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第1章 刀と酒の契り 2

 獣たちの襲撃から難を逃れて、ようやく一息つける頃になってきた。
 山岳も中腹まであと少しといったところだ。徐々に草木と花の鮮やかな色づきも薄くなり、特徴的な鈍色の花弁などがちらほらと目に付くようになってくる。つまりは、平野から山岳特有の生態系へと移ってきているということなのだろう。
 コビアたちの後ろから歩を進める真人はそんな景色と環境の変化に思考を廻していたが、トーマやその他の童心たちにはさほど大した問題でもなさそうだった。
「みんな元気になーれ!」
 事実、ノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)は竪琴を演奏しつつ明るく笑っていた。リカイン同様というわけではないが、彼女もまたアレックスたちのように、契約者である影野 陽太(かげの・ようた)に事情があって付き添えることができなかったのである。そんな陽太の分まで自分が頑張るのだと、気合を入れてみんなに歌をご提供しているということだ。
 もちろん、ただ単に場を盛り上げるため演奏しているわけではない。竪琴の音色には魔力が音階の一つ一つに込められていたし、口ずさむ歌もまた、言霊に宿る癒しの力が、獣たちとの戦いで疲弊したコビアたちを優しく包み込んでくれた。
 自身の自重に負けそうな疲労した肉体まで回復しているのを感じて、コビアは感嘆の声を漏らす。
「それにしても、傷まで癒すなんて……すごいね、ノーンちゃん」
「えっへん! わたし、おにーちゃんの分も任されてるんだもん! とーぜんだよ」
 胸を張ったノーンをコビアとともにほほ笑ましく見ていた月詠 司(つくよみ・つかさ)も、感心して頷いていた。
「ホント、ノーンくんの歌は素晴らしいですね。心身ともに癒されるとは、まったくこの事です」
「えへへっ、ありがとー、司おにーちゃん! でも…………なんで女装なんてしてるの?」
 ノーンが見上げた視線の先で、眼鏡の下の知的な表情は凍りついた。表情は務めて冷静を装うとしていたものの、格好は明らかにどこぞかのTVに出てきそうな魔法少女のそれである。
 誰もが気づいていながらツッコむことを避けていたそれに触れた純朴な少女は、凍りついたままの大人たちを見て小首をかしげる。
 そんなノーンと大人たちに顔を背けて、シオン・エヴァンジェリウス(しおん・えう゛ぁんじぇりうす)はくすくすと意地の悪い笑い声を漏らしていた。
「な、なんで……なんで女装って……ぷぷっ」
「元はといえば、これもそれもシオンくんのせいでしょう!?」
 魔法少女にしては物騒な血煙爪――チェーンソーを持っていることが余計にシオンのツボを刺激しているのか、彼女は笑いを堪えきれていない。
「まあ、まあ、そんなに怒らないの♪ 結構似合ってるわよ〜、その魔装……じゃなかった魔法装女(つまるところ魔法の衣装で女装させられた男のこと)」
「全然嬉しくないですよ!」
 そう言って変身を解除する司――だが、瞬時にシオンが携帯をかざすと、再びボン! と小気味いい音を立てて元の魔法少女姿に戻ってしまう。どうやら魔法の携帯電話のようで、司の変身を制御するための魔法が組み込まれているようだ。
 これ見よがしに携帯をちらつかせるシオン……吸血鬼なのだが、もはや悪魔の所業だ。
 己の運命を嘆いて深いため息をつく司。パートナーのタルタロス・ソフィアーネ(たるたろす・そふぃあーね)が、彼の肩に手をぽんと置いたのが、唯一の救いであったろうか。
 すでにシオンは彼から興味を移したらしく、自分のデジタルビデオカメラ――先ほどのコビアの戦いの雄姿を捉えた映像を再生していた。
「それにしても、これがあのときのコビアとは……成長はするものよね〜」
「はは……そ、そうですか?」
 目を細めて舐めるような視線を向けるシオンに、コビアはなぜか嫌な予感がして苦笑した。……すぐにそれは的中するのだが。
「で、シアルとはどうなったわけ?」
「シ、シアル……? いや、どうって……旅についてきてくれてありがたいな〜とか」
「はああぁぁ……違うわよ。そういうことじゃなくって」
 深くため息を吐いてシオンはコビアの耳元に口を寄せた。ただでさえ色っぽい彼女が接触すると、コビアもわずかに緊張する。
「コ・イ・ビ・ト…………なの?」
「は、はいぃ!?」
 のけぞるようにしてシオンから離れたコビアは、一瞬質問の意味を理解しあぐねていたが、すぐに顔を真っ赤にして首をぶんぶんと振った。
「ち、違いますよ! なに言ってるんですか!」
「でも、わざわざあなたについてきたんでしょ?」
「それは……彼女が僕ぐらいしか親しく話せる人がいなかったからで……」
 コビアは少し俯き加減に彼女のことを思い出していた。だが、すぐに再び弁解する。
「とにかく! シアルとは、そういうんじゃないんです!」
「えー、そうなの? つまんなーい」
 からかうことも出来なくなって興味を失ったシオンが離れてゆくと、コビアはようやく安堵のため息をついた。吸血鬼ってみんなあんななのかな……と、そんなことを思うコビアに、蓮見 朱里(はすみ・しゅり)の同情の声がかけられる。
「災難だったね」
「蓮見さん……見てたんなら助けてよ」
「あはは……」
 苦く笑うところを見ると、どうやらからかわれるのを避けていたというところか。それにしても人質みたいに使うとは……ひどい!
