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リアクション
それが最後の戦いになると、どこかで誰もが予感していたのかもしれない。
いや……そうでなくとも。
バルバトスを前にしたとき、シャムスたちは、彼女に全てをぶつけて戦うことが必然だったのだ。
――全てを、終わらせるために。
シャムスとともに、二刀流の剣を手にして戦う神楽 授受(かぐら・じゅじゅ)。
「シャムス様、いくよっ!」
「ああ……ッ!」
前方から迫ったシャムスにバルバトスが気を取られている隙に、彼女は横から回り込んで剣を振るった。が、そう簡単にやられるようなバルバトスではない。
加えて――
「ふふふっ……バルバトス様には誰も近づけさせませんよ!」
バルバトスを守ろうとする秋葉 つかさが、授受たちに追いついて飛び込んできた。
彼女の身体を纏うのは、魔鎧化したバイアセート。衣服の下から巻き付いた黒い帯状の布が、まさしく意思を持っているかのようになびいていた。
そんなバイアセートの魔鎧が、授受の刀を受け止める。
だが、それでも、授受はあきらめようとはしなかった。
「やあああぁぁっ!」
すぐに反転すると、地を蹴って再びバルバトスに迫る。
しかし。
「こざかしい!」
バルバトスのランスから放たれた雷撃が、地をえぐって授受を襲った。
だが、とっさに飛び込んだエマ・ルビィ(えま・るびぃ)が、彼女を抱いて横っ飛びにそれを避ける。
「エマ……っ!?」
「大丈夫です。心配いりません」
かすかに衣服は焼き付いたが、なんとか、無事ではある。
エマは、授受とともに立ち上がってバルバトスを見据えた。
「わたしは、あなたを許しません」
気丈に、言い放つ。
「あなたが何を考えているかは分かりませんし、知ろうとも思いません。楽しかったですか? 人の心をもてあそんで。……たとえ、あなたの過去に何があろうと、あなたがどんな思いを抱えていようと……誰かを傷つけていい理由にはならない!」
「そうだよ……っ! エンヘ様だって…………いなくなっちゃったこと、あたしは怒ってるんだから! だから絶対に、許さない!」
「ふん…………くだらない理由だわ〜」
バルバトスは逆に、エマの激しい怒りを帯びた瞳を軽く受け流した。
「くだらなく思えるか?」
と――バルバトスに向けて静かに問うたのは、静水に波紋を生むような声だった。
振り向いたバルバトスの視線の先に、彼はいる。
緋山 政敏(ひやま・まさとし)は、シャムスとともに剣を構えていた。
無なる剣。
彼の光条兵器は、そう呼ぶにふさわしい姿をしていた。
光を放ってはいるが、決してそれはシャムスたちの知る単なる閃光ではない。まるで、政敏そのものの存在感が剣の形をとったような、そんな印象を受ける。
シャムスは、それを見るのは、かつて“闇”として君臨していた魔族を討ち倒したときを含め、これが二度目だった。
「行くぜ?」
「……ああ」
思わずその剣に見とれていたところで政敏の声がかかり、シャムスは現実に帰ってきた。
次いで、飛び出す仲間たち。シャムスは授受と政敏とともに、地を蹴った。
シャムスと授受が正面から飛び込むが、政敏は逆に背後から回り込む。踏み込んだその剣が、無なる剣――その境地である気配なき攻撃として襲いかかってきた。
「フンッ……!」
しかし、バルバトスの動きは驚異的だ。
それを身体をひねるようにして受け流すと、次は自分からの反撃に――
転じようと思ったが、そこにシャムスと授受の攻撃が降り注いだ。
それもまた、彼女のスピードについていけるのはわずかな剣筋だけだ。だが、数では明らかにバルバトスに勝っている。避けきれなかった最後の一つの剣線――シャムスの振り下ろした刀身が、バルバトスのランスとぶつかった。
