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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

リアクション

 弓子が弁当を食べきる頃、大半の生徒がティータイムに移行していた。弓子たちのいる一画では、ヴァーナーの作ったマドレーヌが振る舞われ、程よい甘さとやわらかさが全員の口の中を甘い世界に塗り替えていた。
「う〜ん、ヴァーナーさんのマドレーヌも本当においし〜い」
「えへへ、ありがとうなのです、静香せんせー」
 その光景を見て、弓子の頬が緩む。いいなぁ、癒される……。
「お弁当を食べ終わったことですし、食後のティータイムはいかがですか?」
 視覚効果で癒されていた弓子の前に、唐突にティーカップが置かれ、そこに紅茶が注がれる。ティーポットを持ったその人物は橘 舞(たちばな・まい)であった。
 舞は紅茶を入れながら弓子に会釈する。
「初めまして、弓子さん。橘舞と申します」
「あ、どうも、吉村弓子です」
「事故で亡くなってしまわれるなんて、お気の毒です。でもまあせっかくこうしてお会いできたのですし、美味しい紅茶で少しお話しませんか?」
「え、でも私は紅茶は飲めないんですが……」
「それなら気分だけでも。私、紅茶を淹れるのは得意ですので」
「ど、どうも……」
 そう言われてしまえば断ることができない弓子であった。
「それにしても、あのドリルをおばさん呼ばわりするとは、弓子ったらなかなか言うじゃない」
 気の強そうな声が近くから聞こえた。
 声の主はブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)。舞のパートナーのシャンバラ人である。
「ドリル?」
「ラズィーヤのことよ。ほら、髪型的にドリルじゃない」
「……ああ、なるほど」
 ブリジットの説明に納得する弓子。とはいえ、実はその弓子も校長室内でラズィーヤのことを「妖怪ドリルヘアー」と言っていたのだが。
「ま、年増のドリルおばさんのことは脇に置いておくとして……」
 言いながらブリジットは弓子の隣に腰掛ける。
「私ね、推理研究会っていう部の代表をやってるのよ」
「代表? 部長とか会長じゃなくて?」
「どっちも違うわ。あくまでも『代表』。そこは間違えないでね。だってほら『代表取締役社長』みたいで偉そうな響きがあるじゃない?」
「……え、まさかそんな理由で『代表』なんですか?」
「まあね」
「……そんなことで大丈夫なんですか?」
「大丈夫、問題無いわ。だってこれまで数々の難事件を解決してきたのよ」
 ブリジットの言葉は嘘ではない。彼女が代表を務める【百合園女学院推理研究会】は他校生も受け入れる部活動の1つだが、マジェスティック――十九世紀ロンドンの街並みを再現した空京のテーマパーク――で起きた連続殺人事件を含め、様々な事件に介入し、その都度解決に導いてきたことのある集団なのだ。
「ブリジットの話を少し細くするとですね」
 横からティーポットを持ったままの舞が口を挟む。
「推理研ってね、まあ私も部員なんですけど、結構活躍してるんですよ」
「ほう」
「自称の人もいますけど、本物の探偵みたいな人や、ヤードの刑事の家系の人もいます。まあ百合園生よりも他校生の方が多かったりするんですけどね……。内容は学外活動がメインで、大きな事件の解決に関わったりとかするんですよ」
「へぇ……。それはまた凄いですね」
「そこで弓子。あなたにその凄さを間近で見せてあげようと思うの」
 胸を張りながら、いかにも偉そうな態度でブリジットが迫る。
「そう、名探偵が集う推理研の凄さの一端という奴をね。例えば、吉村弓子さん……」
 ブリジットはそこで言葉を切る。
 しばらくしてから彼女は、弓子に軽く指を差した。
「あなた、幽霊なんかじゃないわね」
「はい?」
 そう言われた当の本人は素っ頓狂な声を上げる。一体何を言ってるんだこの女は?
「そう、自分が死んだと思っているだけで、実際のあなたは病院のベッドの上で意識不明で寝ているのよ」
「…………」
「つまり、あなたは生霊なのよ」
 そこまで言って、ブリジットは弓子に顔を近づける。
「なぜそう思うかわかるかしら?」
「……いいえ」
「ま、簡単な推理よ」
 今度は弓子から顔を離し、近くにいた静香を指差した。
「本物の幽霊を、静香ごときが素手で殴れるわけないじゃない!」
 その言葉に、周囲の全員が固まった。完璧に的外れであると思った者はいなかった。だからといって、なんて見事な推理なんだろう、と思った者もいなかったが。
 同じく固まる弓子に舞が囁きかける。
「あの、弓子さん。ブリジットの推理なんですが……」
「は、はい……?」
「実は……、何と言うんですかね、ファールボールにご注意くださいというか……、そう、真実の斜め上を行ってしまうことが……」
「えっと、的外れ?」
「完全に、というわけではないんですけどね。まあそういうものなので、あまり気にしないでください」
「はぁ……」
 一息つき、舞は思い出したかのようにティーポットをテーブルに置く。
「でも、本当にそうならいいんですけどね。だって、もし実際に弓子さんが生きているなら、後で本当の百合園生としてお友達になれると思うんですよ。それは素晴らしいことだと思います」
「…………」
「それで、ご本人にこんなことを聞くのもどうかと思うのですけど、弓子さんが亡くなっているのは、間違いないんでしょうか?」
「そうよ、ぜひともそこが知りたいわね。本当にあなたは死んでるの? そしてそれを証明することはできるのかしら?」
 2人に厳しく、ではないものの問い詰められ、弓子は目を伏せる。それを見たブリジットは確信した。やはり弓子は生きているのだ、と。
 だが次の瞬間、彼女の推理は完全な外れであることが確定する。
「ほらね、答えられないでしょ。つまり弓子は――」
「できます」
「え?」
 その一言を発したのは当の弓子だった。勝ち誇ったばかりのブリジットは目を丸くする。
「今すぐ、はさすがに無理ですけど……、私が死んだことを証明することはできます」

