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黒く染まる翼

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第五章 刻印に口付けを

 道を作ってもらった人たちは、城の中を走って行き、階段まで辿り着いた。

 しかし、階段には待つ者たちがいた。

「トックス……」

 シャンバラ教導団の小さなお嬢様欧陽 マリー(おうやん・まりー)はオレンジがかった金色の瞳を、パートナーに向けた。

 守護天使のトックス・トーテンター(とっくす・とーてんたー)は光のない瞳で、マリーを見ている。

「トックス、わしが解らんのか!」

 誇り高いマリーは、悔しそうに、キッと自らのパートナーを見据える。
 中性的な顔立ちをしたトックスは、灰色に近い乳白金の髪を揺らしているが、無表情でその声を聞いている。

「見損なったぞ! あの言葉は嘘だったか!」

 いつもは美しくまとまった、縦ロールのサイドテールが少し乱れている。
 それは、マリーが戦いを潜り抜けて来たから……だけではない。

「トックスがいないせいで、わしの髪もまとまらないではないか!」

 落ちてくる灰汁の強い灰味の強いピンクの髪を払いながら、マリーはトマックに近づいた。

「戻って来い、トックス。わしはおぬしの飯が食いたい」

 自分以外の者にトックスが従っていることが、マリーは心の底から気に入らなかった。

 自分のパートナーなのに。
 自分に従うべき者なのに。

「何かとてつもなくイライラする。殴ってでも連れて帰るぞ!」

 歴史ある家に生まれた美しいお嬢様はパートナーに近づき、その手を伸ばして……。

「ん……」

 ちゅっとその首筋に口付けした。

 トックスはマリーが近づいても、攻撃をしなかった。

 『あなたの傍であなたを守りたい、助けたい』

 そう誓った言葉が、操られた胸の奥底にもあったのかも知れない。

「う……んむ……」

 ちょっと息が苦しくなりながらも、マリーはトマックの首筋の封印を吸い出した。

 そして、封印の色がすべて消えたとき……マリーはガクンと倒れた。

「……マリー!」
 
 気づくと反射的にトマックはマリーを抱き支えていた。

「ふん、やっと目が覚めたか……」
「ごめんなさい、マリー……ごめんなさい」
 
 自分のしていたことを思い出したのか、トックスが謝る。
 しかし、吸い出した刻印の毒と戦いながら、マリーは笑みを見せた。

「良い。従えるものを助けるのは、従わせるものの役目」
「……でも」
「別に心配したとかでは無いから気にするな。それより、気にするなら手を貸せ。まだ、ここは戦場だから……一人で転がってるわけにはいかん」

 小さな年齢を感じさせない誇り高さで、そう言葉を紡ぐマリーを見て、トマックは自分のパートナーに誇りを感じつつ、手を貸した。

 トックスは完全に操られてはいなかったが、完全に操られてしまっている守護天使もいた。

 神代 慧斗(かみしろ・けいと)はそんな守護天使と真っ向勝負していた。

「他人の迷惑を考えない奴は……あたしはキライだよ!」

 守護天使へというよりも、それを操るリンスレットのへの怒りを込めて、慧斗は火術を打ち放った。

 仮面舞踏会に参加していた慧斗だったが、騒ぎの音を聞きつけ、守護天使の戦う場所にやってきたのだ。

「同じ学校の誼ですわ。加勢いたしますわよ」

 隣に立ったのはエレアノーラ・ベネヴェント(えれあのーら・べねべんと)だった。
 その言葉通り、慧斗と同じイルミンスールの生徒だ。

 エレアノーラのパートナーであるヴェロニカ・ヘクセンナハト(べろにか・へくせんなはと)が19世紀風のドレスと羽根の仮面をつけているのは、仮面舞踏会の招待客を装い、この古城に入ったためだ。

 エレアノーラも同様に、夜会巻きの黒髪に、デコルテの大きく開いたゴシック風のドレスを着ていた。

 戦闘には動きにくい格好な気もしたが、エレアノーラは、かなり気に入っているようだった。

「せっかくの古城ですから、似合う格好での戦闘もいいでしょう……刻印を吸い出すのにも雰囲気が必要ですしね」
「エレアノーラ、余裕だなあ」

 慧斗はそう笑いながら、エンシャントワンドを取る。

「いつも研究室や書庫に引きこもってますからね。イルミンスールに入ったのはそのためでありますけれど、やはりたまのお出かけも楽しいんですの」
「そうじゃのう、ノーラの言うとおり、楽しいのじゃ。わしをもっともっと楽しませておくれ!」

