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あなたが綴る物語

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あなたが綴る物語
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●開拓時代アメリカ 2

 若者よ、西部を目指せ。
 西部には夢と希望がある、とはだれが言ったんだろう?
 申請すれば無償で土地がもらえる。家屋を建て、畑を開墾すれば、そこは全部自分のもの。自営農地法といって、政府が西部を開拓し植民地化促進するために制定した悪法である。
 タダで自分だけの土地がもらえるのだと、そして新天地ならばきっと人生をやり直せると、人々は熱狂して西部を目指した。彼らにとってはまさに西部は夢の楽園でもあったのだ。
「……そんなもの、クソくらえだ」
 セリス・ファーランド(せりす・ふぁーらんど)は馬上でうなった。
 タダであげます、なんていうのに裏がないわけないだろう。そんなオイシイ話がゴロゴロ転がっているものか。
 数十年前、黄金発掘で大金持ちになるという、ばかげた夢が人々を西部へ駆り立てた。ゴールドラッシュだ。そんなものに踊らされて、人々はこぞって西部へ入植し、危険な野生動物や先住民族のインディアン(※)と戦って未開拓地を開墾していった。政府はそれに味をしめて、ちょうど夢が冷めかけたこの時期、今度は土地をエサにしてまたも人々を西部へ集めているのだ。
 ばかばかしい。そのせいで自分はこんなド田舎中のド田舎、アリゾナ準州くんだりまでやってくるハメになってしまった。
 見渡す限り周囲に広がるのは乾いた大地で、そこを黄色い砂埃が覆っている。風が砂埃を巻き上げるから大気も黄色い。汗ばんだ肌に砂埃が貼りついて、きっと自分も黄色いだろう。そう思うとますますうんざりした。
 しかもクソ暑い。
 本当なら今ごろ南海岸で水着1枚、パラソルの下で冷たいドリンクでも飲みながら水着美女たちを眺めているはずだったのに。何の因果でこんな正反対の地で砂にまみれてないといけないんだか。こんな罰を受けないといけないようなことをいつ自分がした?
 つば広の帽子の影でセリスは苦虫を噛みつぶす。
 いやもちろん直接の原因は先を行くあいつのせいなんだが、と視線を前方へ投げた。
 そこにいたのは――あったのは、とするべきか?――2等身の、まるまると肥え太った立派な猫の置物だった。
 常歩するポニーの鞍の上で落ちもせず、絶妙のバランスでゆらゆら揺れながら手綱をとっている。いつ見ても異様な光景だ。
 彼は――彼だと思うんだが――名をマネキ・ング(まねき・んぐ)というそうだ。何を考えてあんなものをかぶっているのか――宗教的なものか、それとも何かの決意の表明か、はたまた単なる趣味なのか、セリスは知らない。ワシントンD.C.で引き合わされたときからマネキはこの姿だった。
 上司に紹介されたとき、思い切って1度その格好は暑くないかと訊いたことがあったが、稲妻付きの背景でじっと見つめられ、気がつけば並んで入り口に立っていた。
 知りたくないと言えば嘘になるが、積極的に知りたいのかと言われればそうでもないので、それ以来問い詰めてはいない。
 しかしあの奇天烈な外見の影響か、はたまた彼独自のリアル言いくるめ技能の結果か、彼が大統領を説得して「先住民族討伐命令書」を発行してもらったのは間違いなかった。
 そして上司はその任務を、たまたまドアを出た先を歩っていたセリスに押しつけたのだ。
「は? 俺がですか?」
 セリスはそのとき南海岸でバカンスを過ごそうと計画していて、休暇届を提出に向かっていたところだった。しかし案の定、それは握りつぶされた。
「われらが奉仕すべきアメリカ国民がインディアンの激しい襲撃にあって苦しんでいる、それを見捨ててきみはどこへ行こうというのだね? ファーランドくん」
 あいかわらず卑怯な言い方をする、とセリスは文句を飲み込む。
