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リアクション
ツァンダの町を1人ぶらついていた一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)は、正直、もう帰りたいと思っていた。
自分の用事はとうに済んだ。残るはパートナーリリ マル(りり・まる)の頼み事『笹飾りくんに願い事を書いた短冊をつるしたい』をかなえるだけである。
しかしこの頼み事が、まさかこんなに手間取るとは。
自分の用事の倍以上の時間が経過しているというのに、一向に笹飾りくんとやらには出会えない。
「やはり町を適当に流すだけでは出会えませんね」
いつまでもこうしているわけにもいかないと、アリーセは携帯を取り出した。こちらの知り合いに連絡を取り、目撃情報をもらうのだ。
「……有益な情報は得られたでありますか?」
アリーセが携帯をポケットにしまうと同時に、じれたような声がした。
「気が早いですよ。今かけたばかりじゃないですか。何か分かったらかかってくるでしょう」
「そうでありますか」
「牙竜によりますとここから南の方角にある地区を西に向かっていたということですが、かれこれ2時間以上前ということですからもうかなり移動してしまっているでしょう」
とはいえ、ほかに向かうあてがあるでなし。アリーセは下ろしてあったアタッシュケースを持ち上げると、西に向かって歩き始めた。
ちなみにこの会話、アリーセが独り言をつぶやいていたわけではない。もちろん腹話術でもない。
アタッシュケースの中に妖精サンが入っているわけでもなく、単純に、彼女のパートナーはアタッシュケース型機晶姫なのだった。
「そ、それで、アリーセ殿、短冊はお持ちいただけていますでしょうか?」
てくてく歩いていると、リリがそわつく声で言った。
「ちゃんとかばんの中にありますよ」
「ラミネート加工はきちんと丁寧にされてますか? もし端が浮いたりしていて、密閉が甘いと雨水が入り込む可能性が――」
「加工後、何度も確認しました。そう言ったでしょう」
これも、今日何度目の会話になるか。
最初は真面目につきあってきたアリーセだったが、4回5回と繰り返されると、いいかげん、答えるのも面倒になってくる。
(まぁ、もとはと言えば、わたしに原因があるのですから仕方ないのですが…)
その点は、ちょっぴり反省している。
笹飾りくんに短冊を付けに行ってやる約束をしていて、すっかり忘れてすっぽかしてしまったのだ。
そのときもさんざん恨み節を聞かされたが、笹飾りくんに短冊をつるして実際に願い事がかなった人たちがいるといううわさを聞いて、リリはさらにしょげ返った。
『あのときつるしていれば、かなったのは自分の願いであったかもしれなかったのであります…』
うだうだ、ぐちぐち、ねちねちと。これを来年まで聞かされてはたまらない。だからアリーセは「ちょうどツァンダへ行く用事がありますから、今からつるしに行きましょう」と提案して、リリをだまらせることに成功したのだった。
……ただし、今度は別の意味でうるさくなったが。
「楽しみでありますなー。七夕シーズンじゃなくても全然気にしませんから、お願い事がかなうといいですなー」
この調子で、短冊ができる限り長持ちするよう、ラミネート加工から穴パンチ、つるすための紐はファイバー製と、アリーセに細かく指示を出して用意させたのである。当然短冊を書いたのもアリーセだ。消えないように油性マジック(太)でデカデカと、そして読み間違えられないよう丁寧に、との注文で作成された、大変腹立たしい3枚の短冊がアリーセのかばんの中に収まっている。その全部に書かれた願い事はたった1つ『はやく人型になれますように』。残り2枚は万一のとき用の予備だ。
「もしものときを考え、常に予備を用意しているのが優秀な軍人なのであります」
鼻高々なリリの声を聞くと、なんだか無性に壁にぶつけたい衝動にかられた。
(よく口癖で「せめて手ぐらいは付けて欲しいのであります!」と言いますが、リリに一番必要なのは手ではなく足なのではないでしょうか)
そうすれば勝手にどこへでも行って、交渉して、好きなことができるのではないかとつくづく思ったが、アタッシュケースに足が生えた姿は虫しか連想できないので、それは(見る者の)精神的に良くないとして、やはり却下するアリーセだった。
「おおっ! いました、アリーセ殿! あれが笹飾りくんでありますっ!」
いくつか教えてもらった目撃情報を元にしてたどり着いた道で、アリーセは笹飾りくんと出会うことができた。
「やれやれですね」これでやっと帰ることができる、とアリーセもほっと息を吐く。「さあお願いして短冊をかけさせていただきましょう」
「笹飾りくん! 今年の七夕はもう終わってしまったのでありますが、来年の七夕のために、ぜひ自分の短冊をつるさせていただきたいのでありますっ!」
アリーセが突き出したアタッシュケース、リリの決死のお願いに、笹飾りくんは背中を向けた。
ひと言もしゃべらないのでよく分からないが、これはつるしていいという了解なのだろう。そう解釈して、アリーセは短冊を適当な枝に結び付けようとしたのだが。
「ああっ、アリーセ殿! どうせかけるならもっと高いとこに! こう、ツリーでも一番高い所に星が飾られますでしょう? あんな感じで、てっぺんに近い所が一番目立つというか、かないそうというか…」
目立つこととかなうことが、どこをどうしたらイコールでつながるのか?
