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リアクション
■第一章
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「都子さんの肩の傷は治りがあまりよくないようですし、何か無理でもされているのでは、と心配ですね」
橘 舞(たちばな・まい)が呟くと、髪を梳いていたブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が鏡台から振り返った。
朝が来た。
二人は宿の同室で、何とはなしに視線を交わす。
舞は、穏やかに考えていた。
――勇理さんへの疑いも晴れましたね。偽物を才太郎さんに見せかけて殺害する理由がないですもの。
この所、親しくなった紳撰組局長の近藤 勇理(こんどう・ゆうり)の姿を思い出しながら、彼女は着替え終わった浴衣を静かにたたんだ。
「でも、周囲もまた何慌しくなってきたようです」
紳撰組の隊士達から話を聴いていた舞は、幾ばくか悲しそうに瞳を揺らした。
「そうだわ」
舞が美しい黒髪を揺らしながら、両手をあわせて叩いた。
周囲に小気味の良い音が響く。
「今回の一件で精神的に疲れているようにも見えますし、私しばらく都子さんの肩の治療についてあげようと思います」
「――賛成だわ」
パートナーの声に、ブリジットは青い瞳をスッと細めながら同意した。
「本当ですか?」
辺りには、花が舞うように、嬉しそうな舞の微笑が煙る。
その様子を眺めながら、波打つ金色の髪を指で巻いているブリジットは、舞とは少しばかり別のことを考えていた。
――遺体が才太郎ではない事も、都子は最初から知ってたのよね。
――だから、最初からあれだけ落ち着いてた。
これまでの経過を回想しながら、ブリジットは考えた。
――舞は、所々で平和主義が覗くが、鋭さもある。
その上、元来の柔和な性格故か、こう見えて面倒見も良いのである。
――舞が看護という名の監視に着くならば、都子も迂闊には動けないはず。
負けず嫌いのブリジットは、それでも親しくなった都子のことを想っていた。
楠都子の生い立ちから疑念を晴らそうと奮闘した彼女だったが、論理的に考えれば考える程、誰が犯人なのかは『一人』を導出できずには、いられないのだ。
迷探偵と揶揄されることもある彼女であるが、ここまで明確な事象を読み違う程、ブリジットの頭は綻びを帯びてはいない。
「早く、治ると良いわね」
それは半ば本心であり、半ば願いでもあった。
「すでに先生への義理のみで動いてる気もするけど。ただ、世話になった人が酷い目にあうのは見たくないかな」
桐生 円(きりゅう・まどか)がそう呟くと、驚いたようにオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が金色の瞳を向けた。
二人は、朝になった扶桑の都で、梅谷才太郎にまつわる情報を集めていた。
「前回師匠からは、自分の信じた道を進めということが伝わったんだ。だけど、先生の道はどんな道なのかな」
円が呟くと、オリヴィアが腕を組んだ。
「どちらに傾くことは良くない、かぁ」
円のその声に、オリヴィアは目を伏せた。
――さて、円が悶々としている間に、私も情報収集と行こうかしら。
「先生は何を計画したか――未だに不明だよね。情報がたりない、不足してる。先生はなにを行おうとしているのだろう? なんとか調べないと、歩ちゃんや、ぶりちゃんとも情報交換しておくかなぁ。少しでも情報が欲しいし」
円が赤い瞳で瞬いた。彼女はブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)と七瀬 歩(ななせ・あゆむ)とそのパートナーのことを思い出していた。
その頃。
「波風のあらき世なればいかにせん……さて、どうしましょうか」
