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リアクション
2
「もう、夕暮れじゃのう」
天津 麻羅(あまつ・まら)が海を見据えながら呟くと、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)が振り返った。
二人は、一連の突発的な出来事に途中足止めされた為、食べ歩きを暫しの間休んでいたのだったが、無事魚人騒動も収まったので、こうして夕食代わりにと店舗巡りを再開した所である。勿論、臨時に設営されている場所や、観光客達が野外で振る舞ってくれる美食に舌鼓をうつこともあった。
「あと少しで、全料理が制覇できそうね」
応えた緋雨は黒髪を撫でながら、次なる目的地へと視線を向けた。
二人がまず訪れたのは、サスケハナ号の砲撃によって店舗が瓦解した、場末の定職屋さんだった。魚人との戦いを途中で諦め、瓦礫の後片付けをしながら、居酒屋へと暖簾をかえ、本日は野外で営業しようと決意していた中濱 ジャック・寛二朗が、二人の姿に気がつく。
「いらっしゃい」
彼の声に、一緒に瓦礫を撤去していたギルマン・ハウスのレストランの板前をしているアル・ハサンが立ち上がる。彼らの隣には、夜から働きに出てくる、中濱の妻の姿もあった。
「私も、レストランに戻ります――お客様、宜しければ当レストランへもお越し下さい」
そう言って出て行った青年を見送りながら、緋雨と麻羅が席に着く。
すると、中濱が申し訳なさそうに告げた。
「急なことで、白醤油の漬けしかないんだ。すみませんねぇ、お客さん」
「丁度食べたかったから、それで」
「焼くか、竜田揚げにするか」
「両方」
緋雨の声に笑顔で頷いて、中濱が、流水で解凍しておいた、鮪漬けを調理し始める。
そこへ扉の音が響いた。
入ってきたのは、スウェル・アルト(すうぇる・あると)と五月葉 終夏(さつきば・おりが)である。
「鮪の裁き方、教えて欲しい」
スウェルが凛とした声音で言うと、隣で終夏が、二人で捕まえてきたマグロを空飛ぶ魔法↑↑で、周囲の目の高さまで持ち上げる。
「おお! これは、新鮮な――本物のマグロだ!」
嬉しそうな様子で、マグロに手を伸ばした中濱は、二人に笑顔を返す。
「いくらでも教える……が、中々骨が折れる作業だぞ」
「努力する」
応えたスウェルの隣で、終夏は穏やかに微笑んで頷くと、緋雨達のすぐ側の席へと腰を下ろした。
「ついでに、皆さんに振る舞っても構わないかい?」
中濱の問いに、スウェルが静かに頷いた。
それを見て取り、店主が嬉しそうに緋雨達の方を見る。
「これで刺身も、食べられる」
嬉しそうな中濱の声と頷く来客の声が響く中、再び店の扉が開いた。
「すみません、これを捌いていただけませんか?」
入ってきたのは、月下 香(つきのした・こう)をつれたクロス・クロノス(くろす・くろのす)だった。
「あいよ」
快く応えた中濱が、マグロ丼の用意をする。
一足早く、香の前に丼を差し出した彼は、クロノスに向かって笑って見せた。
それに会釈して、クロノスが香に問う。
「おいしい?」
香が頷くと、彼女は頬を持ち上げた。
「良かった――海を見てから帰ろうか」
そうこうしていると続いて、扉が開く。
そこにいたのは、変身を解除したエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)である。
「……営業が再開できたのか?」
海での戦いで、衣服が濡れてしまった彼に対し、店主が頷く。
「ああ。こうして落ち着いたのも、ああやって戦ってくれたからだ。今夜のこの店は無礼講だ――そうだ、昼のマグロ丼をもう一度つくろうか」
超不幸属性のエヴァルトにしては珍しく、美食にありつけそうな空気になる。
だが、世の中そう上手くいくものではない。
「あ」
スウェルに魚の裁き方を伝授してみせる傍ら、緋雨達と終夏に竜田揚げを振る舞いながら、中濱が声を上げる。エヴァルトの持っていたトランクの中に挟まっていた魚人の断片が、名伏しがたき声をあげて、その鍵をこじ開けようとしている姿が見えたからである。
以後、この店がどうなったのか定かではないが、竜田揚げを完食した後、緋雨達は次の店へと向かう事にした。
すると途中で、寸同鍋を手に海から待避してきたルカルカ・ルー(るかるか・るー)とダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)、そしてカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)と夏侯 淵(かこう・えん)、また、朝霧 垂(あさぎり・しづり)とライゼ・エンブ(らいぜ・えんぶ)と夜霧 朔(よぎり・さく)、その上朝霧 栞(あさぎり・しおり)の集団と二人は遭遇する。
