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リアクション
第1章 前日、死者の島にて
ひどく不快だった。
雨と立ち込める霧はマントをじっとりと重く濡らし、髪からは滴がとめどなく零れ落ちる。服はべたべたと張り付いて気持ちが悪い。
瘴気のせいか、空気が薄く感じる。
体が震えたのは、身体の芯にまで冷え込んでくるような冷たさのせいか。それとも……。
身を翻すジルド・ジェラルディの方へ、関谷 未憂(せきや・みゆう)は重い足を踏み出した。
「みゆう……気を付けて……」
プリム・フラアリー(ぷりむ・ふらありー)が言葉少なに、だがきっぱりと警告をする。と同時に、動く人の気配に気付いたスケルトンが未憂を見つけ、彼女に殆ど朽ちたサーベルを振り上げた。
青褪めて、わき目も振らずにジルドを追う未憂に替わり、プリムが放ったスローイングトライがサーベルを真っ二つにし、次いで“光術”で一体を砕いた。
「……プリム、追うよー」
「……」
もう一人のパートナーであるリン・リーファ(りん・りーふぁ)に言われ、プリムはこくりと頷き、未憂の後を追った。
その後に、崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)も続く。
足場と視界のひどく悪い中で、鬼ごっこはすぐに終わりを告げた。気付いた時には、彼女たちは無数のアンデッドに取り囲まれており、ジルドは立ち止まると首だけで振り返り、未憂たちを見ていた。
アンデッドが彼を襲わないのは、既に彼が人ではなくなっているからなのか。
そんな疑問がリンの頭をかすめたが、それよりも彼女はパートナーに視線を向けた。
未憂はふらつく足をヴォルロスへと移動する動く瓦礫でできた地面に留め、喘ぐように呼吸している。
「……完璧なものも万能なものもこの世には無いのにそれを求めて……」
掠れた声が唇から洩れた。と、翡翠の瞳がジルドを捉えた。
勿論、未憂は彼のことを良く知らない。ただ、彼の言葉が頭にこびり付いて離れない。
(『新たな死者を捧げれば、蛇は失われた“魂”を連れてくる』)
この言葉に、彼女は眩暈のような吐き気のような呼吸をするのも辛いような胸を締め付けられるような焦燥を感じていた。
ジルドを追わなくては。問わなくては。
(亡くした人の魂を連れ戻す?出来る訳がない。でもこの人はそれをしようとして…身体にその為の魔法陣まで刻んで、こんなものまで呼び出して)
「あなたがそこまでするのは何故ですか?」
死者を蘇らせたいと、今まで数多くの人間が望んできただろう。だがどこかで分かっていたはずだ、そんなことはできないのだと。
なかったことにして、やり直しをして、それを続けたら人は過去しか見れなくなる。前に進めなくなる。何度もまた、やり直してしまう。
「弔ったあなたの大切な人の替わりに、他の誰かを死なせるのですか。あなたにとっては赤の他人でも誰かにとっては大切な人かもしれないのに」
「……命の重さは、違う。命の価値は、違う」
問答の間も、次々にスケルトンが斬りかかってきた。
立っているのも精いっぱいの未憂に、その言葉を、会話を続けさせるために、プリムは黙って“光術”による迎撃を続けた。
彼女は精霊だ。肉体が滅びても精神は滅びず、『精霊の源』のようなものに還る――と言われている。死、ということについては正直、ピンとこない。ただ、死んでしまったら身近にいる人に会えなくなるのはさみしい、と思う。
「その人間の『真の価値』などというものがあるとして、どうかなど誰にも決めることはできないだろうが――個々人にとっては、社会にとっては違う。
殺人鬼が逮捕された時、傍聴者や遺族の罵声を聞いたことがあるか? 犯罪者は殺されろと思う。
新聞の死亡記事を見て、知らぬ名前を見ても多くのものは『誰それが死んだ』という事実だけを記憶する。
が、それが大勢の命を助けた警官、消防士といった背景と共に紹介されればどうか……多くの者が言うだろう、もったいない、ここで死ぬべきではなかった、はたまた自分が死んだ方が良かった……悼むだろう。社会にとって価値があるかどうかで、人の気持ちは違ってくる」
声にはぞっとするような響きがあった。狂気と瘴気の合間に揺れるような、敵意はなく、しかし敵意なく人を殺せる顔。
「正当化するつもりはない。……私にとっては他の誰よりも、娘の命に価値があった」
リンはその顔に、だが深い深い愛情――と、呼んでいいのなら――も見た気がした。
(五千年前あたしが死んだときも、こんな風に想ってくれる人はいたかなー。もしいたとしたらその人には悪いことしちゃったね。
死んだこともだけど、ほかのことも全部忘れちゃって今は憶えてないから。また会えたらそのときは思い出すかな?)
