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■第十章 白砂の遺跡2


「俺、虫苦手なんだよ……」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)がシュタルの突撃を転がり避けながら、銃口を揃えて引き金を引いた。
 放たれた弾丸は、床に転がったエヴァルトへと追撃に転じようとしたシュタルの頭先を牽制した。
「いーからボクに任せといて!」
 言ったロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)の鼻先をもう一体のシュタルの前足が通り過ぎていく。
「しかし、お前さん。二匹も――」
「大丈夫!」
 目の前を掠めていく白い甲殻を、ロートラウトは力任せに殴りつけた。
 ロートラウトの鉄甲に弾き飛ばされたシュタルが、ヒゥルッと回転しながら宙を巡り――
 エヴァルトに狙いを定めていたもう一体のシュタルにぶち当たる。
 衝突音が響く。
「なるほど」
 エヴァルトが空中にふらつく二体を銃撃で牽制しながら、後方に下がる。
 彼の横を滑り抜けるようにしてロートラウトは、駆け、跳んだ。
「てぇッ!」
 蹴り出した足の裏が一体のシュタルを側方へと踏み、壁に叩き付ける。同時に脚部装甲のスパイクを打ち込む。
 が――その寸前で、足裏のシュタルは小刻みに震え、短く金属の擦れる音を残しながら空中へと逃れた。
 スパイクが壁を捉える。それを軸に体を捻り上げて、ロートラウトは、逃れたシュタルへと深く蹴りを叩き込んだ。インパクトに合わせてスパイクを戻し、勢いを活かして体を空中へと放つ。
 そうして、もう一匹のシュタルの上方を取り、突き出した拳でシュタルの背を捉え、床に叩き付けてしまう。
「へへ、いっちょ上がり」
 シュタルを叩き伏せた格好のまま、ロートラウトはエヴァルトの方に笑んで見せた。
 と、よっぽど『いいポイント』を突いてしまったらしい――ズズッ、とロートラウトを中心に床が崩れ始め……
「…………」
「…………」
 ロートラウトは、エヴァルトに顔を向けたまま、へなっと眉端を垂れた。
「ごめんなさい」
「いや、気にするな」
 息ついて、エヴァルトが銃を仕舞う。
 で、二人は落下した。


 ■


「何でこんなところから出てくるかなぁ」
 八神 誠一(やがみ・せいいち)は、ぼやきながら轟雷閃をシュタルへと叩き込んだ。
 あの後、通路で何匹かのシュタルと遭遇したが、隠れ身からの不意打ちで先手を取り、それなりに楽に撃退してきた。
 今回は逆に先手を取られた形だった。
 誠一とオフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)は、大きな壁画の描かれた部屋に居た。その部屋の隅の、崩れた壁の隙間……シュタルはそこから現れたのだ。
 ブゥゥン、と羽音を立てたシュタルへと視線を強める。
「……これは、一体?」
 誠一の後方では、オフィーリアが絵の細部を観察しながら考察している声が聞こえていた。
 こちらの心配は特に無いらしい。
「信頼されている……と、思っておきましょう」
 誠一は小さく呟いて、床を蹴った。
 
 オフィーリアの前に描かれていた壁画の下半分は白く塗られていた。上半分は赤い。
 赤い色を背景に、人々が楽しげに踊っている。そして、白く塗られた下部の中央には幾つかの赤い……何か、『さすまた』のようなものが幾つか描かれていた。
 と――シュタルの数が何匹か増えたらしい。
 というのを、誠一が交戦している音から、オフィーリアはなんとなく判断した。
 溜め息をついてからオフィーリアは振り返った。
「さっさと倒してしまうのだよ」
「異論はありません」
 こぼした誠一がシュタルの突撃をかわしながら、雅刀を斬り弾く。
 オフィーリアは、飛び回るシュタルたちの集った方へと両手を構え――
「これで一網打尽なのだよ!」
 バニッシュを放った。
 光に巻かれたシュタルへと誠一が肉薄して、
「こ・れ・な・ら・ど・う・か・な・っと!」
 それを下方から突き出した切っ先で天井に向かって斬り飛ばした。
 刹那、どどんっと天井に響いた地響き。
 ぱらっと、崩れた石片が降ったかと思ったら、天井が一気に崩れ落ちる。
「――っ!?」
 誠一がオフィーリアを抱き庇いながら部屋の隅に飛ぶ。シュタルたちが落下してきた瓦礫の下敷きになり――
 そこから逃れられた、たった一体のシュタルを、天井の上から降り落ちてきたエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)が踏んだ。


