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第3章 山岳修行風景変態風味 1

 そもそも――どうしてこんなことになったのか。
「まったく、こんな山奥にアヤ一人で行くなんて、危険すぎます! 襲われたらどうするんですかっ!?」
 子供を溺愛する教育ママのような過保護っぷりを発揮して、クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)が怒っているのを横目で見ながら……神和 綺人(かんなぎ・あやと)は深く思ったものだった。こうして彼女に過剰な心配をかけることは眼に見えていたからこそ、山岳に篭っての修行は一人で行う予定だったのだ。
 それが、結果としては。
 クリスだけではなく、その他のパートナーであるユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)神和 瀬織(かんなぎ・せお)も何食わぬような顔で隣にいる。
 じろり……と、綺人は責めるような目で、ユーリを睨めつけた。ユーリはその視線に気づくと、わずかに悪びれた顔をする。
 しかし――バッグに入った弁当が四人分あるところを見れば、彼とて最初から予想は出来ていたのだろう。自分がクリスに締め上げられて、綺人の行き先を吐かされる、ということを。仮にそうでなくとも――決して口止めをされたというわけではないのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだが。
 綺人は諦めたようにため息をついた。
「むっ……アヤは、私たちが来て不満なのですかっ!」
「あ、いや、そ、そういうんじゃないよ! ただ……いつもどおりかな……ってね」
 そう、いつもどおりだ。
 ある意味で運命めいているものがあるのかもしれないが、結局は綺人一人で動くことなど許しませんよ! という神の思し召しなのだろうか? だとしたら、綺人は気づいていないかもしれないが、その神様というやつは、彼がユーリに弁当作りを頼んでいたところを目撃していた瀬織なのかもしれない。
 瀬織は辺りを警戒しつつも、心なしか楽しげに歩を進めていた。そんな彼女を見て、綺人はくすっと笑う。それまで自分の強引さを誤魔化すように声を張り上げていたクリスも、そんな彼を見てそれ以上わめくことは出来なかった。
 なに――結局はいつも通りが一番なのかもしれないな。ユーリは三人を見て思う。
 と、茂みからなにやら不穏な音が聞こえたのはそのときだった。
「綺人!」
 ユーリの禁猟区が反応を示していた。すぐに己が契約者へ呼びかけると、呼応したクリスと綺人は、すでにそれぞれの刃を抜いていた。刀と剣。刃の質に差異はあれど、敵を切るということに関しては本質を同じとするもの。
「綺人、右から来ます!」
「……ッ!」
 瀬織の声が注意を引いた。反応して、綺人の足は地を蹴っている。同時に――獣が咆哮とともに襲いかかってきた。それまで綺人の首があった宙を食いちぎる獣。間一髪それを避けた綺人は、即座に身を翻して刀を構えた。
 ――一閃。
 しかし、それは綺人の刃ではなかった。
「はあぁっ!」
 綺人へと標的を定めていた獣に対して、クリスが強烈な剣撃を叩きつけたのだ。一瞬のうちに、刀身は獣の外殻――その隙間にえぐりこまれ、肉を断つ。
 呆気なく……そう、獣のうめき声だけが残り香のようにかろうじて残されて、そいつは横転した。ずん――と沈んだまま動かなくなった獣を見下ろして、クリスは綺人に向き直った。
「大丈夫だった、アヤ!」
「う、うん……僕は大丈夫。ユーリたちは?」
「ああ、もちろん大丈夫だ」
 全員の無事を確認してほっと息をつく綺人。ユーリたちももちろんだが、クリスは何よりも綺人が無事だったことに嬉しそうな笑みをこぼしていた。
 その笑顔は綺麗で……。
 ――だからだろうか。
 綺人はクリスたちには気づかれぬほどのわずかな変化で、自嘲的な苦笑を浮かべていた。まるで、彼女に守られる自分を、心のどこかで恥じるかのように。
「…………」
 それに気づいていながらもユーリは――穏やかなる守護天使は、その名のごとく彼を見守るだけで、何も口にすることはなかった。



「困りましたわ」
 そう、困った。
 言葉とは裏腹に、まるで困っていないようなのんびりした口調でそんなことを呟くと、前髪ぱっつんな一見すれば清楚にも見える娘――リリィ・クロウ(りりぃ・くろう)は空を見上げた。はるかに伸びる空の情景はのどかであり、綿菓子のような雲がおいしそうに浮いている。ただいささか――空までの距離感が遠く感じるが。
「はぁ……まさか襲われるなんて思いませんでしたわ。これでも気をつけていたつもりでしたのに」
 気をつけている者ははたして好奇心で谷底を覗き込むかどうか……リリィはいま、最前まで自分が覗き込んでいた谷底にいた。
 なんでもこの谷底に落ちて亡くなった青年がいるという話だった。そんな話を聞いたリリィは、崖に供えられていた花を発見して好奇心がウズウズと沸き立っただけなのである。そう、断じてそれだけだ。不可抗力すぎて言うべきこともあるまい。
 好奇心によって谷底を覗き込み、好奇心のせいでイルマンプスに発見され、襲いかかってきたその巨大怪鳥を好奇心の成せる技で避けた――そのせいで、足を踏み外してまっさかさまである。
 かろうじて女王の加護が守ってくれたために大きな怪我はなかったが、代わりに足をくじいてしまったのである。ヒールの治療はほどこしたが、打ち身も残っていて決して“快調”と言えるほど動けるわけではなかった。
 とはいえ……動かぬことには始まらぬし、なにより谷底ってどんなものだろう? という彼女の好奇心を止める術はないわけで。僧侶娘、ただいま谷底探索中である。
「あら?」
 と――リリィは岩陰に隠れる何かを見つけた。
 それは、なにやら四肢ある人影のようで……岩にもたれかかってピクリとも動かない。少し、思わず眉をひそめるような嫌な臭いがした。リリィはその影に近づいて、そして――やはりのんびりした口調で声を漏らした。
「あら」
 ただ少しその声には、悲哀にも似た響きが込められていた。