そう呟いた伊東 武明(いとう・たけあき)は、腕を組んでいた。
「白虎殿も命を散らせてしまいましたか……。志のために命を捧げる、それはとても立派なことかとは思いますが、急ぎすぎているように見えるのは否めませんね……」
先の逢海屋の戦いで命を落とした朱辺虎衆四天王の一人である白虎の事を考えながら、武明は唇を撫でた。
「さて、梅谷殿について色々と調べたかったのですが、よくわかってませんね。……少し考え方を変えてみましょう。――梅谷殿の殺害現場と思われる場所には、勇理殿の鞘が置かれていた。これが示すことは、勇理殿の関与の疑いと『鞘を持ち出した人物は梅谷殿の居場所を把握していた』ということ」
あの夜、梅谷才太郎が逢海屋にいたことを知る人間は、それ程多くはなかっただろう。
――どこかで紳撰組が梅谷殿の隠れ家を見つけていたのならば問題はありませんが、どうも動きを見る限りそのようなことがない。
第一、紳撰組が討ち入ったのであれば、何も偽装する必要などはない。
思案に耽りながら、武明は、暁津藩の家老の一人、継井河之助の家を目指して進んでいた。
1
「残念ですけど、事件のことを考えると組内に裏切り者が居る事は確実ですぅ。なので、監察には不審な動きをしている隊士の監視をお願いしたいです」
紳撰組の弐番隊組長である土方 伊織(ひじかた・いおり)がそう告げると、パートナーのサー ベディヴィエール(さー・べでぃう゛ぃえーる)とサティナ・ウインドリィ(さてぃな・ういんどりぃ)もまた頷いた。
朝が訪れた紳撰組の屯所においてのことである。
「事件の真相を知るには、朱辺虎衆を捕らえる等して、真相を聞き出すしかなさそうですね」
ベディヴィエールの声に、伊織が美しい黒い瞳を向けた。
その目を見返しながら、彼女は続ける。
「とは言え、組内に敵側の密偵が居る可能性が高い状況では、少しばかり動きが取り難いのも事実。このままでは、池田屋討ち入りの報もすぐに相手側に気づかれてしまうかもしれませんね」
「裏切り者とはのう……」
サティナが呟いた横で、ベディヴィエールが溜息をつく。
「ならば、それを逆手にとって、その事を相手側に報せようとする人物――もしくは、討ち入りの際に故意に逃走を見逃す人物が密偵と言えるかもしれません。ですから、その事を念頭に入れて監察方に不審人物を割り出して頂きましょう」
その声に頷きながら、サティナが思い出すように口にした。
「イナテミスでの帝国とのあの防衛戦の折も、裏切り者のお陰で危うく戦線が崩壊しそうになってのう、その為にアーデルハイトの信を失う目に合った訳じゃが……このまま放置しておく訳には行かぬのじゃろうな。まぁ、その辺りの事は伊織らに任すのじゃ。我は討ち入りに全力を尽くすとするのじゃ」
彼女達は、この扶桑の都にくるまえ、精霊指定都市イナテミスにおいて、尽力したことがあるのである。経験豊富で実力もある彼女達を一瞥しながら、紳撰組の諸士取調役兼監察方である九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)は頷いたのだった。
――討つべき敵を知るのは大事な事ですから。
そんな風に考えながらも、ロゼという愛称のジェライザ・ローズは、湿気のせいで張り付いてくる制服を扇子で扇ぎながら、考えていた。
――表舞台には立てない立場ですが、裏方も大事だよねーって事で……。
実際それは真実で、ロゼと行動を共にすることが多い斉藤も諜報活動の為、外に出ている。
彼女達のそんな様子を眺めながら、長原 淳二(ながはら・じゅんじ)が唇を舐めた。凝った意匠が施されたアクセサリーが揺れている。
「俺は俺のできる事をするだけだ」
彼は紳撰組の四番隊組長だ。
格好いい外見をした彼の青い瞳には、正義感の強さが滲んでいる。
綺麗な黒髪を揺らしながら、彼は茶請けにと用意されていた海豹村特産の茶菓子へと手を伸ばす。
「辛っ!」
辛い物が苦手な淳二が、思わず吹き出した。