「まったく……ネズミみたいにチョロチョロとめんどくさいわね〜」
「そのネズミがいま、貴様を倒そうとしているんだ。光栄に思え」
「あなたがネズミなら私はネコよ…………しょせん、ネズミはネコに勝てないわ」
ランスに力がこもった瞬間、シャムスは吹き飛ばされた。
反転して、空中で体勢を取り戻して地に降り立つシャムス。
「ネコか……。バルバトス、知っているか? 地球では、窮鼠猫を噛むと言う言葉があるらしい」
「あら、そうなの?」
まるで興味がなさそうに笑うバルバトス。
「その意味はな…………追い詰められたネズミは、時にネコに反撃するということだ! このように……なッ!」
飛び込み、剣を振るう。
バルバトスのランスがそれを受け止めた。
「どれだけネズミが反撃しようとね…………それをつぶすことが出来るからワタシはネコなのよ〜。あなたとは、しょせん、格が違うわ」
「その格とやらが――どれだけの者を傷つけているか、お前には分かるまい」
「……分かっててやってるのよ、ワタシは」
「ならば、なおさら……ッ! オレは、お前を討つ!」
二人の武器がぶつかり合うたびに、衝撃波が部屋に広がる。
それは、バルバトスの魔力が生んだ波動である。
戦いは、衝撃に身を打たれてもなお、続いた。
「本当は戦いなんて嫌だけど……でも、何もせずに失うのはもっと嫌だよ! ……人間も悪魔も……バルバトス、貴女も!」
高峰 雫澄(たかみね・なすみ)はそう言って、バルバトスに訴えかける。
彼女の周りを浮遊する《アンチェイン・ハート》――『心の解放』を意味されたフラワシが、青白いあたたかな光を発していた。フラワシは、本来なら術者以外には見えない霊体である。しかし、アンチェイン・ハートの光は、それ以外の者に対しても、光のそれとして存在を証明してくれるのだった。
まるで――見る者の心を具現化しているかのように。
「そうだよ……こんなことやめないかい? 少なくとも、君にとってはいいものじゃないよ。僕たちは、たとえ貴女であっても、失いたくはない」
雫澄に続けるように、永井 託(ながい・たく)が言った。
「君の願いと憎しみは切り離すべきだよ」
心のどこかで、彼は思っている。ただ、彼女は純粋なだけじゃないかと。本当は、魔神の中の誰よりも子供なんじゃないかと。その憎しみや望みは、切り離されるべきものなんじゃないかと。
しかし――
「さすが…………甘いわね〜」
バルバトスは、二人の望みを理解していてなお、笑った。
「ワタシが、本当はとってもいい人だとか、実はなにか苦しみを抱えているとか、そんなことを思ってたの? そんな、夢物語みたいな話を……」
「君は――」
「おあいにく様だけど……ワタシはそんなおとぎ話の登場人物じゃないの。ルシファー様の復活のため、パイモン様のため……そして魔族のために……いえ、もはや、誰かの望みなんかじゃないわ。ワタシの、ために」
バルバトスは、ランスを掲げた。
「邪魔なものは……壊してあげるのよ」
瞬間。
ランスが振り下ろされたとき、激しい衝撃波が託たちを吹き飛ばす。
「くっ……」
まるでカマイタチのような、無数の風の刃だ。まともに受けていたら、肉という肉をえぐられて、瀕死になっていたことは間違いない。それでも、バルバトスの一番目の前にいた託がそれを避けられたのは、
(大丈夫か、託)
「ああ……どうにか」
魔鎧となって彼に装着される無銘 ナナシ(むめい・ななし)がいたからに他ならなかった。
切り刻まれてボロボロになった身体を打ち震わせ、なんとか託たちは立ち上がった。
「どうしても…………無理なのかよ…………」
「バルバトスの言うとおり……とは言いたくないが、確かに甘い考えは捨てたほうがいいかもな」
同じくバルバトスと戦っていた政敏が、託たちのもとまで飛び退いてきた。
「……君は……君は、それでいいのか、政敏」