ただ、それは彼女がパラミタにおいての正常な死と生の流れのなかにあるからで。
(でも黄泉帰らされちゃうのはちょっとイヤかなー)
リンは考えを素直に口にする。
「おじさんがそこまでするのは死んじゃった人に何か負い目でもあるから? ホントならもう次の命をたどってるかもしれない魂を引き止めてすがって、でもそれってぶっちゃけ自分のためだよね」
「過去を無かった事には出来ない」
苦しげに息を吐き出す未憂に、ジルドは淡々と、狂おしく、否、自身を保つために。
「誰のためなど考えた事が無い。過去だのにも興味がない。娘のいない世界は『おかしい』……それだけだ」
今度こそ、ジルドは踵を返し彼女たちに背を向けた。
未憂はそれを追わない――いや、追えない。彼女を気遣うように隣に立ったリンは、ぽつりと。
「想われること自体は幸せなことかもしれないけど、償いだとか罪滅ぼしだとか言われて、ずっと手を離さないでいられるのは……なんだか困っちゃうね。もしかしたらゆっくり眠りたいかもしれないのにさ」
それからリンは、未憂に代わって会話の内容と状況を銃型のHCでフランセット・ドゥラクロワ(ふらんせっと・どぅらくろわ)に伝えた。これから、アンデッドを倒すことも。
だが返答はこうだった。
「今すぐ帰還しろ。君の話では……そしてしっかり者の君のパートナーでなく君自身が連絡をしてきた、ということは、どうも芳しい状態ではないようだ」
「……うん」
ハッキリ分かるほど、未憂の状態は悪かった。今にも崩れ落ちそうだ。
襲い掛かってくるアンデッドを打ち払うと、彼女たちは小型飛空艇で空に退避した。
「ジルドは私が追うわ」
レッサーフォトンドラゴンに跨った亜璃珠は、未憂たちにそう告げて、眼下のジルドを追跡した。
ジルドがどうやってこの島まで来たのか、多少気になっていたが、ほどなく判明した。マントがはためき、白い飛行翼が展開されたのだ。どれだけ金を積んだのか、それは風を切って速度を上げていく。
(……早いわね。けれど……)
亜璃珠は“野生の勘”を働かせながら“ホークアイ”でその姿を補足する。彼女の“ゴッドスピード”はドラゴンの翼に力強さを与えてジルドの横に付ける。
「癪だけど手をかけるメリットが無いもの、降参よ降参」
亜璃珠はドラゴンの上で、わざとらしく肩を竦めて手を広げて見せる。
「…………」
「事の顛末はなんとなく分かっているし、それなら人間としてその真意を知りたい。知るものとして、あなたのとった行動の行く末を見届けるわ。大体、魔方陣のせいでどうせ手出しできないでしょう」
ジルドは沈黙を続ける。信用されていない、と感じたが、まぁいい、ダメ元だ。
「あなたが一体何をしたのか、死者の群れに何も感じないのか……それとも何かセーフティや解除法、或いは『責任の取り方』があったのか」
「言わずとも……すぐに分かる」
ジルドはそれだけ答えると、撒いても無駄だと思ったのか、そのまま飛んでいく。
亜璃珠はジルドの背後に移動すると、その背を見失わないようにぴったりと付けた。直線距離で――行く先はヴォルロス。
定期連絡で友人から来た“テレパシー”でその旨を伝える。
(死者の島……止められるかしら)
ジルドや契約者たちが引き返す一方でまた、死者の島の内部に残り続けている契約者もいた。
自分や彼らが何かを掴めばいいが、それ以前に、危険に身を曝し続けているのだ……。
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