 ■


 不意に一行の後方へ降りたシュタルに気付き、アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は、体勢低くアンジェラ・エル・ディアブロ(あんじぇら・えるでぃあぶろ)の横をすり抜けた。
「皆、下がってて!」
 アンジェラの背中に斬りかかろうとしていたシュタルの前足を、抜きざまの高周波ブレードで受ける。
 アリアの言葉に従って皆が下がった気配を聞いてから、アリアはシュタルを斬り弾き、一度、短く後方へ跳び退った。
 天井に穴が開いている。シュタルはおそらくそこから現れたのだろう。
 目の前のシュタルが羽を広げ、飛ぶ。
 小さく呼吸を整え、
「来い!」
 シュタルがこちらへ突撃し始めたのに合わせて、アリアは踏み込んだ。
 刹那、音速を超える斬撃の嵐がシュタルを襲った。
 一拍の後、幾つもの金属音が鳴り響き、シュタルは裂け砕けて落ちた。
 ふ、と息をついて、振り返るとアンジェラと目が合った。
 なんとなく出来た沈黙。
「――ええと……大丈夫だった?」
 アリアが言葉を彷徨わせるように言いながら首を傾げると、アンジェラはドルチェの影に隠れてしまった。
「……あ……」
 言葉が本当に彷徨う。
 それから、しばらく進んだ後――
 一行は、幾つめかの扉を発見していた。
 扉の前の床を叩いてドルチェ・ドローレ(どるちぇ・どろーれ)の手元に帰るリターニングダガー。
「――罠は、無さそうね」
「それじゃあ、少しだけ待っててください」
 ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が、扉の前にしゃがみ込んで道具を取り出す。
 うなづいて、アリアは周囲を警戒するべく後方の通路へと振り返った。
 通路の端には、ドルチェが腕を組みながら壁に背を預けていた。その隣では、アンジェラが少しドルチェに隠れるようにして立っている。
 ザカコが鍵を弄くる音が小さく響き始め、アリアはそちらをチラリと見やってから小さく息をついた。
「……クラリナさん、どこに居るんだろう」
 今まで幾つかの部屋や通路を巡ってきたが、どこにもクラリナの居る気配は無かった。
「クラリナの行方は、私も気になっていたわ」
 ドルチェが壁に背を預けたまま言う。
 アリアはそちらの方へと視線を向け、
「この遺跡の中に監禁されているのかも、と思ってたんだけど……」
「気配は無いわね」
「でも、ここじゃないとすると――ニュースに映ったジョゼのそばにはクラリナさんは居なかったわ。町のどこかに監禁されている……?」
 と、ドルチェが思案するように目を細め。
「そもそも……クラリナは今もまだ監禁されているのかしら?」
「――え?」
 カチ、と音。
「開きましたよ、鍵」
 声に振り返ると、笑んだザカコがピッキング道具を掌に遊ばせていた。


 ■


「妙な造りだよな……」 
 虎鶫 涼(とらつぐみ・りょう)は呟いた。
 涼は己が落下した縦穴の中腹に開いた狭い通路に身を押し込めていた。銃型HCを開き、記録されたマップへと手を加えている。
 穴の中央を流れ落ちる砂の音だけがとうとうと静かに響いていた。
 床の崩落に巻き込まれたあの時、共に落ちていた床の一部を蹴ってバーストダッシュで空中を跳んだ。
 それでなんとか取り付いたのが、横穴のように開いた通路の入り口だった。奥にあったのは何も無い小さな空間。それ以外には何も無かった。
「……何も、な」
 何かが保管されていた様子も、この部屋へと繋がる道があった形跡も、文字も、絵も、何も。建築理論上の必要な空間というわけでも無さそうで、何のためにこんな空間が造られているのか全く検討が付かなかった。
 横穴の入り口まで戻って、砂の流れ落ちる縦穴の方へとライトを巡らせてよくよく確かめてみれば、縦穴の壁のそこここには、自分が同じような入り口が幾つも開いていた。
 壁を伝って幾つかの通路へ入り込み、奥を確かめてみたが、みな同じだった。意味不明の小さな空間があっただけだった。
「違うのは通路の長さだけ――もう一つ妙なのは、なんだか無理やり造り替えて作ったような感じがするってことだが……」
 他の入口にも似たような通路と空間があると推定して、それを銃型HCのマップに入力し終えたが――何が分かるでも無い。
 涼は、一息こぼしてから銃型HCを閉じて縦穴を覗き込んだ。
 見上げて、見下ろす。
「とりあえずは……――昇るか。下るか。そいつの方が問題、か」


