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帝国の新帝 束の間の祭宴

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帝国の新帝 束の間の祭宴

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 舞踏会にて 1



 式典は無事に終了し、セルウスが身の丈より余ほど大きな玉座に腰掛けると、大広間はあっと言う間に華やかな舞踏会場へと変わっていった。メイド達の腕の良さに加えて、熟達した魔法文化のおかげだろう。調度品が入れ替わり、タペストリや飾られる花々によって、先程までの荘厳で厳粛な雰囲気は消え、豪奢ではあるが人を招き入れる広々とした空間と、明るさが満ちている。儀式官達が身を引いて、楽団が入ってくると、まるで別の世界へと飛ばされてきたかのような錯覚さえ抱かせる。


 そうして、舞踏会場へと華麗に変貌し、解放された大広間は、眩いばかりの社交場だった。
 豪奢なドレスや礼服を身に纏い、気になる相手を誘ったり、または自身のダンスの技量をアピールしたりと、ホールを華やかに彩って楽しんでいる。
 そんな、華やかさと、ある種の熱気の満ちる舞踏会場で、可愛らしい子ども向けのシュガーピンクのドレス姿をした、幼い見目のタマーラは、浮いている、といえば浮いていた。可愛らしさ、という意味で皆の目を惹きつけているが、流石に体格のつりあう相手となると、そうはいない。呼び止められないのをいいことに、ふわふわと会場を泳ぐ妖精のような状態のタマーラをちょいちょいと手招いたのは、ドミトリエだ。
 近付いてみれば、きっちりと濃いブラウンのの礼服を着込んだ姿は、思いのほか様になっているが、どこかの貴族の子弟のようなその格好もそうだが、王の側近であると主張するかのような玉座の傍という位置は、どうにも居心地が悪そうだ。
「こういう場面には縁が無いからな」
 そうは言いながらも、仏頂面をしつつもこの場に留まっているのは、セルウスを放っておけないからだろう。何とか我慢はしているものの玉座の上でそわそわしているセルウスに苦笑しながら、ドミトリエは軽く周囲を見回し、玉座周りにぽっかりできた空間に「みんな、近付きたいけど近づけないってところだろうな」と呟いた。何しろ、セルウスは皇帝である前に樹隷である。触れていいものか、と言う段階から躊躇っている者もいるだろうし、話しかけにいけるような縁も無い者も多い。勿論、値踏みしている部分もあるのだろうが、と肩を竦めドミトリエは友人を見かねた、と言う顔でタマーラに苦笑を向けた。
「……良かったら、踊ってやってくれないか」
 短い言葉に、ドミトリエなりにセルウスを気遣っているのを悟り、タマーラはこくん、と頷くと、さりげなく近付いて玉座のセルウスに向けて、淑女の仕草で一礼した。宮廷作法もまだ初級も初級であるセルウスが戸惑ったようにきょろきょろするので、ドミトリエがジェスチャーで指示を送ると、ようやくぎこちなくその手をタマーラへと伸ばした。
「えっと……オレ、踊り方とか良くわかんないんだけど……」
「……大丈夫」
 任せて、という一言で、おっかなびっくりのセルウスと共にホールに出たタマーラは、セルウスのリードを受けているようにしながら、その実リードしつつ、ゆっくりとダンスを踊り始めた。タマーラのほうは泳ぐような自然さでステップを踏んでいるものの、流石にセルウスのほうは体が硬い。だが、その幼い見た目のおかげもあるだろう。タマーラと身長的につりあう、妙に微笑ましさを感じる組み合わせに、会場の視線は二人へと集まっていた。
 そんな、慣れない大勢の視線の中心で、照れくさそうなセルウスにタマーラは小さく笑った。たどたどしい動きではあるが、体を鍛えていることもあるのだろう、直ぐにこつを掴んだようで、上手くはないものの下手ではない程度に、タマーラのリードに合わせられるようになっていった。段々と余裕ができると共に楽しくなって来たらしく、ひらり、ひらりと翻るドレスの裾や、自分の身につけている礼服をちらと見やってセルウスは首を捻った。
「今のオレたちって、王子様とお姫様みたいに見えるのかな?」
「…………」
 自分が皇帝だと言うことを忘れているかのような発言に、一瞬タマーラは困ったように眉を寄せたが、セルウスがこういった光景が、物語の中でしか認識が無いのだと思い至って「そう、かも」と曖昧に笑った。実際、皇帝陛下と他国からの招待客、といった風情にはたから見えるとも思えない。
 そうして何とか一曲を踊り終えた二人が、盛大な拍手に迎えられた、その時だ。
「お見事でしたわ、セルウス陛下」
 ホールから去ろうとしたセルウスに声をかけたのは、軍服姿ではなく、華やかなドレス姿をしたルカルカだった。上品なシルエットに、宝石の輝きに彩られたように、きらきらと輝くビーズ刺繍が非常に華やかだが、大きく開いた胸元と背中が、それに負けない艶やかさを放っている。いわば大輪の華といった様相に、セルウスが思わずまじまじと眺めていると、くす、とルカルカは微笑んだ。普段の笑みとは違う、淑女然とした表情に戸惑いを深めるセルウスに構わず、ドレスの端を軽くつまんでお辞儀をする姿も、慣れた者特有の余裕が見て取れた。
 ぽかんとするセルウスに、タマーラが袖口を小さく引く。
「……誘うのは、礼儀」
 言われてはたと我に返ったセルウスが、まだぎこちない仕草で、宮廷式の会釈でダンスに誘ってくるのに、ルカルカは微笑んでその手を取ったのだった。

