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第六章 よみがえる輝き
「花期の短さから、桜が散る事を薄命や死の無常観として表現する事もありますが、咲き極まった桜に生の輝きの極点を、死からの転生として表現される事もあります」
 懐かしい庭に茫然としたまま、桜色の風景に放りこまれたヴィクターに、ジャンヌ・ドートリッシュ(じゃんぬ・どーとりっしゅ)は静かに告げた。
 散る散る、桜。
 それは確かに儚く、見る者が見れば辛い光景なのかもしれない。
 ジャンヌ自身、生まれつきの病気で長くは生きられないと言われていた。
 シャルル・ダルタニャン(しゃるる・だるたにゃん)との契約で、それはかすかに回復の兆しを見せ始めたものの、それでも完全な保障なんてない。
 だそれでも、或いはだからこそ、ジャンヌはただそれを嘆く事しか出来ないのは、嫌だった。
 信じて、そして誰かの為に自分の出来る事を為したい、と。
「散って消えてなくなって、それでも桜はまた咲くのです」
「花の命、人の命、どちらも無常。が、両方『次の世代のため』に一生懸命に咲くもんや。カタリナはんが、ヴィクターはんが悲しみに沈んだままなんは喜ばんと思うよ」
 続けた大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)は諭すような響きを持っていた。

 洛陽城東桃李の花
 飛び来たり飛び去りて誰が家にか落つ

「僕らは全員、ぱっと咲いて、風に吹かれて散り地面に落ちるまでの時間を過ごす、ばらばらの花びらのようなもの」
 この桜のように。
「その短い道行きに偶々、ヴィクターはんにはカタリナはん、という連れ添いがあったこと自体が奇跡のような出会いやったんよ。そうであったことを喜ばんと」

 年年歳歳花相似たり
 歳歳年年人同じからず

「白頭の翁は、それを鼻で笑って自ら塞ぎこむのか。新しい花に、また新しい希望を見出して楽しむか。『心の中』の問題や」
「ふむ、劉廷芝か。一応の教養はあるのだな、泰輔?」
 泰輔のパートナー讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)はニヤと口元を引き上げた。

 応に憐れむべし半死の白頭翁

 此の翁白頭真に憐れむべし
 伊(こ)れ昔 紅顔の美少年

「…貴公のことか、ヴィクター?」
 揶揄するように告げてから、顕仁は悠然と淡い花弁へと目をやった。
「『死』は決定的な別離でもない。散った花には、また自ずと役目もあろうよ」

 化して春泥を作し更に花を護る

「?自珍は、そう古い詩人ではないか? が、『一度咲いた花』の覚悟としては、見るものがあろうよ」
 
「カタリナ殿と、よき春を過ごしたのであろう? ならば、カタリナ殿の心遣い、この若い学生たちを寄越した気遣いを無駄にはせぬことだ」
 今、ヴィクターは感じているのだろう、かつてカタリナと一緒に愛でた花を、その時を。
「貴殿を置いて行ったではない事、お分かりか?」
「カタリナさんはちゃんと残していったんです、心を。2人で過ごした楽しい時間を思い出して欲しい、と」
 ジャンヌの言葉に、シャルルは目を細め、祈った。
 カタリナの依頼で、庭を整え、楽しくお花見している者達。
「あの姿に、かつての自分たちを重ねて欲しい、かな」
「ね、お爺ちゃん。桜すっごくキレイだよね、だから皆もこんなに楽しそうなんだよ」
 夜月 鴉(やづき・からす)のパートナーサクラ・フォーレンガルド(さくら・ふぉーれんがるど)は声に力を込めた。
(「お婆ちゃんが死んじゃったのは悲しいけど、だからこそ春初めの桜の使命の幸せと笑顔をお爺ちゃんや皆に届けなきゃいけないんだよ!」)
「だって私は、桜の花妖精のサクラなんだから!」
 ヴィクターの今の心は桜の新芽と同じ。
 寒いから花を咲かせてくれない。
 だからこそ、自分達が言葉で暖かさを教え、花を咲かせてもらわなければ、とサクラは思うから。
「私が好きな桜の花言葉はヤマザクラの『あなたに微笑む』! この家の桜はきっとお爺ちゃんの事をお婆ちゃんと一緒に微笑みながら見守ってる、私はそう思うんだよ」
 頭上を指し示した指先は、次いでヴィクターを、そして花見をする【四季・お花見】を、頑張った理沙やカノコを指していく。
「それにお爺ちゃんの周りには一杯の大切な物があるんだよ? お爺ちゃんを心配して励ましてくれる皆、お婆ちゃんとの思い出の詰まった家と桜……こんなに一杯の幸せを桜が届けてるんだから、笑顔にならなきゃバチが当たるんだよ」
 慰撫する声、錯覚と思っていても心がそっと撫でられるようで。
 ヴィクターは最早、認めるしかなかった。
 荒れ果てていた庭、誰もに忘れ去られ打ち捨てられた庭。
 なのに今、ここにはあの頃と変わらぬ風景が光景がある。
 否、この子達が取り戻してくれた。
 『あの頃』と、記憶の中と寸分違わぬ庭と、そこで笑い合う子供達。
 ただ違うのはそこに妻の姿がない事、だけ。
 その事実に確かに胸は痛む、けれど。
 愛する妻が大切にしていた庭が、こうして目の前に在る、それは何て何て嬉しい事なのだろう。
 だが、同時に思う。
 これは二人で守っていたままの、姿だ。
 これを自分は一人で守っていけない、また失ってしまうのならば……。
「……いつまでカタリナさんに甘えてるのよ!」
 そんな逡巡にプツン、マリエッタが切れた。
「この庭は二人で一緒に作ってきたものじゃなかったの? 奥さんがいなくなってもこの庭を最後まで守り抜くのがあんたの義務で、カタリナさんへの愛の証じゃないの? それとも、死んだら消えてなくなる程度の存在だったの?」
「カタリナさんは生きていますよ。貴方の心とこの庭に。だが貴方は悲しみに暮れ奥さんの願いを解ろうとしていない……いえ、していなかった」
 もう解っているのでしょう、眼差しで神埼 優は告げた。
「奥さんの願いを真に理解できるのは貴方だけだ。互いに想い合った貴方だけなんですよ。何時までカタリナさんを悲しませるんですか」
 優しく、少しだけ叱る様に言い聞かせる様に。
 その心にそっと、届かせる様に。
 そうして、陰陽の書 刹那は、ヴィクターの手を優しく取って、『微笑んだ』。
「そなたが幸せにならなければ、心の中にいるカタリナさんが笑って微笑む事が出来ませんよ」
 それがいつかの……懐かしい笑顔と重なり、ヴィクターの顔がくしゃりと歪んだ。
 愛する妻はもういない、けれど。
 この場所に来れば辛いだけだと思っていた。
 どこを見てもカタリナとの思い出にあふれていて、耐えられはしないとそう、思っていたけれども。
「ココに……カタリナの心が……カタリナの願いが……あったのだな」
 気付くのが随分と遅くなってしまった、言うヴィクターに零が瞳を潤ませ、聖夜が笑顔で、首を振った。
 子供みたいに泣きじゃくる薄い背を、優や刹那の優しい手がずっと、撫でていた。