「案外……蓮見さんもズルいよね……」
「まあ、これまでの間に、少しは図太くなった、かな?」
 朱里はくすっと笑ってみせた。それにつられて、コビアも笑う。
 シャンバラ大荒野の遺跡からこれまで。そう、短いようで、長い時間だった。コビアがキャラバンを離れて腕を磨いていたように、あのときの仲間たちにもそれぞれの時間があったのだ。話に聞いたところによると、彼女はパートナーの機晶姫と結婚したそうだ。しかも、養子までいるという話ではないか。初めて聞いたときは、コビアも目を丸くしたものである。
 結婚――なんとなく、遠い話だ。さほど歳が離れているわけでもない朱里がそんな生涯の契りを交わしたことを知ると、不思議な感覚でもあった。
「……ねえ、蓮見さん」
「なに?」
「いま、幸せ?」
 そんな不思議な感覚を知りたかったということもあったのだろうか。コビアの唇は自然とそんなことを彼女に聞く。脈絡なく聞かれた質問に朱里はしばらく目をパチクリとさせていたが……やがて、彼女は母のそれの優しい微笑で答えた。
「うん、幸せ」
 結婚して母親になるって……こんな顔になるんだな。
「そっか」
 コビアはなんとなく羨ましくもあり、眩しいそれを見ているのが嬉しくて笑った。と、そのとき……その問題の機晶姫がコビアたちのもとにやってくる。
「アイン」
 アインと呼ばれた機晶姫――アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)の横には、刹那と真人も一緒にいた。
「何を話してたんだ?」
 興味ありげに聞いてきたアインに、二人は顔を見合わせてくすっと笑った。
「なんでもない、かな」
「うん、なんでもないよ」
「……?」
 計り合わせたように悪戯心で笑う二人にアインはきょとんとした顔をする。が、それはともかくと言ったように、さほど興味を抱かぬ刹那がコビアへと近づいてきた。そのことで、アインたちも意識をそちらに移した。
「コビア」
「刹那さん?」
「この依頼……きな臭いな」
「え?」
 刹那の声はなるだけ周りに聞かれないように配慮してか、低く囁くようなものだった。小さき傭兵の瞳は鋭い刃のような光を宿す。
「イルマンプスがそうそう人を襲うことは考えられない。用心するに……越したことはないの」
 そう告げると、刹那はコビアから距離をとった。視線はわずかに周囲の岩陰を観測している。常日頃から彼女はそうであるが、こちらを監視している者がいるかもしれないと警戒しているのか。
 真人と朱里たちも、刹那の忠告に同意しているようだった。
「動物は理由も無く人を襲ったりしませんからね。あるとすれば、本能的な何かが関係しているとか……」
「あまり考えたくはないけど……人のほうに原因があるのかも。依頼人の様子も……少し何かをごまかそうとしているようにも見えたし」
 朱里とても進んで疑いたくはないのだろう。自己嫌悪にも似た表情を浮かべた彼女に代わって、アインがそれを継ぐ。
「朱里や真人の言うとおりなら、戦わずに解決できる方法があるかもしれないな。あくまで……希望的観測だが」
「……うん」
 アインの言葉は的確で、だからこそわずかに重みを持っているように感じる。彼の言う希望的観測を望むかのよう、コビアは俯き加減で頷いた。
 そしてその手が気づかぬうちに腰に提げられた鞘をなでるのを、真人はどこか心配そうな目で見つめていた。