空京

校長室

建国の絆 最終回

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建国の絆 最終回
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リアクション



ケイティと魔槍

 繁華街に立ち並ぶビルの隙間に、小さな緑が埋もれている。急ピッチで開発された空京に、人工的に作られた小さな公園だ。
 とはいえ、ここしばらく公園はその役目を果たしていなかった。日本に梅雨があるように、天候は散歩や日光浴には向いていない日々が続いている。空京は光り輝くスフィアに守られた数少ない安全地帯のひとつとはいえ、闇龍が空を灰色に塗りつぶしており、剣呑な雰囲気からは逃れられないのだ。
 その公園に、今日、しばらくぶりの利用者が現れた。
「……くすぐったい、よ」
 白い仔猫のピンク色した小さな舌が、少女の指先をちろちろ舐める。
「……これで、遊んでて……ね」
 指を引き上げてもなお指先に向かってジャンプを繰り返す仔猫に、少女ケイティ・プワトロンは小さなボールを地面に落とした。僅かに跳ねてコロコロ転がるそれを、仔猫が慌てて追っていく。
「ハクちゃんは丸いものがお気に入りみたいだね」
 マリカ・ヘーシンク(まりか・へーしんく)はボールに再度勢いをつけてあげながら、そう言った。この間までハクはスフィアで遊んでいたのだが、ケイティがスフィアを汚してはいけないと思い始めたために、代わりにボールを与えることにしたのだった。
 仔猫を視線で追うケイティの横顔が僅かに微笑んでいるように見えて、彼女は少し安堵する。
関羽にケイティを守れって言われるまでもないよ、友達だもの。気持ちをしっかり持つように、元気付けることもできるし。……けど、もしママが来たら、ちゃんと守れるのかな……?)
 ケイティの“ママ”こと教導団第一師団技術科少佐カリーナ・イェルネの正体は、鏖殺寺院の鏖殺博士と呼ばれる人物と判明した。
 マリカは、パートナーのテレサ・カーライル(てれさ・かーらいる)と二人だけでは心許ないと思い、ケイティの友人であるキャンティ・シャノワール(きゃんてぃ・しゃのわーる)聖・レッドヘリング(ひじり・れっどへりんぐ)にも応援を頼んで合流していた。他に、共に関羽からケイティを託された琳 鳳明(りん・ほうめい)セラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)、それに教導団クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)ハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)も側にいる。
 それでも、守れるという確信が抱けない。何しろ鏖殺博士と言えば、鏖殺寺院の幹部。ドラゴンを支配下に置いたり、ミサイルを製造したり、今までにも様々な発明をしているだけでなく、今まで教団を欺いてきたような人物だ。
「確かに空京は安全だけど……難民が多くなったら、警戒が難しくなるよね。それに守ってるだけじゃ事態は進まない気もするし。暇ならドージェ見物にでも行く? 闇龍と対決しているのを見れば、魔槍に対抗するヒントとか掴めないかな〜、なんて」
 マリカが同意を求めるようにテレサを見れば、彼女は人差し指を立てて唇に当てた。
「そのことは内緒にするのでしょう?」
 関羽によれば、闇龍と魔槍グングニル・ガーティの力は似通っているという。魔槍がケイティを呼ぶことといい、気になることだらけだが、それをケイティに訊ねるのはまずい気がしていた。
「そうだった。それで、見物だけどどう思う?」
「闇龍に向かうならば護衛するが。救助活動を手伝うのならそちらを行おうと思っている」
 クレアはそう言い、鳳明は、
「うーん、やっぱり安全な場所がいいと思うんだよね。だから、ここで避難誘導とか手伝いたいんだけどな。危険な場所だと守りにくいし……私は直接手合せしたワケじゃないけど、戦場のケイティさんは物凄く強かったよ。もし一旦槍を手にするようなことがあったら多分、身体を張っても止められるかどうか。あと、槍が共鳴とかしたら危ない気がするな……っと、ケイティさん、どこ行くの?」
 鳳明はぼんやりとし始めたケイティに気付き、名を呼んだ。
 魔槍が初めてケイティを呼んでからというもの、ケイティは時折虚ろな目をするようになった。今まで見せた無感情なものではない、心そのものを誰かに明け渡してしまっているような目だ。
「……ぁ……、ごめんなさい」
 名を呼ばれればはっとして正気に戻るものの、うかうかしているとどこかにふらりと行ってしまいそうだ。
 キャンティはそんなケイティの横で、ボールに飽きた仔猫に向け、毛玉と鳥の羽が付いた猫じゃらしをぱたぱたさせた。
「……にゃんこは元気ですのね? ……その、ケイティも」
「うん」
「言っておきますけれど、べ、べつにケイティの事が心配できたんじゃありませんわ〜。この間の球は綺麗になったのか、気になっただけですぅ」
 その言葉を額面通り受け取ったケイティ、スフィアを取り出して見せる。それが光輝いていることに、キャンティは一瞬安堵の表情を見せたが、すぐにツンと取り澄ました。
「キャンティの言ったとおりですわ。磨いてたらちゃんと綺麗になりましたでしょ?」
「うん、ありがとう。……それ、猫じゃらし……いいね。買ってきて……くれたの?」
「キャンティには猫が何を喜ぶかなんてお見通しですわ。欲しかったらケイティにあげてもいいですわよ」
 彼女達はしばらくそうやって遊んでいた。
 聖はと言えば、ある人と同じケイティの薄茶色の髪に櫛を通しながら、何やら考えているようだ。