「……では、できるだけ高い所につるしましょうか…」
イラついている様子など微塵も見せず、アリーセはリリを足台がわりにして上に立った。
「……えっ? アリーセ殿?」
まごつくリリ。
そのときだった。
弦楽器の音色とともにどこからともなく歌声が聞こえてくる。
「これは――幸せの歌?」
ささくれていた気持ちが溶けていく感覚が、唐突にアリーセの胸に湧き起こった。
今まで何度となく感じてきたことのある感覚だ。だが今、ここで使われるということは、これがなんらかの意味を持つということ。
「――むっ。そこであります!」
パッとアタッシュケース形態から攻撃体勢へ移行するリリ。とすれば当然――
「うわっ!」
アリーセはそっくり返って転がり落ちた。
だがリリにはそちらへ構っている暇はない。ヒュッと風を切って飛来してきたリターニングダガーをシャープシューターで撃ち落とす。
「何者でありますか! 姿を見せるであります!」
「……ち。どうする? シャオ!」
気配を殺し、隠れ身で彼らの死角となる物陰にひそんでいたリドワルゼ・フェンリス(りどわるぜ・ふぇんりす)は、反対側の壁の上の木にひそんでいる中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)――シャオに指示を求めた。
リドワルゼは狼犬の獣人。狼は常に群れのリーダーの指示によって動く。そして今、彼のリーダーはシャオだった。
「もちろん、計画は続行よ。私たちはなんとしても、あの薬を手に入れなければならないんだから」
シャオは決意に燃える目で少し先の笹飾りくんを見つめる。
「セルマを女体化するために!」
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「ええ、今思えば多分、このときだったんだと思います。盛大なくしゃみが何度も出て……やっぱり夏風邪をひいてしまったんだ、今度の休みには大事をとって病院に行こう、と考えたので、よく覚えているんです。――そう。シャオたち、俺の知らない所でこんなことをしてたんですね…」
のちにセルマ・アリス(せるま・ありす)氏はそう語ったという――――
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「私が落とすから、あなたはその機動性で揺さぶりをかけて」
「了解!」
リドワルゼは隠れ身を解き、道に躍り出た。リリの放つ弾を縦横に避けながら接近していく。
シャオが鬼払いの弓を構えた。タイミングを合わせて瓶のぶら下がる紐を切るつもりだ。リドワルゼがリリに襲いかかり、蹴倒そうとしたときだった。
「喧嘩はおやめください!」
りんとした女性の声が路地の奥から発せられた。
パッとその場にいた全員がそちらを向く。そこにいたのは重厚な、いかにも戦闘兵器といった風貌の鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)を従えたたおやかな女性水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)だった。
「皆さんも本当はご存じのはずです。争いは、紛争を生むだけで何の解決も生みはしないことを」
ぎゅっと胸の辺りで握りしめられた両手。
生来人見知りが強く、引っ込み思案な彼女にとって、見知らぬ者たちの前で大声を張り上げ主張するというのは、とても勇気のいることなのだろう。そして言っていることはたしかに正論なのだが、彼女の背後に控えている九頭切丸を見ると、素直に頷きがたいものがある。
九頭切丸は旧型の機晶姫。戦うことのみに特化し、音声機能すら持たないその姿による無言の威嚇というか、威圧感はとにかくものすごい。
「喧嘩両成敗」とか睡蓮が言った瞬間、最大放火で草の根も残らない攻撃を叩き込んできそうである。
無意識に防御の姿勢をとった全員が固唾を飲んで見守る中、睡蓮は笹飾りくんに歩み寄った。
(笹飾りくん……さん)
睡蓮は心の中でテレパシーを使って語りかける。
(あなたのお持ちになる女体化薬という物を、いただけないでしょうか。私は、特に悪用するつもりはないのです。あくまで研究のためといいますか、純粋に、飲めば男性が女性になるというプロセスを解明したいと思っています。非合法とはいえ、合成されて生まれた薬であるならば、きっと解析も可能でしょう。どうか私にお譲りください。……できれば一番大きな瓶を。
いえね、研究には被験者が必要でしょう? それで、うちの九頭切丸を使おうと思ってるんですけど、ご覧の通り2メートルを超える大きな体では、大量に必要なのではないかと思いまして。それにもちろん、薬を生成するからにはもしものときを考えて、元に戻るための解除薬も必要でしょう? そうしますと、やはり大量に必要ではないかと思うんです。
え? 量産してどうする気か、ですか? もちろん性の不一致でお悩みの方にお配りしてさしあげるんです。そんな、売買してもうけようなんて、考えてはおりませんわ)
視線を合わせ、じーっと見つめ合う2人。
じーーーっと。
じーーーーーーーっと。
じーーーーーーーーーーーーー…………
――笹飾りくんは無口なだけで、しゃべれないわけじゃないんだから口きいた方が早くね?
