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【2020年七夕】Precious Life

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【2020年七夕】Precious Life

リアクション


●第三章 願い

 ニ〇ニ〇年 七月七日。パーティーの当日。
 眩しい太陽の下、空京は見事なほどの青い空が広がっていた。
 ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)は汚れない空を見上げている。
 空は晴れても、自分の心は晴れてはいなかった。
 重く圧し掛かるような、怒りにも似た暗雲が心の片隅に沸き起こる。
 怒りというよりは、憤りだった。
 霧の街で可愛い弟――ルシェールが泣いていたというのに、自分はそれに気が付かなかったのだ。
 幼き子を、正しく導くのも帝王の役目。涙一つも拭えずに、何が帝王かと自分自身を叱責していた。
 信頼の眼差しで見上げる少年の姿を思い起こせば、ヴァルの心に一条の光と、思うがゆえの暗雲が心の中で渦を巻く。
 どうにかしてやりたい。
 ヴァルはそう思っていた。
 余計な事だったかも知れないが、「パートナーを頼り、信じろ」と空京にきたばかりの彼に言ったのは、ヴァル本人。その責任は感じている。
 少年は今もパートナーを信じているのだろうか。それとも、諦めてしまったのだろうか。それだけが気がかりだった。
 ヴァルは後ろを振り返った。
 遠くにソルヴェーグの姿らしき人影が見える。
 熱されたアスファルトは太陽の光を受け、ゆらゆらと小さな蜃気楼を足元に作り上げていた。
 どこまでも続く青い空は地球のものと同じようにも思える。だがしかし、幼い子供にはそう見えるのだろうか。
 ルシェールの故郷は東京。東京と同じ空に感じるのだろうかと考えれば、深く重いものが胸の内を落ちていった。
 ヴァルは前を見た。
 一足先にとキリカ・キリルク(きりか・きりるく)がタキシードに身を包み、薔薇の花束を持って歩いている。
 ヴァルは一足先にパーティに行ってくれと頼んでいたのだった。
 キリカは振り返った。
 ヴァルの顔を見て微笑む。そして、前に向き直ると何事もなかったように歩いていた。

(ヴァルが困っている人を見たら、そこへ全力で駆けつけるような人間だっていうことは知っています)

 キリカの心の中の言葉は聞かれることはない。
 キリカは悔しさに似た苦いものを胸の奥に感じていたが、ヴァルには遠く届かない思い。
 哀を帯びた言葉が、心の底に澱(おり)のように溜まっていく。
 堪らず、キリカは呟いた。
「こっちを見てくれてもいいんじゃないかな、とは思います……」
 切ない言葉は彼の耳には届かない。
 それでも、キリカは何もなかったように歩き続けた。
 ただ、ヴァルの願いが叶うのを願うだけだった。


 ヴァルは振り返り、意を決した。
 近付いてくるソルヴェーグに向かって歩を進める。
 前を行く人影が立ち止まり、振り向いて歩いてくる。近付いてきたことに気が付き、ソルヴェーグは目線を上げた。
「よう、ソルヴェーグ。元気か?」
 ヴァルは言った。
 ヴァルを見て誰であったか思い出し、ソルヴェーグは頷いた。
「ああ、ヴァル・ゴライオンとか言ったね、君。こんにちは」
「ルシェールはどうした」
「彼なら、サラ・リリと会場に行ったよ。はしゃいでいたからね」
「そうか……」
 ヴァルはホッと一息ついた。
 ルシェールが元気そうなら、まずは安心だ。だが、それだけではダメだ。
 ヴァルは顔を上げ、ソルヴェーグを見た。
 彼は少し疲れているようにも見えた。
「どうした、ソルヴェーグ。調子が悪そうだな」
「ん? な、なんでもないさ……それより、何かな。さっきから、僕の顔ばっかり見てるね」
「ああ、ちょっと……言いたいことがあってな」
 それを聞いて、ソルヴェーグは溜息を吐いた。
「ルシェールのこと?」
「察しがいいな」
「言われ慣れてるよ。ここのところ、ずっとその話ばっかりさ。ちなみに、サラ・リリが特にそうなんだけど」
「だろうな……彼は教員だし、心配なんだろう」
「そうだね。君もそうみたいだけど。僕のことは心配しないのかな?」
 その言葉を聞いた瞬間、ヴァルはふと眉を上げた。
 ヴァルの表情を読み取ったソルヴェーグは薄く笑った。
「張本人が何を言う…って? その通りかもね」
「わかってるなら……」
「やめてくれないかな。ずっとその話ばっかりだって言ったよね? もう聞きたく…」
「ソルヴェーグ!」
 ヴァルは怒鳴った。
「……」
 彼の激昂に、ソルヴェグが言葉を失う。
 情に厚いが、ヴァルはやたらと怒鳴るような人間ではない。
 そのことはソルヴェーグにはわかっていた。故に、言葉を失ったのである。
「ソルヴェーグ…パーティーに出てやれ」
 ヴァルは言った。
 ヴァルは自分がルシェールに最初に言った言葉の責任をとりたいのだ。
「いやだな、君。僕は出席するために来たんだよ」
「それぐらいわかる。でなければ、この道を、何故、この時間に歩いているんだ」
「だったらもう……」
「そう言う問題ではない! ソルヴェーグ。お前がルシェールを自分と対等の者として扱ってないと俺は感じているのだ」
「一体、君は僕に何を言いたいのかな?」
「ルシェールと真っ直ぐ向き合え! ただパーティーに出たからと言って、それがパートナーの責任を果たしたことになるとは俺には思えない」
「じゃあ、どうしろっていうんだい」
「ソルヴェーグ、お前が…お前自身がどう思っているかだ。どうやっていこうと思っているかだ。ソルヴェーグにとっては長い人生の数瞬、暇つぶしの相手かもしれないがな。でも限られた生を、日々大人になろうとして精一杯努力しているルシェールを無碍にすることは彼の人生を冒涜することに他ならない。俺はそれが言いたいのだ」
「僕は……」
「子供だろうが大人だろうが、ルシェールはルシェール。対等の者として真直ぐ向かい合え。一人の人間なのだから」
「……」
「俺に答える義務なんて勿論無い。だから、お前が思うものをお前の口で伝えろ。ルシェールは、きっと分かるはずだ」
 ヴァルはソルヴェーグを見据えて言った。
 しばし、視線が絡む。
 先に目を逸らしたのはソルヴェーグの方だった。愁眉を寄せたまま少し俯いて、そして歩き始める。
 振り返らずに、そのままホテルへと向かっていった。