すると隣で茶類の用意をしていた海豹村 海豹仮面(あざらしむら・あざらしかめん)が、慌てたように口直しの薬草茶を差し出す。
オールバックにした銀色の髪に手を添えながら、若き海豹村野村長は困ったようにも、のんきにも見える声を上げた。
「この時期は青唐辛子が取れるから、海豹村でも作っているんだよねぇ」
「だからっていくら何でも辛すぎる」
端正な口元を手で覆った淳二に対し、六番隊組長である海豹仮面が申し訳なさそうに頭を垂れる。
「海豹村は特別ですからねぇ」
海豹村の宣伝を念頭に置いている海豹仮面の声に、淳二が目を細めた。その時、横から華奢な手が伸びる。
「――あちきは、なかなか美味しいと思うけどねぇ」
青唐辛子の漬け物へと手を伸ばしたレティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)が、そう言った。
彼女は紳撰組の参番隊組長である。
綺麗な茶色のポニーテールが揺れている。
「六番隊組長、野菜類はどんどん送ってもらってくださいね。これで紳撰組の食費も浮くというものだわ」
レティシアのパートナーであり、紳撰組の勘定方でもあるミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)がそう告げる。
「勿論宣伝の為に、食事の際には、出産地を『海豹村』と表記した広告を置きますわ」
「それは有難いことだねぇ」
ミスティと海豹仮面がそんな密約を交わす正面で、如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は深々と溜息をついていた。彼は紳撰組の壱番隊を預かっている。
――以前の勇理の鞘の件といい、やはり紳撰組の中に……相手に与しているいるやつがいるな。
昼行灯と呼ばれることがある彼ではあったが、その真摯な眼差しの奧では、今回の騒動の核心に迫ることを考えていた。
――紳撰組の壱番隊組長としてやるべきことをやる。
そんな強い決意で彼は、いつもの通り朗らかな紳撰組の面々を一瞥していた。
――朱辺虎衆……どんな事情があっても『組織』としてはここで潰す!
冷徹さを滲ませる青い瞳で決意した彼は、静かに立ち上がった。
局長達のフォローは勿論、ケジメをつける切っ掛けになれれば……、そう考えていた彼は、いざとなれば自分が汚れ役を引き受ける心づもりで居た。
「今はやれる事から……だな」
そんな正悟に静かに付き従い共に廊下に出たヘイズ・ウィスタリア(へいず・うぃすたりあ)が呟く。薄茶色の髪をした美少年は、パートナーを見据えながら、さらに何か言葉を続けようと思案している様子だった。
そこへ、紳撰組の弐番隊組長である土方 伊織(ひじかた・いおり)が追いかけてくる。
「待って下さいなのですぅ」
振り返った正悟とヘイズに対し、伊織が率直に告げた。
「誰が一番怪しいと思うですか?」
すると迷い無く、正悟が応えた。
「……ほぼ、確実に楠都子だな。状況証拠だけだが、こういった場合のは当たってる事が多い」
彼は直感を曲げず、真摯な瞳を伊織に向けた。すると彼女もまた頷く。
「一番怪しいのが楠都子さんなのがちょっと悲しいですけど、勇理さんへこれ以上負担をかけたくないですから、内々で片付けれる様に証拠集めをお願いするのです――既に監察方に、お願いしました」
二人のそんなやりとりを見守りながら、腕を組んだヘイズは局長である近藤 勇理(こんどう・ゆうり)の居室の方へと視線を向けたのだった。中庭では、竹が水を溜めては音を立てて、池へと吐き出していた。
その内に、扶桑の都に雨が降り出した。
「……雨は、好き。雨の中の紫陽花も、好き」
池の脇に咲く、青や紫ごくまれに白のあじさいを眺めながら、スウェル・アルト(すうぇる・あると)が呟いた。紳撰組の装束を纏った彼女は、その繊細さを象徴するような白い髪も、赤い瞳も、よく制服に似合っている。元来日差しに弱いため傘を差していることが多い彼女は、雨を幸いに、また『不殺』を信条としているが、『守る』ために、刀を手に雨の音を聴いていた。