彼女は黒船同士の戦に幕を引いた、最も勝者に近づいた黒船の一つ、らぶりーえんじぇる号に先程まで乗っていた面々である。
ダリルの自信作であるカレーを、ルカルカを始め皆が、海から生還した人々に振る舞っていた。
「何これ――! お、美味しい」
この感動を、それ以外のどんな言葉で言い表すことも出来ないといった様子で、緋雨が目を見開く。
「流石、戦いを乗り切っただけのことはあるカレーじゃな」
思わず麻羅も声を上げた。
そこに騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が、声をかける。
「こっちの横須賀海軍カレー☆は、いかがですか?」
差し出されたカレー皿にスプーンをのばし、緋雨が唸る。
「こちらも美味しい」
「あーあ。嬉しいんですが――本当は、『黒船王』になって、伊豆急下田駅に、ペリーのサスケハナ号を牽引して展示できたら、もっと良かったんだけどなぁ」
残念そうな詩穂の肩を、麻羅が静かに叩く。
「お前な……女将さんが見ているぞ。周りも見てる」
その時、麻羅達と、中濱の店のほぼ中間地点から、声が上がった。
人前で睦言を言い合うような関係はあまり好きではない――内心気恥ずかしい事もあり、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)がヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)に抗議の声を上げる。中濱の所で厨房を借り、用意したカレー用の野菜を用意しながら、呼雪が溜息をついた。ゴミを捨てに出てきたらしい中濱の妻が、ほほえましそうに二人を見ている。その時、釣りに出かけていたブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)とファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)が戻ってきた。
黒崎 天音(くろさき・あまね)も一緒に帰ってくる。
彼らは、先程まで魚人と奮闘していた。
最後は、まだ息をしていた魚人が、ブルーズとファルに襲いかかろうとしたのだったが、そこには運良く――もとい、名目上保護者として、天音がいた為事なきを得た。
手を振っていた二人のドラゴニュートの後ろから、同様に手を振るような仕草で起き上がった魚人に対し、嘆息した天音は、笑顔を僅かに引きつらせはしたものの、ブルーズ達が気付くよりも一拍早く、ドラゴンアーツとスナイプを用いて、持参していたラムネ瓶を投げつけて、二人に攻撃を加えようとしていた魚人を、今度こそ完全に昏倒させたのである。
――シャンバラ教導団の情報科から、事前に地球に出た魚人とクトゥルフの情報を得ていたこともあるのかもしれないが、ひとえにタシガンへの駐留武官を任せられる程の彼の実力が物を言ったのかも知れない。
兎も角そうして無事に戻った三人は、足の生えたマグロと思しき魚人を手に、呼雪達のもとへと戻ったのだった。
「コユキ」
ファルに声をかけられ、魚人を見せられた呼雪はといえば、困惑してこめかみに指を添える。
「……大丈夫なのか、これ」
呼雪は、釣りをしてきた面々が持ち帰った、手足の生えたマグロを、思わずしげしげとみつめた。
――まぁ、食べられない事はないか……折角のマグロだしな。
そんな事を考えて、呼雪が呟く。
「カレーも作ってしまっているし……」
元気にジャガイモの皮を剥いているヘルを一瞥しながら、呼雪は暫し思案した。
「……揚げて、マグロカツカレーも良いかもしれない」
――マグロのカツは結構好きだ。タルタルソースを掛けても美味いしな。
一人そうごちた呼雪の隣で、天音が、パン粉を塗すのを手伝い始める。
「他のマグロ料理はどうする?」
ちょっと邪魔そうな目で見られたり、暑がられたりしつつも、それまで呼雪にじゃれついていたヘルが訊ねる。
「店の人にお願い、恐らくファルが凄く沢山食べるだろうし……」
異次元胃袋と名高いファルのことを考えながら、呼雪が応えると、顎に手を添えてヘルが考え込むように首を傾げた。
――カマは塩焼きがいいっていうけど、このマグロ……足とか食べられるのかな。ま、大丈夫そうなところだけ食べればいっか!