 享楽主義者のヴェロニカは愉快そうに操られる守護天使たちを見ている。

「よっし、それじゃ行こうか!」
「はい」
 
 慧斗とエレアノーラは力を合せ、襲ってきた守護天使に攻撃を仕掛けた。

 守護天使の方も複数だが、こちらも複数だ。

 三人の魔法使いが一気に火の玉を叩きこむと、ぷすぷすと焼けた守護天使が足を止めた。

「今だ!」

 まだ動きそうな守護天使を、慧斗がエンシャントワンドで叩き、その動きを止めさせて、素早く刻印に口をつけた。

 そして、そのまま一気にその刻印を吸い出す。

「失礼いたしますわ」

 エレアノーラは美しい微笑みを浮かべて、同じく動きを止めた守護天使の首筋に口をつけた。

 研究所が好きなエレアノーラだが、ただ、本が好きなだけでは無い。
 それを実践することが好きで、大切だと思っていた。

「では、わしも」

 ヴェロニカも一緒になって、守護天使の首筋に口をつける。
 
 紫がかった青の瞳がいたずらっぽく笑い、少しずつ、ちゅっちゅっと、刻印を口にした。

 そんな様子を見て、エレアノーラは慧斗との違いに気づき、ある結論に達した。

「吸う強さで、刻印の消える早さが変わるようですわね。後は想いの強さでも変わるのかしら……?」
 
 エレアノーラがそう思ったのは、やはり同じイルミンスールのルーン学科、北欧ルーン研究課程専攻である梔子 燐(くちなし・りん)の行動を見たからだ。

 燐はパートナーであるミルフィリアス・マールブランシェをその腕に抱いていた。

 かつて最愛の弟を失ったときに出会った大事なパートナー。

 足もとまで届きそうなほどの長い金髪が床につかないように注意しながら、燐はそっとミルフィリアスの首筋を見た。

 その首筋に残る刻印が、燐にはひどく気に入らなかった。

「私があんな女の能力に負けるはずがないですわ……!」
 
 ミルフィリアスが一瞬、動きだして抵抗をしかけたが、燐が襟首を掴んで引き寄せ、ミルフィリアスの首筋にキスをする。

 そして、そのまま逆にキスマークを付けるかのように、その首筋を吸っていく。

 吸い続けて吸い続けて……、その想いが唇から伝わるかのようにして、刻印が消えていくと、ミルフィリアスが青い瞳を開いた。

「……燐」

 操られていても記憶はあるのか、ミルフィリアスは燐に謝った。

「すみません、俺のためにこんな……」
「私が困るから助けに来たんです。別に、貴方の為なんかじゃありませんから!」

 ミルフィリアスの瞳に見つめられ、燐はそっぽを向いてそう答えたのだった。
 しかし、その頬はなぜか赤く染まっていた。

 九条院 京(くじょういん・みやこ)と文月 唯はもっとずっと甘い雰囲気を醸し出していた。

 京は唯の首筋についたものを見て、ひどく心が落ち着かなかった。
 それを一言で表現するなら。

「気に喰わないわ」

 ということになる。

 京は唯に攻撃されるという心配すらせずに、ツカツカと歩み寄り、えらそうに腕組みをして、自分より30センチ近く背の高い唯を見上げた。

「唯」

 パートナーの名を呼び、こちらを向かせる。

「簡単に操られてんじゃないわよーっ!」

 そして、ビンタ一発。

 想いと気合いと怒りを全部こめたビンタを頬に食らわしたあと、隙の出来た唯の首に抱きつき、その首筋に唇をあてた。

「んく……」

 刻印に口をつけると軽くめまいがしたが、京はやめなかった。、

(他の女にキスマーク付けられたなんて!)