――仲間を、守る。……守りたいと、思ったの。
蝸牛が、傍らの樹の幹をなぞっていく。
「私はあの面接の時、入隊を希望する人に、見守ると言った。でもそれが当てはまるのは、その人達だけというわけでは、ないはず」
紳撰組の総長として面接も任せられている彼女は、一人ひっそりと呟いたつもりだった。
――私の見てきた世界は狭いから、今まで誰かの事を、何とかしたいと、考えた事は、とても僅か。けれど。
――誰かを守りたいと思える事。
――仲間がいるという事。
それはとても、幸せな事だと思う、そう彼女は考えていた。
「あの花の色は、スウェルの髪の色に似ているね」
気がつけば彼女のパートナーであるヴィオラ・コード(びおら・こーど)がすぐ側に立っていた。
ドイツの紫陽花畑の中に封印されていた剣の花嫁である彼は、雷雨により偶然封印が解けた時にスウェルと出会った事を、静かに思い出していた。
――どんな状況でも俺が成すべき事はたった一つ。スウェルを守ることだ。スウェルが一番大事だ。それは昔から変わらない。
「スウェルのことは絶対に守る。……だけど、最近、俺は」
考え込むようにヴィオラが俯いた。
「紳撰組の連中を見ていたら、放っておいても大丈夫なのに、気になると言うか……」
初めはただ、スウェルに着いてきただけだった彼は、己の心情の変化にとまどっていた。
――守るべきものはスウェルだ。その想いは、変わらない。けれど――
「時々、心配になるんだ」
その理由が分からなくてヴィオラが嘆息した時、スウェルがその赤い瞳を静かに向けた。
「良い事」
「え?」
簡潔なパートナーの声に、ヴィオラは顔を上げた。
「それは、良い事」
そう言われてみれば、ヴィオラは少しばかり照れくさくなった気がした。
――何だろうな、本当に。
――そう言われて嬉しいような……複雑な感じだ。
二人はそのまま揃って、あじさいの花を見つめていた。
その向こうにある回廊を、紳撰組の副長達が進んでいく。
「池田屋に討ち入るんだな」
棗 絃弥(なつめ・げんや)のその言葉に、居室にいた近藤 勇理(こんどう・ゆうり)は深々と頷いた。
隣では楠都子が茶を淹れている。
絃弥は、鬼の副長と名高い勇理の右腕だ。
「今回の討ち入りは不逞浪士を一網打尽にする好機だ。その為にも扶桑見廻組との連携は必要不可欠だろ、近藤さん」
――せっかく大勢で固まってるんだ、一網打尽にするまたとない好機だろう。
そう考えていた彼は、池田屋に討ち入り、不逞浪士を全て捕えるべきだと考えていた。
「嗚呼、決着をつけるべき時だと思う」
勇理のその声に、絃弥の隣で罪と呪い纏う鎧 フォリス(つみとのろいまとうよろい・ふぉりす)が頷いて見せた。
「局長殿も決着を付けると意気込んでいるが、その為には不逞浪士をまとめる存在を全て捕える必要があるな。末端の者を数多く捕えたところで頭が残っている限りすぐにまた力を取り戻してしまう」
フォリスは三道 六黒(みどう・むくろ)を念頭に置きながら、そう口にした。
「どうぞ」
都子に差し出された湯飲みを前にしながら、二人が顔を見合わせる。
そこへ柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)が入ってきた。彼は、紳撰組の先発隊である。
その襖が開く音に、無意識に刀を触っていた勇理は、彼の顔を見て、安堵したように溜息をついた。
「……勇理、落ち着かないか?」
氷藍が言うと、勇理が気まずそうに視線を逸らした。
「いや……この状況で落ち着けという方が無茶だろうがな」
続いたその言葉に、漸く安堵するように、勇理は彼を見る。
「お前は狙われている立場でもあるんだからな、こんな時こそ冷静になれ。まあ……俺はお前の側に居る、後ろや左右は気にするな、前だけ見て、お前のやるべきことをやるんだ」