 ■


 ぽぅ、と燈った光術の明かりが部屋全体に描かれた壁画を照らし出していた。
「……これって」
 久世 沙幸(くぜ・さゆき)は、壁画に描かれた小さな白へと指を触れながら呟いた。
「シュタル、ですわね」
 藍玉 美海(あいだま・みうみ)が言う。
 壁画は三方に違うものが描かれていた。
 左の壁に描かれていたのは、黒い水に濡れた巨大な建物と湖と町並みだった。
 中央の壁画は、片方に黒い雨と湖が描かれており、それがもう一方へ向かうにつれ白い虫の群れと砂漠に変化していくというもの。
 虫の群れの下には剣らしきものを持った数人の男が、逃げようとしているらしい人々を刺し貫いている姿が描かれていた。その中には、逆に、剣を持った男が人々に刺されている姿もあった。
 そして、右の壁にあったのは白砂の砂漠に沈んだ巨大な建物と町並みだった。
 左の壁画の建物と、右の壁画の建物の下には、同じく白く大きな靄のようなものが描かれていたが、二つの建物自身は似ているようで少し違っていた。
 例えば、左の建物の頂点には特に何もないが、右の建物の頂点には赤い大きな扉が描かれている。
「ここにある二つの大きな建物は、おそらく、この遺跡ですわ」
 美海の声が静かに響く。
 壁画に指を触れながら、沙幸は美海の方へと振り返った。
 光術の明かりの中で、部屋の中央に立った美海は、頬に薄く指先をかけながら右の壁画へと視線を向けていた。
「ここに描かれている赤い扉の文様。この遺跡の入り口にあった扉の文様と同じですわ」
 美海の視線が、左の壁画へと滑る。
「こちらと形が異なるのは、何かしらの理由で改築……いえ、増築したからではないかしら? 右の建物の方が少し大きいようですし」
「えと……じゃあ、もしかして、この辺りは昔、砂漠の代わりに湖と町があって……今は、この遺跡ごと砂に埋もれちゃってるってこと?」


 ■ 


 かつて、この地は枯れた荒野だった。
 地に留まる白き力が水を呼び寄せると知った人々は、《形》によって白き力を増幅させ、豊かな水を呼び寄せた。
 しかし、いつしか強くなり過ぎた白き力は虫と砂を産み始めた。
 気付いたころには、白き力の肥大化は誰にも止められないものとなっていた。
 人々は慌てて《形》を変えたが全ては手遅れだった。
 突如して生活を奪われた理不尽によって生まれた怒りは白き力に繋がれ、それは決して悲しみへ流れることなく、町は白い砂に埋もれた。

 アンジェラ・エル・ディアブロ(あんじぇら・えるでぃあぶろ)が読み上げた碑文は、要約するとそんな内容だった。
 彼女たちは立ち入った部屋で、壁に埋め込まれた石碑を発見していた。
「……白き力って、砂漠の精霊のことなのかな?」
 アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)の呟きに、アンジェラの首が小さく振られる。
「アンジェラには分からないわ……人間の考える事なんて」
「《形》というのが何なのかも気になりますし――とりあえず、原文の方も残しておきますか」
 石に彫られた文に息を吹きかけ砂を払い、ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が文字をメモに写していく。
「……一度、繋がれたものは、もう解けないというの?」
 ドルチェ・ドローレ(どるちぇ・どろーれ)は、小さく口にして、組んだ腕を指先でとんっと叩いた。



■タルヴァ 町中


 路地と路地の隙間に隠れるように在った無人のカフェ。
 店内の空気に染み付いていたのは、馴染みの無い香料の匂いだった。
「おまえたちもクラリナを?」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は窓から室内へと視線を戻した。
「ああ。俺は、シュタルに守られているかと踏んで、それらしい所を捜したんだが――」
 閃崎 静麻(せんざき・しずま)が外の様子を伺いながら言って、軽く首を振る。
 隣で、同じく外のシュタルたちが行き去るのを待つ緋桜 ケイ(ひおう・けい)が続ける。
「俺たちはジョゼのそばを」
「ジョゼの暗い感情がクラリナに起因したものだとすれば、近くに居るものと思ったのだがな……」
 悠久ノ カナタ(とわの・かなた)のついた薄い吐息の音が、外から聞こえるシュタルの羽音に消えた。
「――時間はもう無さそうだってのに」
 静麻が苦く呟く。
 と――。
 エースは着信に気づいて、携帯を開いた。
 発信はメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)から。
『まだ人形に宿る魂を信じているかね?』
「当然だ――見つけたのか?」
『先ほど、逃げ遅れていた怪我人を拾ったんだが――彼にクラリナの特徴を伝えたところ、シュタルから避難しようとした時に見かけた、と言っている。彼女は、山へ避難する人々に混じっていたそうだ』
「……どういう事だ?」
『さあねぇ? 私は山へ行って怪我人を降ろしたら、その辺りで聞き込みをしてみようと思っている。多分、まだ近くに居るはずだよ。君も彼女に会うつもりなら来るといい』
 携帯を切って、エースは内容を皆へ伝えた。
「なるほど……こりゃ少し時間が掛かりそうだな」
 静麻が言って、銃でとんっと己の肩を叩いた。
「あんたらはクラリナのとこへ行ってくれ。俺はその間、時間を稼ぐ」 
「時間を稼ぐって……」
 察したのか、ケイが心配そうに静麻を見やる。
 静麻が口端に笑みをぶら下げて。
「気張ってみせるさ――だから、頼むぜ」
「――ああ……分かった。俺たち、必ずクラリナを連れて行くから」
「それまでヘバるなよ」
 エースは繋いで笑った。
「シュタルが減った――頃合いだ、急ぐぞ」
 外の様子を伺っていたカナタが言う。