 地球の高校でいわゆる普通の学校生活を送り、「やんちゃ」もしてそれなりに楽しく過ごしていた吉村弓子という名の少女は「お嬢様学校」というものに憧れを持っていた。だが自分はせいぜい普通の高校に通う程度の成績しかなく、金銭面についても一般家庭と同水準、いやもしかしたらそれより劣るかもしれない程度の家柄。お嬢様学校、まして日本が誇る名門女子校「百合園女学院」など、夢のまた夢といったものだった。
 そんな彼女がパラミタの学校を知ったのは最近のことだ。その世界の住人と契約を結ぶことで、初めて歩くことを許される――空京のように結界で守られている範囲内では契約者でなくとも歩き回ることはできるのだが――まさに認められた者だけに存在する大地。そこに自分が憧れていた百合園女学院がある。聞けば契約者というものは身体能力や頭脳が活性化され、少々頭の悪い者でもそれなりに良くなるという。つまり自分も契約者になれば、金銭は少々厳しいがお嬢様学校にも入れるはず!
 弓子はすぐに両親に相談した。自分をパラミタに送ってほしい。パートナー契約を結べば頭が良くなって百合園女学院に入れる。お金は向こうで何とかできると思うから、行かせてほしい。
 弓子の両親は最初は反対していた。愛娘を未開の地に送ることもそうだが、名門の女子校に果たして通えるのか。頭だけではなく、それなりの礼儀作法が必要になるだろうに……。
 確かにその通りだった。相手はお嬢様。一般市民の自分が通えるところなのかわからない。だが礼儀作法くらいは勉強すればどうとでもなるだろう。それに、日本のそれはいざ知らず、パラミタの場合はもしかしたら「違う」かもしれない。その弓子の主張に両親はこう譲歩した。
「まずは見学だけすること。それでどうしても無理そうだと思ったなら諦めなさい」
 こうして弓子は、パラミタ行きの許可を得られたのだ。パートナーが見つかるまでの「小型結界装置」はなんとか買ってもらえる。それを持って、新幹線で空京へ行き、ヴァイシャリーへ行って学校を見学させてもらおう。
 だが悲劇というものは突然やってくるものである。
 結界装置や新幹線の切符を買うのには時間がかかる。それまでの間はいつも通りに学校に通っていようと、彼女はいつも通りに通学路を歩いていたのだが、そこに危険運転の自動車がやってきたのである。
 本当に一瞬の出来事だった。弓子の体は軽々と跳ね飛ばされ、そのまま返らぬ人となったのである。
 残ったのは未練と悲しみだった。せっかく行けると思っていたのに。今までの自分から抜け出してお嬢様としての生活が待っているはずだったのに……。
 そしていつの間にか彼女は、肉体を持たぬ身となっていた。意識だけがその場に残り、弓子は血の通わぬ霊体として動き回ることができるようになっていたのである。
 ひとまず動けることがわかった彼女が最初に取った行動は、家族に会いに行くことだった。自動車に轢かれて死んだ自分のことを、両親はどう思っているのだろうか。不良の娘がいなくなって清々しているかもしれない。
 彼女の自宅ではすでに通夜と葬儀が行われていた。意外にも両親は、娘の亡骸を前にして泣いていた。親不孝ばかりしていた女を前にして、である。
 その時になって弓子はようやく安心できた。ああ、愛されていたんだ。こんな不良女でも、あの人たちは愛してくれていたんだ……。できれば両親に向かって言葉をかけてあげたかったが、生憎幽霊である自分の声は届きそうになかった。どこぞのマンガや小説にあったように鏡の反射を通じてコンタクトを取る、ということも考えたが、その場には鏡は無く、あったとしても両親は自分に気がつきそうになかった。
 葬儀が終わり、遺体は霊柩車で運ばれて、そのまま火葬された。奇妙なものだと彼女は思った。自分の肉や骨が機械的に炎で焼き尽くされる現場を見るのは、本当に奇妙なものだ……。
 後に、幽霊になったことを利用して病院に忍び込み、死亡診断書が出ていることも知った。世の中の誰もが、吉村弓子という名をした少女は、もう死んだのだと認識されていたのである。