「結構上手じゃない、セルウス」
「ちょっとは慣れて来たからね」
 そうして、揃ってホールへ出、ゆっくりとステップを踏みながら、声を潜めていつもの調子でくすっと笑いかけた。
 身長の差があるため、踊っていると言うよりもダンスの稽古のようにも見えそうだが、それはそれで、微笑ましいといえば微笑ましい光景だった。まだ貫禄までは足りないまでも、セルウスの持つ前向きな眼差しは、不安に苛まれた空気を吹き飛ばしてくれるような、勢いを感じさせる。そんな帝国の民たちの思いを向けられる視線に感じながら、ルカルカはセルウスを見下ろした。
「改めて、皇帝就任おめでとう」
 その言葉に、セルウスが顔を上げた。公の場だ。こんな状況でなければもう言えなくなるだろう口調で、ルカルカは続ける。
「これからは、あの人たちが、セルウスの支えになってくれるわ」
 そう言って、ちらりと向けた視線をなぞるように、セルウスも自分に向けられる視線を見やった。微笑ましげに見守るもの、値踏みするように目を細めるもの、頼もしげに見やるもの、と、様々な思惑がこちらを見ている。殆どが見知らぬ顔だが、不思議と不安が湧いてこないらしく、セルウスは微笑むように目を細めた。
「うん」
 頷いたセルウスの目には、確信のようなものが満ちている。それは、彼らが必ず自身の力になってくれるだろうと、もうわかっていると言いたげなものだ。本人に自覚があるのかどうかは判らないが、恐らくそれがセルウスの持つ皇帝の資質の1つなのだろう。
 そんな横顔を、嬉しげに、けれどほんの少し寂しい気持ちで眺め「でも」とルカルカは続けた。
「忘れないでね。立場が違ったって、私達は友達よ……ね?」
 そう言って、ルカルカがぱちん、とウインクをして見せるのに、セルウスはにこりと笑ったのだった。



 ダンスを終えて、ひとここちついた所を見計らってさりげなく傍まで近付いたのは、カルと惇だ。
「足もつれなかったか?」
「カル」
 ついからかうように口にした瞬間、惇が咎めるように短く言った。
「今や、セルウス様は皇帝陛下なのだ」
 慣れ慣れしくしすぎることは、新帝セルウスの威厳にも関わるし、今後帝国内で重んぜられなくなる原因にもなりかねない。節度を守るように、と懇々と説教する惇に、カルよりもセルウスは微妙な顔で眉を寄せた。
「……別に、そんなに硬くならなくったっていいのに」
 頭ではわかっているのだろうが、何度そう言われても、今まで気楽だった相手から丁重に扱われる、ということに慣れる様子の無いセルウスに、そうはいかないさ、とカルは肩を竦めてひそひそと口を開いた。
「シャンバラの傀儡政権とか言われない為に、必要なんだって。僕達だってそんな風に思われるのは嬉しくないし」
「かいらい……」
 難しい言葉に眉を寄せるセルウスに「要するに言いなりの人形ってこと」とカルは苦笑した。
「そのつもりがなくったって、邪推する奴がいるってことさ」
「帝国とシャンバラの間には、深い溝が残っておるのです。快く思わぬ輩は、未だ多い筈でありましょう」
 カルの言葉に、惇も頷いた。今でこそ友好国家ではあるが、古王国時代から今に至るまで続く確執と、互いの間に残る傷跡はまだ完全に癒えたとは癒えない。芽生えた不信は容易く不満に変わり、不満は邪念へと摩り替わる。それはセルウス自身に向かうかもしれず、逆にシャンバラの契約者たちへと向くかもしれない。人の、国と言うくくりの中にある民の感情は、気をつけないと何処へどう波及していくかわからないのだ。折角友好関係にまで落ち着いた今を壊すことになりかねない。事実がどうあれ、だ。そんな惇の説教めいた言葉で、難しい顔をしたセルウスに、祝いの席でこんなことを言うのも、とは思いながらもカルは口を開いた。
「君が担ってる皇帝って座は、そういう重いもんなんだよ」
 沈黙するセルウスだが、カルはそれを吹き飛ばそうとするように、逆に表情を明るくして、潜めた声で続けた。
「でもま、それがどんな重さかも、重荷になるかどうかもわかんないよな」
 ごほん、ともう一度惇が咳払いするのに肩を竦ませ、丁寧に頭を下げ直し、カルは笑う。
「帝国臣民は皆、新たな皇帝に、期待しているのですよ」
 そう言って、臣下が報告をしているかのような態度で、しかしその実友達に土産話を聞かせるように、帝都の人々が皇帝へどんなことを思い、何を願っているのか、祝賀祭で耳にした人々の言葉を、セルウスに語ったのだった。