そう考えたヘルは、腕を組むと魚人の足と、揚げ油の用意をしている呼雪を交互に見た。
そして――後ろから、呼雪の首に両手を回すと、そのうなじに口づける。
「な、何を――」
思わず菜箸を取り落とした呼雪に対して、ヘルは笑ってみせる。
「だって暇なんだもーん」
「火傷したらどうする気で――」
「冗談だよ。一応、呼雪が困った事にならないように毒見しとこうと思っただけだよ」
「毒味をするべきなのは、マグロであって、俺じゃない。大体その理屈なら、余程黒崎の方を――」
呼雪の声に、衣をつけながら天音が薄く笑う。
「失礼だね。僕は魚人を食べても、食べられてもいないよ」
「黙っていてくれ、黒崎」
慌てて呼雪が声を上げたが、ヘルはアロハシャツの裾を弄りながら素知らぬ風に、視線を背ける。
「だ、そうだよ。大体――いくら僕でも、足の生えた魚には躊躇するし」
「人前では、俺にも躊躇してくれ」
照れているのか、いないのか、常識人ぷりをそのままに再び声を荒げた呼雪に対し、天音が楽しそうに、ヘルに向かって笑って見せた。
「良かったね、早川から、人前じゃなければいいって言うお許しが出たみたいで」
こうして彼らは、カレーを作りつつ――も、その試みは失敗し、周囲からカレーを分けて貰ったり、中濱の店からマグロを貰ってくることになるのであった。
楽しそうな海辺を通り過ぎ、続いて水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)と天津 麻羅(あまつ・まら)は、天城 一輝(あまぎ・いっき)とローザ・セントレス(ろーざ・せんとれす)、そしてコレット・パームラズ(これっと・ぱーむらず)とユリウス プッロ(ゆりうす・ぷっろ)がお茶をしている一角へとさしかかった。
コムレットは、お茶会が趣味なのである。
チョコレートやクッキー、そして冷えた菓子類が並ぶ海辺の卓には、レースの縁取りが愛らしいテーブルクロスが掛けられていた。
「敗因は――」
反省点を挙げている真面目そうな一輝の声が、辺りに響く。彼は、代々軍人の家系に生まれた人間だ。
「なるほど、一理あるのう」
甘味で、一息つきながら、興味深そうに麻羅が頷く。
何か、刀鍛冶の琴線に触れる話題があったのかも知れない。
その時緋雨が、薄暗くなってきた浜辺からよく見える、麗茶亭の灯りを視界に捉えた。
麗茶亭では、その時、レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)とミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)が、人々を介抱していた。
桜葉 忍(さくらば・しのぶ)と織田 信長(おだ・のぶなが)、そして森 乱丸(もり・らんまる)と陽桜 小十郎(ひざくら・こじゅうろう)が目を覚ます。
続いて、レティシアに肩を支えられていた、リアトリス・ブルーウォーター(りあとりす・ぶるーうぉーたー)が目を覚ました。
「大丈夫?」
レティシアが訊ねると、親しい顔を見たからか、リアトリスが安堵するように優しい顔をした。
「――こういう時は、お気楽 極楽 脳天気! 美味しいものを食べると元気が出るかもしれないねぇ」
「充分元気が出たよ」
リアトリスの返答に、レティシアが微笑んだとき、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)と天津 麻羅(あまつ・まら)が麗茶亭へとやって来た。
二人が、お品書きを眺め、秋刀魚に目をとめる。
「未だ時期的に早いかも知れないと思っておったのじゃが」
麻羅が呟くと、ミスティが良い笑顔を浮かべて、レティシアが装備していた硬焼き秋刀魚へと視線を向ける。他にも麻羅は、鯖や鯵や鰯、そして鯒の品を見つけて悩み始めた。
そこへ、南 鮪(みなみ・まぐろ)が入ってくる。
「ま、まぐろ丼……」
漸く勘違いに気がついた様子の彼の注文で、麗茶亭にて、マグロ丼が振る舞われる運びとなった。鮪の逃避行も、漸く終わりを告げた。
最後の器を手にしたのは、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)とアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)だった。
そこへ一足ばかり遅く、永倉 八重(ながくら・やえ)が店内へとやってくる。
「や、やっと終わった……これでマグロ丼が食べれ……え?」
しかして――既にマグロ丼は完売していたのだった。