「分かりました。それで、部下は何人つけていただけるんですか? グラントやヒューイットを同行させてもいいでしょうか」
 セリスの譲歩に、しかし上司は首を振った。部下は1人もつけてもらえず、セリスだけでこの任務を遂行しろということだった。
 さすがにこれには目をむいた。
「はあ!? 俺1人ですか!?」
「現地の保安官に協力を要請する文書は作成済みだ。これをサミュエル保安官に見せたまえ。ローン・アスプという町にいるはずだ」
 空いた口がふさがらないとはこのことか。もちろん上司も自分の言っているのが無理難題だと知っているのだろう、視線を決して合わさずに封書をセリスへと突き出した。
 これを引き破ることはできる。代わりに長期休暇届を置いて「辞表代わりに受け取ってくれ」と言って立ち去ることも。
 しかしセリスは黙って上司の差し出した封書を受け取った。
「……命令には従うさ」
 たとえそれが、100人の無法者を相手に腰の拳銃2丁で戦うことになったとしても。それが法を順守し、遂行することに誇りを持つ騎兵隊魂というものだ。
「セリスよ、決して気を抜くでないぞ」
 まるでセリスの心中を読んだかのように、そのとき前を行くマネキが重々しく口を開いた。
「もうこのあたりはアパッチの勢力圏だ。やつらは白人を見れば略奪と殺戮の対象とみなす。やつらは非常に目と耳、鼻がきく。数十メートル先のウサギも馬上から射抜く腕を持っている。怒れる相手が対象だ、説得なぞきかん。見つけたら即撃ち殺すぐらいでいろ。でなかったら死んで頭の皮をはがれるのはおまえだ。それがいやなら極力音をたてず、周囲に目を配れ」
「詳しいな」
「私がどこから来たと思っているのかね。ここいらは私の庭も同然だよ」
 そう言って、マネキは空を見上げた。
 愚問だったか。
 帽子の下でそっと嘆息し、「OK」とだけ言ったセリスを、やおらくるっと首だけ180度回転させてマネキが振り返る。
「そろそろ昼めしの時刻だ。腹が減った。肉だ、肉を焼け、我は肉が食いたい」
「おまえさっき自分で何つったあ!!」
「食欲は大自然が許す普遍的な生への渇望である。我は自然に逆らう生き方は好まん。己に正直に生きることがすなわちこの世の大自然と同化して生きることである。おおすばらしきは食欲かな。我は生きている。ゆえに肉を焼け」
 思わず叫んでしまったセリスなど完全無視して、何か無茶苦茶なことを言っているマネキの向けた視線の先には、広大な山脈が遠く連なっていた。




 ローン・アスプは、ひと言で言えば吹き溜まりのような町だ。
 発行された土地権利書を握り締め、こぞってカリフォルニアへ向かう者たち。しかし彼らが全員無事目的地へたどり着けたかといえばそれは別の話だ。なんらかの理由で足止めをくう者も大勢いる。路銀が尽きたとか、体調を狂わせたとか、荷物を盗まれたとか理由はさまざまだ。そしてそんな彼らが流れてたどり着く町がローン・アスプだった。
「ふむ。ようやく着いたな」
 午後を中ほど過ぎて、町の入り口に設置された、褪せてペンキのはげたアーチ――そこには「ようこそ、ローン・アスプへ」の文字が書かれている――の下でポニーを止めたマネキがつぶやいた。
「さて、まずは宿の確保だが。酒場を探すぞ」
「探す? おまえ、ここから来たんじゃないのか?」
「町へ来たのは初めてだ」
 その言葉を裏付けるように、ポニーを操るマネキに町の人々は不思議な現象でも見るような目で道の両側から注目していた。
 この辺りが庭だと言ったくせに町の出身ではないという。マネキは一体何者なのか……頭をひねっていると、間もなく酒場を表す樽の看板が下がった店が見つかった。
「あっ? お客さん? いらっしゃーい!」
 ちりんちりんとかわいらしく鈴を鳴らすスイングドアをくぐったセリスを、元気な少女の声が出迎えた。
 外の明るさに慣れた目に酒場は一瞬闇同然に映る。その闇のなかからぱたぱた軽快な足音がしてきたと思うや、ぴょこっと飛び跳ねるように少女が目の前に現れた。少女は大きなケモミミフードのついたケープをかぶっていて表情は分からないが、セリスを歓迎しているのは全身から伝わってきた。
