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リアクション
●ロノウェ居城:中庭
ザナドゥは常にうす闇に閉ざされている。
ここで生まれ育った魔族にはどうってことない暗さだが、人間たちにはそうもいかない。特に食事をとる上で、あかりは重要だ。暗い中で食べ物を食べたって、おいしいはずがないではないか。
というわけで。
今、居城の中庭は端々に設置されたライトで照らされ、ロンウェルの街全部を対象としても、そこだけ異様な明るさを放っていた。
「あー、来た来た。翔さん、ロノウェさん、こっちこっち」
大きな目がくりくりとした、鈍白金色の美しい毛並みをしたかわいい白モモンガ姿のペシェ・アルカウス(ぺしぇ・あるかうす)が、中庭に下りた2人に気付いて手を振った。
「はい、これ。お皿とフォーク」
小さな手がロノウェに紙皿数枚とプラスチックのフォークを手渡す。
「なに? これ」
「あのね、聞いてみたら、みんなロノウェさんやヨミさんたちにって、いろんなお土産持ち寄ってたの。だからどうせならピクニックにしようって。ね? エル」
「え?」
急に名を呼ばれ、エルサーラ サイジャリー(えるさーら・さいじゃりー)はみんなが取りやすいようにパイを切り分けていた手を止めて振り返った。わけも分からないまますぐ近くにロノウェがいるのを見て、びくっとする。
「エル?」
「えっ、ええ。そうよ」
とりあえずうなずくと、ケーキサーバーに乗っていたパイをロノウェの手元の紙皿に乗せる。
「これ……あなたの手作り?」
「ばっ……違うわよ。もらったの。いっぱいもらって、余ったから持ってきたのよ。みんな、今日ここに集まるって聞いたから。これだけいれば、パイの2〜3ホールなんて、あっという間でしょ。
ここに来たのだって、そのためよ。べつに……あなたと会うために来たんじゃないわっ」
「……エルってば、素直じゃないなぁ」
離れていくロノウェを見送りつつ、ペシェがつぶやく。
「何よ? 事実じゃない。私には、委員長ちゃんに言うことなんか何もないわ」
(ロノウェたちにあげるからもう1個焼いて、ってわざわざ頼んだくせに)
からくりを知るペシェは、そう口にしたくてムズムズしたが、でも言わない。これが温情ってヤツ?
「何よ?」
「なーんにも。お皿配り終わったから、僕、みんなの写真撮るねー。楽しいピクニックの始まりだもん」
「ザナドゥでは機械はまともに動かないわよ?」
「デジカメはそうかもしれないけど、フィルムタイプならきっと大丈夫だよ」
荷物の脇に置いてあったカメラを持ち上げ、紐を首にかけるとペシェはいそいそとみんなの写真を撮りに向かう。人ごみに消えるその姿を見て。
「……もうっ」
エルサーラは少し強めに、パイにナイフを入れたのだった。
「ロノウェさん、お席は用意してあります。こちらへどうぞ」
パイの乗った皿とフォークを手に、人でごった返した中庭をきょろきょろ見渡しているロノウェに、そう声をかけてくる者がいた。
顔立ちの整った端正な男だった。うなじのところで結ばれたさらさらの黒髪。黒い縁取りの眼鏡越しに見える瞳は口元に浮かんだ笑みのように、やわらかな光を弾いている。
「ナプキンをどうぞ。お飲み物をすぐお持ちしますね」
「あなた、うちの給仕じゃないわよね?」
敷かれたゴザシートの上、手慣れた動作で前を整える彼に、そんなはずはないと思いつつも訊いてしまう。それを聞いて、笹野 朔夜(ささの・さくや)はにこっと笑った。
「はい。違います」
「なら、あなたも食事をするべきよ。そういうことはちゃんとうちの給仕たちがするわ」
客を使用人のように扱う気はない、とその目は言っていた。どこか腹立たしげで、睨んでいるふうにも見えたが。
対し、朔夜は今度は少し面白そうな笑みを浮かべる。
「いいんです。こういうことは俺の性に合っているというか……」そこまでを口にして、ロノウェがますます疑いを濃くしていることに気付く。「じゃあ、こう思ってください。あなたはこの城のホストとして、客を楽しませたい。そしてこの客は、好きなことをして楽しんでいるのだと」
ロノウェはその言葉を確認するようにじーっと朔夜を見つめて、ふっと笑った。
「分かったわ。ただ、やりすぎて給仕たちの役目を奪いすぎないでね」
「ええ。とてもではありませんが、ここにいる全員をカバーできるほど俺の能力は高くありませんから。そう見えると思ってくださったことは光栄ですが」