「売り切れ? そんなぁ――――!?」
こうして魔法少女ヤエ 第16話は、幕を閉じる。
続いて水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)と天津 麻羅(あまつ・まら)は、小料理るる
へと向かった。
麻羅が冷酒を注文すると、立川 るる(たちかわ・るる)が頬を持ち上げる。
「知ってる? 人間の女の子はハタチを超えると歳を取らなくなるんだよ」
その声に、外見年齢が12歳から成長が止まっている麻羅が、頷き返す。
緋雨はといえば、冷たい麦茶を片手に、マグロのカマへと箸をのばしていた。
そうしながら、斬新なメニューを見つける。
「ヒトデ……?」
どのような味なのだろうか――彼女が想像していたとき、店の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、ルーシェリア・クレセント(るーしぇりあ・くれせんと)とアルトリア・セイバー(あるとりあ・せいばー)だった。
麗茶亭と、どちらにはいるか迷ったものの、カマの焼ける良い香りにつられて、二人はコチラへ立ち寄ってみたのである。
「大人しく年貢を納め……もとい、自分のお腹におさまりなさい!」
アルトリアが、持参したマグロにそう声をかける。
――ちょうどお腹も空いているところですし、生えた手足を切り落として元のマグロにして、店に持ち込んでマグロ丼やカマ焼きにして食べてやります!
そんな心づもりだったのだ。
「朝や昼に食べる魚も良いですが、夜に食べるのも美味しそうですぅ」
ルーシェリアが意気込み充分のアルトリアを眺めて、素直に笑った。金色のポニーテールが揺れている。
その時、海戦で奮闘した草薙 武尊(くさなぎ・たける)が、店へと入ってきた。彼は沈没前に、小型飛空挺で離脱したのである。
「何か、飲み物を」
頼んで席へと着いた彼に、るるが料理下手の調子を発揮して不思議な飲み物を作り始める。戦闘後の人心地をつこうと訪れた彼としては、その飲料が自分のものであって欲しくはなかった。
「……なんだ、飲まないのか?」
定員人数に達しそうな程繁盛している小料理屋へ、先程まで奮戦していた武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)が入ってきた。
「もし良かったら、差し上げよう」
思わず呟いた武尊の視線と、彼の側にるるが置いたグラスを眺め、牙竜は遠い目をして視線を逸らす。
「結構だ……」
英断を下した彼の後ろから、熱気に溢れ満員の店内へセシル・フォークナー(せしる・ふぉーくなー)が入ってくる。
「まぁ、飲み物ですわ」
セシルは、その大胆な性格とノリと勢いで、武尊と牙竜が驚く前で、勢いよく、るる特性の謎の液体を飲み干したのだった。
そのまま倒れそうになる彼女を、二人が慌てて支える。
海賊帽子が、床へと落ちた。
「大丈夫ですか?」
慌てて、るるが顔を出したのを見つけて、緋雨が訊ねる。
「マグロ料理でオススメは何ですか?」
すると、るるが顔を上げた。にっこりと笑む。
「黒船盛り――は、常連さん達に持って帰ってあげたいんだけど、少しなら」
「結構じゃ。混んできたようじゃし」
ほろ酔い気分で断った麻羅が、緋雨を促して店を出る。
二人は、店を出てすぐ、近場に設置された照明を灯りに、マグロの解体をしている人々の輪に加わることとなる。
本来は黒船の上で開催する予定だったのだが、沈んでしまった為、急遽予定を変更して、そこでは大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)達が、マグロを捌いていた。
讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)が手配した白米に適したサイズに、海から生還した泰輔がダイナミックにマグロをおろしている。レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)とフランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)は、それを見守っているようだ。
捌き終わったマグロは、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)と佐々木 八雲(ささき・やくも)が手伝って、調理している。見事な味付けと彩りが、弥十郎の料理人魂を表しているようである。
「味見はどうや?」
立った今おろしたばかりの新鮮な中落ちの乗る丼を携え、泰輔が訊ねる。