「あれ? お客さん、もしかして初めての人? 旅の人?」
「そうだが…」
「うわー! うわー! そうなんだぁ! ねえねえ、どこから来たの? お話聞かせてよ! あっ、その手の中のネコの置物、かわいいね! ボクのもネコなんだよ! おそろいだあ」
 と、クルクル回ってケープを見せてくる。
 立て板に水のようにしゃべられて、あいづちもはさめないでいるセリスのとまどいを見抜いたように、奥でくすりと笑う声がした。
 声につられてそちらを見ると、緑の髪を肩で切りそろえた美女がカウンターにひじをついて寄りかかっている。
「ペトラ、はしゃぐのはそのくらいにして。まずは席にご案内でしょ?」
「あっ、そうだった! ごめんね、お客さんっ」
 ペトラはぱたぱたと駆けて行き、空いたテーブルのイスを引き出した。そして「今注文取りにくるから待っててね!」と言い捨て、またぱたぱたとカウンターの方へ走って行く。まるで弾けた豆のように一瞬も動きを止めない少女を見送りながら帽子を脱いでいると、小さなグラスがテーブルの上に置かれた。
「騒々しくてごめんなさい。これ、お店からのサービス」
 先の美女がボトルの栓を抜き、中身をグラス4分の1ほどそそぐ。生のウィスキーだ。ボトルの段階で薄められていなければだが。なにしろ酒場にあるのは間接照明が2つきりで絶対的に光源が不足している。
「私はエメリアーヌ。この店の主よ。何か食べる?」
「そうだな…」
「肉をもらおうか」
 セリスの発言にかぶせてマネキが答えた。
「なにしろこやつ、せっかくの貴重な肉をカリカリにしてしまったのだからな。我は食べたいのだ! 香辛料が良く効いて! 肉汁たっぷりの! ジューシィな肉を! むろん焼きはミディアムだ!」
 はじめ、ただの置物だとばかり思っていた物体がいきなりしゃべり出したことにエメリアーヌは目をぱちぱちさせたが、マネキがしゃべり終えるころにはクスクス笑っていた。
「分かったわ、ステーキね。それであんたは?」
「いや、俺はいい。それより、ここの2階の部屋は空いているか?」
「ええ。でも、この店に女の子たちはいないわよ?」
「その方がいい」
 セリスは宿賃のコインを指で弾いた。それを空中でキャッチしたエメリアーヌの笑顔が大きくなる。思わぬ臨時収入だ。
「OK。ペトラ、ステーキ1つよ。ミディアムね」
「はーーーいっ」
 カウンターに阻まれて姿は見えなかったが、あの少女の声がした。よーく見るとケモミミの先っちょだけが見えている。ばたんばたんと何かが開いて閉じる音がして、フライパンがコンロに置かれる音がした。
「それと、この町のサミュエル保安官に会いたいんだが、保安官事務所はどこにある?」
 セリスからの質問にエメリアーヌは眉をひそめた。
「サミュエル? 彼ならこの間死んじゃったわよ。つい3日前にお葬式をして、今は郊外の墓地に埋まってるわ」
「え?」
 なんだそれは?
「ふむ。アパッチか」
「ええ。どうやらここを襲撃の対象と決めたみたい。もういくつかの牧場と鉱山主が襲われているのよ。それを止めようとして返り討ちにあったというわけ。保安官補が知らせに行ったはずだけど……すれ違っちゃったみたいね」
 と、肩をすくめて見せる。
「ということは、今ここには法の執行官がいないというわけか」
 アパッチを相手に本気で自分1人なのかとはやくも胃がキリキリしてきそうな思いにかられたセリスだったが。
「あら、いるわよ」
 エメリアーヌはあっさり言って、2階を指で差した。
「待ってて。呼んできてあげる」




 開いたドアが床でこすれる乾いた音がした。
 ベッドで寝ている彼に近付く気配がひとつ。横向きになった背中に向かい、揺り起こそうと伸ばされた手をすばやく掴んで、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は自分の上に引っ張り倒した。
「きゃっ! アル――んんっ」
 驚く彼女の口をふさぐ。キスに応じていたエメリアーヌは、後ろに回った彼の手がドレスを脱がしにかかっているのを感じて、身を引きはがした。