その声を聴いていた絃弥が、喉で笑った。
「心強いな、近藤さん。雑事は俺達に任せて、護衛も先発隊や七番隊にまかせて、成すべき事をしてくれ」
彼らがそんな話しをしている部屋の外では、七番隊組長とその副長自らが護衛をしていた。セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)とセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)である。
紳撰組の制服でも隠しきれない程、凄艶な装いの二人は、部屋の中から漏れ聞こえてくる声を耳にしながら視線を交わし合っていた。
薄茶色の髪をツインテールにしたセレンフィリティは、メタリックブルーのトライアングルビキニを着用している。普段はその上にロングコートを纏っているのだが、今回は巻き込まれたが故に、紳撰組の制服が外套代わりだ。実に煽情的な美しい肢体を惜しげもなく晒している彼女は、緑色の瞳を揺らしながら腕を組んだ。
「討ち入りかぁ……」
些か緊張している様子のパートナーに対し、セレアナは微笑した。
「セレン――大丈夫よ」
「大丈夫って何が?」
「貴方が暴走したら私が止めるわ」
「ちょ、ちょっと暴走なんてしないわよ」
「じゃあ、もし怪我をしそうになったり、心が折れそうになったりしたら、私が守るわ」
「な、何言ってるのよ」
「私は貴方のパートナーだもの。当然でしょう?」
「……まずは、局長を守るの!」
「分かっているわ」
喉で笑ったセレアナに対し、僅かながらに頬を染めてセレンフィリティは視線を背けたのだった。
2
雨が上がる頃、継井河之助の邸宅には、伊東 武明(いとう・たけあき)の姿があった。
それは、これまれ大奥において総取締代理を勤めていた七瀬 歩(ななせ・あゆむ)の尽力故である。
彼女は、その時大奥で、一人思案に耽っていた。
――うーん、朱辺古衆かぁ。話聞いてる感じだと攘夷思想なのかな。何となく暁津藩の人たちの思想に近い気はするけど……。ただ、浪士の人たちが主になってるならそうともいえないのかな。
歩はそんな考えから、暁津藩出身の御花実の人と話してみて、紹介状を書いてもらったのである。それを受け取った武明は、暁津藩の家老の一人である継井の屋敷へと訪れたのだ。
「これはこれは。元、大奥の総取締代理の縁者と紹介を受けております。さぁ、あがって下さい」
年若い家老は、人当たりの良い笑みを浮かべると、武明を中へと促した。
「まだドクダミの茶が残っておりまするが、何を嗜好されますか?」
「気遣いは無用です。僕はただ継井殿に、お訊ねしたいことがあって参ったのです」
その言葉に、継井はわざとらしく腕を組んで見せた。
「こちらには、お話しすることなど特段思い当たりませんが」
「朱辺――……攘夷志士の事をお訊ねしたいのです」
「全く嘆かわしいことです。大奥の方にまでご心配をおかけするとは……ただ、そんな我が、これから医術者の元へ出向くと言えば、貴方はお笑いになりますか」
「医術者?」
「奥医師ですが、他国の者。我が暁津藩は、異国を打ち払うことを良しとしております。そう――暁津勤王党と呼ばれる者達を抱えておりまする。ですが、それに否を唱える者もいる。私は家老、この藩の家老の一人に過ぎない。それ故、どちらでも構わないのです。将軍家の御為にこの身を捧げることが出来るのであれば」
その言葉が継井河之助の本心なのか、武明には分からなかった。
「宜しければ、共に参りますか」
子供らしく笑った継井は、そう述べると武明を誘ったのだった。
継井河之助が供も連れずに、伊東 武明(いとう・たけあき)と向かった先は長屋だった。
そこには本郷 翔(ほんごう・かける)とソール・アンヴィル(そーる・あんう゛ぃる)の姿がある。
布団がいくつも敷かれたその居室には、攘夷志士や農民等、様々な立場の者達が横になっていた。
