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黒薔薇の森の奥で

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黒薔薇の森の奥で
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 その一方。助けの来ない哀れな生徒の姿も、森にはあった。
 吸血鬼に取り囲まれ、その欲望の生け贄となっているのは、天御柱学院の御空 天泣(みそら・てんきゅう)だった。
 パートナーであるラヴィーナ・スミェールチ(らびーな・すみぇーるち)が、たまには外へ出たいと言うので、小型飛行艇で出かけた先で、この森に迷い込んだのだ。
「思ったより深いな……」
 霧と生い茂る不気味な草木で、方向感覚は徐々に狂っている。何度も同じような場所をぐるぐるまわっているような気がしてきたところで、ラヴィーナが「ねぇ、休憩しようよぅ」と天泣に訴えた。
「ああ、そうですね」
 ラヴィーナの見た目は幼い小学生だが、実際には強化人間だ。この程度で疲れるわけもないのだが、天泣は大人しく従った。自分も少し、疲れていたせいもある。もともと、肉体派ではとうてい無い。
 そのうち、ラヴィーナの姿が不意に見えなくなった。「ラヴィ? どこです?」こんな森の奥で、はぐれるわけにはいかない。あたりを探すうちに、かさりと背後で物音がした。
「ああ、そこに……」
 いたんですか、の言葉は、発することができなかった。そこにいたのは、探していた少年ではなく、好色な笑みを浮かべた吸血鬼たちだったのだ。
 手が震え、咄嗟に身動きができない天泣は、吸血鬼たちの格好の餌だった。四方から手が伸び、取り押さえられる。眼鏡は邪魔だと奪われてしまった。
「大人しくしていれば、なにも苦痛を与えたいわけじゃないよ。……最高の快楽を、楽しもうじゃないか」
 耳元で囁かれ、天泣は身を固くした。しかし、術のかけられた身体は、怯える心とは別に、吸血鬼たちの思うがままだ。
 目隠しをされ、両手首を拘束され、ここがどこかすらわからなくなる。与えられる快感と恐怖に噎び泣きつつも、天泣はラヴィーナの身を案じていた。
 その、当のラヴィーナ自身が、吸血鬼たちをそそのかしたとは欠片も思わずに。
「あー、すっごいなぁ」
 奉仕を強制される天泣の姿を遠巻きに眺め、ラヴィーナはニヤニヤと呟いた。
 自己の安全を守るために、他者を差し出すのは基本中の基本のひとつだ。第一、天泣を弄って遊ぶのは、ラヴィーナの最大の娯楽でもある。
 一人になってすぐ、ラヴィーナに近づいてきた吸血鬼に、少年は明るく言い放ったのだ。
「あっちにいるメガネにそういうことはしなよ。あいつね、あんな顔して…意外に好きなんだよねぇそういうの」
 興味をもったらしい吸血鬼を、さらにラヴィーナは言葉でもって煽り立てる。
「痛いのも強引なのも大好き、最高らしいから思いっきりやってあげたらいいよ、ひひ」
 ……そして、実際その通りにコトはすすんでいるようだ。
「けど、なぁ」
 ラヴィーナは眉根をよせ、小さく嘆息した。本当は、この間に一人でもう少し情報収集をしたかった。先ほど、なにやらいかにも謎の空気をまとった男が、パートナーの女性とともに森を行くのを見かけていた。その後をついて行くつもりだったのだが、霧にまかれ、仕方が無く断念したのだ。
 今日のところは、天泣の弄ばれる姿を楽しんで、気絶したところで適当に拾って帰るしかないか……と、ラヴィーナは肩をすくめた。

 実際のところ、そんな天泣の姿を見ている者は、ラヴィーナの他にもいた。
「ベファと一緒なのねぇ、どこの吸血鬼も…」
 呆れたように呟いたのは、百合園女学院の雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)だ。
 女性だらけの学校では、彼女にはどうにも刺激が足らず、今日は薔薇学生徒たちへと下された命令を聞きつけて、ここまで乗り込んできた。小型飛行艇で来たものの、霧の深さに進めず、結局は足で向かう羽目になったのは想定外だったが。今のところ、刺激的、という意味では、リナリエッタはそこそこに満足していた。
「吸血鬼の聖地、とはね。どんなところだろうな」
 傍らに控えたベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)が楽しげに呟いた。『ベファと一緒』というリナリエッタのコメントに対しては、あえて反応はしないらしい。
「あらぁ、ベファは知らないのぉ? 吸血鬼なんでしょぉ?」
「私はリナの家の顧問吸血鬼だよ? このあたりには、関係がないよ」
「ふぅん。……まぁ、どちらにせよ、何百年も続く聖地ってわけじゃぁないってことねぇ」
 リナリエッタは軽く肩をすくめた。派手なメイクに彩られた瞳が、楽しげに歪む。……それは、獲物を見つけたからだ。
「ねぇ、あなたはそのあたり、ご存じなのかしらぁ?」
 秋波もあらわに視線を投げた先にいたのは、天泣の気配を聞きつけて現れた、別の吸血鬼だ。
「ほほぅ。麗しいお嬢さん、ごきげんよう」
「ご機嫌よう」
 リナリエッタは、優雅に微笑む。一見無防備に、彼女は長い足を見せつけるように動かし、ゆっくりと吸血鬼に近づいた。……その様子を、ベファーナは後ろから見守っている。
「ねぇ、私、森で迷ってしまったようなのよぉ。助けてくださらないかしらぁ?」
 しなだれかかるリナリエッタの媚態に、吸血鬼はまんざらでもなさげに口元に笑みを浮かべ、リナのくびれた腰に手をやった。
「お嬢さんの身体と引き替えでしたら、喜んで」
「あらぁ」
 きらり、と猫のようにリナリエッタの瞳が光った。その瞬間、黒檀の砂時計と先の先のスキルでもって、リナリエッタの身体が俊敏に下がる。そして、遠当てで吸血鬼の胴に一撃を加えた。
 よろめき膝をついた吸血鬼のスキをつき、リナリエッタは再び近寄ると、黒薔薇の銃の銃口を吸血鬼の口腔にねじ込んだ。
「ここって、ずいぶん素敵な吸血鬼さんの集まるところなのねぇ。その、聖地とやらって、どこなのかしらぁ?」
「…………」
 吸血鬼は、不明瞭に呻いた。もっとも、銃口を銜えさせられていては、まともに話すことなどできない。
「ご存じないの? あらぁ、じゃあ、仕方ないわねぇ……」
 リナリエッタは、困ったように呟いて、――引き金を引いた。
 赤い薔薇が、黒い森に散らばる。
「リナ、それでは話せないだろうに」
「あら、そうだったかしらぁ。いやぁねぇ」
 うっかりしたわ、という風にリナリエッタは笑うが、ただこの瞬間を楽しんでいるようにそれは見える。
 結局、二人は聖地へはたどり着けなかったが、美しい黒薔薇を一輪、リナリエッタは手に入れた。
 そしてそれ以上に、二人は多くの赤い薔薇を森に残していったのだった。