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第4章 戻らぬもの 2

「助かりましたわ。一時はどうなることかと思いましたので」
 そう言ってニコニコと笑顔を浮かべるのは、リリィ・クロウであった。なんでもイルマンプスによって谷底に落とされたという彼女は、脱出する方法も見つからずに途方に暮れていたらしい。
 その割には、悲観するどころか『さすがに死にはしないだろう』とその辺をうろうろしていたのだから度胸が据わっているというかなんと言うか――とにかく、感嘆するほど能天気なのは間違いなさそうだった。
 谷底から聞こえてきた声も彼女のものらしい。
 リリィがいた岩陰の側には――最前まで彼女がお経をあげていた青年の遺体があった。
「…………」
 恐らくは、話に聞いた、あの依頼人の甥だ。
 いまだ残されているボロボロになった衣服やかすかな肉付きが、青年がコビアとさほど歳の変わらぬ子供であったことを教えていた。
 なぜかふいにコビアは、その青年が自分のよく知る友人であったかのような、慇懃の念を覚えた。近しい何かを感じて、青年の既に失われた目や、髪や、爪までもが――なぜか想像上にありながらも自分の中で生々しくよみがえった。
「……生きて、いたんですね」
 自分でも無意識に、彼は呟いていた。隣にいた恭司は、すぐに返事を返すことはなかった。彼自身も、青年の遺体を見下ろしながら何かを思い込むような表情を浮かべており、やがて間をおいて口にした。
「ああ」
 それ以上、二人は青年のことについて声を交わすことはなかった。ショウも、アトゥも、そしてリリィも――青年が生きていたということを確認するだけに終始した。
 そう、生きていたのだ。彼は、コビアとそう変わりない歳まで生き、そして、呆気なく亡くなったのだ。
「……行きましょう。こんなに辛気臭い谷底にいては気が滅入りますわ」
 リリィが心なしか明るい声で皆に告げた。
 飛空艇に乗り込んで、再び山道へと戻るべく上昇するコビアたち。
 その間、いつの間にかコビアはかつての両親の事を思い出していて……よるべない思いだけが、青年の影とともに心の中に残されていた。



 白い髪だった。まるで雪のように美しく、それすらも透き通って透明に澄み切ってしまうかのような色――そんな白い髪を靡かせた少女を見やりながら、琳 鳳明(りん・ほうめい)は大地から生えたような岩に腰を降ろしていた。
 少女はいま、薪を組んでいた。コビアたちが帰ってくるのを待ちながら、懸命に自分の役目というものをこなしているのである。そんな彼女の護衛も兼ねて、鳳明、そしてパートナーである南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)は、彼女とともに仲間たちの帰りを待って待機しているのだった。
 とはいうものの――護衛と言ってもこの近辺は獣などそうそう出るところではない。ほとんどやることはない、というのが現状だった。
「ねえねえ、シアルさん」
「はい?」
 岩から腰をあげた鳳明は、シアルのもとまで近寄って一緒に薪を組み始める。ついでに、興味深げに彼女は聞いた。
「シアルさんは……何でコビアくんの旅について行こうと思ったの?」
 そもそも……シアルはシャンバラ大荒野に隠されていた遺跡に残されていた、制御用の機晶姫だ。ジンブラ団に保護される結果にはなったものの、彼女がそれからどうしてジンブラ団を離れたのか――コビアとともに遺跡の試練を戦いぬいた鳳明には、気にかかるところだった。
 半ば顔を伏せるようにして黙っていたシアルに、鳳明は続けて言った。
「あ……もしかしてコビアくんの事が好きとかっ?」
「ううん……そんなことじゃないわ」
 質問に、まったく動じることなく冷静な否定を返すシアル。
 女の性分か。興味津々だった鳳明はいかにも残念そうに、なーんだぁ……と声をこぼした。なにが残念なのか、シアルは不思議そうに小首をかしげていたが、やがて彼女は答えを返した。
「私は……私が誰なのかを、知りたいだけなの」
「私が……誰なのか?」
「そう。それを知るために、彼と一緒に行こうと思ったの」
 彼女は旅についていくことを決めたとき、何を思って、何を見ていたのだろうか。いつの間にか薪を手にすることも忘れて、鳳明は遠くどこかを見ているシアルを見つめていた。
 と――そのとき、ヒラニィが突然わめき始めた。
「………っだー、暇だー! わしはアウトドア系なんだ! こんな所でただ待つとか耐えられんっ。ってか、麻羅は緋雨についてってコビアんとこ行っておるんだろ? ぬぅ、あやつだけに手柄を立てられるのだけは我慢できん! …………いや、暇が耐えられない以上に、だからな? ……本当だぞ?」
 誰も聞いていないことを一人で弁解するヒラニィ。どうやら暇すぎて耐え切れなかったらしい。土地の精霊たる地祇が『暇なんて耐えられません』と言っていいのかどうかは疑問だが、彼女にその枠は当てはまらないようだ。
「よし、おぬしらが行かんのならわしだけで行ってやるわいっ。なーに、飛空挺でひとっ飛び…………」
 呆然とする鳳明たちを置いて、小型飛空艇へと向かったヒラニィ。
 が――動力の鍵を回そうとしてピタ……っと立ち止まった。というか、立ち尽くした。
「鳳明め! 飛空挺の鍵を抜いたな!?」
 あ……と声を漏らして、鳳明はポケットの中に鍵が入っていることを思い出した。どうやら、目の前で喚きたてる地祇の信用は底辺にあるらしい。
 ヒラニィは地団駄を踏んで、自暴自棄になったように言い放った。
「もういい! 鳳明も……そしてついでにシアルも来い! どうせシアルもコビアに会いたいのだろう? わしが連れてってやる! 任せろ、無事コビアの元まで送ってやるわい!」
 ぽかん……として立ち尽くすシアルと鳳明。
 だが――しばらくして思考を取り戻した鳳明は、うん、と頷いた。
「お仕事を終えた男の子を迎えに行くのはヒロインの特権だよね。よしシアルさん、一緒にコビアくんを迎えに行こう!」
「で、でも……」
「大丈夫、コビアくんはシアルさんの事を邪魔だなんて思ってないよ、絶対。それにね、コビアくんきっと喜ぶよ?」
 喜ぶ――そう聞いたとき、なぜかシアルは少しだけ心が高揚する何かを感じた。理解できない何か。それを見透かしているかのように、鳳明は笑った。彼女の手を引っ張って、半ば強制的に飛空艇へと連れ込む鳳明とヒラニィ。
「え、そ、その……!?」
「よし、行くぞ!」
 戸惑ったシアルの声を待たずして、ヒラニィの掛け声とともに、三人が乗り込んだ小型飛空艇は大地を発った。