スキルの『根回し』を使い、医療活動が行えるように翔は尽力していた。
これはマホロバ城内で、彼らが『医療活動などに関する建白』を行う少しばかり前の話である。
「ここは……」
武明が呟くと、継井が微笑した。
「佐幕・倒幕、双方の――そして討ち入りに巻き込まれた者達を、庇っておられるのですよ、医師等殿は」
二人のやりとりに、翔が顔を上げた。
「双方の陣営に医療活動を行うことの許可を得て、抗戦を諦めた人、巻き込まれた住民の治療を行える体制を作ったんです。この許可の範囲は私達だけではなく、他の医療行為を行おうとする人達も範囲に入れていただくよう注力しました」
「それでは何か含む所のある医者もまた、在籍できるのではないですか」
武明の問いに、翔は頷く。
「もっとも、他の医療活動を行う人に不純な動機がある可能性もありますが、医療活動そのものがまず必要だと考えておりますゆえ、その辺の思惑の有無は二の次、三の次です」
彼らのそんなやりとりの正面で、町民が声を上げる。
「痛いですよ、先生!」
「治療ですから」
穏やかに返したソールはといえば、優美な金色の長い髪を揺らしながら包帯を巻いていた。声を上げた少女の瞳は潤んでいる。
彼女は、先の紳撰組の討ち入りの際に、あがった火の手で火傷をしたのだ。
――俺としては、負傷する志士、巻き込まれる住民達を治療してあげたいと思う。勿論、そうすることで、女の子からの人気が高まるならそれに越したことはないけど、今の扶桑の都の騒乱は、そんな不純なことを言っていられるほど平穏とは言えなくなっていると思うからさ。
ソールは心の中で、そんな事を考えていた。
その時、彼らの元に、隣の部屋で養生している健本岡三郎の声が響いてきた。
「御神楽 環菜(みかぐら・かんな)殿を商談相手――仲間として推薦します」
梅谷才太郎と共に襲われ、深傷を負ったとされている健本は、訪れた諸葛亮 孔明(しょかつりょう・こうめい)の声を興味深そうに聴いていた。
「経済発展のための方策を打ち合わせましょう」
その声に健本は、頷いてみせる。
「聴いちょる。それに貴方は、最近学問塾も開いちょるんじゃよね」
腕にはまる『白い』革製の腕輪を弄りながら、彼は孔明を見据えた。
実際孔明は、試衛館マホロバ支部道場の一部を間借りして学問塾を開いているのである。
「どこでその話しを?」
「なに、ここにゃ農民も多く来る。先生は――これからマホロバは、どのようにカジをきるべきやとお考えじゃろうか?」
「マホロバが独立国家として生き残っていくには『富国強兵』の方針を採った方が良い」
顎に手を添えた孔明の返答を、真摯な調子で健本は聴いていた。
「『富国』を成すには、外国との交易等で経済を刺激する一方で、学問を修めた――まともな政策を立案できる人材をより多く世に輩出する必要がある。ですので、自分の知識や前世での経験を伝え、教える場としての学問塾を開いたのです」
「それは藩士も、志士も問わずじゃろうか?」
「無論。一般の方のみならず今は不逞浪士と呼ばれてる見所のある方に対しても門戸を開き、学問を学ばせ政治を担える――政策を立案できるレベル……度量までまで育て上げ、マホロバの政治改革を支援したいと思います」
二人のそんなやりとりを襖の狭間から眺めていた伊東 武明(いとう・たけあき)は腕を組んだ。
――健本某の事は知らない。
――けれど、けれどだ。梅谷才太郎と名乗っていた攘夷志士は、『白い』革製の腕輪をしていて、土佐弁に酷似した言葉を話していたのではなかったか。そんな情報を、パートナーが通う学園の先輩や同輩から得た記憶がある。
「いかがされましたか?」
継井河之助の言葉で我に返った武明は、ふるふると首を振った。
「いいえ」
――考えすぎだろうか?
そうは思いつつも彼は、事の次第をありのままに、報告する決意をしたのだった。
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