んでいるような視線――。
 ティーはその心に触れたいと思った。
 あの『眷属』だけではない。八岐大蛇だけでもない。その使役する龍の眷属を含む心の、すべてに。
 ティーは世界を見ながら、自分の内側に思念を漂わせる。
 暗い暗い、冷たい場所で、ただ『生きたい』と願ったことをぼんやりと思い出した。それは冷たくて乾いた記憶。
 ――でも、今はたとえ、どんな場所にいても光を感じていられます。
 ほのかに明るい光がティーの心に射した。
 祝福された生ではなかった、そんな気がする。
 しかし苦しみも悲しみも受け入れて、穏やかに凪いだ水面の様ような心で、自分は幸せだと思う。
「あなたたちを抑えこむのではなく、受け入れたい……」
 ふと、口をついて出た言葉だ。
 悪しき夢に苦しむ幼子をあやす母親のように、抱きとめたい。
 それはきっと、自分がそうしてもらいたかったということなのだろうけど。
 ティーの右の目から、涙が一条こぼれ落ちた。
「ティー……!」
 イコナは立ち尽くした。
 ティーの足元に一匹、死にきれずもがく『眷属』がいる。赤い目をした蜂のような……蝿のような姿をした怪物。ボストンバッグほどの大きさがある。切られた背中と翅を振るわせていた。
 触りたくないし近寄りたくない――普通の人ならそう考えてしまうようなグロテスクな見た目だ。
 イコナは「危ない」と言いかけた。死にきれぬ『眷属』がティーの足に噛み付くように見えたのだ。
 しかし、ティーの目から零れた涙がひとつ、ぽとりと落ちるや怪物は腹を見せ、眠る赤子のように穏やかに六つの足を伸ばした。
 そして黒い粒子のようなものへ分解され、消えてしまった。
「ティー……」
 奇蹟、それともティーの祈りが通じた……? イコナには結論を出すことはできなかった。
 ただ、ティーはすごいな、と思った。
「おっと、見とれていたらわたくしの出番がなくなってしまいますわ」
 自分は自分にできることを、改めてそう呟いてイコナは、ティーの怪我を癒すべく彼女に駆け寄った。
 カンナも眼前に、弾丸の飛来を感じていた。
 命中する、と卓越した反射神経が警告を発したのだが、そのことよりもむしろ、舞が中断されるほうを彼女は厭った。
 現代兵器の基準でいえば9ミリ弾程度のものだ。契約者なら、急所に当たりさえしなければ死にはしない。だが痛みは、きっとあるだろう。舞を止めるまい。
 痛みを予測していたのに、それは一向に訪れなかった。
 だがそのことが逆に、驚きでカンナの動きを止めた。
「ローズ!」
 それは確かに九条 ジェライザ・ローズだった。あれほど来るなと言ったのに!
 それにしてもなんという変装だろう。今日のローズは警備員の制服、ホイッスルの白い紐を肩のショルダーループに通し、腰には誘導灯が揺れている。制帽もあったのだが衝撃で吹き飛んでしまっていた。
 カンナをかばって銃弾を受けた衝撃で。
「なんか短期間に二回も変装してるな、私」
「来るな、って言ったではずなのに!」
「二人で頑張って習得したのに、龍の舞を実戦で披露するのはカンナだけ……そのことに納得いかなくてね」
「痛くないから安心して」
 二の腕を抉った弾痕を目にしてもローズは平然と笑った。『痛みを知らぬ我が躯』を発動しているから、と。
「そういう問題じゃ……」
「カンナの悪いところ、出たね」
「なに、薮から棒に」
「カンナの悪癖。それはカンナが、どうしても一人で背負いこむところ……そう思ってる」
 顔を背けようとするカンナに、「聞いて!」とローズは声を上げた。
「カンナが悩んでること、私が気づいてないとでも!? いくら素っ気なくされていてもパートナーのことよ。わからないはずないじゃない!」
 カンナは悩みを、ローズに打ち明けてはくれなかった。
 ローズも追求はしなかった。
「カンナが私のことを良く思ってないこと、なんとなく気付いてるけど……どう思おうと、私にとってカンナは家族も同然だよ!」
 ローズの腕が、龍の舞の角度を取っていた。この服装のまま踊るというのだ。
「だからカンナだけを危険にはさらさない。私だって、命を賭ける!」
 それはまるで踊る警備員……ホイッスルまで踊らせる女性警備員……けれど不思議と、そんなロゼを格好悪いとはカンナは思わなかった。むしろ眩しく見えた。
「ローズ、あたしは……」
「これ以上の話は、終わってからにしない?」
 カンナは諦めたように口を閉ざし、再び龍の舞を最初からはじめた。
 手の角度、動き、呼吸のタイミングまで、ふたりはまるで写し絵のようにシンクロして動いていたのだが、そのことにはカンナもローズも気がつかなかった。