 やがて、空京上空の空気がごうんごうん、と音をたてる。見上げれば、パラミタを覆う闇龍がその体を苦しげにうねらせていた。闇龍から引きはがされた鱗──闇龍の中にいた魔物は今までも時折空京を襲っていたが、今度は地表にたどり着くこともなく、そのまま塵と消えていく。女王が復活し、闇龍の封印がなされつつあるのだ。
 その場の誰もが、世界が滅びようとしているという、多かれ少なかれ抱えている焦燥感から解放されようとしているとき、
「クレア様、下がってください!」
 ハンスの声が響く。はっとした一同が見たものは──、
「させませんよ……!」
 ──魔槍グングニル・ガーティ。
 いつの間に現れたのか。公園の地面に突き立った、非常時ですら似つかわしくないそれから、何十もの触手が伸びていた。生物のそれと機械のコードを掛け合わせたようなその先はケイティをからめ捕らんとしていたが──それは成し得なかった。槍と彼女を結ぶ直線上に、ハンスの携える幻槍モノケロスが現れたからである。
 ハンスは槍を振り触手を引きちぎろうとする。魔槍は気付いたか、モノケロスに絡めていた触手をしゅるっと抜き去った。
「“禁猟区”が役に立ちましたね」
 ハンスは、クレアに振り返らぬまま、いつものアルカイックスマイルで微笑した。
「油断するな、あの博士なら『最悪のタイミング』を狙うであろう」
 ハンスの警告に応じて魔槍から距離を取ったクレアが、ブライトマシンガンの引き金を引く。彼女は横目でケイティを確認し、
「……やはりか」
 と、呟いた。
「駄目ですわ!」
 キャンティが猫じゃらしを放り投げ、魔槍に魅了されたようにふらふらと立ち上がるケイティの腕をぐっと掴む。ハクはぽーんと投げられたそれを追い、あおむけに寝っころがってそれをキャッチした。
「グングニル・ガーティ……私のところに来たの……?」
「しっかりなさって! あれは違いますわ。ケイティにはにゃんこがいるじゃありませんの!」
 キャンティがケイティの肩を揺らすと、彼女の瞳から虚ろな光が消える。
「ふふん。キャンティが来たからには、友……妹分に好き勝手させませんわよ」
「という事ですので」
 キャンティはケイティの腕をしっかと逃がさないように掴み、彼女の盾になろうとする。いつも通り彼女の執事よろしく控える聖は、更にキャンティを庇うように前に出て、そのまま光学迷彩を発動した。
「イェルネ……いえ、鏖殺博士は、闇龍をエネルギー源とする武器の開発に熱心だったという噂がございますね。それに関羽の言、ケイティ嬢がレゾネイターであることを考え合わせると……、さて、魔槍はケイティ嬢を取り込んで、力の増幅でもなさりたいのでしょうか?」
「難しいことはどうでもいいですわ! ケイティはキャンティの大事なお友達です、ヒステリーオバサンに好き勝手な事はさせませんわ〜!」
 聖は思わず心の中で、キャンティ様、デレましたね……と思ったが、あくまで執事なので口には出さなかった。その代わり、
「こちらからお伺いする手間が省けたようでございますね?」
 確認するように一同に問う。返答なかったが、覚悟は空気を張りつめさせていた。
「失礼いたしました。私が問うまでもございませんでしたね」
 魔槍グングニル・ガーティは、戦場で見かけたときより更に禍々しい気配を発していた。以前は影も形もなかった触手が薄気味悪い印象を強めていたからだけでなく、再びざわざわと蠢き始めた触手が、ケイティを狙っているからだけでもない。
「いくよセラさん! ケイティさんを魔槍の呪縛から解放する為に!」
 鳳明が穂先を外したロングスピアを手に地面を蹴った。
 邪魔者だと判断したのだろう、魔槍の触手が先端を鳳明に向けて突き出される。
「ええ、鳳明。ワタシがサポートしますよ」
 セラフィーナがそれに合わせて『火吹き山の書』のページを繰る。彼女に呼び出された雷が触手の先ではじけ、何本かの先端が割ける。そこに鳳明がロングスピアを突き出した。