 そんな玉座から正面、ホールのあちこちが着飾った男女と、そのダンスで華やぐ一方、会場の端々では舞踏会の別の顔も見せていた。これほどの大きな舞踏会ともなれば、社交界で生きる貴族達にとっては戦場にも等しい場所である。噂話から情報収集、コネクションの拡大まで余念が無い。
 例えば、エリュシオンへと出張でやって来ていた水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)もそういった者の一人だ。
 この時期のエリュシオンへの出張をいぶかしんでいたところに、この式典である。いわゆる顔見せを行わせておこうという上司の意図する所に、ゆかりは気付かれないように小さく息をついた。こういった場が嫌いというのではないが、目的が目的だけに、純粋に楽しめるはずが無く、気分は低下する一方だ。
 だがその意に反して、ゆかりの周りには、人が絶える様子が無かった。手袋まで統一された楚々とした白のドレスは、端正な顔立ちをより引き立て、胸元の控えめな銀の首飾りも、清楚な雰囲気を際立たせている。鮮やかな花々の中に、すらりと線を引いたような、ドレスに刺繍された百合をまさに思わせる印象に惹かれるように、ダンスの誘いやちょっとした差し入れまでやって来るにいたっては、苦笑しないで居るのが精一杯、といったところだ。
(とはいえ……気が乗るかどうかは別として、目的からしては好都合ではあるのよね)
 正直を言えば溜息を盛大に吐き出したいところではあるが、それを表に出すようでは、外交官としては失格である。あくまで参加できていることを光栄に思っている、という素振りで笑み、挨拶を受けながら、彼らの名前と顔、そして評価を頭に叩き込んでいると、不意にすぐ傍のすっと人込みが割れた。わずかなざわめきが、周囲で広がった所を見ると、現れた男は帝国内では著名な人物なのだろう。ただし、その反応を見る限りでは、あまり良い意味ではないようだ。周りが対応に困ったような様子で、そそくさと距離を取ったため、ぽつりと取り残された形になったゆかりに、まだ青年とも言えそうな見目の男は申し訳無さそうに眉根を下げた。
「失礼。邪魔をするつもりではなかったのですが」
「いえ……」
 曖昧に笑みを返すと、その反応にエリュシオンの人間ではないと悟ったのか、青年はいくらか歩を寄せて頭を下げた。
「オケアノス選帝神、ラヴェルデの代行を仰せつかっております、アベルと申します」
「オケアノスの……」
 その名前に、ゆかりは思わず呟いた。オケアノスのラヴェルデと言えば、ユグドラシルを滅ぼそうとしたアールキングと繋がっていたため、現在軟禁状態にある、という情報を思い出したからだ。その反応にアベルと名乗った青年はわずかに苦笑を浮かべて「ええ」と頷いて、声を潜めた。
「主の名代で参りました。ご存知かと思いますが、私の立場は非常に、微妙なものです」
 率直な言葉は、卑下した風でもなく、あっさり事実だけ口にしている調子だ。傍に居ると貴方にとって宜しくないですよ、と、視線だけで離れるように勧めてくるのに、ゆかりは逆にわずかな好奇心も手伝って首を振った。
「少なくとも、これ以上お誘いを受ける必要は無くなります」
 受けるにしても断るにしても、相手の対面を潰さないようにするには、それなりに気力が居るのだ。望んで来たのではないことも手伝って、表には出さないが疲労が溜まって来ていたのだ。アベルの存在は、そんな彼らのいい虫除けである。
「それに、閉鎖的な社交界よりも外に視野をお持ちの方との会話の方が、実りがありますし」
 そう言って、外交官然とした微笑を浮かべたゆかりに、アベルは僅かに表情を緩めると、もう数歩、歩を寄せたのだった。

 そんなゆかりを視線に捉えて、先程まで気楽な調子で舞踏会を堪能していたマリエッタは、ふと足を止めた。
「……あれって、誰かしら」
 髪に合わせた青い絹のドレスが肌の白さを引き立てているが、淡いピンクのバラのコサージュの柔らかさが、ともすれば冷たい印象になりがちな青を和らげて、同じく青い髪を彩るピンクのバラが可憐な雰囲気を作っている。
注目の的、というより、すれ違いざまはっとするタイプの魅力だ。現に、通りすがりにダンスに誘われていたが、最初こそ楽しんでいたものの、今は少々気がそぞろだった。
 ホールからは誰かは判らないが、周囲から人が僅かに距離を取っているのを見れば、近寄りがたい事情を持った相手だということぐらいはわかる。
(カーリーったら、お仕事じゃなかったのかしら)
 最初はまったく乗り気では無さそうな態度だったのが、青年との会話は楽しげに見える。勿論、愛想よく振舞っているからそう見えているのだろうが。
(それなら私だって、楽しまないとよね)
 こっちは仕事でもなんでもないのだし、と、現在進行形でダンスの相手をしている青年ににっこり笑いかけて、軽快にステップを踏んだのだった。