「そのまま幽霊として第2の人生を歩む、というのも考えましたけど、それはやはり不自然というものです。マンガとかだと割と簡単にそれができちゃいますけど、私が生きていたのはあくまでも現実……」
 パラミタというまったく別の世界が存在し、魔法の存在も認識されるようになったが、それでもこれはやはり現実なのだ。現実である以上、弓子はいつかここから完全に消え去らねばならない。たとえそれが「ナラカへ行く」というものであったとしても。
「ですから、最後の心残りとして、ここに来させていただいたんです。幽霊になったおかげで誰にも姿が見えませんでしたので、上野・空京間の新幹線を無賃乗車して、無理矢理パラミタに来て、それで校長先生に取り憑かせていただきました。なぜかそのせいで、姿が見えるようになっちゃいましたけど……」
 そこまで話して弓子は苦笑する。
「ですから、今すぐに見せることはできないんですけど、死亡診断書が出てしまっていますので、それを確認していただければ、私が死んだという証明になります。これで納得していただけましたでしょうか」
 納得せざるを得なかった。ブリジットは呆然としたまま首を縦に振った。
 そんなブリジットに、エリシアから追撃の一言が加わった。
「大体にして静香に幽霊は殴れない、って言いましたけど、それもちょっと違いますわ」
「……と言うと?」
「パラミタには幽霊系モンスターもいますけど、別に特定の攻撃しか効かない、ってわけではありませんのよ」
 パラミタには様々なモンスターがいるというのは広く知られた話である。その中には「幽霊」に属するものも存在し、プリーストの「バニッシュ」をはじめ、光条兵器等、魔法的な攻撃が有効であるとされている。だが必ずしも、そういったものでなければ攻撃できないというわけではない。非常に通用しにくくはあるのだが、魔法的処理のかかっていない物理攻撃も当てることは可能なのだ。
「そんなわけで、静香のパンチが弓子に命中したのも、あながちおかしな話ではありませんわ」
「な、な、な……!」
「幽霊と一口に言っても、色んなものがいますのよ。中には壁を通り抜けられないタイプのものも存在しますしね」
 この瞬間、ブリジットの「敗北」が確定した。
「もちろん、私がこうして皆さんとお話している時点で、色々と疑われてもしょうがない、とは思いますけど……」
 晴れやかな顔で、弓子はブリジットに告げる。
「こう見えても死んじゃってますので、どうかご容赦ください」
 ブリジットはその弓子の顔を真正面から見つめる。晴れやかな表情だ。それなのに、その目からは今にも涙がこぼれそうに、ブリジットには見えた。
 だが弓子の目から涙が流れることは無かった。彼女が泣く前にヴァーナーが号泣し始めたのだ。そしてそれ以前に、弓子は幽霊で、涙を流すことはできないのだから。
「ひっく……、ほ、ホントだったら……、百合園、で、いっしょ、できたのに……! おともだち、に、なれた、のに……!」
 弓子の身の上話を聞いて感極まったのだろう。そんなヴァーナーを周囲の生徒があやしにかかった。周囲を見れば、もらい泣きも同然に数人の生徒が涙を流しているのがわかった。
 その光景を見ていた弓子がぽつりと漏らした。
「こういう時は先に泣いた方が勝ちだ、って言葉を聞いたことがあるけど、本当ですね。ヴァーナーさんが先に泣いたせいで、私が泣けません。いや、その前に幽霊が泣けるかどうかは微妙なところですが……」
 そんな弓子にブリジットは恥ずかしそうに、その右肩に手を乗せる。
「なんて言うか……、無神経なことを言っちゃって、ごめん」
「いえ、大丈夫ですよ。別な意味で慣れてますので」
 その言葉の深い意味はわからなかったが、推理研代表は少しは救われた気がした。
「ところで――」
 今度は弓子の左肩にエリシアの手が乗せられる。
「成仏した幽霊は、ナラカへ行くことになってますわ。半分は確定事項なのですが、近い将来、またナラカエクスプレスを使ってナラカへ行く予定ですわ。もしもお会いすることがあれば、よしなにお願いしますわ」
「……はい」
 もっとも、弓子の成仏それ自体、先のことだろうが。そう続けたエリシアに弓子は笑いかけた。

「うう……、こればかりはさしもの我も心に響いたのだよ……」
 ダンボール箱の中で、自前で持ち込んだ弁当をこっそり食べながら、ドSで気まぐれ、冷酷で相手を殺すことをためらわない性格の毒島大佐が、柄にも無くひっそりと涙を流していた。
 もちろん、ビデオカメラによる撮影は忘れていなかったが……。