「……始まったわ」
 双眼鏡を覗いたまま、夏野 司(なつの・つかさ)が声をかけた。
 夏野 夢見(なつの・ゆめみ)はおにぎりの最後の一口を飲み込むと、司から双眼鏡を受け取る。
「あーあ、動いてる巨大人型兵器、間近で見たかったなぁ」
 ロボットと三国志とを天秤にかけ、結局関羽が警告した方のケイティと魔槍を選んだものの、後ろ髪引かれる思いは残る。
「あんパンもらっていいかしら?」
「いいよー」
 司はコンビニの袋からあんパンと牛乳を取り出すと、冷たいコンクリートのでっぱりに腰かけ、それを口に運んだ。
 役目は見張り。後は夢見に任せるまで。
「よいしょ、っと」
 夢見は左手に持った双眼鏡で一旦確認すると、雑居ビルの屋上、ダンボールで覆って人目を避けるように据え付けた巨獣狩りライフルの前に腹ばいになる。
「瞬間移動も想定内とはいえ、本当に移動してくるなんてね……」
 スコープの視界には、いつか見たことのある魔槍とケイティ、そして同僚を含めた数人が戦いを繰り広げていた。
「前はあんな触手なかったけどなぁ。弱点ってどこだろ……穂先?」
 穂先にしよう。そう決めて、彼女は神経を集中させながら照準を合わせていく。
 夢見がちで騒々しくて、見た目かわいくて弱そうな彼女だが、その実それなりに腕の立つ教導団のスナイパーである。
「いっくよー!」
 掛け声とともに、引き金を絞った。

 鳳明がバックステップをして魔槍との間合いを取った時と同時に、風の矢が、彼女達の遥か頭上から放たれた。
 危ない、と思うより先に、公園に金属が割れる音が鳴り響いた。
 半瞬後、魔槍の穂先が砕け散る。
「何が──」
「気を抜くな!」
 彼女が呆気にとられる前にクレアが叱咤する。
「ごめん!」
(ケイティさんも私も親の顔を知らない……私は運よく両親に拾われたけど、ケイティさんの親はあの陰険な教授だもん)
 鳳明が再び魔槍に飛び込む。上下左右に動きがブレながらも、旋回・迂回しなが鋭く突き出される触手を、スピアに絡めるように巻きつけていく。
(こんな槍が子供だなんて、そんなのケイティさんに押しつけなんか、させやしない!)
 彼女は腕を引いた。
 絡まった触手がスピアごと引っ張られる。穂先を失って力が出ないのか、魔槍が地面から抜けて、宙を舞う。
「セラさん!」
「分かっていますよ」
 セラフィーナの氷術によって呼び出された細かい霧状の氷が、伸びきった触手を覆い凍りつかせていく。
 ハンスがそれをモノケロスで断ち切り、クレアのブライトマシンガンから放たれた光弾が本体に降り注ぐ。
 魔槍は全身に銃弾を浴び、断末魔のような雄たけびをあげると、やがて溶けるように黒い瘴気となって地面にへばりついた。

「大丈夫ですの、ケイティ」
 キャンティが、彼女の隣から突然飛び出したケイティの背中に声をかける。
「……平気」
 地面に膝をついたケイティの頬には一本、血の筋が走っていた。
 地面では、戦闘で千切れた触手がまだぴくぴくと動いている。
 それがハクをケイティの拠り所とみて掴み上げようとして、とっさにケイティがかばったのだ。
 触手はしばらくくねっていたが、本体が崩れると間もなく動かなくなった。
 そして──彼女が立ち上がりざまに振り返れば。
「……ママが、守ってあげるからね……」
 ケイティは抱き上げたハクを両手で包み込み、その頬に、愛しそうに頬ずりをしていた。