「どうした? それで戻ってきたんじゃないのか?」
 眠たげな目をして前髪を掻きあげる姿がセクシーで、エメリアーヌは思わずそうしたくてたまらなくなった。誘われるままここで怠惰な昼をすごしたのはほんの1時間前なのに、もう彼がほしくて体がうずく。でも。
「だめ。あんたにお客さんよ。ほら、服を着て」
 床に落ちたシャツをはたいて、彼に放った。
「客? 俺に? 俺がここにいることはだれも知らないはずだが」
「保安官に用事があるみたいだったわ。でももういないでしょ。だからあんたを推薦したの。連邦保安官だって言ってたじゃない」
「元だよ。今は違う」
 ぼそっとこぼす。が。
「用件は自分で聞いて。私は忙しいのよ。これから酒場は稼ぎ時になるんだから。――早くね」
 聞こえなかったのか、それともあえて無視をきめ込んだのか、釘を刺すように言い残してエメリアーヌはさっさと出て行った。
「まったく。やっと馬車馬の日々とおさらばできたと思っていたのに。結局仕事に追われるのか」
 アルクラントはため息をついて、まだ眠気の抜けきらないながらものそのそと起き出す。
 本当はもう少し先の町へ向かうはずだった。そこで鉱山を掘っている友人がいて、これからどうするか考えつつしばらく一緒に金でも掘るかと思い立ったのだ。ところが食事休憩にと立ち寄ったこの店で、ケンカに遭遇してしまった。
 酔っ払った2人はガンマンで、どちらが早撃ちかでもめていた。カウンターに並べた酒瓶で決着をつけようと言いだし――もちろんそれはこの店の備品だ――エメリアーヌがいくら怒ってもやめる気配すら見せなかった。
 アルクラントはそれを店の隅のテーブルで見ていた。酒場でこんなもめ事など日常茶飯事。厄介事にかかわる気は毛頭なく、食事をすませたらさっさと出て行くつもりだった。
 男たちは並んだ瓶目がけて銃を撃ったが、酔っ払いの銃弾は3発のうち2発は後ろの棚やそこにある酒瓶にめり込んだ。そしてそれを撃たなかったもう片方がケラケラ腹を抱えて笑い、今度は自分の番と撃つ。そんな2人の狼藉に立腹したのがこの店の次女シルフィアだ。
『ちょっと! あなたたち、そんなに早撃ち自慢したいなら店の中でなく、表で互いに向かって撃ち合ったらどうなの!』
 腰に手をあて猛然と2人にくってかかり、第三者のアルクラントが聞いても実に正しい解決法を提案していた。全く非の打ちどころのない正論だ。ただ、そのあとに続けた言葉が余計といえば余計だった。
『この臆病者!』
 いかにも純情可憐な外見の美少女にそんなことを言われて壮年の男2人は恥じ入るかと思いきやそれは一瞬で、次の瞬間には猛然とシルフィアにくってかかっていた。そのとき吐いた暴言は、酔っ払った男が酒場の女に対してする自分の銃の腕前自慢といったら大抵の者は想像がつくだろう。彼らの祖母が生きていたら間違いなく石けんで口を洗われる類の文言だ。
 そのまま階段裏の小部屋かトイレにでも連れ込みそうな勢いだったのを止めて、男たちを追い払ったのがアルクラントだった。
 そして彼女たち三姉妹が最近アパッチに父親を殺されて自分たちだけで店をきりもりしていることを知り、なんとなく用心棒みたいな扱いでここにとどまっている。……まあ、大半は長女エメリアーヌとの純粋なお楽しみによるものだったが。
「あっ、マスター!」
 コートをはおりながら階段を下りたところでペトラと出くわした。酔っ払い2人を追い払った手際からか、なぜか彼女は出会った当初からアルクラントのことをマスターと呼んで、尊敬の眼差し(?)と態度で接してくる。
「ね? 見てこれ! ステーキ!」と、ミトンをはめた両手で持っている鉄板をずいっと差し出した。「すごいでしょ! ボクが焼いたんだよ! こんなにうまく焼けたの初めて!」
「そうか。よかったな」
 アルクラントにほめられたことがよほどうれしかったのか、フードの下から少し見えるほおが赤く染まった。
「ちょっと待っててね、マスター」
 ペトラはそれを奥に座っている赤毛の男の元へ運んで行った。