「……さあな。他人の事なんて、結局のところ分かりはしないさ。まして、あいつのことなんてな」
政敏の視線はバルバトスに注がれている。
「ただ一つ、ハッキリしてることはあるのさ。ここでアイツを止めないと、悲劇はまた繰り返されるってことだ」
「そうです。それだけは、避けなければなりません」
政敏に続くように言ったのは、彼の横で援護攻撃に尽力していカチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)だった。その視線は、託とともにバルバトスに必死に訴えかけていた雫澄へと注がれる。
「高峰さん……あなただって、本当は分かっているのでしょう?」
雫澄は悔しさをかみしめるように、唇をかんだ。
「でも……それじゃあ、バルバトスの命は……」
命は、皆平等だ。
少なくとも、雫澄はそう思っている。そこに、魔族も人もありはしない。
だがそれでも――
「それを覚悟して、私たちはここに立っているんです」
「…………」
カチェアはそう言い残して、政敏たちとともに再びバルバトスに戦いを挑んだ。
(迷っているな……)
立ち尽くす雫澄の身体に身につけられた魔鎧――魂魄合成計画被験体 第玖号(きめらどーる・なんばーないん)。通称、ナインは、あえて心の中だけにそのつぶやきをとどめた。
(甘い考えはぬぐいきれない、ですか。……もっとも、それが彼の弱さであり、強さなのでしょうが)
彼は、優しすぎるのだ。
だが、それを乗り越えねばならない時がくる。今がそのときか、あるいは違うのか。雫澄は分からなかったが――。
「覚悟……」
彼は涙をぬぐって、バルバトスとの戦いに身を投じた。
バルバトスとシャムス――そして契約者たち。
それぞれの武器がいくつも入り乱れ、ぶつかり合い、衝撃波が床と壁を破壊しつくしていった。
すでに、契約者たちも最後の手段――光条兵器を構えている。無なる剣で無数の剣戟をぶつける政敏。シャムスと連携し、互いに隙を縫った刃を振るう授受。雫澄と託も、バルバトスを止めるために戦っていた。
そして――小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の《対神刀》が、徐々に圧されてゆくバルバトスに迫った。彼女のパートナーであるベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)も、《対神銃》を用いて遠距離からの援護攻撃を加える。
「美羽さん、いまのうちに!」
「うんっ!」
対神銃が4連発の弾を咆吼し、それをバルバトスがはじき飛ばす隙に、美羽が詰め寄った。
それらは、単なる武器とは違う。
神にさえも対抗する力を持った刀と銃は、まるでバルバトスのランスのように、その波動を部屋中に響かせていた。
(バァルのためにも……シャムスのためにも…………エンヘドゥのためにも……そして、みんなのためにも)
やがて。
「負けるわけにはいかないッ!」
光の魔力を含んだ決死の《ライトブリンガー》の一撃。それが、バルバトスをランスごと吹き飛ばす。
瓦礫のなかに突っ込むが、身を打ち震わせてすぐに起き上がるバルバトス。
だが。正面から彼女に剣を振るってきたのは、美羽ではなかった。
「シャム――」
シャムスの瞳に、映った影。
そこには、武器を持ち替えた美羽の姿があった。
その武器は、バァル・ハダド(ばぁる・はだど)から譲り受けた剣だ。それは、自身の思いの結晶。形となった、決意。
「これで…………これで、最後だああああぁぁぁ!!」
そして。
美羽の叫びとともに風のうなりを上げたバァルの剣は、“自ら歩み寄ったかのように見えた”バルバトスの背中を貫いた。
「…………あ……」
「終わりよ……バルバトス…………」
子どものような声を漏らしたバルバトスは、ゆっくりと首を下げ、自分の腹を見下ろす。