すると傍らで、魚人との戦闘から生還した橘 舞(たちばな・まい)と月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)が揃って首を振った。ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)と金 仙姫(きむ・そに)も視線を背けヒルデガルト・フォンビンゲン(ひるでがるど・ふぉんびんげん)は悟ったように微笑している。
「えっ、まぐろ丼? あゆみ今日はいいや」
あゆみが、冷や汗を流しながら、笑顔で否定する。
その中ではただ一人、ミディア・ミル(みでぃあ・みる)だけが嬉しそうな顔をした。
「にゃはは、終ったにゃ。みんなマグロ丼食べようにゃ――食べないのにゃ? 変なのー」 一方、隣でそうした光景を見守っていた白砂 司(しらすな・つかさ)と日下部 社(くさかべ・やしろ)は、顔を見合わせると、どちらともなく丼を手に取った。彼らが、奮闘して獲得してきた魚も数匹含まれていたからなのかも知れない。
「……」
「……」
「……くっ」
「な、なんやこれ、ほんまに……美味い!」
社の言葉に、見守っていたサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)と望月 寺美(もちづき・てらみ)が箸を手に取った。
そして暫しの咀嚼の後、二人の獣人もまた感動したように目を伏せ、味を噛みしめたのだった。
それを眺めながら、ロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)は、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が捕ってきたマグロを網で焼いていた。
「だけど、マグロだけじゃつまらないな」
ロアが呟くと、グラキエスが苦笑する。
「本当によく食べるな、それも美味しそうに――そう言うだろうとおもって、だな」
グラキエスはそこまで言うと、マグロ以外の魚介類を差し出した。彼が、ウォータブリージングリングを使って用意したものである。
食欲魔人の異名を持つロアを想ってグラキエスが、手に入れてきたものだ。
「おお! すごい!」
感動した様子でロアが味付けをした。
貝が、バターや醤油、海そのままの潮の香りなどで味付けされて、食欲を誘う。
グラキエスの腕を取り、ロアが微笑む。
二人のそんな様子と、美味しそうな香りに、レヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)が妖艶に口元を持ち上げた。穏やかな瞳で、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)も見守っている。最も彼の場合は、釣りが趣味の為、純粋に魚介類が調理される光景が楽しいのかも知れない。
そんな中、ベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)が呟いた。
「……マグロ丼……生の魚肉を食べるのか? それは衛生的に大丈夫なのか」
彼は初の鮮魚に、正直な所とまどっていた。
パラミタ出身の吸血鬼で、怜悧な美貌の持ち主の貴族然とした彼は、これまでの間、生の魚を食べた事が無かったのである。
「丼なる代物も学食で見かけたくらいだしな……」
不安げに器を持っているベルテハイトは、困惑したように赤い瞳をマグロに向ける。
グラキエス達と行動を共にする間に野宿などしてワイルドな食事には多少慣れていたはずだったが――初の丼、初の生魚には、思わず手を止めずにはいられない。
「マグロユッケもあるで。食中毒には気をつけてきちんとトリミングしとるし」
その時、捌いた本人である泰輔が声をかけた。
「他にも、マグロステーキや兜の豪快煮、色々用意してあるから、海の香りを楽しんでや」
穏和な調子で告げる泰輔の声に、意を決してベルテハイトが箸を向ける。
「お、社長、始まりまるぜ」
ウルス・アヴァローン(うるす・あばろーん)が846プロの社長である社に声をかけたのはその時のことだった。
魚人騒動で壊滅的な打撃を受けた港の為に、846プロは、急遽社長の許可を取り、ステージを設営したのである。この場を照らしている灯りも、舞台から漏れてくるものだ。
こうしたアクシデントの際に、イベントの開催を快く許可してくれるような、朗らかで明るく大きな度量を持っている矢代田からこそ、社長が務まっているのかも知れない。
