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若葉のころ~First of May

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若葉のころ~First of May
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●なんでもない日だから

「どこかへ出かけんか」
 と提案してきたのはセドナ・アウレーリエ(せどな・あうれーりえ)のほうだった。
「いつもの喧騒から離れて、静かな所でのんびりとしよう」
「どうして?」と瀬乃 和深(せの・かずみ)は訊いた。口に出してから、なんだか間抜けな質問かなと思った。
「理由が必要か?」
「なくてもいいが……」
「まあ、あってもよかろう」
 セドナはそう告げて一拍開け、おもむろに言ったのだった。
「なんでもない日だから、かな」
 と。

 連れ立って出かける。肩を並べて。
 涼やかで若々しげな風が二人の間を通り抜けていく。
「どこへ行く?」
「さあな」
「決めてないのか」
「決めてほしかったか」
「いいや」
「そう言うと思っていた」
「俺も、そう言うと思ってたよ」
「結構」
 二人の身長差は頭一つ分を優に超える。遠目なら親子にすら見えそうだ。
 けれどセドナは歩く。堂々と、胸を張るようにして。
 和深はその横顔を盗み見た。
 ――吹っ切れたような表情だな。
 ここのところずっと流れていたもの、目には見えないがぎこちないもの、セドナが和深に告白したあのときに生まれたもの……は、姿をくらませたように感じる。一時的に隠れただけか、それとも永遠に散じたのかはわからないが。
 ただ、楽な気持ちはあった。
 以前のように、気楽に、軽口を叩き合いながら散歩した。
 やがて、小一時間ほど歩いただろうか。
「公園か」
 和深は行く手を見た。緑豊かな公園だ。人の姿は見えないが、歩くにはもってこいだろう。
 和深が目で問いかけると、セドナも黒い鈴のような目で応じた。

 ――覗きに行きませんか。
 その言葉の意味を瀬乃 月琥(せの・つきこ)が理解するまでには、ほんの少し時間がかかった。
「何を?」
 頭に霞がかかったような気がする。月琥はまだ完全には目覚めていない。
「だから、あの二人をです。出歯亀ですよ」
 シアン・日ヶ澄(しあん・ひがずみ)は牙をきらっきらさせて言うのである。なお、シアンは現在、ソファから身を起こしたばかりの月琥の身体に、のしかかるような体勢であったりする。
 まだぼんやり午睡の状態にある月琥に、シアンは手早く説明した。
 本日、セドナが和深(月琥にとっては兄にあたる)を誘ってデートに出て行ったということ。
 今ならまだ全然追いつくということ。尾行しましょうよということ。
 ついでに、出歯亀、って言葉、その響きだけで興奮しませんかということも。
「えー……なによまったく、まったく……まったくもって面白そうな話じゃない!」
 がばと身を起こした月琥の頭部が、シアンの下顎を打ちそうになった。
 慌てて首を引っ込めたシアンとは対称的に、月琥はうんと伸びをして闘志に満ちた様子で、
「眠気も吹き飛んだわ。さ、二人がどっちに言ったか教えて!」
 と力強く問いかけたのである。
 ――なんというか、そんな自分がどこか悔しい。

 視点をセドナと和深に一旦戻そう。
 二人は公園を確かな足取りで歩いている。公園に入る前よりその距離は縮まっているように見えた。
 いくらか視点を下げるとそこに月琥&シアンの姿が発見できよう。家を飛び出して追ってきたのだ。とはいえこちちらの二人は茂みに隠れるなどして本道を歩いてはいないが。
「……あ、兄さんが止まった」
 すると必然的に月琥の足も止まる。
 するとこれまた必然のように、シアンが月琥の背に顔を急迫させるのだ。一見、月琥の背に隠れようとしているようだがそれは見当違い。シアンは堪能しているのである。
「はぁはぁ……いい匂い……」
 なにを隠そう一匹のロリコン、シアンが満喫しているのは幼き美少女の香り……すなわち月琥のかぐわしき肌なのであった。無我夢中で月琥の背中に顔を埋める。
「ちょ、ちょっとなにやってるの……!?」
 抗議したいところだが月琥は口をつぐんだ。大きな声を出したら和深たちに気づかれてしまう。
 背中にシアンの熱い息を感じながらも、それでも月琥は胸をなで下ろしていた。
 兄の表情が確認できたのである。
 それと、セドナの表情も。
 ベンチに腰掛けた二人は、ともにいい表情をしていた。
 優しく微笑む兄と、楽しそうに笑うセドナ……正確な事情は知らないが、最近あの二人の関係によそよそしいものを感じ気を揉んでいた月琥としては、やれやれ一安心といった具合だった。

「そういや、そんなこともあったな」
「はは、我もあのときは困ったぞ」
 和深とセドナは、ほんの少し前の話に花を咲かせていた。
 ところがひとしきり笑ったところで、ぷつんと会話が途切れてしまった。
 和深は改めてセドナを見た。
 ――俺は、セドナのことをどう思っているのだろう。
 大切な人なのは当たり前、好きな女の子ではあるが、その『好き』は妹の月琥に抱く『好き』と似たようなものだ。
 ――でも、どこか妹とは明確に違うなにかがある。
 和深は己に問い直した。
 セドナのことを妹だと思っているのか。
 そうではないはずだ。
 なら、何だ。
 その答は……?
 悩んだせいでもあるまいが、いささか唐突に和深の瞼が半ばまで降りてきた。
「大して歩いたわけでもないのだが……」
「構わんさ」
「そうか、しかし……」
「言ったであろう。今日は『なんでもない日』であると。自由にするがいい」
「なら遠慮……」
 遠慮なく、という言い回しの『なく』が和深の唇から外に出ることはなかった。
 緑の見える公園で言葉もなく、ただ二人きりの時間を過ごす。
 その幸せを、セドナは噛みしめていた。
 いつしか和深は眠りこけ、彼女にもたれかかっていた。
 最初は寝たふりでもしているのかと思ったが、彼はそういう小細工ができるタイプではないことに気がついた。
 するっと滑りかけた和深の頭を、セドナは両手で受け止めて支えた。
 完璧とはいかないものだ。
 ――こんなとき背が高ければ、このまま肩を貸すことができるのに。
 セドナは微苦笑すると、彼の頭を自分の両膝の上に置いたのである。
 膝枕しよう。
 和深を好きだという気持ちに、もう嘘をつく必要はない。

 うん、と月琥はうなずいた。
 まるで恋人同士だ。いや、もしかしたら二人はもう――?
「それはそうとして……」
 はぁはぁというシアンの荒い息を聞きながら、ここからどうしたものかと月琥は溜息を付くのである。