腹部からは血が、溢れ出る。バァルの剣がその上から突き出ており、遅れて、言いがたい苦しみが彼女の上に降りかかってきた。
「バルバトス様っ……バルバトスさまああああぁぁっ!!」
叫びをあげたのは、つかさである。
バルバトスの胸から溢れてくる血を見て、彼女は錯乱したように彼女に駆け出そうとした。
「っ……つかさ、やめろっ! てめぇまで、やられるぞっ!」
だが、それを魔鎧から人型へと戻ったバイアセートが止める。
バルバトスが瀕死の状態になったいま、もはやシャムスたちと自分たちとの間に障害はない。撤退しなければ、こちらがやられてしまうことは明白だった。
何度もバルバトスの名を叫ぶつかさを無理矢理掴むようにして、バイアセートはその場から去った。
バルバトスの口元からは、一筋の血が流れる。
ただ――。
「フッ…………フフッ…………」
それでも、彼女は笑っていた。
まるで、自分の死すらも楽しむかのような、淫靡で、妖艶な笑みを浮かべて。
誰も視線を外すことが出来ない中、しばらくの間、バルバトスの笑い声だけが響き渡る。
――忘れないで頂戴。これが、あなたたちが手を取り合おうとする、魔族というものよ――
「バルバトス…………」
剣を腹に突き刺されたまま、やがて膝をつき崩折れるバルバトスを、政敏たちは見下ろした。
もはや言葉を発することすら出来ないのか。彼女は人間のような血を流し、血だまりのなかで生気を失っていく。
シャムスたちと目配せをして、政敏は無なる剣を振り上げた。
(お互いを許さなくていい。けど、――俺たちで、終いにしようや)
そして。
音もなく、振り下ろされた剣に斬り屠られたバルバトスは、静かに眠った。
その顔に、笑みをたたえたまま。
●
バルバトスがその命を落とした後、彼女が奪った魂を封印していた壺は宙に現れ、霧散した。同時に、光の輝きをもった玉のようなものがいくつかどこかへ飛んでいった。
恐らく、奪われた魂が本人のもとに返っていったのだろう。優斗の弟、隼人もきっと、正気を取り戻しているに違いない。
が、それはともかく――
「それじゃあ、始めるよ」
遅れて合流したアムドゥスキアスのもとで、いま。
エンヘドゥ復活の儀式が始まろうとしていた。
そもそもの話、シャムスはそれ自体を聞いていなかったわけだが……。バルバトスを倒すためには仕方なかったと語るアムドゥスキアスに怒ることも出来ず、なんとなく彼に上手いこと転がされたような気がして釈然とはしない顔をしていた。
しかし。
「エンヘ……ドゥ…………」
7つの欠片が合わさり、エンヘドゥの身体が再構成されていくと、そんなことはもはやどうでも良いことに思えた。
光に包まれた欠片が一つになり、そして、エンヘドゥの姿を取り戻していく。
「エンヘドゥっ!」
「お姉さま……?」
シャムスはエンヘドゥを抱きしめた。
そもそも記憶が曖昧なのか、涙を流している姉の姿に、きょとんとした顔をするエンヘドゥ。だが、その部屋の惨状と、仲間たちの姿を見て、ようやく彼女は、自分がバルバトスに殺されていたのだということを思い出したようだった。
「アムドゥスキアス様……」
「ボクはたいしたことしてないよ。みんなが頑張ってくれたからさ」
アムドゥスキアスはそう言って、仲間たちを振り返る。
「皆さん……ありがとうございました」
深々と頭をさげてお礼を言うエンヘドゥ。
仲間たちは口々に会話を交わし、彼女が本当に戻ってきてくれたのだということを実感した。それは、エンヘドゥ自身も。
……まあ、いまだに、シャムスは彼女を抱きしめ続けて泣きじゃくっていたが。
「もう、お姉さまったら……」
「よかった…………本当に……良かった」
姉妹はそうして、いつまでもお互いを抱きしめ続けた。
もう二度と、離したくないと、願うように。