まずは、846プロに所属している農家系アイドルの多比良 幽那(たひら・ゆうな)のイベントが開催された。
アッシュ・フラクシナス(あっしゅ・ふらくしなす)と天照 大神(あまてらす・おおみかみ)、そしてネロ・オクタヴィア・カエサル・アウグスタ(ねろおくたう゛ぃあ・かえさるあうぐすた)、またアルラウネ達がそれを応援する中、終幕を迎えた舞台を見た聴衆は歓声を上げる。
続いて、テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)の美声によって幕が開ける。
「さて。それでは最後に皆様を元気付けるためにも一曲送らせて頂いて、お別れとしましょう」
落ち着いた美麗なテスラの声に、観客達が拍手にわく。
そんな中、ウルスの声が飛んだ。
「飲めや食えや歌えやで、事件なんか吹き飛ばそうぜ!」
窓から見えるステージ風景に、魅入りながら継井河之助がナプキンを手に取った。
「地上とは誠に恐ろしい所だと思った――だけど、このように綺麗な声を聞くことが出来て、美しいものを見ることができて、美味しいものが食べられるのだから悪くはない……此処で生まれ育った貴方達が、些か羨ましく思えます」
穏やかな表情の少年に、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)が吹き出してみせる。
「日本には――いや、世界には、もっといろいろなものがあるんだぜ、ご家老」
「光一郎が言うとおりである」
同意したオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)へと視線を向けて、継井が頷いた。
「……これから、お主等が申したような、様々なものを見て歩きたいと願う」
「その上で大切なことがまず一つある」
「何だ?」
光一郎の言葉に、継井が首を傾げる。
「カモにならないことだな、くれぐれも。マグロは兎も角」
「鴨?」
「恐喝や強奪、強請には真っ向から立ち向かった方が良いと思うのである」
訊ね返した継井に対して、オットーが応えた。
それを耳にし、少年が頬を持ち上げる。
「なるほど。つまり、此処の支払いは全て、南臣殿にお願いすれば良いと言うことですね」
「は……!?」
狼狽えた光一郎を見て、オットーが笑いをかみ殺しながら、視線を背けた。
「俺様が道を間違えちゃいそうにググッとくるのはないんすか? ゆるかわとか継河とか――って、かわしか同じじゃないか」
「無い」
「つぐかわさんはエッジの上に立つのが好き、つまりM。だからバカンスとは口ではいいながら油断ならない俺様とこーして過ごすひととき、いわば針のむしろも嫌いじゃないでしょでしょ?」
爆笑しながら継井をからかう光一郎に対し、オットーが腕を組む。
「そんな事は断じて許さん。魔法少女としてソフ倫(蒼空のフロンティア倫理委員会)にかわってお仕置きである」
「知るか。プレイヤーとしてではなく『お客様』として、さあサービスしてもらおうか」
上目線の光一郎に対し、継井が肩をすくめる。
「ふんぞりかえるでない」
「ご奉仕って書くほうがググッと……いや接待というのもあるな。あ、そうだ。朱辺虎衆解散の責任取ってくださいね?と迫り瑞穂藩の金でお魚三昧の豪遊しよう、よし決めた、まぐろまぐろー! すいませーん」
「キャンセルで」
速攻で取り消した継井に対し、わざとらしい真面目な顔で光一郎が向き直る。
「俺様に身も心も委ねてみようと、そんなキモチになりませんか?」
「それがしが思うに、ならないのではないか」
「分かってるって、黙ってろ、オットー」
「いや、ご家老サマを開国したいな、のほうが俺様っぽいか。うんっ! キミの身も心も開国させたいな(キラッ☆彡)」
「いい加減にだまらんか。黙らないと、南臣殿の後ろの穴が永久に開国されることになるぞ。物理的な意味で――全く感に障る」
笑顔で言ってのけた継井は、ひきつった光一郎の顔を楽しげに見据えながら、腕を組んだ。
「カンといえばフレンチカンカン……しかしそれがし不埒な破廉恥漢ではない、むむむ」
「カンしかあってないだろ……」
オットーがその場を凌ごうと奮闘したが、ついぞ光一郎がつっこみをいれてしまう。
「ええい、そのような指摘には踊りつながりで帯ぐるぐるである。踊れ、踊れいッ!」
叫んだドラゴニュートの声を、 継井は楽しそうに聴きながら、その光景を眺めていた。
「大体、ご家老!」
「なんですか?」
「えっと、その……デート希望なら適当な相手見つけて組め、このリア充どもが! とか……?」