ウィンクをして「それでは飲み物をお持ちしますね」と、朔夜は離れていった。
「朔夜、それは空だ」
ステンレスのポットを持ち上げた朔夜に、笹野 冬月(ささの・ふゆつき)が横から別のポットを差し出した。
「今厨房からもらってきた」
「ああ、冬月さん。ありがとうございます」
受け取って、さっそく冷えたアイスティーを紙コップにそそぐ。それをロノウェの元へ運ぼうとし――冬月を振り返った。
「これ、冬月さんが持って行きますか? ロノウェさんに話があって、来られたんでしょう?」
朔夜の提案に冬月は数瞬の間黙考し、首を振った。
「――いや、あとでいい。急いではいないからな」
それに、もう必要ないかもしれないし、とはだれにも……朔夜にすら聞こえないつぶやき。
「まぁ、そうですね。落ち着いて話をするには少し不向きかもしれません」
納得して、朔夜はコップの乗ったトレイを持ってロノウェの元へ運んで行った。
ゴザシートの上、城の料理人が作った料理のほか、各自持ち込んだお菓子や食べ物を取り分けて、皆和気あいあいと食事をとっていた。その中にはロノウェに話をしにきた非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)、アウナス・ソルディオン(あうなす・そるでぃおん)、ガイウス・カエサル(がいうす・かえさる)、コトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)、蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)、ルーク・カーマイン(るーく・かーまいん)、ソフィア・レビー(そふぃあ・れびー)、それにもちろん、仲間たちの手厚い救護で回復した蔵部 食人(くらべ・はみと)と魔鎧形態を解いた魔装侵攻 シャインヴェイダー(まそうしんこう・しゃいんう゛ぇいだー)の姿もある。
紙コップを手に、プラスチックのフォークで紙皿の上の料理をつまみながらたわいもなく談笑する彼らに向かい、カシャカシャとシャッターをきるペシェ。
いい写真が撮れた自信に、にっこり笑顔が浮かぶ。と、カメラを掴んでいた彼女の手がいきなり横に引っ張られ、大きな両手で握り込まれた。
「あなたは神の使いです!」
「はあ?」
満面の笑顔で彼女を見つめ、いきなり変なことを言い出した、ぼさぼさ頭の男にペシェの丸い目がさらにまんまるくなる。
「きっとそうです! そうに違いない! 動くカメラを持っているんですから! ぜひそれを貸してください!!」
貸してと口にしながら、返事も聞かず今にも奪い取りそうなけんまくだった。
「だ、駄目だよ、これは僕の大事なカメラなんだから」
あわてて懐にかばい込む。
むうう、と東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)の表情が曇り、次の瞬間、ペシェは飛ぶ勢いで引っ張って行かれた。
「仕方ありません。ではあなたが撮ってください、私のシャノンを!」
「え……ええっ!?」
「凛として美しい、まさにこの世の天使です! あれを収めなくてはならないというのに、私のデジカメときたらまったく役立たずで」
さあご覧なさい、とばかりにバーンと手で指し示す。そこでは、カメラ撮影ということでメイドたちが気を利かせて城から持ち出してきた色とりどりのザナドゥの花々に囲まれたシャノン・マレフィキウム(しゃのん・まれふぃきうむ)の姿があった。
「ゆ、雄軒。そんな、撮らないでくれ……」
ほほを染め、視線をそらしながらも、立ち上がってその場から去ろうとはしないあたりシャノンも演技派である。
「どうです! 美しいでしょう! でもあげませんよっ! 触っても駄目です。彼女に触れていい男は私だけなのですからっ」
まるで牝馬のにおいを嗅ぎつけた牡馬同然に鼻息荒く力説する雄軒に、ペシェは完全に気圧された。
ペシェの言葉などまるで耳に入れてないこの男に逆らっても無駄……というか、単純にコワイ。
(僕、女ですけど……)
まぁ、触れる気ないからいいけどね。
1巻ぐらい撮って渡したら満足して解放してくれるかな? とフィルムを交換し、ジーコジーコ巻いてから撮り始める。
――パシャパシャ、パシャパシャ。
「くうーっ! きれいですよ、シャノン!」
「は、恥ずかしいよ、雄軒……」
「そんなことありません! あなたほど美しい存在はこの世に1つとしてないんです!