やがて、笹飾りくんが動いた。
赤いリボンで背中にしょっていたかばんの上に乗せてあった紙袋を取り、おもむろにそれを手渡す。
「見て、九頭切丸! お薬をいただけたわ! 笹飾りくんと心が通じ合ったのよ! 無欲の勝利ね!」
――いや、全く通じてないから。
嬉々として九頭切丸の元に戻った睡蓮は、さっそく紙袋の口を切って中の物を取り出す。
それは、うぶな睡蓮の基準で言うと「ものすごーーーくハレンチな、悪魔の着る物」な、ボディストッキングだった。
「いやーーーーーーっ!!」
「――ぶっ」
適当にぶん投げた紙袋が、シャオの顔面にヒットする。
下げてあったシャオの手が緩み、弓矢が発射された。
「しまった!」
その進路にいるのは、笹飾りくんである。
笹飾りくんに当たるかに見えた矢。しかしそのとき、笹飾りくんのすぐ足元にあったマンホールのふたが開き、イランダがにょきっと。
「笹飾りくん、私と契約しない?」
次の瞬間イランダは強い力で強引に頭を抱き込まれ、硬くて温かな何かに顔を押しつけられた。鼻腔いっぱいに広がる、覚えのあるにおいと感触に、どきりとする。
北斗だ。
「てめェ、よくも…!」
耳のすぐ近くで、低くうなる声。
「ちょ……北斗、放して。放しなさいっ」
背中をぽかぽか叩くが、胸に抱き込んだ腕の力はわずかもゆるまない。密着しているのが北斗の胸だと思うと、だんだん顔に熱が集まってきて――
「いえ、あの、さっきのは不可抗力みたいなもので、わざと射たわけではないんです」
シャオが懸命に釈明を試みたときだった。
たまにカツアゲやケンカに巻きこまれても
基本的には平穏で退屈な日々
世間は七夕祭りで浮き足立っていたけれど
自分には関係ないし、そんな子供っぽい祭りなんて
――そう、思っていたのに。
七夕の数日前、僕は出逢ってしまった
嗚呼一体、この胸の高鳴りは……
べべんべんべん、と津軽三味線でも聞こえてきそうなモノローグを背負って、路地の影から現れたのは、白菊 珂慧(しらぎく・かけい)である。
「……笹飾りくん」
と、笹飾りくんを見る。
「七夕にきみにつるした短冊には『七夕を過ぎても笹飾りくんと遊べますように』って……書いたんだ。こうして早くも願いがかなって、うれしいよ。……ありがと。
やっぱりきみに託した願い事は……本当にかなうんだね」
ゆっくり、ゆっくり。一音一音を大切にしているように話したあと、珂慧は視線を壁の上のシャオに移した。
「だからお礼に……きみを狙う者は、僕が排除してあげる」
「って、私は笹飾りくんを狙ったわけではないんですってば!」
「じゃあ……彼の薬も、狙ってない?」
「うっ…」
「……そこでなんで詰まるかなー? 攻撃してたのは俺なんだから、シラを切りとおせばいいのに」
すぐ下で座り込んでいたリドワルゼが入れたツッコミに
「うるさいわね。私は正直なのよ」
こそこそっとほんのり頬を赤くしたシャオが返す。
彼らの前、珂慧はおもむろに、パーカーの前ポケットに入れてあった両手を引き出した。
「!」
その手に握られた物を見て、瞬時に身構えるシャオとリドワルゼ。
「敵だね」
まるで天使のごとき無垢なほほ笑みを浮かべながら。
彼は手の中の機晶爆弾を投げつけた。
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