「なるほど、南臣殿はそう思っているわけだ。フられたのか――全く、チラチラこっちをみるな、情けない」
「だって――いや、ご家老、ネタっすよ?」
「分かっておるわ。誰が留学前夜に男の相手なぞするものか。例え突っ込む方であっても、な!」
丁度その時、三人がいるレストランの外を、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)とセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が歩いていく。
それを見守りながら、中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が、板前に向かって呟いた。
彼女はカウンターに肘をついている。
「そう言えば、先ほど元気に走り回っている『手足の生えたマグロ』を観かけましたが、どんな味がするのでしょうねぇ……運動し過ぎたマグロは筋肉質になって余り美味しくは無いと言いますが……興味はありますわね……入荷は無いのですか?」
綾瀬は視界を覆うように黒い布をまいているが、決して外界が、『観えない』わけではない。
「っ……」
彼女の問いに息を飲み、板前のアル・ハサンが顔を上げた。
そんな反応に気をよくしたように、揶揄するように綾瀬が微笑する。
持ち帰り用のお土産を用意して貰い、それを受け取ってから、綾瀬は席を立つ。
即ち、それまでの間、彼女は板前の反応を静観していたのだった。
「御馳走様でした、とても美味しかったですわ」
その頃、セレンフィリティとセレアナの二人は、いつもの凄艶な水着姿とは異なり、夏らしいカジュアルな服装だ。
――その最たる理由は、地上は日本では、流石に街中で水着姿では条例違反なのではないかと気がついたからである。
「結局、魚人の発生源は、クトゥルフ関連だったようね」
シャンバラ教導団からもたらされた情報から判断して、セレアナが呟く。
「なんだかとっても疲れた」
部屋の扉を開け、窓際のソファに座りながら、セレンフィリティが言った。
そうしながら彼女は、唇を尖らせる。
しかし彼女は、髪をいつもの通りのツインテールに結い直しながら、夜景の光る海を窓の向こうに認め、短く吐息した。
「だけど――美味しいものを食べていると、気分も変わるわね」
運ばれてくる魚づくしの料理に瞳を輝かせた彼女を見て、セレアナが肩をすくめる。
「なんか、さっきまでの騒ぎが嘘の様ね」
浴衣へと着替えながら、セレアナが静かに掌を組んで、腕を伸ばす。
そして彼女は、セレンフィリティのすぐ隣に立った。
セレアナもまたパートナーの視線を追って、窓から見える海を眺める。
紆余曲折を経たものの、愛しい人と二人、窓辺から水面を見ることは、決して悪いことではない。
「魚も良いけど――もっと美味しいものが食べたいわ」
そう言ってセレアナが笑み混じりに目を伏せ、唇をセレンフィリティの顔へと寄せる。
僅かに照れたようにセレンフィリティは視線を彷徨わせた後、静かに双眸を伏せた。
こうして彼女達の新しい夜が始まる。
その部屋は、四二八号室だった。
丁度その部屋の前を、漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を纏った中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が通りかかる。
「そういえば、米国にある同名のホテルで、HPLが取り上げた部屋も482号室ですわ」 扉の気配で部屋数をはかっていた綾瀬が呟くと、ドレスが体を揺らした。
二人はその正面に捕ってあった自室へとはいっていく。
そして綾瀬が、レストランから夕餉の後購入して帰ってきたお土産を、窓際のテーブルの上へと置く。
「それでは、私は露天風呂に入ってきますね」
バスタオルを用意して、美しい体躯を多いながら綾瀬がドレスに声をかける。
ドレスはそれを、ひらひらと体を揺すって見送った。
――そして。
綾瀬の姿が浴室へと消えた後、実体化した彼女は、お土産のマグロへと手を伸ばしたのだった。普段のドレスは、黒く綺麗なドレス姿のままである。少なくとも、綾瀬や他に人が居る状態でものを食べる事は無い。
そのことは綾瀬も重々承知していたので、本日の彼女は、いつもよりもゆっくりと湯船につかるつもりでいるようである。
独りきりになったホテルの部屋で、マグロの味を噛みしめつつ、心の中でドレスは綾瀬にお礼を言った。
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