ああ、やはり我慢できません! 貸してくださいっ!!」
「あっ! 僕のカメラっ!!」
奪い取ったカメラで、雄軒はさまざまな角度からシャノンを撮影し、心行くまで堪能する。
――パシャパシャ、パシャパシャ。
「何やってんだ、ありゃ」
少し離れた位置から成り行きを見守っていたドゥムカ・ウェムカ(どぅむか・うぇむか)が、外から見た身内らしいひと言をつぶやく。最近『シャノン不足で死にそう病』にかかっていたらしい雄軒は、この機会にすっかりたががはずれたらしく、暴走している。このまま、城の空き部屋までシャノンを引っ張り込みかねない様子だ。
まぁ、あのまま満喫すれば、多少理性を取り戻してそのうち元に戻るだろう、そう見当をつけて、ドゥムカは視線をはずした。
その視界に、今度はヨミの姿が入る。
ヨミは今、アルテミシア・ワームウッド(あるてみしあ・わーむうっど)の膝に抱っこされていた。自分の背丈ほどもあるチョコ菓子の山を前に目を輝かせ、興奮しきってしっぽをぱたぱた振りっぱなしだ。
「次あれっ、あれが食べてみたいのですっ」
「はい、ヨミちゃん。ちょっと待ってね」
ヨミが指すお菓子をアルテミシアが取り、開封して口元に運んでやる。とろけそうな顔をして、もっちもっちと幸せそうにほおばるヨミ。
「おいしい?」
「おいしいのですー」
そしてそれを面白くなさそうに脇から見ているのが蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)だった。アルテミシアが怖くて強硬手段に出られないが、ヨミの親友の座を目指す彼女としては、この状況は面白くない。
「ヨミ、次これ! これも食べて! あたしが持ってきたの! おいしいんだからっ」
と、ちくわチョコをヨミの口に突っ込んだ。
(……まぁ、おしなべて、平和だよな)
どっかと胡坐をかいて座りながら、あごを掻く。ちょっと身の置き所がない気もしたが、この状況にはおおむね満足している。聞こえてくるのは人々の談笑する声と、カメラのシャッター音。
――パシャパシャ、パシャパシャ。
(まだ撮影してやがる。あれ、フィルム切れてても気付きなさそうだな)
ぼんやりその様子を伺っていたら、何かが背中をよじのぼってきた。
「ヨミ。どうした?」
「無礼な。ヨミ様と呼ぶようにと言ったでしょう!」
ぺしぺし。肩に座ったあと、もみじのようなてのひらでドゥムカのほおをたたく。当然、蚊にさされたほどにも感じない。
「はいはい。で、どうしたって?」
「なんでもないのです。暑いので、涼みにきたのです」
ここが一番高かったから。
「ああそうか。はいはい。――これ、飲むか?」
「飲むのですっ」
手渡されたアイスティー入りの紙コップを両手で持ってコクコク飲むと、ヨミは渡る風に気持ちよさそうに目を細めた。