 京の強い独占欲が、その体を動かしていた。
 そして、めまいが頂点に達したとき、同時に刻印も消えた。

「あ……」

 フラッとしかけた京の体を唯が支えた。

「ありがとう」

 耳に入ってきたその言葉に京は安堵して体を預けた。

 京以上に良い音で、パートナーに攻撃を入れたのは、蒼空学園の高崎 刀真(たかさき・とうま)だった。


「何やってるんだよ、ペテロは!」

 その言葉と共に、刀真はパートナーであるペテロ・スフォルツァにきつい一発を叩きこんだ。

 ぶんなぐられたペテロは壁にぶつかる。

 それでも正気には戻らず、ホーリーメイスを握って向かってきた。

「ったく、スケルトンたちを乗り越えて、運良く城内にまでは入れたが……お前に手惑わされるとはな」

 ここに来るまでに刀真はスケルトンに囲まれたり、危険な目にも遭った。
 
 しかし、ツインスラッシュでその囲みをかいくぐり、他の人たちの援護も受けながら、軽い擦り傷を負いつつ、ここまで何とか辿り着いた。

「……バカ野郎。帰るぞ、こら」

 向かってきたペテロの攻撃を、刀真はいなし、その腕を掴んだ。

 そして、捕まえた腕を引き寄せ、その首筋に噛みついた。

「目を覚ませ、ペテルギウス・デ・ラ・スフォルツァ!」

 普段は無表情で感情の波も少ない刀真だが、今は真剣だった。

「くっ……」

 首筋から刻印が消えると、ペテロが正気に戻った。

「よし、戻ったか。……帰ったら、もう一発殴り入れるからな」
「殴るってなんだ! まったく、吸い出すのだって、もう少し優しくだな……」
「男に優しくそんなことをする趣味は持ち合わせてないぜ?」

 刀真はペテロにそう笑った。

 友情を確かめ合うような男二人と違い、柚倉 葉月(ゆずくら・はづき)は恋心の宿った瞳で、パートナーであるサドゥル・アプガルト(さどぅる・あぷがると)を見つめていた。

「サドゥ……ル……」

 薔薇色の唇から、緊張した声が漏れる。

 葉月は今、古城の壁の物陰に、サドゥルを引きこんで、その上に乗っかっていた。

 自分を見つけたサドゥルがやってきたのを見つけ、そこに誘いこみ、押し倒したのだ。

「痛くなかった……ですか?」

 男性の首筋に自分から吸いつくところを、他の人に見られるなんて恥ずかしい……。

 そう思って、葉月はサドゥルを物陰に連れ込んだのだが、押し倒したのが、床だったので、さすがに気になった。

 それと同時に、自分が男性を押し倒して、その上に乗っているという事実に、急に猛烈に恥ずかしくなった。

「あ、あの……これはサドゥルを救いたいだけなんです。だから、その……」

 せっかく、簡単に首筋を狙える態勢になったのに、葉月はちっとも決心がつかない。
 それでも、サドゥルは葉月に攻撃をしようとはしなかった。
 操られている意識の中でも、葉月を護りたいという意思が働いているのかもしれない。

「後で、サドゥルが元に戻ったら、ちゃんとお仕置きは受けますわ」

 お仕置きという言葉を口にした時、葉月の心に何かの光景が過ったのか、頬が唇と似た薔薇色に染まった。

「そ、その、わ、私の方がサドゥルに乗るなんて……とサドゥルが薄く笑うのが想像できて怖いですけど、でも……」

 最後は呟くような小さな声になりながら、葉月はそっと体を寄せた。
 葉月の大きな胸が、サドゥルの胸板に当たり、なぜか口付けする方の葉月の方が緊張してしまう。

「サドゥル……」

 覚悟を決めて、葉月は刻印に口付けをした。

「ん……んく……」

 慣れない口付けだったが、一生懸命、葉月は吸った。
  吸って吸って、息が苦しくなった時、葉月の背後に手が伸びた。

「きゃっ!」

 ぎゅっと葉月がサドゥルに抱きしめられた。

「な、何を……」
「何をは、俺の台詞だよ」

 くすくす笑うサドゥルの声を聞き、葉月はハッとした。

「元に戻ったの、サドゥル!」
「戻ったよ。戻ったからには……」

 葉月の頬を撫でて、じっと見つめ……。
 そこで、サドゥルは手を止めた。

「と、『お仕置き』は学校に帰ってからにしようか。今は救出に来てる人達のサポートだ」
「う、うん」

 『お仕置き』の内容を想像しつつ、葉月はサドゥルの上から恥ずかしそうにどいて、一緒にみんなのサポートに回ったのだった。