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リアクション
第3章 白き心の影 1
見渡す限りの昏い世界の中心で、儚い美しさを纏う娘は静かに佇んでいた。
ここはどこだろう……? そんな思いと、自分がエンヘドゥ・ニヌアであるという事実が交錯して、まるでコーヒーとミルクが混ざり合うような混乱の螺旋が渦巻かれる。
すると、昏い世界に光が灯った。
「お兄様……?」
光に照らされて――そこにいたのは、幼き頃の兄だった。木刀を力強く振るう彼がなぜ少年の姿なのか分からぬが、エンヘドゥは兄のもとに向けて駆けだした。
「……っ!」
だが、その足がゆっくりと立ち止まった。兄の傍に、新たな二人の姿が現れたからだ。今は亡き父、そして愛してやまなかった母親……母は、剣の稽古をする兄を褒めて、やさしくその頭を撫でてやり、父は厳格に眉を寄せながらも、期待を抱くような瞳でそれを見つめていた。
どうして、これが……?
「つらかったですか?」
ぎゅっと心臓を掴まれるような声が聞こえたのは、背後からだった。とっさに振り返ったとき、そいつはドブネズミのように汚らしい風体で心を覗きこむような赤い目を向けている。
「あ、あなた……」
「ひゃは……素直になっていいのですよ、エンヘドゥさん」
真紅の瞳を宿す魔女――モートがねばっこく嗤った。離れているはずなのに、なぜか声は耳元で囁かれているような気がした。
「な、なにを言ってるの……?」
「ここはあなたの心の世界。誰も、あなたを止める人などいないのです」
「心の世界……?」
エンヘドゥは再び辺りを見回した。見渡す限り闇一色の場所で、ただ過去の兄の思い出だけが光を得ている世界。これが、自分の心だとでも言うのか?
「ひゃははっ……双子とはつらいものですねぇ。一人が評価されれば、もう一人はただの役立たずになる。必要なのは片方だけですからねえ」
「な、なにを……!?」
エンヘドゥは思わず後ずさってモートを睨みつけた。いったい、何が言いたいというのだ、この化け物は。
「知らないフリをしてもだめですよ? ほら、あなたの望みは……こうなることだったでしょう?」
途端――闇の世界が赤く染まった。
「え……?」
いつの間にかエンヘドゥの手に握られたナイフには、紛うことない血がべったりと塗られており、床にはくずおれて物言わぬ兄と海のように広がる鮮血が。差し込んでいたはずの光の色は消え去り、代わりに、憎悪を表すかのような赤い色が闇と混じりあっていた。
「あ……あぁ……」
エンヘドゥの全身が震えだした。目の前の光景を拒否したいと思っても、手に握られているのは間違いなく兄を刺したであろう鮮血のナイフ。
しかし、なぜだろう。
――エンヘドゥの唇は、薄く笑みをかたどっているようだった。
「おや……望みは叶いましたか?」
「う……ぅあ……」
望み? これが、私の望み?
かすれた声を絞りだす喉の奥で、不気味な喜びの声が鳴っている気がした。いや、事実、私はこれを望んでいたのかもしれない。民の羨望を集める兄を、期待を向けられる兄を、そして自分にはない愛を両親から注がれていたあの兄が――いなくなれば良いと。
兄の死体を歪んだ顔で見下ろす娘を見つめながら、影の魔女の瞳は実に面白そうに笑っていた。
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