 アルクラントが見ているように、向こうもまたアルクラントの様子を伺っている。見覚えのない、よそ者の顔だ。ああ彼が、と思っていたら、ぱぴゅんっと戻ってきたペトラに腕を掴まれ、そのまま階段裏の影へ引っ張り込まれた。
 ここは店のほとんどから死角になっている。そこでアルクラントはジャンプしてとびついてきたペトラから不意打ちのキスをくらった。
「なっ? ペ、ペトラっ?」
「 ♪ 」
 ペトラは子ネコのようなかわいらしい舌をちろりと出して、唇に残るアルクラントの感触を楽しむ。そしておもむろにぷちぷち服のボタンをはずして前をはだけ始めた。
「ねっ、マスター。マスターからもシて。ご褒美ちょうだい」
「え? ええっ?」
「ボク知ってるよ。キスは口だけじゃなくて、いろんな所にするの。エメリーにシてたよね、マスター」
 ――げ。
「そ、それ……まさか…」
 何を言わんとしているのか察して、ペトラは首を振る。
「ううん。シルフィアは知らないよ。多分ね。
 ね? ボクにもあれちょうだい」
 アルクラントが動揺しきっている間に、ペトラはついにシュミーズのひもまでほどいてしまった。
 目の前、まだ幼い少女の未完成な体がへそのあたりまであらわとなり、ぐっと胸をつき出される。アルクラントは観念した面持ちでペトラの体を引き寄せ抱き上げると、鎖骨の上あたりに強く唇を押しあて吸った。
 ほんのりと薔薇色のあざができる。
「……マスター、もっと…」
「いいか? ペトラ。よく聞きなさい。今つけたのは女の勲章だ」
「オンナのクンショー?」
「そうだ。キスよりいいものだぞ」
「クンショー。そっか」
 へへっと笑う。ペトラは「勲章」という言葉の響きを気に入ったらしい。
 うまくごまかされてくれたとほっとしてしたアルクラントの腕のなかからぴょんと飛び出したペトラがぱたぱた向かった先は、店内の掃除をしていたシルフィアの所だった。
「シルフィア見て見てー! マスターにオンナのクンショーもらっちゃったあ!」
 ピシッ!! と音をたててアルクラントが凍った。
 シルフィアはモップがけの手を止めてキスマークを見せびらかすペトラの相手をしているが、当然何と返答しているかは聞こえない。ただ、ペトラの肩越しにアルクラントの方へ向けられ青い瞳が鋭利なナイフのように危険な殺意を放っているのはひしひしと伝わってきて、アルクラントは体じゅうの血を放出してしまったかのような思いでセリスのいるテーブルへと向かった。
 当然セリスは一連の出来事から三姉妹とアルクラントの関係を推測済みで、よろよろ近付いてくる彼をひややかな目で見つめている。
「あんたが連邦保安官?」
「元、だ。2カ月ほど前退職した。一応保安官補が町を離れている間は代理を引き受けているけれど、今はただのアルクラント・ジェニアス。きみは?」
「セリス・ファーランド。ワシントンで騎兵隊中隊長をしている」
 アルクラントの返答に内心眉をひそめたものの、現状彼以上の適任者がこの町にいるとは思えない。セリスは政府発行の「先住民族討伐命令書」を取り出し、説明した。
「討伐? たしかに最近アパッチの襲撃が頻発しているのはたしかだが――」
「はい、ビール」
 どん! といきなり重いジョッキがテーブルの上に置いてあった手スレスレに下ろされて、アルクラントは思わずイスへぴったり背をつけた。
「あ……ありがとう、シルフィア…」
 なんとか愛想よく礼を言ったアルクラントに、またも氷雪のような視線を向けるとふんとそっぽを向き、シルフィアは立ち去った。
 とりつくしまもなし。
「あきらめろ」
 ほかの女を情婦にしているくせに何顔色うかがっているんだと内心では思いながら、ぼそっとセリスがつぶやく。
 嘆息し、ベレー帽をかぶり直したアルクラントが、何かを言わんとしたときだった。
 彼が言葉を発するよりも早く、スイングドアを大きく揺らして酒場へ飛び込んできた少女が開口一番叫んだ。
「だれか助けて! 移民たちの馬車がアパッチ族に襲われてる!!」



※インディアンは侮蔑語ではなく、どちらかというと彼らは白人のつけたアメリカという言葉が入るネイティブ・アメリカンと呼ばれることを嫌っているようですので、ここではこの名称を用います。